2004年6月

6/1/2004/TUE

人名索引に続いて事項索引を設置。これまで文章を書きながら考えた事柄を再構成して、自分の思索の範囲や深さを測定するつもり。できれば、概念ごとを地図のように互いの関係もわかるように配置してみたい。いまはアイデアもまとまらず、ウェブサイト作成の知識や技能にも問題があるので、ひとまず文字だけで試みる。

人名索引もこれまで分野ごとのあいうえお順をやめて、事項索引と同じように単純な時系列順にした。

事項索引をつくりながら、8月29日の日誌に追記。


6/2/2004/WED

昨日の荒川洋治。話題はリスナーのメールから、日本語における二人称の使い分けについて。

英語ではyou一語でほとんどやりくりできるけれども、二人称に二種類あるドイツ語やフランス語ではそうはいかない。しかも日本語と違って人称代名詞を省略するわけにもいかない。日本語では知り合って最初に使った人称代名詞を使い続けなければならない雰囲気がある、と荒川は話していた。ドイツ語やフランス語でも、人間関係の根幹を決定的にする二人称代名詞を途中から変えるのは、結構難しいと聞いたことがある。

日本語では人称代名詞を使わなくてもいいのだかから、使わないですむうちはできるだけそのまま進もう、という荒川の提案は新鮮。問題は言葉ではない。言葉の使い方。なぜなら言葉はつねに陰陽双方の響きをもつから。今日話題になった二人称代名詞がいい例。「あなた」は尊称にもなれば、不躾な呼称にもなる。

「バカ」という言葉さえ、罵倒にもなれば愛情表現にもなる。アニメ『未来少年コナン』では、初めは悪役だったモンスリーの気持ちが変わっていくことが、彼女の口癖である「バカねっ!」の言い方の変化と連動している(演じている声優は吉田理保子)。

言葉だけでない。声色、視線、口元の動き、身振り、そうしたものすべてで気持ちは伝わる。「バカ」という言葉を知らなくても、ばかにされていることはわかる。

文章には身振りはない。それだけに文章の声色、つまり言葉の使い方が多くを語る。もっとも、文章も文章だけでは成立しない。ウェブサイトであれば、フォントやデザインが本であれば活字や装丁が、身振りの役割を果たすことになる。


6/3/2004/THU

山形県新庄市にある中学校の体育館で事件が起きたのは、もう十年以上前のこと。この事件は、世相をすぐさま小説の題材にした胡桃沢耕史『翔んでる警視』の一話にも登場している。事件が起きた年と同じ1993年に書かれた「共通語がこわい」(『新世紀篇1』廣済堂文庫、1994)は、もちろんフィクション。事件が起きたばかりで公開された情報もないときだったろうから、真実を推理したというよりも、報道を聞いた胡桃沢の感想が込められていると見たほうがいい。『翔んでる警視』シリーズは、全編こうして胡桃沢の社会時評が、文庫本にして20冊以上にわたり、おなじみの登場人物によって演じられる形式になっている。

「共通語がこわい」の背景にあるのは、即位の礼の慶賀ムードのなか、陰湿な事件へ世間の関心を向けさせないマス・メディアの傾向、地方と中央のあいだに存在するさまざまな格差、それを日常的に体感させる共通語と方言の違い、事なかれ主義の蔓延る教育現場、さらに偏差値教育によって増幅された学校内のいびつな人間関係。

この話では、抜群の推理力をもつ警視、岩崎白昼夢でも珍しく犯人を特定できない。言葉を換えれば、胡桃沢は岩崎に犯人をつかまえさせなかった。事件の真相が、まだ明らかになっていなかったからだけでなく、事件の遠因を社会背景にみたからかもしれない。

十年がたち、胡桃沢もいない。刑事審判が終わり、民事訴訟が進んでも真実はまったく見えない。事件を解決できなかった岩崎が抱いた無念と疑問と憤慨は、いまも現実に残っている。新聞報道以上を知らない私には、考察するどころか推理することもできない。現実に起きたことについて、勝手な想像を書くことはよくない。

それでも残る疑問を書き残しておく。新聞によると、無実を訴え、刑事では無罪扱い、民事の一審では有罪扱いになっている元少年の家には、非難中傷の手紙があとを絶たないという。高額の賠償事件の裁判では、原告側を誹謗する手紙が届くと聞いたことがあるから、原告側にもさまざまな手紙が届いているかもしれない。

どんな人が手紙や、ましてカミソリを送っているのか。新聞や雑誌で、そうした行動を否定的にとらえる論説は見かけるけれども、送ったと自分でいう人は見たことがない。

世の中には、実際に私が会ったり、書いたことを読んだり言ったことを聴いたりしている人々とは、まったく異なる考えをもち、行動をする人々が存在するということだろうか。それとも、ふだん会ったり、文章や発言を見聞きしたりしている人々が、実は思いもよらない行動をしているということだろうか。

いずれにしても、恐ろしい、しかし、それはほんとうに恐ろしいことだろうか。その事態を恐ろしいと思うことも、私から見えない人々にとっては、不気味なのではないか。そんな見えない人々を気づかぬうちに嫌悪する気持ちこそ、迷宮入りの殺人事件を生んだ土壌と岩崎白昼夢がみていたものではないだろうか。


6/4/2004/FRI

書評「日本人とキリスト教」を植栽。井上は、「日本人」を明確に定義せず、あえてあいまいなまま使うとはしがきで宣言している。本書の論述にそえば、日本には西洋を受容する土壌があったとみなす心象をもっていた人々を、まとめて「日本人」と井上は呼んでいる。

今回は途中の詳論は読み飛ばして、思いついたことだけを大慌てで書きとめた。走り読みして書いた書評はほかに、「ぷちナショナリズム」「鉄道ひとつばなし」など。

いずれの新書も、読後には物足りなく感じた。新書で終わる読書や思索はない。そこから思索や学習が始まる。そうとすれば、物足りない新書ほど、面白い新書と言える。


6/5/2004/SAT

書評「宗教史の可能性」を植栽。

宗教には、個別の宗教だけではなく、一般的な「宗教とは何か」という問題を含めて、以前から関心があった。とくに今年初めの日誌に、宗教について研究するならば、個別的な対象であっても普遍的な問題意識をもってほしい、と書いてからは、宗教学の本を読んでみたいと思っていたのだけれども、なかなか手ごろな本が見つけられずにいた。本書は以前、広告で見かけて知ってはいた。手にとる暇がなかったけれども、井上章一の新書をきっかけにして、少し難しい本に挑戦してみることにした。

書評「漱石全集 第十六巻」5月27日、28日の二日分の日誌をまとめて縦書きにして植栽。日誌は草稿としてそのままにしておく。

後半に書いた型より先に型の意味を教えることは、最近の言葉では「コーチング」が近いかもしれない。「コーチング」に対して、まず型を教えることを「ティーチング」、型を自力で見つけるように促すことを「メンタリング」というらしい。教えるというだけでも三つの概念が考えられる。相手に応じて使い分けなければ、教育は簡単に暴力になる

表紙写真を「山吹」に変更。


6/6/2004/SUN

言語30周年記念分冊 日本の言語学 三〇年の歩みと今世紀の展望、大修館、2002

雨降りなので、図書館でばらばら眺める本を借りてきて過ごす。こういうときに借りる雑誌はたいてい同じ。

『言語』には専門的な記事や論文が多いなか、言葉に少し関心があるだけでもわかる文章に出会うことがある。イ・ヨンスク「国語学・言語学・国学」は、日本国における言語学研究がさまよってきた不毛な矛盾について考える。一方では、固有のものを手放しで礼賛、他方では固有のものを批判したり無視したりして、外来のもの、普遍的(にみえるもの)を礼賛。この両極のいずれかに偏ったり、「科学的国語学」のように安易に折衷したりすることを「日本人」は繰り返してきた。

