2004年2月

2/1/2004/SUN

見え透いた筋書きが多くないか。因果関係がはっきりとしているお話ばかり、見たり聞いたりさせられている気がする。貧しかったからこうなった。反対に、貧しかったにも関わらず、こうなった。同じように、親に、友達に、教員に、いじめられたからこうなった、いじめられたけれども、こうなった。どのお話も、単純極まりない。

奇妙なのは、筋書きは単純であるのに物語の細部は複雑なこと。深刻で陰鬱な物語の合間に、息抜きのようにくだけた場面がある。あるいは、抱腹絶倒の喜劇の中に、ふと、ほろりとさせる場面がある。そういう表現は欲張りなスタイルと名づけたくなる。

確かに人間の一生、日常生活は一面的ではない。悲しみもあれば喜びもある。暗い面もあれば明るい面もある。しかし、作品は人生の写し取りではない。暗い作品だからといって、人間の暗い一面を表現しているとしても、人間のすべてを暗く写しているわけではない。また、確かに明暗の鮮やかな彩色、多彩な表現をとりまぜた作品は、複雑で多面的な印象をもたらす。しかし、補色が言い訳になれば刺激的な単色をぼやかせることもある。

こうした現象は作品のなかだけではない。作品を生み出す表現者のあり方全体についてもいえる。例えば、作家や音楽家のウェブサイト。大手メディアに流れない活動の詳細も教えてくれる一方で、作品に対する過剰な補足や、巷での批判に対する反批判のようなものが多く書かれているものを見かける。表現者にとっては作品がすべてであり、それを別なところで説明すればするほど、それがどんなに的確であっても作品は色あせていく。言い訳というのは、そういう意味。


わかりやすい筋書きと多様な細部。こういう作品が増えると、まず批評家の仕事がなくなる。作品の本質を説明する必要がなくなるから。複雑な筋書きをほぐしたり、見過ごしてしまう表現の奥深さを明らかにするのが、批評家の仕事。陰鬱な作品に隠されたひとすじの光明や、朗らかな作品に潜む憂鬱を暴き出すことも、彼らの仕事。知られていない作家の経歴や性質を、見落とされがちな資料からたどることも、批評の仕事。

こうした仕事はもはや必要ない。作家の来歴も作品に込められた思いも、秘められた過去や知られざる私生活も、すべて作品が商品として発表されたときに明らかにされている。あるいは、何か賞をとったときの報道向け資料のなかに盛り込まれている。


批評家の仕事など、あってもなくてもかまわない。ほんとうに困るのは、作家や、これから表現することを目指す人が、文学であれ何であれ、わかりやすい、伝わりやすいということを、欲張りなスタイルと勘違いしてしまうこと。

作家は、書きたいことを書きたいように書いたところでわかりはしないと思っている。つまり、批評家や読者を信頼していないのかもしれない。しかし実のところ、読者のほうでは、そんな不信感が歯がゆくて仕方ない。書きたいように、歌いたいように、演じたいように、表現してほしいと期待している。

要するに、オレ達はそんなに馬鹿じゃない、と言いたがっている。

絵本短評「イスラム教」「宇宙探検」「秋・冬星座図鑑」を植栽。


2/2/2004/MON

いい文章を書くためには、文章の技法を研究するより何を書きたいのかを深く考えたほうがいいとよく言われる。多くの作家が似たようなことを言う。

もっともなことと思う。書きたいことがはっきりしているとき、書きたいことへの思いが深いとき、文章を生業としない人でもはっとさせる文章を書くことがある。そのことを強く感じたのは『小林秀雄全集 別巻Ⅱ』。小林と親しかった人々が、多くは職業作家ではないけれど、批評家の思い出について味わい文章を寄せている。

追悼文では、文章の技法よりも、亡くなった人に対する思いが否応なく前面に出る。だから、文章としては拙くても、故人への思いの深さがにじみ出てくるような文章に出会うことがある。反対に、故人が著名であればそれだけ、故人との関わりばかり詳しく書いて、要するに故人の威光を無理に着込もうとする文章も見かける。追悼文は、主題があまりにもはっきりしているために、主題への切り込みだけが文章に息吹を与える。

ともかく、文章は技より思い、という格言は広範に流布しているし、追悼文の例をみても、まったく真理であるようにも感じられる。

しかし、この格言は大事なことを一つ忘れている。文章を書くということは、文字の書き方、文章の書き方を知っていることが前提になっている。言葉を使うことは人間と動物を分ける最大の特徴ではあるけれど、文章を書くというのは、誰にとっても自然なものではない。書くことはきわめて特殊な行為。

目の前にピアノがある。自分はいま何かにとても感動している。でも思いが深ければうまい表現ができるといっても、感動を音楽にすることはまずできない。それはピアノの弾き方を知らないから。眼の前にあるのが、絵筆と絵の具であっても同じ。なぜ文章の場合には思いは表現に直結すると思い込んでしまうのか。

理由の一つに現代の日本における識字率の高さ、初等教育の質の高さがある。いつの間にか文章を書けるようになったのではない。教わって書けるようになったことを忘れるわけにはいかない。今書いている文章は、教わった技術、知識を駆使している。学んだのではない、教えられたのであり、その影響から完全に逃れることはできない。

学校の記憶がどれほど否定したくなるようなものでも、学校で教わったことをつかって暮らしていることを否定することはできない。教えられた方法に寄りかかっているかぎり文章はスタイルを帯びない。文章の完成度が思いの深さと正確に比例するようになる。思いの深さ以上のなにかが表現できていなければ、書いた人を知らない第三者を感動させることはできない。

考えてみれば、書くことだけでなく、話すことも歩くことも、自然でごく当たり前のように見えて、実はそうではない。教えられなければできるようにはならない。多くの人は知らないうちに身につけた方法を疑いもせず続ける。

それでも、当たり前に見えることを積極的に学びなおし、磨きつづけ、自然に見える動作を美しくする人もいる。


2/3/2004/TUE

スタイルには三つの形態がある。2003年11月16日の雑記には、スタイルではなく、言葉について書いた。

定義された、ありきたりな言葉、が発せられるとき、三つの経路が考えられる。一つめは、無意識のうちに発せられたありきたりな言葉、あるいは、ありきたりな言葉しか知らない人から発せられるありきたりな言葉。無邪気な言葉。子どもの言葉。二つめは、努力と苦労のうえに選ばれた言葉。選択された言葉。技術の言葉。類語辞典の言葉。素顔にみせる化粧をされた言葉。
三つめは、努力と苦労を重ねた人間が、無意識のうちに発するありきたりな言葉。詩人の言葉。芸術家の言葉。化粧されてない、それでいて化粧されたような素顔。スタイルのある言葉。

いま一度、別の言葉で表現してみれば、子どものスタイルは「これしかない表現」、職人のスタイルは「これ以上ない表現」、芸術のスタイルは「これ以外ない表現」となる。少し気取って英語を使ってみると“Only One”、“Best One”、“Special One”とも言い換えられる。英語にしてわかるのは、“Only One”はそれだけで、つまり「もともと特別な」わけではないということ。

子どもは、あるいは無邪気な人、無知な人は、自分がもっている方法でしか表現できない。とはいえ、その表現が美しくみえることもないわけではない。職人は最上のものを探す。質だけではない。費用、納期、その他の条件を熟慮して、置かれた環境のなかで最高の成果を上げようとする。大切なことは、基準は外にあるということ。

