少年――故郷の風の詩 葉祥明画集、葉祥明、サンリオ、1980

風の旅人 葉祥明画集、葉祥明、サンリオ、1980

葉祥明美術館  葉祥明、作品社、2002


連休の後半、懐かしい場所で懐かしい画集を見る。葉祥明の絵は、むかしから好きだった。画集『風の旅人』の最初の絵には「1980年 『太郎の青春』(NHK)タイトル画」と書かれている。脚光を浴びはじめたのも、私が知るようになったのも、この頃。

気に入っていた一方で、彼の絵を好む自分を素直に認めたくない気もしていた。絵が単純だから。構図もほぼ変わらない。真直ぐ引かれた水平線とパステル調に塗られた大地と空、中心に少年、自転車、少女、船、家、馬、かもめ。

こうした単純明快な絵は、わかりやす過ぎるような気がしていた。そしてわかりやすい作品に感動してしまう自分が愚鈍に思えた。色紙に思いついたことだけを個性的というよりただ下手なだけの字で書きつけたものを詩だと売りつけるようなものと同工異曲ではないか、そんな風に感じていた。だから、そんなものに惹かれる自分にも納得がいかなかった。

二十年前の作品集と、最新の油彩画集を見て、そうした考えはまったく間違っていること、無礼な誤解であったことを知った。確かな素描力、緻密な構想、誠実な主題、多様な変奏、亜流と見間違うことのない個性。要するに、見た目の単純さは、実は重層的で奥深い技術と情熱に裏打ちされたものだった。

だから、これらの絵を見て感じるものもけっして単純である必要もないし、あってはならない。画家自身による丁寧な解説は鑑賞の助けになる。それでも単純な絵の奥から放たれる光は、けっして一筋ではなく、プリズムのように多彩にきらめくに違いない。

誤解を生んだ一因、すなわち私が要らぬ警戒心を抱いた理由は、作品そのものよりも作品の流通にあったように思う。「メルヘン画」というジャンル分けが、作品の奥行きを見えにくくしていたのかもしれない。そのうえ、色紙の単純文章に対する嫌悪感が、表面的に似た単純画を誤解させたのかもしれない。

社会的受容がつくる虚像と自分の偏見が生み出す幻影を取り除くこと。作品を無心で鑑賞することは、つくづく容易なことではない。


碧岡烏兎