この矛盾に苦しんできたのは、言語学だけではない。政治学も思想史も文学も同じ。しかし、固有のもの、イの言葉を借りれば「伝統的なもの」は、「後から作りだされた虚構的系譜」であり「亡霊」にすぎない。「亡霊」は退治すべきものではあっても、対峙すべきものではない。

おそらく、日本の明治以降の言語思想史は、国学からも「科学的国語学」からも距離をおいた時点から書かれるほかはないであろう。そこでは、言語学の「科学性」も国学の「伝統性」も、おなじように相対化されるにちがいない。とりわけ「亡霊」に対して過剰な反応をすることは避けなければならない。「亡霊」を否定するために「亡霊」をもう一度呼び寄せると、今度こそ「亡霊」が息を吹き返してしまうおそれがあるからである。

「『亡霊』を否定するために『亡霊』をもう一度呼び寄せる」という思考形式は、「亡霊」復活をたくらむ保守反動勢力を批判するつもりの、いわゆる進歩的知識人はもちろん、両者を批判するつもりでいる人々でもつい陥ってしまうことがある。

続きは明日。


6/7/2004/MON

言語 2003年12月号 特集 旧約聖書の世界―律法、契約、予言、知恵、大修館、2003

昨日の続き。固有性と普遍性、土着と舶来、因習と科学。一見対立するような概念を使いながら、同じ思考形式から脱することができないでいることがある。これはけっして日本語での思索や、日本に暮らしている人だけの傾向とはいえないだろう。とはいえ、「日本」が話題になるときは、とくにこの傾向が強いようにも感じられる。

たとえば、昨日採り上げた『言語』の別の号にある斎藤美奈子の連載「斎藤美奈子のピンポンダッシュ」。「自己チューと自国チュー」と題して、斎藤は文科省が配布している「心のノート」を批判する。

斎藤によれば、文科省の教材が土台にするのは、自己→地域→国家→世界という図式の世界観。この同心円状に広がる世界認識では、「自己愛が肥大化するのは当たり前だわ」と彼女は批判する。

問題はこの先。「単なる愛国心批判はすでに説得力がない」と書き、いわゆる進歩的知識人による「愛国心の強要」や「戦前回帰説」という批判の論法を避けながら、彼女は自分の考えを披露する。

  考えてみれば、「地球上にはいろんな人がいます」からはじまって、世界→日本→地域→個人というように徐々に関心領域を狭めていく逆方式だってあるはずなのだ。この方式でいけば、すべての文化は尊重されなければならない→だから他の文化と同様に日本の文化も尊重しよう、人はだれもが尊重されなければならない→だから自分も大切にしよう、となるはずで、多文化主義の時代にはそうあるべきじゃないですかね。
 排他的な自己愛と愛国心、自分中心主義は同型だ。その原因を天動説的世界観に求めるのは考えすぎかしら。

斎藤の論法は、イ・ヨンスクの言う「亡霊」を否定するために「亡霊」を持ち出すようなやり方。つまり、日本固有の文化を世界のなかで意識する図式を批判しながら、世界の中に日本固有の文化が存在するという思考に陥っている。彼女は、天動説的世界観を批判しようとするあまり、その図式にとらわれているため、結局、図式を転覆するだけに終わっている。

言葉をかえれば、批判するためだけに批判しようとするから、結果的に相手の論法に足元をすくわれている。そして日本固有の文化が世界の他の文化、例えばアメリカ文化や中国文化と並列に存在するという「多文化主義」の発想からは、まったく抜け出せていない。排他的な自己愛と自分中心主義が同型ならば、それらと世界分割も同じ型。

問題は、天動説か地動説かという点にはない。どちらに立とうと排他的に陥る可能性もあれば、そうならないでいられる可能性もある。おそらく、その違いはどれだけ反対の思考形式も意識できるかという点にある。

つまり肝心なことは、天動説も地動説も、ものの見方に過ぎず、真理ではないことを自覚できるかという点にある。地動説という「科学的真理」を、本来、真理のない思想の世界へ応用することが、間違いの元だろう。

これでは、考えすぎではない。「主義」ではない、「多文化世界」理解するためには、考えがむしろまだ足りないくらい。


6/8/2004/TUE

手書きでないと文字でないという言う人がいる。同じ人が書いた縦書きでないと日本語でないと主張する文章も最近見かけた。別な人は、文学作品は音読すると脳が活性化すると説く。

いずれの考えも、そのとおり、少なくとも一理はあるようにみえる。しかし、少し視点を広げてみると、何かしら奇妙に感じる。言葉をかえれば、ものごとの道理としては間違ってはいないとしても、社会的文脈のなかで考え、つまり実際に応用するところで、もとはなかった含意が流れ込み、もともともっていた真意が代わりにこぼれ落ちているようにみえる。

文章は音読したほうがいい、という主張は、カラオケは身体にいいという主張以上の意味を持っていない。歌詞はもとから声に出すように書かれている。朗読を前提に書かれた詩や絵本ならともかく、すべての詩がそうというわけではない。まして散文は朗読を目的にしないで書かれている場合が少なくない。

少なくとも、「庭」の文章は朗読に向いていない。多くの漢字にはルビがない。そうした漢字の読み方は読者にゆだねられている。私自身が読み返すときも、漢字で書いあるところをカタカナ語にして読み下していることも少なくない。

ときどき、自問する。私は文章を書いているのではなくて、フォントという素材を使って一種のコンピュータ・グラフィックを描いているのではないか。語法の統一より句読点が行頭一文字目にならないようにというその場限りの見栄えを優先することもある。

書いたことに責任がないと言うわけではない。書いたことでも、描いたことでも、表現したものには責任がある。とはいえ、その責任は日本語や文字に対する責任ではない。私は日本語を書いているつもりはないし、文字を書いているつもりもない。

私は、私にしか感じられないことを、できるだけほかの人にわかるように表現しているだけ。すべての人が理解できるとも思わないけれども、誰も理解できないとも思わない。日本語ではないと言われるのは、むしろ光栄なこと。表面的には何語に見えようとも、意識としてはエクソフォニーな表現を目指して書いているのだから。


6/9/2004/WED

昨日の荒川洋治。最近、太宰治の十代の作品と見られる短編小説が見つかったことから、文豪の若い頃の才能。

芥川や白秋のように、早熟といわれるほど若い頃から自分の才能に気づく人もいる。そういう人が大成するためには、たとえば自分から歌壇を見切って詩壇へ飛び込んだ白秋のように、強烈な自信が必要なのかもしれない。

荒川は、若い頃の「文才」には気をつけたほうがいい、という。小さくまとまった器は、その時代に受ける能力であるとしても、新しい時代をうみだす才能はむしろ同時代には反発したり、簡単には受け入れられないものかもしれないから。自信過剰なくらいでなければ、新しい表現を生み出すことはできないという指摘には、なるほどと思う。