芸術家は、表現の方法をいくつか知っている。難しい技法も知っている。しかし、必ず難易度の高い技術を使うわけではない。この点が難易度の高い技術を使うほど価値が高められる職人と違う。芸術家の基準は内にある。これ以外では自分で表現したことにならないと決めた方法で表現することが、芸術家の表現方法。


スタイルについての三つの考え方は、表現といっても、文章や音楽など特別な活動に限らない。例えば買い物。子どもは、貯金箱からあり金全部を出して駄菓子屋へ走る。目についたものを、お菓子でもおもちゃでも、片端から買えるだけ買う。少し賢くなると、量や味、性能を費用と比較したり、次のお小遣いのことを考えたりするようになる。考えられることを考えて、できるだけ満足のいく買い物をしようとする。

さらに慣れると、満足は量でも味でも、金額に対する効率でもなくなる。自分にとってだけ特別な意味のある買い物をするようになる。そういう買い物が一番満足する。

子ども、職人、芸術家、というのは、言葉のうえでのこと。一人の人間の内にこの三者は必ずいる。また、どんな活動でもこの三つの要素を備えている。スポーツは一見職人の傾向が強いけれど、強制される運動もあれば、心から楽しめるスポーツもある。音楽や絵画など一般的に芸術といわれる活動の場合は、もちろん芸術の傾向が強い。けれども、オーディションやコンクールのように、ある基準の中で最高を選ぶこともある。そして、私的で個人的なやりとりの場合、例えばラブレターや年賀状などでは、たいてい子どものような率直な表現が好まれる。

一つの活動が、子どもの表現であるか、職人か芸術か、主観的にも客観的にも判断することはできない。身内や友人の演奏は、拙い、それしかできない曲でも感動する。傑作、名作といわれる作品でも、まったく心を動かされないこともある。傑作と呼ばれる作品は、多くの人びとを感動させる確率が高いとはいえるかもしれない。そうだとしてもどれだけ多くの人びとを感動させるか、定量化することはできない。

ある作品について、ある属性の人なら必ず感動するとは言えない。たとえば「日本人なら必ず感動する」、という作品はありえない


2/4/2004/WED

昨日の荒川洋治のラジオ・コラム。

出版されたばかりの『これでわかった平成の市町村大合併 カラー図解で一目瞭然 市町村はこう変わる!』(国際地理学協会)を紹介。

現在の市町村大合併は、明治、昭和に続いて三度めの大波。明治時代には全国1万以上あった地方自治体は、昭和大合併で3千程度になり、今度の波で1千程度に減るという。

行政の効率、広域的視点からの街づくりのために合併はすすめられるが、一方で郷土文化、地元意識の希薄化も懸念される。なかには、福島県矢祭町のように絶対合併しないと宣言している町もある。

文学作品に登場した市町村も、合併の結果、名前が消失する危機にさらされている。田山花袋『田舎教師』の舞台、埼玉県羽生市はもうない。修善寺町も伊豆市にかわる。反対に、これまで自治体の名前にはなっていなかった言葉が、合併した新市名になることもある。例えば、高知県中村市などが合併する新市は、すでに全国的に知られている清流の名前から四万十市になる。

森鴎外『山椒太夫』は、中世の説話「安寿と厨子王」を元にして、明治期に書かれた。昔のことを、昔に書いた本。それでも登場するいくつかの地名は今も残っている。


森本毅郎は冬休みで荻島正己が代行。『山椒太夫』に登場する地名を、7桁の郵便番号とあわせて紹介する荒川は楽しそう。文学と地図をからめて話すときはいつも楽しそうにしている。『山椒太夫』は未読。こういう紹介を聞くと読んでみたくなる。

地名は住所だけではなく、人の名前にも使われる。家族、親戚のなかでは「東京のおじさん」「大阪のおばさん」のように使われる。市町村名が変わっても、慣れ親しんだ呼び名は変わらない。こんなところにも、古い地名が残るかもしれない。

ところで、この番組を聴いていると、幼い頃に毎朝家庭で流れていたラジオ番組を思い出す。番組名は「朝の提言」。FM東京の朝の帯番組の一部で、日替わりでさまざまな人が10分程度一人で話す時間があった。森本毅郎の兄、森本哲郎も出演していたように記憶する。雰囲気は、現在教育テレビで夜放送されている「視点・論点」に似ている。顔が見えない分、出演者はそれほど緊張しておらず、講演会と雑談のあいだ、ラジオ・コラムと呼ぶのがちょうどいい内容だった。

出演者が、自分の好きなこと、関心のあることを自由に話す形式は、「にっぽん全国8時です」と同じ。「朝の提言」は、確か新潮社の提供。バッハ『ゴルトベルク変奏曲』のアリアを伴奏にして「週刊新潮は今日発売です」と子どもの声が入る広告が必ず入っていた。


2/5/2004/THU

新聞雑誌の書評欄をよく読む。よい作品だがこれが書いていない、惜しむらくはあの点が深められていない、展開が不十分、という論評をよく見かける。持ち上げておいて突き落とす書き方も面白くないし、それ以上に、書いてないことを非難するのもまったく的外れに感じる。

このことは、既にどこかで誰かが書いていたように思う。それでも、自分の覚書として書いておく。

例えば、ある人についての評伝。人生のある時期、青年期や晩年に焦点を当てて、結果的にそれ以外の時期を詳しく書かない作品について、書かれていないことをあげてあのことを書いてほしかったと批判するような文章を見かける。なかにはご丁寧に本に書かれていない情報を書評に盛り込んで、こういうことが書かれていないと指摘する人もいる。

作者が、作品にこめたこと以外を書かないでいた理由をなぜ探ろうとしないのだろう。書いたことしか書かなかった理由があるのではないか。書かないことを書かないでいる理由があるのではないか。

何かが書かれていない、と気づかされたのであれば、それは作品の欠点というより、作品の余韻であり、書かれていないことに気づかされたのは、むしろ作品のおかげではないだろうか。作品に書かれていないことが重要なことだと思うのであれば、そのことについて、調べるなり書くなり、自分でしてみればいい。

作品には、作者のすべてが込められている。だから、書かれていないことを指摘するより、なぜ書かれていることしか書かないでいたのか、書かれていないことを書ききらないでいたのか、そういうことを考えるほうが、作品を深く知ることになるだろう。

まして優れた作品はたいてい、作者は意図して書くことと書かないことを選んでいる。拙い作品は意図せず書き込んでしまったり、書き足りないでいたりする。それが何かを指摘するだけではなく、なぜ饒舌になったり、舌足らずになったりするのか、その理由を考えなければ、次の作品はよくならない。

作品は、閉じている宇宙。あるところに星があり、あるところには何もない。それらの位置を言い当てるだけでは、天体を観測したことにはなっても、宇宙を観察したことにはならない。なぜその星はそこにあり、なぜ何もないところは闇のままなのか。そこには、見えない力が働いているに違いない。その力学を明らかにしなければ、宇宙は開かれない。

書評「『おじさん』的思考」「思想史家、丸山眞男」「『聴くこと』の力」の段落をページ区切りに揃える。書評「エクソフォニー」、エクソフォニーを四層から五層になおし、段落を揃える。


2/6/2004/FRI


江ノ島

正月休みの一日、鎌倉まで出かけた。鎌倉駅から人があふれる小町通を避け、江ノ電に乗り稲村ヶ崎で下りた。1月の寒さといっても例年よりは温かく、空は澄み切って気持ちのいい日だった。

