第21話 地下の住民たち


インダストリア到着の直前にファルコに発見され、戦闘の末、話は二手にわかれる。ダイス、ラナ、ジムシーは、一足先に飛行艇から下りていて地下街へ逃れる。コナンは爆発する飛行艇から負傷したモンスリーと這い出したところで捕まる。

今回の題名は、ラナたちの行き先に関係している。もう一方のコナンとモンスリーの行方から題名をつければ、「モンスリーの変心」とでもなるだろうか。とうとうモンスリーはレプカと一線を画すことになる。

地下の住民たちとモンスリーははっきりとではないけれど、対照的に描かれている。地下の住民はルーケをはじめとする反体制グループ。ラオ博士に協力し、レプカに抵抗してきた。額に押された反逆者の烙印は、抵抗者の証であり、彼らの誇りでもある。


モンスリーはといえば、体制側でナンバーツーの存在。これまでは、地下住民がなぜ抵抗するのかわからず、だから力の限り彼らを虐げてきた。

そのモンスリーがいま変わろうとしている。とはいえ、相変わらず行きつ戻りつを繰り返している。救出されたあと、レプカに向かって「せっかくラナを連れてきたのに」と言うのは、自己保身の言い訳なのか、様子を伺う作戦なのか、何度見てもはっきりしない。「コナンと仲間になったのではないか」と疑われても、認めるどころか、あっさり否定している。


モンスリーの表情が変わるのは、捕らえられたラオ博士を見たとき。彼女は、拷問に屈しない大人の姿を見た。ラナが屈しないのは、おじいさんが屈していないからだった。ラオが屈しないのは、ラナのためではない、自分自身の責任をとるため。このあとモンスリーは自分でも思いがけない言葉を発し、レプカとの対決姿勢を明らかにする。

モンスリー自身は麦刈りを拒否したし、ハイハーバーに溶け込もうともしなかったから「彼らは私たちを受け入れるといっています」という言葉は彼女の本心ではない。彼女にこの言葉を言わせたものは何だろう。

もし瀕死のラオ博士を見せられていなかったら、もしレプカが地下住民を居住区ごと水没させるという非情な作戦を思いついていなかったら、モンスリーにはまだ決定的な変心はなかったかもしれない。その意味では、レプカの強気がモンスリーを追い込み、「局長、武器を捨てましょう」と言わせたといえるかもしれない。


現実の日常生活では、絶対的な悪役もいないし絶対的な善玉もいない。悪は微笑の下にひそんでいて、人が変わらずにはいられないところまで追い詰めていくのではなく、むしろ人が変わらないように懐柔する。それでも、人が変わることはある。それは人の強い意志によるよりも、変わりはじめる自分を受け入れる柔軟な心であるように思う。

モンスリーの一言は、まだ完全に堅い決心とは言いがたい。上司の横暴ぶりをみて思わず口をついた暴言でしかない。彼女はすぐに前言を撤回することもできたし、日常生活ではそのような場面のほうが多いに違いない。

モンスリーはそうしなかった。自分が言ってしまった言葉を、自分が言おうとしていた言葉として受け入れた。そこから新しい彼女がはじまった。


変心、改心、回心転向。どの言葉を選ぼうとも、人が変わることには、二つの力が関わる。外側から追い込んでいく力と、それによって変わりはじめた自分を受け入れる内なる力。自分で決めたことでも、誓いをたてた規則や生活習慣は外からの力。無理に意識をしなくても決めたことをできてしまうとき、人はすでに変わっている。

モンスリーには勇気がある。その勇気は変わったこと、レプカに抵抗する言葉を口にしたところにあるのではなく、そういう言葉を口にした自分を素直に受け入れたところにある。変わりはじめたきっかけは、実は彼女の外側にある。その意味で彼女は勇敢な人である以上に幸運な人といえる。

日常生活では追い込む力よりも、変わらないように引き込む力のほうがずっと強い。変わるきっかけも気づかないくらい些細なものでしかない。だから、大転換をとげた人はたとえ元は敵対していた人であっても、その劇的な経験が日常に埋没してしまいがちな凡庸な人間に、身の回りの小さな変化を知らせてくれるのだろう。問題は、その変化を自分のものとして受け入れられるかどうか。


ところで地下住民には反体制派の他に、おそらくもう一種類の人々がいる。レプカの厳しい政策についていけずに「ダメ人間」の烙印を押され、そうかといってルーケたちの抵抗運動にも飛び込めず、付和雷同を続ける人々。

さらにいえば、地上のインダストリアにも、もう一種類の人々がいる。レプカの政策にこわごわながらも適応してしまい「有能な市民」の称号を与えられながら、そうかといってモンスリーのように体制の出世階段を駆け上がることもできない烏合の衆。

これら二種類の地下住民と都市住民は、物語には描かれていない。彼らの「変心」も描かれない。しかし、間違いなく彼らは存在する、物語を読んでいる私のなかに。


『コナン』について書くつもりが、第八巻、第四章まで読んだ聖アウグスティヌス『告白 上』(服部英次郎訳、岩波文庫、1976)の感想が余計に混じっているかもしれない。