荒川自身は謙遜するけれども、自分の詩に傍線を引いて「ここがすごい」と言うくらいなのだから、少なくとも現代詩に関しては荒川も相当な自信家であるに違いない。

最近では、新しい時代をつくるかもしれない才気さえ、無理やり短期的な成功に押し込められているようにみえる。大型文学賞を次々と十代、二十代が受賞して以来、文芸創作に関心をもつ若者が増える一方、早く賞をとって認められなければ、小説家として働きださなければ、と強迫される傾向もあるという記事を読んだばかり。

競争と商業化の波は、思ったよりずっと激しい。それでも生き残る人はいる。それはそうだろう。業界内に座席がある限り、つまり、賞があるかぎり受賞者はいるとすれば、勝負はトーナメント式で誰か必ず勝ち残る。大げさに言えば、文学という芸術までもがプロ・スポーツ化しているということ。

生存競争やビジネスよりも激しい波は、マス・メディアの波。受賞者でも被害者でも、才能の限界や事件の重み以前に、報道の波に押し流されそうになっている。

いや、それほど心配はしなくても、すぐにニュースは風化するのかもしれない。しかしその時には、才能も傷跡も瓦礫の下に埋もれ、嵐の爪あとだけが残るだろう。


6/10/2004/THU

モデルグラフィックス 巻頭特集 造艦技術大全「あえていまゼロから紐解くミッドウェー海戦」編、岡部いさく文、編集人、古屋智康、大日本絵画、2004

鉄道ファン 2003年12月号 特集:月光型 その顔の世界、交友社、2003

月曜日から続けて書いた『言語』と同じように、『モデルグラフィックス』もよくながめる雑誌の一つ。今号では日米戦争を決したミッドウェー海戦を歴史と軍艦と模型の三方向から考察する。

面白いのは、途中二箇所『宇宙戦艦ヤマト』への言及があったこと。一つは改装前に三段甲板だった赤城がガミラスの空母のモデルになっていたこと、もう一つは同じドメル将軍率いる空母艦隊との決戦で、一艦の爆発が全艦隊の爆発を引き起こした場面が、ミッドウェーでの史実を下敷きにしているらしいこと。

60年代から80年直前まで、第二次世界大戦で使われた兵器の意匠がプラモデルやアニメという遊びを通じて子どもの暮らしに刷り込まれていた。『日本の軍艦』『戦艦大和のひみつ』といった題名は、子ども向けの図鑑として少しも特別ではなかった。そのおかげで、ミッドウェーをはじめとする大戦の秘話を知った中島飛行機に関心があるのも、この頃から。

『モデルグラフィックス』では、かつて宮崎駿が思いつくまま、さまざまな飛行機や戦車などを描く『雑想ノート』という連載があった。戦争嫌いで兵器好き。表面的にはどう見ても矛盾している。けれども、そういう人は少なくない。私自身にも、そういう傾向がある。どういうことなのか、なかなか説明できない。否定することは簡単だけれど、否定しても残る嗜好性はどう説明するか。戦争は究極の人間ドラマ、兵器は究極の機能美、ということだけでは説明はつかない。

とはいえ、今回の特集のように趣味をきっかけにして、そこに関わる現実や歴史まで考察を深め、冷静な文章にする人もいる。否定するだけでは、何も始まらない。

『鉄道ファン』は、581系車両にはじまる電車寝台特急電車の特集。

書評「シキュロスの剣」を剪定。まだ段落が整理されていない文章があったことに気づいていなかった。ファイルの属性をみると、一年近く読み返してもいなかった。

文章では、孤立と孤独を分けるようにした。前者は一人でいながら他者を必要とし、他者に依存する状態。後者は、一人でいることに充足しながらも、他者との連帯を模索する状態。


6/11/2004/FRI

別冊太陽 日本の探検家たち 道を目指した人々の探険史、湯原公浩、平凡社、2003

連休中に古い『別冊太陽』を何冊か眺めた。書店へ行ってみると、今も次々に新刊が出版されている。どれか一冊買おうか考える前に図書館で確かめていると、多くは蔵書になっている。『別冊太陽』ばかりまとめて並ぶ書店とは違い、図書館では歴史や建築など特集の内容によってそれぞれの書棚に割り振られているため、これまでは気づかないでいた。

『日本の探検家たち』で取り上げられているのは、伊能忠敬から白瀬矗、大谷光瑞、植村直己まで。興味をひいたのは、岩本千綱。政府や軍の命令でもないのに、日本のためにインドシナで情報収集を行ったという。ボランティアといっても、こういう形もありえるのかと驚く。でも、自分の思うとおりに動く国民を望む政府や軍にとってボランティアのスパイは、邪魔者でしかないだろう。

本書に登場する探険家は、日本からどこかへ探検に行き、帰ってきた人というところに共通点がある。探検先で遭難した人も、帰るつもりで出発したのだから、この部類に入る。

日本の探検家という言葉からは、違う部類の人たちも想像できる。ほかの地域から日本列島へ探検に来た人。そのなかには、探検を終えて帰っていった人と、帰らないで日本にとどまった人がいる。

フランシスコ・ザビエルは、前者のうちの一人。モラエスや小泉八雲は、後者に入る。そう考えると、日本から探検に出た人のなかにも、本書で取り上げられた、帰ってきた人以外に、行ったままの人もいる。

国境を越えることばかりが越境ではないと書いておきながら、自分では国境を越える人々に関心がむく。それはもちろん、理念としてはともかく、現実に国境を越えることがいまだにたいへんなことだから。だからこそ、その壁を踏みつけて乗り越えていく人々、特別にみえることを当たり前のようにする人々に興味が向くのだろう。


6/12/2004/SAT

事項索引の分類が定まらない。分類項目の下に、モチーフとなる単語を並べてみたけれども、それらを立体的につなぐ絵が思い浮かばない。

思想という項目を作ってみたけれど、範囲が広すぎてまとまりがわるい。思想、国家、文章、という主題別の分類よりも、スタイル、場所、名前という題材ごとの分類のほうがいいかもしれない。いまのところ、その整理もできていない。

項目だけをとっても、目次と同じように二文字で整理してみたところ、どうしても収まらない言葉がある。それは、Home。故郷、帰還、家路など、思いつく言葉はどれもHomeから出る、あるいは帰るという一方通行しか表すことができない。

漢字二字にこだわらないと、いえ、うち、さと、などの言葉が思い浮かぶ。いずれも、建造物、家庭、故郷、というニュアンスが強く、さらには内向的、封建的など余計な含意さえついてくる。Homeは単純でいて多義的

結局、Homeという言葉をそのまま索引語として使うことにする。索引全体を立体的に構成することはまだできていない。索引づくりは、思ったより難しい。


6/13/2004/SUN

書評「論理哲学論考」を植栽。表紙写真を「紫陽花」に変更。

小学校に出かけた。どの教室の前にも、終わったばかりの運動会の絵が所せましと貼ってある。走る人、投げる人、踊る人。どの絵にも、運動会に参加する「自分自身」の姿が描かれている。

考えてみれば、これは不思議なことではないか。人間は鏡を見ない限り、自分を見ることはできない。運動会では鏡が置いてあったわけではないから、走っているときには自分を見ていたわけではない。それなのになぜ自分が走っている場面を描くのだろう。

自分が向かって走っていたゴールの白いテープだけを描いた絵は一枚もなかった。空に突き上げられた玉入れのカゴだけを描いた絵もない。おそらく、その時はそれしか目に入っていなかったはずなのに。

教員が自分の姿を描け、と言ったからか。それでは質問は変わる。描けと言われただけで、見ていなかった自分の姿がなぜ描けるのか。いずれにしても皆がそうしている以上、これが普通なのだろう。白いテープとつま先が描かれた絵があったら、目立つに違いない。