稲村ヶ崎で好きなのは、駅を降りて細い路地を抜けて、海が見える直前の角。曲がると両脇に路地の壁が迫っていて、その間に海が輝いている。

公園から江ノ島がよく見える。天気がよい冬の日には富士山まで見える。残念ながら、その日は見えなかった。公園になっている丘を登ると岬の反対側に由比ヶ浜から小坪まで見渡せる。頂上には、北里柴三郎とその師コッホの来日を記念した石碑が立っている。


去年、稲村ヶ崎から腰越の手前まで、七里ヶ浜を一人で歩いた。そのときもよく晴れていて気持ちがよかった。靴を濡らさないように波打ち際を歩いていると、ふと“Home”に続いて新しい歌のアンソロジーを作っても面白いかもしれないと思った。題名だけ先に思いついた。“初恋――always the first, the only and the last”。あの曲も入れたいな、この歌もいいな。砂浜を歩きながら、歌の題名や歌詞を思い出していた。

なぜ初恋ということを考えたのかはわからない。初恋と呼べるような経験がないわけではない。といっても、どれが初恋だったのか、ということもよくわからない。副題に込めたのは、そういう迷い。それに、いずれの思い出も七里ヶ浜とはあまり関わりがない。

澄み切った青空、冬らしくない暖かな日差し、きらきらと光る波、やわらかく、頼りない足元の砂浜。そういうものが、初恋という言葉を思わせる心地よさと儚さを感じさせたのだろう。


海は、不思議な先生。教えてほしいことは、いつまでも黙っていて、たずねてもいないことにそっと気づかせてくれる。

歩きつかれたので、鎌倉高校前からもう一度、江ノ電に乗った。ホームからの眺めが美しい。駅舎の柱が額のように海の風景を縁取っていた

書評「破戒」「新潮日本文学アルバム 島崎藤村」「『破戒』と人権」を植栽。

さくいん:鎌倉江ノ島島崎藤村


2/7/2004/SAT

書評「破戒」のなかで秘密について書いた。秘密の問題はプルースト『失われた時を求めて』でも主題の一つになっているらしい。そこではユダヤ教徒であることと同性愛者であることが、登場人物にとって隠しきれない秘密として重くのしかかっている。

宗教や性的嗜好などのように深刻なものばかりが秘密とは限らない。こうして、この場で文章を書いていることが、おそらく今の私にとっては最大の秘密。

周囲には、私が「庭」という名の個人サイトを持っていることを知っている人もいれば、知らない人もいる。文章を書いていることを知ってほしくない知人もいれば、いつか伝えたいと思っている友人もいる。誰かが誰かに話しているかもしれないから、自分が直接伝えた人以外でも、どれだけ知っている人がいるのかはわからない。

知った人が、知ったことで、私をどう思うようになったか、気にならないわけではない。また、知らない人が、知ることで私をどう思うようになるか、心配しないではいられない。だから、伝えたい人にもなかなか伝えられない。「個人サイトやブログが流行ってるね」などという会話になると、どきどきしてしまう。

結局秘密は、社会的な問題である以前に、実存的な問題、つまり自分が自分をどう見るかという問題に関わっているのだろう。秘密をめぐる葛藤を克服するには、何より自分が秘密を吹っ切る、秘密に対して無関心になることが必要になる。

この無関心は、現代人が見せる穏やかで冷ややかな中立的な対応とは違う。現代人の対応は無関心を装った陵辱的な視線。必要な無関心は、関心を持ち、関係を築いた上での無関心。

書評では、丑松の立場に寄り添うあまり、秘密を打ち明けられる立場については何も書けなかった。実生活では当然、自分が銀之助の立場にもなれば、お志保の立場にもなる。そのときどういう態度をとるかについては別の場面で書くより、実生活で考えていくしかない。一昨日の雑記の続きにすれば、書かれなかったことは、文章以外の表現になるかもしれないということ。それがむしろ、望ましいことかもしれない。

秘密と告白については、まだ考えることがありそう

さくいん:秘密

表紙写真を「青空と寒梅」に変更。

2003年8月3日の雑記に追記。


2/8/2004/SUN

airline: IDENTITY, DESIGN AND CULTURE, Keith Lovegrove, teNeues, NY, 2000


airline

サンフランシスコ空港の飛行機専門の土産物屋で購入。昨年6月に訪れた時、ライト兄弟飛行百周年を記念した大型本をいくつか見かけた。その時は衝動買いを抑えた。今年初めにもう一度立ち寄る機会があり、機械としての飛行機の歴史ではなく、産業としての航空旅客の歴史をたどる本を買った。

題名のとおり、エアライン、旅客航空産業が拓いてきた個性、意匠、そして文化について、多くの写真を収める。章立ては、制服、機内食、内装、さまざまな記章と記念品。ハードウエアとしての航空機ではなく、ソフトウエアとしての空の旅。こういう本をつい買ってしまうのは、結局、私の興味はそちらの方が強いから。

飛行機で旅行するのが好き。好きといっても、楽しいというばかりではない。興奮するというのか、関心があるというのか、飛行機に乗ると、いつも、いろいろなことを考える。その理由について考えてみた。

  • -エアラインに乗るときは、いつも、どこか遠くへ出かける旅。
  • -飛行機は、精巧で大型の機械。最新技術の展示場。
  • -飛行機に乗る空港も、超大型の建築物。歩き回るだけでも楽しい。
  • -エアライン、航空機、商標、空港建築、制服など、デザインの宝庫。
  • -エアラインは、社会階層の縮図。エアラインは、人間をばっさりと五種類に分ける。エコノミー・クラスに乗る人、ビジネス・クラス、ファースト・クラスに乗る人、そして旅客機に乗る必要のない人と、乗れない人。多額の費用を払っても上の階層に行けないこともあれば、思わぬ偶然で上へ引き上げられたりする点でも、社会階層論の隠喩になる。
  • -客室乗務員、いわゆるスチュアーデスは、フェティシズム、セクシュアリティ、フェミニズムジェンダー、サービス労働、肉体労働、などなど、考察の対象が溢れている。
  • -エアラインは、巨大企業、公共事業、大型合併と合従連衡、値下げ競争、ポイント・サービス、不当解雇、などなど、経営学のかたまり。
  • -酒、食事、音楽、映画。いずれも楽しく、奥が深い。
  • -エアラインは、従来、ナショナル・カルチャーに依存してきた。機内のデザインや乗務員の衣装、サービスされる料理、機内で流れる音楽や映画などは、いずれも航空会社本国で政府や保守層が想定する公定文化を引用する。エアラインは、国民国家(nation-state)の擬制性と切り離せない。
  • -狭苦しい座席に何時間も座らされ、ただただ食べたり飲んだり、聴いたり見たりしていると、退屈してくる。手持ち無沙汰にパスポートを広げ、出入国の記録を見ながらこれまでの飛行機旅行を思い返す。エアラインは、回想の場

飛行機に乗るとき、いつもこんなことを考える。本書は、エアラインをつくる諸要素を、歴史的に詳しく図説する。技術、デザイン、経済、国力、国際交流の発展が、どのようにエアラインに影響を与えてきたかが、写真を眺めているだけでも見えてくる。

本書を眺めていると、飛行機に乗っていなくても、乗っているときと同じように、しばし物思いにふける。

先月の出張のあいだに見た展覧会“A Century of Painting: From Renoir to Rothko”(Guggenheim Hermitage Museum, Las Vegas)感想を植栽


2/9/2004/MON

子どもと床屋へ出かけた。待っているあいだにウルトラマンの図鑑を眺める。眺めながらふと考えた。島崎藤村『破戒』の主題である秘密と告白は、この小説や文学作品に特異な主題ではなく、ごくありふれたものではないだろうか。

例えば、ウルトラ・セブン。私が見たのは、再放送と泉麻人が案内役をつとめた深夜番組。モロボシ・ダンは、自分が地球を守るウルトラ・セブンであることを隠しつづけた。そして、セブンが地球を去るとき、ダンはアンヌに自分がセブンであることを告白した。

今の文章が混同しているように、セブンがダンなのか、ダンがセブンなのか、物語のなかでは、しばしば混乱している。『ウルトラセブン』の物語は、宇宙人セブンが地球人ダンへ変化する過程とみることもできる。ともかく、ヒーローと秘密と告白は縁が深い

「どこの誰だか知らないけれど/どこの誰でも知っている」と歌われる月光仮面でも、もっと先鋭に、「誰も知らない、知られちゃいけない/デビルマンが誰なのか」というデビルマンでも、ヒーローは秘密と切り離せない。タイガーマスクも、二つの顔を持つ。

告白ではなく、秘密を忘れることで、普通の人に戻る場合もある。テレビ・アニメ『秘密のアッコちゃん』と『エスパー魔美』(原作はそれぞれ赤塚不二夫、藤子・F・不二雄)は、そうした例。

ヒーローにとって秘密は、特異な存在であるだけことでなく、特異な能力を意味する。信じられないような能力をもっていることは、日常生活では隠していなければならない。他人には見えないところで、超能力を使って人助けをするのは、正義の味方の冥利につきる。けれども、特殊な能力を使いすぎれば、能力が枯渇したり、身をすり減らしたりすることになる。普通の人間が秘密の能力に依存すれば、ふだんの自分の存在がおびやかされる。

加賀美あつ子も佐倉魔美も、秘密の能力を捨てることで、なにも特別な力をもたない元の自分をより強い存在にする。

こうして考えると、秘密や告白は、物語の構成としては、むしろありふれた、通俗的な手法かもしれない。『破戒』についても、丑松の告白は同情を誘う演技に過ぎないとみる説があることを、川端俊英は『「破戒」と人権』のなかで紹介し、徹底的に批判している(「二 『破戒』論再批判(1)――告白場面をめぐって――」)。

しかし、通俗的ということは、読みやすい、読み応えがあるということでもある。文学作品など読んだことのない私が、吸い込まれるように『破戒』を読み切ったのは、主人公の秘密が暴露される緊張感という、きわめて通俗的な構成に助けられたからに違いない。

『破戒』は、内面の葛藤を描いた心理小説であり社会小説であり、何より大衆小説、娯楽作品であるということが、もう一度確認できた。娯楽作品といっても、『破戒』は請われて書いたものではない。借金までして自費出版した作品。この点でも『破戒』は、まだまだ考えさせる点が多い。もちろん、娯楽といっても楽しいばかりではない。読みやすさのなかに重みがある。

ところで、かつて読んだ真っ赤な表紙の新潮文庫版『破戒』を見つけて、平野謙による解説を読んだ。野間宏の解説より後に書かれた平野の解説は、心理小説と社会小説という二項対立的な見方を避け、それらの橋渡しを試みた作品と見る。川端の研究は、そうした見方を緻密な読解と、伝記資料や歴史資料の調査を通じて、実証している。

2/9/2004/MON追記

推理小説も、秘密と告白に溢れている。これまで読んだなかでは、松本清張『黒い画集』(新潮文庫)に、秘密を隠そうとして隠しきれず、身を破滅させる現代人が多く登場する。

秘密と告白を、通俗とみるか思想とみるかは、作品の質もさることながら、読み手の受け止め方に大きく依存するように思う。他人にはベタでも、自分には、ズシリとくることがある。

さくいん:島崎藤村


2/10/2004/TUE

アウグスティヌス <私>のはじまり シリーズ・哲学のエッセンス、富松保文、日本放送出版協会、2003



このシリーズを読むのは、金森修『ベルクソン』に続いて二冊目。いずれも文章が読みやすく、思想の全体を概説するのではなく、作品や概念を一つか二つに絞ることで、広大な思想へ入りやすい玄関になっている。エッセンスというシリーズ名は的確で、看板に偽りはない。

本書では、『告白』が主に紹介される。全体の構成、作品の意図、そして、残される、考えるべき問題などが簡潔に説明されている。

アウグスティヌスのいう告白は、優れた人物の生涯を客観的に描いた伝記とも、自分の経歴を主観的に羅列する自伝とも違う。伝記の対象が個人とすれば、自伝は主体、告白は自我を対象とする。告白は、自分と他人、自分の精神と身体、そうした違いに無関心ではいられない。それらの境界に注意を向ける。だから告白は独善になりえない。これまで出会った、また考えた言葉で置き換えれば、反省自己批評などが告白に近いだろう

そのように考えれば、昨日書いたテレビ・ヒーローの秘密と告白は、アウグスティヌスの意味するところとは違う。秘密を隠す葛藤はあっても、告白する葛藤、自我の探求ではないから。島崎藤村『破戒』における告白も、束縛からの解放ではあっても、反省とは言い切れない。

藤村にとっては、その点が引き続き向かう主題になったのかもしれない。未読ではあるけれど、評伝を読んでみると、『新生』『春』『夜明け前』など『破戒』に続いて書かれた作品は、自分の境遇や家族の歴史をたどることで自分自身を捉えなおすという意味で、より告白という形式に近づいていくようにみえる。小説、とくに長編は苦手。好んで読み、また読みなれた随想やエッセイで、藤村をもう少し知ってみたい気がする。

本書の中では、フロイトが「不気味なもの」という論文のなかで紹介しているheimlichとunheimlichについての挿話が面白い。heimlichとunheimlichは反対語でありながら、同じ意味合いで使われることがあるという。

Heimlichとは、英語ではhomey。家庭の、くつろいだ、という意味が、非を表わすunがついても、同じ意味で使われることがあるらしい。遠ざかりながら近づくところがhomeという考え方や、一見反対に見える言葉は裏返しでつながっている、というメビウスの輪としての言葉という考え方など、これまで考えてきたことに共通しているものを感じた。

さくいん:アウグスティヌス


2/11/2004/WED

昨日は、早朝家を出たので、荒川洋治のラジオ・コラムは聴けなかった。

今日は建国記念日。毎年この日に思い出す新聞記事がある。何年か、おそらく十年以上前、朝日新聞夕刊に連載されていた「仕事の周辺」というコラム。ある歴史学者がそのコラムのなかで、「紀元節を復活させる建国記念日という馬鹿げた祝日」に反意を表わすために、この祝日が制定された年から大好きな煙草をやめた、と書いていた。

建国記念日そのものについては、今ではもう、それが神話に基づくから合理的でないとか、戦前にあった祝日だから反動的だとは、思わない。神話であろうと、戦前の復活であろうと、それが国民の合意に基づくのであれば、そういう国民の祝日だと思うだけ。ただ、祝日の制定にしても、閣僚の宗教施設参拝にしても、国民の合意どころか、政治家の信念でもなく、集票のための示威行為でしかないようにみえる。そのため、政治的な意思表示ではなく、マゾヒスティックな自慰行為にしかなっていない。