今の子どもたちは生まれたときからビデオに撮影された自分の姿に見慣れている。だから、運動会の絵というと、自分が写された場面を想像してしまうのだろうか。そうとも言えない。自分の過去を振りかえってみても、ビデオがない昔から子どもは自分の絵を描いている。

どういうことだろう。人間は幼い頃から外から見た自分自身を想像することができるということか。あるいは、そちらが普通であって、自分が自分の目で見たとおりに絵を描くほうが難しいのかもしれない。意識しないでいると、外から見た自分を描いてしまう。

運動会の絵から飛躍させてみると、世界の中に自分がいるように感じること、それを上から見下ろしているような気がすることは、不自然などころか、人間の意識にはありがちな傾向。

独我論、唯我論は、世界の中心に自分がいるという考え方ではない。世界のなかに自分がいることを、自分の目で見ること。白いテープとつま先だけを見つめること。当然のようでいて、簡単なようでいて、そうはなかなかできないことは、運動会の絵を見ても明らか。

なぜ自分のことを外から見てしまうのだろう。どうすれば自分の目で見た世界を意識することができるだろう。ウィトゲンシュタインは、「私が世界である(ミクロコスモス)」、「独我論は語られるのではなく示される」と書いている(5.64)。

それでは独我論について語ることも書くこともできないのだろうか。辻邦生は「私が見ているノートルダムが私のノートルダム」と驚きと喜びをこめて書いた。そして、少なくともその文章は、書いた本人以外にも何かしらの感動をもたらした。論理学の言葉と散文の言葉は違う。書評「論理哲学論考」で書いたことは、こういうこと。散文の文章は、論理で語るのではない。表現で伝える。

そういう文章を自分でも書くことができるだろうか。まずは、白いテープと自分のつま先を見すえること。それを見ている目も、その目をもっている自分も世界の一部であると自覚すること。そして、その感覚を率直に表現すること。道程は遠い。


6/14/2004/MON

「9.11以降」という言葉をよく聞く。「アウシュヴィッツ以降」「ヒロシマ・ナガサキ以降」という言葉もある。あとには、「何も確実なものがない」とか、「詩を書くことは野蛮」とか、喪失感を表す言葉が続く。

9.11や、アウシュヴィッツもヒロシマ・ナガサキも、事件に遭遇した人だけでなく、同じ時代に生きた人すべてにとり、強い衝撃だったことは間違いない。そうだとしても、表現すべきは事件後の喪失感だろうか。9.11以前には、何か信じられるものがあったのか。アウシュヴィッツ以前は、人間は絶望と無縁で、明るい希望のなかに生きていたのか。ヒロシマ・ナガサキ以前、世界は幸福だったのか。

その前と後とで世界が一変したように感じる出来事は確かにある。そうした出来事に出会って気づかなければいけないことは、それが起こる前から、「終わっている世界」に生きている人々はいたということ、その事件が起きるまでも、世界はまったく平和でも、幸福でもなかったこと、自分は過去の不幸の上に今の安寧を築いている、そして、そのことにあれほどの衝撃が受けるまで、何も気づきもせずに生きていた自分の厚顔無恥ではないか。

これまで何度か「生き残った後ろめたさ」という言葉を使った。この言葉が表すような感情がモチーフになっている文学作品も、少なくはない。しかし、この言葉は少し感傷的すぎるようにも思う。「後ろめたさ」という言葉には、自分が生き残っているのは、まるで自分の意志とは無関係な出来事にしてしている。まるで生き残るべくして生き残っているという響きさえある。いったい、何の資格があって生き残っているのか。

言葉をかえれば、「後ろめたさ」という表現は、生き残っていることを過度に肯定しているようにみえる。生き残っていることは「後ろめたさ」を感じるどころではない。十分に傲慢ではないのか。

正義は実現されず、人間は堕落し、いい人ばかり若死にする。この言葉は、ビリー・ジョエルの一曲、“Only the good die young”“Stranger,” SONY, 1977)から。それでも生きているのは、どういうわけか。それを肯定できる根拠は何か

「後ろめたさ」というより、「生き残った傲慢さに耐えかねる苛立ち」というほうが正しいような気がする。それは自分を赦すことでも励ますことでも、まして誉めることでもない。いずれも自分自身に対してすれば傲岸不遜でしかない。

では、自分をどうすることか。今のところは自分に耐える、自分を支えきれないほどの苛立ちさえにも耐えること、としか言いようがない。


6/15/2004/TUE

書評「長谷川潔の世界」を植栽。読みながら、書きながら、これまで読んだ本とのつながりを感じていた。一本の木単純でいて多義的な構図芸術家の修練墓だけが帰る場所

いずれも私だけの思い込みかもしれない。それとも、こんな思いを以前からもっていたから、長谷川の人と作品に興味を持ったのか。どちらでも構わない。はっきりしていることは、気に入った芸術家が一人増えたということ。

斉藤清と野口英世のことを書いたのは、長谷川から連想したからではない。柳津へ一緒に旅した人たちに、今度の週末久しぶりに会えそうだから。こんな風に私の文章は私にとってだけ意味のある書き方をしていることが少なくない。

二重、三重の掛詞、さらにその背後に他の人にはまったくわからない自分だけのアレゴリー。こうした手法は、二重、三重の掛詞でできた筆名をつけて以来、書かないでいることが書きたいこと、という浮彫の技法とともに、私の文章の特徴といえる。


6/16/2004/WED

昨日の荒川洋治。話題は、癒しから、孤独まで広がった。

荒川によれば、昨今流行する「癒されたい願望」には、一人でいることに疲れ、一人でいることを恐れる気持ちがあらわれている。だから、癒されたい願望は、マーケティング用語として利用され、結局、何かを買わされるだけに終わる。癒しは内面から、日常から生まれなければならない、と荒川はいう。

そのとおりと思う。自分の内面が充実してくれば、他人やモノに依存することなく自分の内面に、癒しも勇気も感動も見つけ出すことができるに違いない。それでは内面が充実することと他者との関わりはどう考えればいいのだろう。自己充足は他人を必要としない、ということにならないか。

しばらく前から、孤立と孤独の違いについて考えている。孤立とは、自己充足なく一人でいること。これでは集団のなかにいてもさみしい。孤独とは、自己充足していること。一人でいてもさみしくない。

それでは、孤独な人間は集団のなかではどう振舞うか。自己充足しているなら、集団から離れるのでないか。

自己充足した人々が集まれば、連帯といえるような表面的には緩やかで内面的には強い絆ができるかもしれない。実際には、完全に自己充足した人間はほとんどいない。自分も自己充足できないままに、自己充足できない人間とつきあわなければならない。孤独はつねに孤立に転落する危険がある。ここに孤独と孤立との矛盾を感じる。

紹介された『哲学する旅』は未読だけれど、表紙に使われているエドワード・ホッパーは好きなので、ムックのような画集ももっている。とくに好きな作品は、“Night Hawks”。一時期、パソコンの壁紙にもしていた。

バーカウンターに黙って座る人々は孤立しているのか孤独なのか、これからどちらに傾こうとしているのか、わからないままにしてある。どちらに受け取ってもおかしくない。だから、見ているほうに想像させる。孤立にみえるか、孤独にみえるか、おそらく、見ている者の、そのときの気持ちが絵に映し出される。