ともかく、名前は忘れてしまったけれど、その歴史学者の決意が記憶に残っている。彼は、煙草が吸いたくなる度、悔しさとともに自分の決断を思い出すのだろう。そうして、一年に一度集会やデモに行くのではなく、仕事のすべて、生活の隅々までに、政治的な意識が根を下ろしていくだろう。

一回限りの意思表示ではなく、継続して、また日常の生活に薄く広く延びていく「市民生活におけるartとしての政治」といえるような精神を感じる。

私の場合は、どうだろう。何を決意するにしても、医者から止められでもしない限り、思想に基づいて酒を辞めるということはできないだろう。むしろ、言い訳にしかならないことを承知で思うのは、酒を飲むたびに思い出すこともあるということ。

人を惑わし、身を滅ぼすものとして、カール・マルクスは宗教とアヘンを挙げたらしい。彼は、酒とは言わなかったのだろうか。しばらく量も頻度も控えていたところ、オマル・ハイヤーム山口瞳以降、また酒を飲むようになり、酒について考えるようになっている。

批評「オリンピック・メダルは誰のもの」に加筆。批評「帰れ! 帰るな! いったいどこへ?」を剪定。


2/12/2004/THU

2月1日に欲張りなスタイルについて書いた。文章技法でもそうした用例をよく見る。まじめな話を書いておいて、結語を笑いで落とす文章も、その一つ。確かに文章や話の構成として、最後にガラリと話題や意見をひっくり返す方法はある。それによって余韻を残したり、最後の一文を印象づけることもできる。

しかし、ほんとうに書きたいことは、どちらなのか。書きたいことが最後の一文に込められているのなら、なぜその一文をはじめに書いて、その内容を展開しないのか。何のためにまじめな話を延々としてきたのか。ただの引き立て役の導入部分なのか。

持ち上げて落とすやり方は、持ち上げるところに力が入り、時間がかかる。落とすところは一瞬で鋭いが、短いだけ後味も軽い。この点に留意していないと、蛇足になったり、前半部を台無しにしてしまいかねない。

カッコや注記にも同じことが言える。カッコの中は補足なのか、言い訳なのか、それとも本心か。注記はいつ読めばいいのか、挿入されたところで読むのか、それでは元の文章のリズムはどうなるのか、では最後に読むのか、それではどこのための注であったのか、忘れるのではないか。ウェブサイト上のリンクでも同じ。

そんなことに迷うくらいなら、いっそカッコと注は、一切やめてしまったほうがいい。そう思ってから、できる限りカッコも注も使わないようにしている。

これは私だけの原則。カッコも注も、別段突飛な文章技法ではない。私は上手にできないけれど、巧みに使いこなして、自分のスタイルの一部にしている人もいる。

山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』は、カッコの使い方が絶妙。山口から江分利に対するツッコミになっていたり、江分利満氏について書く作者、山口のさらに外側にいる声だったり。

作家は、誰でも自分専用の文法を持っている、と森有正は言う(「ことばについて」『森有正エッセー集成5』、ちくま学芸文庫、1999)。なるほど。しかし、彼はそうした個人的な規則は合理的でなく普遍的でもないと続ける。これはどうだろう。言葉ははじめから普遍的でありながら、個人的なもの。個人的なものを掘り下げていくことでしか普遍的なものには届かないというのが、森思想の中核ではなかったか。

作家の言葉は私的な言葉ではない。作家個人を知らない不特定多数は、誰かの発声の代弁ではなく、はじめから出来上がった文章として読む。そうして、多くの人たちの書く言葉、話す言葉が少しずつ変わっていく。一人の文法が、言葉の文法を変えてしまうこともある。

文法といえば、例外がつきもの。作家の専用文法も、逸脱したところにむしろその作家の真骨頂がある。その意味では、逸脱を際立たせるために約束事をつくっているようにもみえる。

『江分利満氏の優雅な生活』は、短い文で小気味よく話をつないでいく。段落も短い。ところが、「カーテンが売れる街」の第一節「公園で何をするか」は、落語を書き下ろしたようにくどくどと文が続く。山口がどんな話芸を好んでいたのか、ふだんの喋り方はどんなだったのか、思いがけない、あるいは意図した逸脱は、読み手の想像をかきたてる。

カッコも注もやめた。けれども雑記とほかの雑記や文章をつなぐリンクは増えている。作品の内的連関を無理やりこじつけるため。ダメと言ってるそばから、この文章が最後に落ちをつける欲張りなスタイルになっている。やれやれ。


2/13/2004/FRI

ボールペンのインクが切れたので、交換した。これまでは、赤いインク。黒いインクのボールペンは業務用にしている。業務日誌にしている大判の皮手帳に突き刺したまま。一緒に使うために用意した赤インクのボールペンは、結局「庭」の素描用になっている。赤い文字がならぶ手帳は気持ちのいいものではないが、なくなるまで我慢した。

ほんとうは緑にしたかったけれど、持っているローラー・ボールという型の製品には、緑インクはないという。仕方がないので、青にした。

緑は筆名にするほどだから、好きな色。服やネクタイにも多い。ほんものの緑、花や木も嫌いではない。といっても、野山を歩いたり、海に潜ったりするほどの自然好きではない。先日も、長野から松本までの列車の中で、盆地を囲む山々を眺めていると、好きというより、近寄りがたい怖さを感じた。どう見ても、私はナチュラリストではない。

自然に対する態度は、二つある。自然に向かうか、自然に溶け込むか。どちらでも、自然を保存する考えにもなれば、破壊する行動にもつながる。自然を対象ととらえれば自然は征服すべき敵となり、使えるかぎり使い尽くすことにさえ、なりかねない。ただし、相手に限りがあることに気づいた時、生かし育てながら利用する考えにもなる。

自然に同化する考えは、自然を直接に愛し、その尊さを知る。しかし気づかぬうちに自然に甘えてしまうかもしれない。ひとりでには元に戻らないことに、溶け込んでいてはなかなか気づかない。

どのような自然観ならば自然を守る、自然を愛するとは、単純には言えない。私は、どちらかといえば自然に溶け込むのではなく、距離を置いて愛でるほう。山登りよりも、公園の散歩が楽しい。

山の名前を口にするのは、せいぜい文房具屋でボールペンのインク交換を頼む時。


さくいん:山口瞳


2/14/2004/SAT

公園の話の続き。

先日、自転車を遠乗りしてとある公園に行った。武蔵野の雑木林と清流が残る公園。もともと、その公園へ行くつもりで出かけたのではなかった。途中で寄った書店で、立ち読みした山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』に感激させる一節を見つけ、すぐ買った。今すぐ読み返したいところ、ふとそばにある公園の写真集が目に入った。ここだ。

自転車をこいで公園に向かう。入り口まで来て、思い返し、近くの酒屋まで引き返す。ウィスキーを一本買う。

『江分利満氏の優雅な生活』では、江分利満氏は、社宅近くの慶応大学グラウンドへサントリー角の750mlのボトルをさげていく。申し訳ないが、私が買ったのは、別の会社、北海道にある蒸留所の名前。スクリュー・キャップのミニボトル。大阪のホテルのバーで教えてもらったシングル・モルト・ウィスキー。この会社の製品は、最近、スコットランドの品評会でも賞をとったと聞いた。