明日に続く。


6/17/2004/THU

昨日のつづき。

孤立も孤独も色づけされていない「一人ぼっち」から孤独へ進むことには、それほど無理はない。そこには苦労はあっても苦痛はないから。孤独を通じて連帯への道も見えてくる。しかし、孤立から連帯へは一足飛びには行けない。孤立から孤独にたどる道は平坦ではない。孤立を取り囲む集団から「行くな」と手を引かれ、孤独になろうとしても、集団を離れようとしても孤立した存在にはこわくてなかなかできない。

現代では、とりわけ人の多い都会では、連帯や協働、チームワークという言葉が好まれる。他人とうまくやれる人間が好かれる。他人を必要としない人間というと、むしろ冷たい、独善的な人間と思われかねない。しかし、それは現代の都市生活が他人と共存することを避けられない事実を前提にしているだけであって、本質的な解とはなっていないように思う。

日経新聞、月曜教育欄の連載「まなび再考」で耳塚寛明が面白いことを書いていた。一般的には屋外で遊ぶことが活発で社交的な性格を育み、いわゆる内遊びでは健全な社交性は育たないように思われてきたけれども、現代では、テレビ・ゲームをはじめ内遊びを通じて子どもたちは友達をつくる。だから、外遊び=活発、内遊び=内向的という公式を現代の子どもに押しはめてはいけないと、耳塚は論じていた。

なるほど、建設的な意見。「昔、子どもは野山で遊んだものだ」と懐かしむより、現状に即した分析をして、希望的観測をそえれば、もはや野山を駆け回ることができない子どもたちにとってはありがたい理論になる。しかし、活発であることや社交的であること、友達が多くいることは、それだけでいいことなのか、社会学的な分析と思想的な考察は必ずしも同じ結論にはならない。

探検家は、なぜ単独行を好むのか。芸術家の多くは、なぜ、一人で作品を創るのか。確かに登山にしても、オーケストラにしても、スポーツにしても、共同作業を通じて表現することはある。その場合でも、皆それぞれ持ち場が与えられ、持ち場に対して孤独に取り組むことが求められる。

孤独は、終わりではない。連帯が最終目的地であるにしても、連帯は孤立からたどりつけるものではなくて、孤独にはじまるもの。孤独とは、一人で「いる」ことではあっても、一人で「ある」ことではない。命綱のように誰かとつながっている。つながってはいても、頼らない、こだわらない。

現代社会では人は誰も孤立している。その認識からはじめれば、連帯へ向かう道は単純ではないことがわかる。それでも、連帯へと必ずたどりつけるというわけではないとしても、到達不可能と決まっているわけでもない。この考え方のほうが、連帯を無前提に理想化したり、そこへたどることを当然、当為とみなす考え方よりも、少なくとも、私にはなじみやすい。


6/18/2004/FRI

「偶像について」という文章を書きたいと思っているけれども、なかなかまとまらない、というよりも書きはじめることすらできないでいる。この文章は自分の内側を書く随想になるのか、外側にあることについて書く批評になるのかさえ、よくわからない。

そこで、まとまるかどうかわからないまま、思いついたことを書き出してみる。最近はこんな風に日誌を書き出すことが多い。断片的なことばかり書いているから、思考回路そのものが断片的になり、まとまりある思索ができないでいる。あまりいいことではないけれども、日誌はすべて覚書でもある。気にせず、書きはじめてみる。

「偶像について書きたい」と書いたとき、偶像とは「青春の幻影、もしくは鉄郎にとってのメーテル」とも書いた。鉄郎とメーテルは、もちろんアニメ『銀河鉄道9999』の主人公。メーテルは実在する人物ではない。鉄郎の心のなかだけにいる幻影。その意味で偶像とは、コブラにとってのレディーともいえる。アーマロイド・レディーも人間としては実在しない。しかし、コブラにとっては永遠のパートナーとして心の中に存在する

偶像は、崇拝する側の心のなかにだけ存在し、その外に実在しない。だから、現実に存在する人物を偶像化すると悲劇は避けられない。福永武彦『草の花』(新潮社、1954)での汐見茂思藤木千枝子との関係は、崇拝する者と偶像ではなく、現実に存在する者とのあいだに存在する埋めようのない溝として描かれている

心のなかにいるということは、壊そうとして壊すことができるものではないということ。偶像破壊と簡単に言うけれど、偶像は叩いて壊せるようなものではない。物を壊すように壊したと思っていると、たとえ目には見えなくなっても、さらにたちの悪い亡霊だけが残る。

偶像は破壊されるものではなく、自ら崩れていくものではないだろうか。何となくそんな気がする。金箔を貼った仏像が長い年月を経て、塑像の姿を露わにするように。多くの人たちが触り、塑像が少しずつ磨耗していくように。そのとき、初めに意図され創られた美しさは消え去り、別の本源的な美しさが像の内側から染み出てくるのではないか。

昔、代々木ゼミナールの山村良橘先生世界史講義で、サン・ピエトロ寺院にあるペテロ像は何百年ものあいだに参拝者が撫でていったために、足の指が磨り減っているという話を聞いた。

自分では、まだ偶像が崩れていく姿を見たことはない。まして、いわば虚像の剥がれ落ちた偶像を何と呼べばいいのか、今はまだわからない。

ここまで書いてから、読み返している森有正「変貌」(『エッセー集成4』)の中に、次のような文を見つけた。

 このことを更に少し立ち入って考えてみると、当方の視線を内側から(原文傍点)覆っていたものが次第に剥離して、ものの真の姿が明らかになって来ること、更に言い換えると感覚が凡ゆる感情や想像から脱して、鋭敏に、裸になってくることである。

剥がれ落ちるのは、偶像にまとわりついているものではない。自分の目の鱗のほう。森は、ここでそう書いている。それでは「偶像は崩壊する」という見方は間違っているのかといえば、そうではない。真実は、どちらでもある。そして事実はどちらでもない。現実には偶像は崩壊しないし、目から鱗が落ちることはない。つまりどちらも表現上のことでしかない。

表現上の妥当性は、論理や比喩される対象との共通点の多さにあるわけではない。表現者がどれだけ真実味をもって表現しているか、という点にかかっているように思われてならない。だから、誠実な思索者ほど一見すると矛盾した表現を平気でする。

例えば森有正は、シャルトルのヴィトローの美しさが訴えてくるのは、「作品であるこのヴィトローそのもの(原文傍点)が必然的に作用して惹き起こしたものである」(「城門のかたわらにて」『エッセー集成2』)とも書いている。

表現は事実の代替ではない。それに気づいている表現は、逆説的なことだけれども、見る者にほとんど事実と同じ事態を感じさせる。ただし、感じるものは表現者の真実であって、事実ではない。スタイルは真実を伝える、と言ってもいいだろう。

最後に偶像に戻る。偶像のなかに真実がなければ、偶像は崩壊することも、それを見て目から鱗が落ちることもない。

4月24日の日誌に追記


6/19/2004/SAT

つぶやき岩の秘密、NHKソフトウェア発行、アミューズピクチャーズ発売、2001
  原作、新田次郎
  脚本、鎌田敏夫
  音楽、柴田和夫
  演出、佐藤和哉
  出演、佐瀬陽一、菊容子、美川陽一郎、陶隆、厳金四郎ほか

少年ドラマシリーズがDVDになり、図書館に入っていることに気づいた。このドラマは石川セリが歌う主題歌「遠い海の記憶」が収録されたアルバムを買って以来見たいと思っていたので、早速借りてきた。