川べりに座り、本を読みながら、酒を飲む。傾く日差し、きらめく川面、冷たい空気、散歩する人々。これがいま、住んでいるところ。ふるさとと呼べるような場所。

帰り道、疲れた足で自転車をこぎながら考えた。私にとって、いま、ふるさととはどこだろう。住所をおいている自治体は、もちろんある。としても、その範囲は私の心情とはぴったり重ならない。“My Home Town”は、住民票の記載とは違う。思索と散策の及ぶ範囲。

住んでいるところを中心にして、地元といえるところ、呼びたいところを、広げてみる。すると、不思議なことに、北東、北西、南東、南西の四隅に、それぞれ広い公園があることに気づいた。川の流れる公園は、南西にあたる。

もう少し考えてみると、隅にあるのは、公園ばかりではない。公園のそばには、大きな図書館があったり、歴史的な建物があったり、うまいラーメン屋があったり、顔なじみのそば屋があったり、あるいは、以前住んでいた場所だったり。要するに、緑ではなくて、人と歴史に理由があることがわかる。

先週、家族で北東角にあたる公園へ、梅が咲きはじめたかどうか、見に行った。白梅紅梅はまだ咲きはじめ。見わたすと梅のようだけれど、黄色い花は満開に咲いている。近づくとジャスミンのようないい匂いがする。「ロウバイというんですよ」。見知らぬ女性が教えてくれた。木には札がついていて、「素心蝋梅」と書いてある。

山道を一人で歩いていたら、こうはいかない。草花にうとい私には、咲いている花がすべて名もない花にみえる。ほとんどすべての花には誰かがつけた名前がある。それを知らないくせに「名もない花」と思うのは、無邪気どころか無知と傲慢でしかない

公園は人が作り、育てる緑。公園を好むのは、自然と人が関わり、交わる場所だから。

批評「モグリとハート 縦書文章編」植栽。内容だけでなく、今日、2月14日に公開することに意味がある。間に合ってよかった。「庭」の文章は、植えた日付にも意味を込めたものが少なくない。

同じ題名、同じ主題であっても、書き方によって、主題の導き方、主題の裏にあるもう一つの主題の隠し方や見せ方も違う。同じ文字数で展開できる深さや広がり、持ち出すたとえ話、引用や、挿入する具体的な名前やその補足説明まで、何もかも違う。つまり、主題が書き方を決めるのではなく、文体が主題を変えていく。

その意味では、二つの文章は、文体練習。いや、文体とは何か、ということを考えるために書き分けることを試みたのだから、文体試考といえる。

さくいん:山口瞳大阪


2/15/2004/SUN

本という作品を書くことは一人で行うものという思い込みが、本の世界では強いように感じる。ポピュラー音楽や、映画の世界では、分業は当然のことと思われている。作詞作曲、編曲は別々の人がするほうが普通。編曲でも、弦楽器の編曲者にはさらに別の名前が加えられていることもある。現代美術の世界でも、会社組織にして、集団で製作している人もいると聞く。

ところが本の場合、一人の著者名だけが表紙に記されていることがほとんど。編著という形式はあるけれど、その場合、中身は個人個人が別々の文章を書いている。現代思想では、ジル・ドゥルーズとフレデリック・ガタリという二人が共同作品を出している。別々に書いた文章を一冊にしているのではなく、一冊の本を二人で書いていたらしい。まだ一冊も読んでいないので、実際のところはよく知らない。

たとえば、集団で小説を書くことはできないだろうか。筋書きを考える人、舞台設定を考える人、登場人物の性格を考える人、それらを巧みに文章にする人、会話文担当、独白担当、説明文担当、などなど。

漫画では、そうした共同作業が当たり前。漫画家が一人で描いているとは誰も思っていない。それも、背景、小物など細かく担当は分担されているらしい。漫画の表紙には、漫画家の他に制作集団の名前が書かれているものもある。漫画での著者の扱い方は、音楽や映画と本のちょうど中間。

本は一人で書くもの。そういう理想があってもいいだろう。そうすれば、そうではない作品をきちんと区別できるようになる。

履歴のページを廃止。2004年の更新履歴を鉢植に移動。思索と書記は関連がある。同時に閲覧できるほうが、つながりがよくわかる。更新もしやすい。

絵本短評のページを廃止して、すべて絵本のページに目次を統合。

雑文を雑評に変更。絵本と同じように、これまで雑記に書いていた本、雑誌、音楽、映像などの短評を目次にして雑評のページに一覧を表示。作業は少しずつ。

書評「藤村全集」を植栽。


2/16/2004/MON

批評「モグリとハート」『ブラック・ジャック』をとりあげた。B・Jだけでなく、古和先生、琵琶丸など、この作品にはモグリが多く登場する。考えてみれば、二十歳なのに世の中のことを何も知らず、半分人造人間であるピノコも、モグリの人間といえる。『スペクトルマン』には、人間モドキというのもいた。

ほかにもいる。『虚像』(新書第20巻、文庫第4巻、1979)には、モグリの教員、志摩が登場する。B・Jが、子どもだった頃、身体中の傷跡を理由にいじめられたとき、やさしく励ましてくれた教員。モグリらしく、ありきたりな教員とは違う。権威をふりかざすことなどない。しかし、彼にはモグリである隠された理由があった。

モグリは、プロとアマのあいだに揺れる。そこには何となく硬直していない、流行りの言葉でいえばしなやかな存在を暗示させる。モグリを理想化する手合いもいる。B・Jも、たびたび手放しの賛辞を送られることがある。

しかし、そういう人に限って、やがてモグリであるがために、掌を返したように態度を変え、去っていく。なぜならモグリと関わったところで、何のご利益もなければ、箔がつくわけでもないから。

手塚治虫は容赦ない。モグリには、モグリにとどまっている理由がある。その理由を残酷に辛らつに描く。ブラック・ジャックがプロの医師になれないのは、法外な治療費を請求したり、世の中の鼻つまみ者を治療するからではない。

彼は、母親を廃人にし、自分を半死半生にした事故を引き起こした人々を、一人一人訪ねて、復讐を重ねる。命を救うどころか、彼は憎しみから殺人を犯している。安楽死を積極的に遂行するドクター・キリコを非難する資格は、実はブラック・ジャックにはない。

『ブラック・ジャック』は、モグリの裏表を仮借なく描く。手塚治虫は、恐ろしい。

さくいん:『ブラック・ジャック』


2/17/2004/TUE

モグリの続き。モグリの歌。

長渕剛「暗闇の中の言葉」(『LIVE』、東芝EMI、1981)は、肩書きのないモグリが嘲笑され、その悔しさを打ち明けた友人にさえ馬鹿にされた怒りが爆発する。

何が自由だ 不自由ばかりだ
欲深さゆえの がんじがらめの とおせんぼ
勝ち誇る奴ばかりが いつも正しい世の中
俺はいつまで この雨に 打たれていればいいのか

モグリは、アマからは気取っていると言われ、プロからは邪魔者扱いされる。モグリが受ける扱いは、嘲笑か罵倒、あるいは無視と放置。B・Jも肩書きがないために、患者の信頼を失うどころか、患者が去っていくことがある。自室で一人、拳を震わせる場面で終わる話も少なくない。もっとも、慣れてくると世の中から無視され、放置されていることが快感になる。B・Jは、人里はなれた岬の突端に、ピノコと二人で住んでいる。

もう一つの歌は、森高千里「臭いものにはフタをしろ!!」(『ザ・森高』、WEA、1991)。こちらは、権威をかさにきた人をモグリがばっさり切り捨てる。楽しければいい。うるさい博覧強記を気にするな。

ほとんど循環コードでしか作曲しないアイドル歌手であっても、自分の音楽は、誰が、何と言おうとロックだと思っている。

ある日突然知らない男が 私を呼び止めて
いいかロックンロールを知らなきゃ もぐりと呼ばれるぜ
オレは10回ストーンズ見に行ったぜ

こういう輩は確かにいる。教養知性という言葉がからむ読書の世界ではなおさら。原書で読んだ、全集を読んだ、謦咳に触れた、などなど。読みたいように読む人は歌いたいように歌うアイドルと一緒に言い返す。

私モグリでいいのよ ねえおじさん
これがロックンロールよ ねえおじさん

自分で楽しむだけなら、モグリになる必要はない。アマチュアでいればいい。モグリは意外とプライドが高い。モグリが一番腹を立てる言葉は「ろくでなしのドシロウト」。B・Jは山田野が発したこの言葉を聞いたとき、プライドが恐怖心に打ち克った(「けいれん」、新書第9巻、文庫第11巻)。

プライドが高いのは、モグリには、アマチュア以上の夢があるから。それは自分のスタイルを披露すること。『ROCK ALIVE』の翌年のツアー・ビデオ『CHISATO MORITAKA CONCERT TOUR '93 LIVE LUCKY 7』(Warner, 1994)で、ライブの最高潮に歌われる「テリヤキ・バーガー」。題名は、本場ではない、モグリのハンバーガーということか。

ロックも ヘチマも 関係ないわよ
夢をもつのよ 世界制覇よ
男も女も 関係ないわよ
みんな注目させてやりなよ

思想もヘチマも関係ない。ついでに書けば、丸山もヘーゲルも関係ない。私は、私の思想を表現するだけ。スタイルを言葉と文章に込めるだけ。それがモグリの「心意気」というものではないか。それにしても「思想」というには、いまの知識や能力はあまりに頼りない。

もう少し勉強しておけばよかった。モグリは、憧れと顕示欲、劣等感と向上心の間で揺れる。森高には「勉強はできるうちに/しておいたほうがいいわ」という「勉強の歌」もある。

彼女については、書くことがまだまだありそう。脚のことではない、歌詞のこと。荒川洋治も「赤い紙」という詩のなかで森高の「なくしたサイフ」(『ROCK ALIVE』、Warner、1992)を取り上げている(『荒川洋治全詩集』、思潮社、2001)。

批評「モグリとハート」には、「実際は誰でも、プロ、アマ、モグリの要素をつねに抱え込んでいる。」以下、プロ、アマ、モグリは概念であることを念押しする段落を追加した。

さくいん:森高千里モグリ


2/18/2004/WED

昨日の荒川洋治。

最初に、小学六年生からのメールを紹介。受験した筑波大学付属駒場中学の入学試験に荒川の「風の中のテレビ」という文章が出題された。設問に筆者の気持ちを問うものがあった。荒川さんの気持ちはほんとうはどうだったのか、という質問。

荒川の答え。気持ちは、単純にうれしい。ただし、そのとおりには書いてないかもしれない。素直にうれしいという気持ちを、どう表現したかを問う問題だったのではないか。

今日の話題は自分探し。「自分探し」を題名に入れた本が多く出ている、売れている。そうした本をみると、自分探しと旅をからめたものと、自分探しと職業の選択をからめたものが多い。非日常に出て、自分を探すものと、日常で何をするのか悩むものと。

後者の例として、村上龍『13歳のハローワーク』が売れている。この本は、中学生に好きなことから将来の仕事を考えることを促す本。大学の就職課でも、「自分は何をやったらいいか、何が適しているか、わからない」という相談が多いらしい。

職業は、いくつも変えながら、失敗を積み重ねながら、好きなもの、適しているものに近づくものではないか。向いてないと思う仕事が新しい自分を生み出すかもしれない。自分探し、適職探しの背景には、失敗を恐れる過敏な若者の気質がみてとれる。誰も適さないと思うような仕事でも、誰かがしなければならないという配慮もない。

最近の自分探しは、自分とは何かを問うこととは違うようにみえる。「自分とは何か」は古代ギリシア以来の哲学的問題。いまも答えはでていない。永遠の問題。

自分探しは温室で育ってきた自分を守りたいという利己的な印象がある。かつては、「我は海の子」という歌のように、海の近くで生れれば海の子、と生きる場が単純に人につながった。現在は、確かに複雑。それにしても、自分探しは、本が多く出版されていることをみても、外側に悩みの解決を頼る感じがある。ブームに頼る感じ。

自分は知れたものと認め、自分の外に豊かな世界があると信じて飛び込んでいくような軽やかさがほしい。

新中学生からの便りをまず紹介し、自分探しというブームを背景にしながら、話題の職業紹介本を批判的にみるという緻密な構成の10分間。

自分探しは、自分とは何かを考えることとは違う。そして、前者にこだわるより後者へ進むほうが、実りは確かに多いに違いない。自分を探している自分とは何か、適職を探している自分は誰か、と気づけば、自分とは何かを考えることにつながるかもしれない。守るべき自分があるということ自体は悪くない。

そういうことを書いていたのは精神科医の斎藤環。著書は未読だけど、記事を新聞で読んだ。斉藤は、引きこもりも守りたい自分がいるからゆえで、表現は建設的でないが精神状態としては、まだ健全であると考えている。問題は、守るべき自分がわからないような状態。傷つけることでしか自分の存在を確かめられなくなると、かなり危険。

肉体的、精神的に傷つけなくても、自分を見出すことはできないものか。どうすれば、自分自身をいたわりながら、それでいて甘やかすことなく、その根拠を問い続けることはできるか。

新中学生といえば、「にんげんはみんな百面相だ」と思うような12歳から、職業紹介本の書名になっている13歳になり、やがて、「哲学」に目ざめるといわれる14歳になる少年時代。自分が合格し、これから通う学校を「超難関校」といってのける無邪気さが、まだかわいい。

詩人が出した宿題は、どんな難関中学の入試問題より難しい。この宿題は命がけになりかねない。同時に賭ける価値がある。少年にそう聞こえただろうか。

書評「江分利満氏の優雅な生活」を植栽。縦書変換のソフト「たてがき君」は、英文の横組表示ができない。文中片かなで表記した英文は、“Anyone that fools Everyman is fooled by everyone.”