放送は1973年7月と1974年3月。私の記憶は、本当に最初の放映時の記憶だろうか。あとで読んだ原作や、大学生のときに見たビデオの記憶と混ざっているかもしれない。もっとも、中学生のときに原作を読もうと思ったくらいだから、最初のときも見ていたことは間違いないし、そのときの印象はかなり強いものだったのだろう。

こうして見返してみると、思っていたよりずっと緊迫した雰囲気がある。映像は、ビデオではなく映画フィルムで撮影されていてほの暗い。小林先生の部屋が荒らされている場面や紫郎のかばんを見つけるところで使われるフラッシュ・バックは、市川崑が『犬神家の一族』で使った表現を思い出させる。ジャズやフュージョン、おそらくは当時クロスオーバーと言われていた背景音楽も緊張感と暗さをひきたてている。

主人公の紫郎は小学六年生。しかし、この物語は学校の場面がほとんどない。友達もでてこない。志津子は幼なじみとして配置されているけれども、紫郎に対して少し子どもすぎる。実際、小学校高学年では女の子がませているくらいではないだろうか。紫郎がどんどん変わっていくのに、志津子は子どものままでいるのが、少し奇妙に感じられた。25分、6話という構成上、焦点を紫郎だけに絞っているせいもある。原作では、どう書かれているのか、気になる。

もっとも、こんな風に内面的な成長に大きな差があるのもこの頃の特徴かもしれない。しばらく後には志津子は、また彼女自身が出会う物語を通じて、すっかり大人になり紫郎から離れていくかもしれない。ともかく、紫郎はいつも一人でいる。

新田次郎はいくつか読んでいる。こうした内省的で、障害を一人でくぐりぬけようとする孤独な冒険者は、新田文学にしばしば登場する主人公。

物語の鍵になる旧日本軍が海辺の洞穴に隠した財宝、というとブラック・ジャックにも似た話、「とざされた記憶」(1974、新書第2巻、文庫第11巻)がある。70年代ではまだこういう話題が真実味をもっていたような気がする。

役割は少し違うけれども、ヒゲおやじが白髭さん、アセチレン・ランプが亀さんといったところだろうか。

紫郎は、両親に会ったことがない。面影もないはずの父や母の亡霊が彼を海に呼び寄せ、孤独にさせた。両親はずっと海をさまよい、紫郎の心も定まらない。物語を通じて紫郎は、両親の死をはじめて受け止める。理解する。「さようなら、お父さん、お母さん」という台詞は、両親の亡霊に向けられた言葉。こうしてはじめて、両親は彼の心のなかに居場所を見つけた。そうするまで何年も、彼は一人でいなければならなかった。

死を理解する、という主題がこの物語にあったことは忘れていた。というより、最初に見たときには、まだ気づくことはなかった。


6/20/2004/SUN

書評「魂の労働」を剪定。「手なづけられるスタイル」の末路として、政治化、ビジネス化のほかに、単なるストレス解消に終わる趣味化がある。そうした趣味を示すために、「そうでなければ、向上心も自己批評もない空しい反復運動に陥る」と書いてみる。

スポーツも料理もファッションも、趣味にもなればスタイルにもなる。もちろん、ストレス解消は悪い面ばかりではない。むしろ現代社会では、いかにストレスを蓄積しないようにするかが、社会生活上もっとも重要な問題とさえいえる。

しかし、スタイルの構築とストレスの解消は一致しない。のんびりすることと、のんびりしながら深く考えることは、外から見れば同じでも、内面の出来事としてはまったく違う。この違いは、夏目漱石「文芸の哲学的基礎」の最後に書かれていた。

ともかく問題は、「手に負えないスタイル」を創り出そうとしても、いつのまにかスタイルを磨く場が、生活の糧を稼ぐ職業とストレスを解消する趣味のどちらかに霧消してしまうこと。そうでなければ、何となく続けるという機械的な反復に陥ること。鷲田清一のいう「労働と余暇の対立」という問題設定は、同じことを指していると思う。

労働と余暇の対立を避けるために、労働をスタイルにしたり、余暇をスタイルにしたりしてみる。言葉を換えれば、賃金労働に働きがいを見出したり、趣味の中に生きがいを見つけようとしたりしてみる。すると再び、自分でも気づかないうちに、しかも働きがいや生きがいに誠実であろうとすればするほど、スタイルは労働や余暇や反復に吸収されてしまう。もしくは、集団的な政治行動の教条主義に従属させられる。

一体、この悪循環を断ち切る方法はあるのだろうか。どこまでも労働、余暇、反復に徹することも一つの反語的な解決法かもしれない。そうかもしれない、でも、その方法はきっと悪循環を断ち切るよりも険しいだろう。


6/21/2004/MON

Frontiers, Journey, CBS SONY, 1983

ハードな音楽、ヘビーな音楽はほとんど聴かない。このアルバムは毎年、夏になると聴きかえす。私のなかではもっともハードな部類になるとしても、Journeyをハード・ロックといえば、KISSやRolling Stonesを好きな人には笑われるだろう。

二曲目の“Send Her My Love”には、今までもずっと気になっていた歌詞がある。

Callin’out her name I’m dreamin’
Reflections of a face I’m seein’
It’s her voice that keeps on haunting me

口に出せない名前記憶に残る映像、そして。いずれも、「庭」を書きながらずっと心に留まっている概念。

ずっと昔から聴いている音楽や、ずっと昔読んだ本のなかに、いま、考えていることを言い当てる言葉を見つけると、ずっと昔から、そこには花が咲いていたことにようやく気づいたようでうれしくなる。たとえ、答を見つけられないでいる問いであったとしても。


6/22/2004/TUE

6月28日をもって、「庭」をしばらく休園にする。積極的な理由、消極的な理由、どちらともいえない理由がある。残りの一週間をかけて休む理由と、これからのことについて書いておく。

最初に、どちらともいえない理由から。五月の連休明けのある日。よく休んでいたにも関わらず、ひどい熱を出した。熱を出すとふとんをかぶってずっと眠っている。ふとんで泳げるほど汗をかいても起きることがない。

「一度、庭を閉めよう」と思ったのはそのとき。そんな風に熱にうなされたとき、何かをふと思いつくことはこれまでにもあった。島崎藤村の『破戒』を読み、もっと本を読んでみようと思ったのも、風邪を引いて学校を続けて休んだとき。そもそも「庭」という名前でウェブサイトを開こうと思ったのも、熱を出して会社を休んだ日に、ラサール石井が共著者の一人になっている『1.5流が日本を救う』を読みかけのまま目を閉じていたとき。

熱を出した日に思いついたことには、何となく抗し難い。啓示などという大それたものではない。しかし、それがであり、言葉であることは確かなような気がする。はっきりと具体的な言葉で聴こえる。私には、そういう体験はいつも言葉で聴こえる。そうして目が覚めても忘れられない。まるで機械仕掛けで動いているように、聴こえた言葉のとおりに行動するようになる。

冷静になって考えみれば、外から聞こえてくるのではない。その前から何度か考えていたことが内部で蓄積され、発酵し、沸騰し、噴出する感じ。実際、藤村以前にも本は少しずつ読みはじめていたし、文章も「庭」を開く前から書いている。個人サイトも無料の日記サイトを間借りしてはじめていた。声は、自分の内側から聞こえてくる。

聞こえてくるのは、叫ぶ声ではない。自信のないつぶやきではもちろんない。全身に響きわたる、静かなささやき。


6/23/2004/WED

休園の理由を書き続ける前に、昨日のつづき。

昨日書いた、自分の内側から聞こえる声は証言といってもいいのではないだろうか。人によっては言葉ではなく、絵だったり、音だったりするものかもしれない。自分の内側から湧き上がり、自分の表面的な意志では抗うことができず、自分自身の行動を他の人の行動を変えていくように変えていく

他人のように変えられたといっても、それは自分の声であり、新しく行動をはじめるのも自分の意思による。言葉をかえれば、変わることも行動することも、自分の責任ということ。ここにも、内なる声を証言と呼びたい理由がある。見たこと、聞いたことを自分の内側に隠さず、ありのままに外側へ示す。示すことは、責任を伴う。証言とは、そういう行動を指す。

証言と対立する言葉は、告白。告白とは、証言できるものは何か、自分の内側を探りながら見つけたものをおそるおそる差し出すこと。その意味で告白は「試み」、エッセイ的といえる。

その一方で告白は、いわゆる「語り」に堕する可能性がある。「これがオレなんだ」という言葉は、一見証言に近いけれど、実態としては悩める内面の吐露だったり、自分が思う、あるいは期待する自分の姿を無理に演じているだけだったりする。その見極めは難しい。自分の場合はとくに。

いずれにしても告白は、多分に自分に対する懐疑や自己否定を含んでいる。この声かもしれない、違うかもしれない、という迷いがある。証言には、迷いがない。

そこまではわかっても、私に証言できることはまだ、本を読みはじめた、文を書きはじめた、そして「庭」を休むことにきめた、ということだけ。そもそも「語り」ではない文章を書いたことさえ、まだないかもしれない。

書評「栄光学園物語」を植栽。


6/24/2004/THU

新しい文章を書くことは、しばらく辞める。日誌も追加しない。ただし、これまで書いた文章の推敲は続ける。それだけでも、かなりの時間が必要になる。これが、休園にする消極的な理由の一つ。

一日の時間は限られている。しなければならないことも少なくない。文章を書くことは、私にとっては無駄なことではない。とはいえ、必ずしも書き足すことが文章を書くことではない。書き足せば書き足すだけ、推敲を待つ部分も増える。推敲もできないままに書き足していけば、だらだらと思いつきだけがたまる。これはよくない。

今まで書いたものを少し整理して、それから新しい文章を書きはじめてもいいだろう。整理は、推敲だけではない。索引事項索引もまだまだ完成に程遠い。横書きの日誌には、リンクのまだついていない語句もある。

日誌のなかのリンクは脚注とは違う。一つの言葉を書きながら、別の言葉や文章について考えていることは少なくない。しかも、それはしばしば他人にはまったく突拍子もないつながりだったりする。一人の人間の言葉の世界は、一見無秩序にみえる体系をもっている。「庭」を書くことは、私の中にある言葉の世界の広がりを教えてくれた。もちろん、その秩序のなさと奇妙な体系性も。

日誌を読み返してみると、以前の文章の中に後になって深く考えることになる言葉や概念が、そのときには何も気づかないままで乱雑に登場することがある。それは「庭」に引かれた伏線ともいえる。日誌を読み返し、リンクを貼ることは、自分自身のなかにある伏線を見つけ出すこと。伏線は、意図して作るものだろうか。私には、書き終えたもののなかに見つけ出すもの。

過去の文章へのリンクはわかりやすい。今の自分が読み返して、以前に書いたものから探し出すから。過去の文章から未来の文章へ引かれたリンクは、不思議な存在。そのリンクは文章のなかに埋め込まれている。だから文章と同じ過去の時間が流れている。それなのに、リンクだけは未来に何が書かれるかを知っている。伏線の行く末を先取りしている。そこでは未来が過去に取り込まれていて、過去は現在になる。

はっきりと「庭」のある部分を指している言葉でも、あえてリンクをつけていないこともある。想像させるつながり。実際にも読み手は書き手の想定するリンクとはまったく違うところに自分自身のリンクを見つけ、リンク先を「庭」の外へ探して出ていくだろう。


6/25/2004/FRI

ちょうど昨年の7月から毎日日誌を書いている。5月に休もうと一度は決めたものの、ともかく一年間は続けようと思いなおし、6月に休園することにした。もう止めよう、止めたいと思ってからもう少し続けてみて、はじめて新しい技術を体得する。スポーツの練習では、そういうことがよくある。

考えることや書くことにも、同じことが言えるのではないか。毎日、何かしら書くようにすると、自分のなかから苦し紛れの言葉や気づいていなかった偏見が浮かび上がる。それを過ぎると、自分でも少し上手に書けたと思えるようになる。

そうした、いわゆる自動書記のような文章から自分の考え方の傾向を把握することは悪いことではない。しかし、そうした文章は、本来あまり公開に向いていない。

文章を書くようになって、文章の読みかたも変わった。作品という全体の構造を意識するようになった。完結する世界を言葉によって築く。作品を書きたい。そう思いながら実際は、縦書きの文章は書評を除いて次第に減り、日誌の量が増えている。そもそも「庭」は、作品というには最初に展望がまったくなかった。

はじめは図書館からの貸出記録。そして報道事件やへの感想、読んだ本の感想。そして次第に自分の内面についても書くようになった。その過程は、ほとんど迷走としか言いようがない。

何を書くか、何を書かないでおくか、ずっと行き当たりばったりになっている。全体の構成や基本方針を考えなおすためにも、一度休止を入れることは悪くないと思う。


6/26/2004/SAT

火曜日以降、「庭」への新しい文章の追加を休む理由について書いている。休もうと思いついたのは消極的な理由ばかりではない。これまで二年間に書いた文章に対して人名索引に加え、事項索引をつくってみたところ、自分の興味の範囲や思考の傾向がつかめてきた。

もともと図書館の貸出記録をつけはじめたのは、自分の好みや関心を客観的に分析してみたいと思ったから。自分は何に興味があるか、それについてどう考えているか。「庭」を書き、索引を作ってみることが、自分の中での論点の整理になった。その論点を考察し、操作する自分の語彙もわかってきた。

例えば、本を読むことが好きということも、以前は自覚していなかった。まわりにもっと本を読んだり、文章を書く人がいたから、その人たちとの比較から、自分の程度では本好きとは言えないと思い込んでいた。他人との比較ではなく、自分のなかでだけ考えてみれば、スポーツや料理より本が好きなことははっきりしている。

本が好きな代わりに、映画やマンガは一部の作品を除いてほとんど興味がないこともわかってきた。テレビは、私にとってほとんど過去のなかにしかない。絵画と音楽、それからラジオは、本と重なり、私の思索にとっては不可欠であることも、文章を書きながら考えてわかったきた。

考えていることの整理ができたこと、思索の道具である言葉の整理ができたことは、二年間の成果。「庭」で獲れた果実。これからは道具を使いこなし、整理された問題に取り組んでいけばいい。下書き、メモ書きの時期は終わった。思いきっていえば、作品と呼べるような文章を書きはじめる段階にようやく立つことができた。

そうなると、全体の構成、文章の体裁、文体についても、考えなおす必要性がある。これまで考えたことを素材にして、これまでと違う表現形式で何か創作をしてみてもいいかもしれない。もちろん、私は音や絵ではなく言葉でものを考える性質だから、言葉で、それも文章で表現することは変わらないだろう

書いた文章に少し距離をおき、これから書く文章について考えるためには旅にでるといい。そう書いていたのは、ビル・ローバック『人生の物語を書きたいあなたへ』。私も、旅に出よう。旅に出るのは、もちろん帰るため

おそらく、同じ場所、同じ形式、同じ文体に戻ってくるだろう。それでも何となく書いていることと、自覚して書くことのあいだには、大きな違いがある。

どのくらいの長さの旅になるかわからない。もっとも私はダダイストでも弥勒菩薩でもないから何億年も旅することはないだろう。そして、私は二十歳をとうに過ぎてしまっているから、旅に出たままではなく、必ず帰ってくるだろう


6/27/2004/SUN

Fascination with Nature(造化在手、指揮如意): Finger Paintings by Wu Tsai Ye
  Beautiful Dragon, Pierre and Gilles, Singapore Art Museum, Singapore

Earl Klugh in Concert, Earl Klugh, PANORAMA, 2000

今週はマレーシアとシンガポールに出かけた。マレーシアは二度目。シンガポールは四度目マレーシアは前回も今回も滞在時間が短く、うっそうとした緑とまっすぐの高速道路、新しい空港のほかには印象は薄い。あるいは、その不均衡が象徴するところがマレーシアという感じもする。

ほとんど業務に時間をとられたけれど、偶々宿がシンガポール美術館に近く、しかも夕方遅くまで開館していたので、空いた時間に見て回ることが出来た。


Wu Tsai Yenは、指先に塗った絵具で直接紙に描く。描かれるものは松、梅などの木、魚や鳥。自然を射抜く観察眼もさることながら、それを指先という道具一つで描いてしまう表現力に驚く。こういう技法は以前『世界まる見え特捜テレビ』でも見た気がする。

優れた表現者は技法にこだわる。貪欲で偏執的ですらある。他人は何とも思わないようなささいな違いに執着し、究めていく。感性を屋根とすれば技術は柱。感性が繊細であればあるほど、重厚であればあるほど、しっかりと支える太い柱がいる。

上の階には、写真と彩色によるポップアート。オーディオ製品のポスターに使われた菊池桃子の肖像もある。「ヴィーナスの誕生」を引用したきらびやかな作品。

アイドル歌手、宝塚、ハロー・キティから、タイのボクサー、男性ヌード、同性の結婚式まで、素材は古今東西、エログロ、さまざま。ただし、全体の雰囲気はコラージュやバロックという言葉がかもす支離滅裂な感じよりもずっと洗練されていて、ある種の秩序さえ感じられる。フランスの芸術家らしいけれども、シンガポールで見ているとフュージョンという言葉がきわめて切実に感じられてくる。


シンガポールでは、さまざまな文化が混沌としている。古今東西から象徴的な意匠をつまんできてはアメリカン・テイストで味付けをしたラスベガスの世界文化混淆とは違う。ここでは生きた文化が生のまま熱い鍋に放り込まれている。食べ物、服装、デザイン、宗教、それぞれの分野でさまざまな文化が単なる記号ではなく、生活の一部としていきいきとしている。ばらばらであるようにもみえるし、混じり合っているようにもみえる。この街で、めまいがするのは暑さのせいだけではないような気がする。

シンガポールは、通商国家。ヒト、モノ、カネ、そしてITのハブとして航空旅客にも力を入れている。機内番組はビデオ、オーディオをあわせると300以上。音楽だけをみても、ロック、クラシック、日本語演歌、J-POP、K-POP、ヒンズー、ジャズ、中国語の歌謡曲と目がくらむほど。


エアラインは本国政府がその国の公定文化と標榜しているもの、いわゆるステレオタイプ化した文化を採用しがち。多様な文化が混ざり合っている場所では、エアラインの文化も多文化世界。300チャンネルの番組は偶然でも競争の結果でもない。この街の多様な世界を反映している。

ただし、多様であることは安全や幸福とは直結しない。多様な世界を維持するために強圧な警察国家であることも、見過ごすことはできないこの国の一面。


多文化世界は、対立や摩擦以前にその多様さで人間を圧倒する。知るということは大切だろうし、選べるということもうれしい。しかし、多文化世界が情報技術と組み合わさったときには、知ることも選ぶことも拒みたくなるような洪水になる。

誰かが決めた「我々の文化」に閉じこもることは間違っている。そうかといって多文化世界に飛び出すだけでは、情報の洪水に流されるだけかもしれない。そのあいだにとどまり、なおかつ自分のなかから生まれてくる何かを表現することは、まったくやさしいことではない。

フュージョンという表現の極意は、多文化世界に生きる心持ち。一つに偏らず全体に溺れず、自分が出会い、親しんでいるものを素材に自分の世界を表現する。この街に暮らす人々にとっては、生きることそのものがフュージョンの表現。


美術館を出て、ショッピング・モールを歩く。小さな音楽店でDVD、“Earl Klugh in Concert”(PANORAMA, 2000)を見つけた。私の好きなフュージョンな表現世界の一つ。彼が演奏する姿を見るのは初めて。ピックを使わず、指先でメロディを奏でるスタイルに目を瞠る。指先で音楽を描くライブの最後は“Dr. Macumba”。

この曲がオープニングを飾る彼の出世作の名前は、“Finger Paintings”だった。


6/28/2004/MON

図書館の貸出記録をウェブサイトで公開したのは二年前の六月毎日文章を書くようになってからも一年が過ぎた。今の職業について最初に出張した外国の街を再訪した。私のまわりで、また私のなかで、いろいろなことが初めに還ろうとしている。間違いなく、一つのサイクルが終わろうとしている。といっても、森有正が誇らしげに書いたような、出発の準備が整ったという気持ちではないし、ウィトゲンシュタインのように「問題は解決した」という宣言をすることもできない。

むしろ、行くあてがどこかにあるわけではないけれど、ここにいるわけにもいかない、そんな気持ち。この一文は「庭」を創ったときに書いた文章に還り、ここにも一つの円が描かれる。

今週図書館から借りている本とコンパクト・ディスクの記録を書き残しておく。こうして「庭」は、はじめの貸出記録に戻る。

絵本評「おとなになれなかった弟たちへ…‥」を植栽。

書評「日本近代評論選【明治・大正篇】【昭和篇】」を植栽。不十分ではあるけれども、時間切れになる前に仕上げたことにして、これからゆっくり剪定する。

引用した福田恒存の「一匹と九十九匹」という考え方は、ラ・サール石井の体験談にもあった。長年世話になった塾の指導に逆らい、政治家、官僚志望をやめて表現者の道を模索しはじめたとき、「一匹のために」と啖呵を切ったと言う。

表紙写真を「青い空の彼方」に変える。思えば庭を耕しているのは、空を見上げて、「見たことのない星座」を見つけるためではなく、いつの日か「青い空の彼方」を眺めるためかもしれない。

絵本評『おとなになれなかった弟たちに…‥』を植栽。


6/29/2004/TUE

アウグスティヌス愛の概念(DER LIEBEGRIEF BEI AUGUSTIN)、Hannah Arendt千葉眞訳、みすず書房、2002

つぶやき岩の秘密新田次郎、新潮社、1972
小説には書けなかった自伝、完結版 新田次郎全集 第十一巻、新田次郎、新潮社、1983
水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム、狐、ちくま学芸文庫、2004
日本の近代化とスコットランド、Olive Checkland、加藤詔士・宮田学編訳、玉川大学出版部、2004
間違いだらけのクルマ選び 04夏版、徳大寺有恒、草思社、2004
目を閉じて心開いて ほんとうの幸せって何だろう、三宮麻由子、岩波ジュニア新書、2002

Crystal King(1980)、クリスタルキング、ポニーキャニオン、1994


碧岡烏兎