カタカナ英語でも構いはしない。実際、江分利満氏の「ウェオ…アイム…ステオ・イン・マイ・アアリイ・サーリース(Well, I'm still in my early thirties)」というカタカナ英語が友人ピートの瞳を涙で光らせた。ハートがheartに伝わる場面。

2003年4月13日、ブレッド&バター「あの頃のままで」の感想に7度目の追記。

3/31/2004/WED追記

松田道雄『しごとと人生 Ⅱ』(ちくま少年図書館34、筑摩書房、1976)のはしがきに、この日の荒川と同じ考え方が書かれていた。しばらく前に近くの小学校の図書室開放を覗いて、立ち読みした。予算が少ないというケガの功名か、学校の図書室では、大きな図書館ではとっくに書庫行きになっている本が書棚に並んでいる。


2/19/2004/THU

創作方法に関する現在の問題、批評家への希望、方法と世界観、レアリズムと唯物論、森山啓、日本プロレタリア文学評論集・7(後期プロレタリア文学評論集2)、新日本出版社、1990

石川県小松市図書館で、偶然知って以来、森山啓が気になっている。小説ではなく、随想や批評を読んでみたい。そう思っても、行きなれた図書館には小説さえ、ほとんど所蔵されていない。もう一度検索してみて、1930年代のプロレタリア文学評論を集めた本に森山の評論を見つけた。

小林多喜二が殺された1933年に書かれた二つの論文は、いずれもマルクス主義の小難しい専門用語が多くて読みづらい。解説を読んでも、歴史的資料として以外に価値はないかのようにあしらわれている。それでも、プロレタリア文学史という知識を持たずに読んでみると、むしろその方が、森山の批評が意図するところの普遍性が見えてくるようにも思う。

図式化は、ただ「人間の本質は社会関係の総和である」といったようなことを、現実の人間生活に関する生きた知識への努力とは切りはなして、形式的に玩弄するときに起こってくる。事実そのような傾向は、「創作方法における唯物弁証法のための闘争」の途上で、作家のなかにも批評家のなかにも起こって来た。
だが、実際においては芸術家たちは、与えられた現実のなかでの社会的実践――芸術家としての社会闘争への参加――を通してはじめてその「世界観」なるものを発展させ、徹底させてゆくものなのだ。だから「最初に完備した世界観」ではなしに、芸術家たちがそれぞれの程度に実現しうる所の、社会主義建設に協力する作品行動が必要なのである。(「創作方法に関する現在の問題」)
すなわち芸術家が創作上リアリズムの方向をとるか否かは作家の哲学によって、ましてや唯物論や可知論一般によって決定されるものではなくて、その作家の社会的・階級的実践によって与えられるものである。――ここで作家の「階級的実践」という言葉によって作家が動きまわって仕事をする姿だけが抽象されて考えられるおそれがあるが。しかし実際においては作家の実践というものは、一定の時代の社会状態のなかで作家が創作したり、行動したりして社会と公称する全生活をいうのだから、一口に実践といっても、我々はその作家の時代、社会発達の程度、芸術の状態、代表する階級の現実などとともに、それにむかって働きかけながら発展するその作家の天分と、その仕事を思い浮かべねばならない。つまり作家の実践のなかにその時代の客観的現実と作家の世界観や天分の発展が、統一されて実現するからである。(「批評家への希望、方法と世界観、レアリズムと唯物論」)

社会主義とは何か、唯物論とは何か。そういうことは、どうでもいいようにさえ感じる。作家は、作品を通してのみ社会に関わる、しかし、その作品には、その作家が人間としてどう社会へ関わっているかが、すべてが反映される、という彼の芸術論だけが、浮かび上がってくるような気がする。

さくいん:森山啓


2/20/2004/FRI

書評「丸山眞男をどう読むか」ほかを植栽。意図して嫌悪感をかきたてる文章を書くのは案外難しい。同時に心酔しないように慎重になる文章を書いていれば、なおさら。どちらも調子に乗ると、勢い余って自損事故を起こすことがある。

『丸山眞男をどう読むか』の中の長谷川宏が、まさにそうして墓穴を掘っているように見える。知的社会と民衆の生活という二項対立に陥ったまま、抜け出せないでいる。

福沢諭吉が造語し、丸山が好んで使う「惑溺」とは、一つの考え方を疑いもせずに、どの状況にも適用しようとすること。丸山を批判するつもりの『どう読むか』が、「惑溺」の典型となっているのは皮肉というしかない。こんな調子なら、各節ごとに反論することができそうだけれど、やめておく。

もう一つだけ。『哲学者の休日』という書名は、どういう意味か。哲学者とはあくまでも職業であり、休みもあるということか。思索者に休日はない。生きている時間すべてが考えること、すなわち、日常こそ哲学だから。哲学者は哲学するときだけ、哲学者なのか。

この書名は、編集者が用意したいくつかの案から選んだという。そういう態度、そういうことをあとがきに平然と書く心理が、本書の印象を『休日』の余技以上にしていないのではないか。

それから、自分の出た学校を看板に掲げるのはどうか。屈折したプライドが露呈されていないか。いや、それは私も同じこと。やっぱり、最後にぶつけた。


2/21/2004/SAT

やさしく書くとは、どういうことか。「専門用語によらない哲学の文章表現」を志している作家もいる。「やさしく書く」ことを目指しているのだろうか。やさしいとは、誰に対してか。「専門用語によらない哲学の文章表現」という場合、自分では専門用語をわかっているけれども、あえて使わないのか、はじめから知らないから、知ったふりして使うことはしないのか。前者であれば、それは哲学というより、哲学の教育であって、思索の表現とは少し違う。あるいは、商業的に読者層を広げるための方策とも考えられる。

何の場合でも、学ぶには二つの練習が両方いる。すぐ習得できるように、できるだけ難易度を下げた練習と、上達、向上を促すために、現在の力量より少し努力を要する難しい課題。スポーツでも楽器でも語学でも、練習はたいてい、この二段構えで進む。前者だけでは向上しないし、達成感も得られない。後者だけでは苦しいだけで楽しみや面白さがなくなる。

英語の歌を好んで聴く。英語で考えることもあれば、日本語の文章を書きながら、どうしても英語で表現したくなることもある。いずれの場合も、たいして難しい英語ではない。英語話者からみれば、小学生程度、日本の学校教育で測っても、中学生程度だろう。それでも英語がまったくできない日本語話者からみれば、途方もなく難しいものに違いない。それでは、私がどうしても英語で書きたいと思って書くことは、やさしく書いているのか、難しく書いているのか。

確かに、哲学の専門用語は難しい。しかし、哲学者は難しくみせるためだけに難しい言葉を使っているのではないだろう。哲学者は、自分の考えを、言葉だけを用いてまったく誤解されることなく、きちんと理解されるよう、表現しようとする。

言葉に敏感な哲学者ほど、その言葉でしか自分の考えを表現できないから、他人には難しすぎようが、あるいは単純すぎようが、その言葉を選んでいるに違いない。

学問として哲学をみるなら、難しい教材もあれば、比較的やさしい教材もあるだろう。自分の力量と学習の目的に合わせて、わかりやすいものと少し難しいものの二種類を選べばいい。思索として哲学をみるならば、そして、それを思想と呼ぶならば、難しいかやさしいかということは、他人の尺度でしかない。

しかし、それがわかったところで、他人の尺度を抜きにして、自分の言葉で自分の考えていることを表現することが難しい。学校でつめ込められた言葉は自分の言葉といえるのか。大人になって覚えた第二言語は自分の言葉なのか。本や歌で感動して覚えた言葉は、自分の言葉なのか。

そもそも、自分の言葉とはいったいどういうことか。自分とは、何か、言葉とは、何か、それぞれ、計り知れないほど難しい。自分の言葉、自分の文章、自分の文体。そういうことを考えられるようになるのは、ずっとずっと先になりそう。

やさしく書くことはできるかもしれない。でも、やさしく考えることはできない。考えるということは、本来、やさしいものではない。考えるということは、きっと、坂道を上るようなものなのだから

短評「きんいろのしか」を植栽。


2/22/2004/SUN

モグリには敵が多い。もっとも手強いのは、モグリと距離をとるプロ中のプロではなく、むしろモグリにすり寄るプロフェッショナル。ものわかりのよさそうな奴ほど危ない。

本当のプロは、モグリを馬鹿にしない。する必要がないことを知っているから。だからこそ、モグリのプロ並の腕前に嫉妬することもなく、そこから素直に学ぶことができる。いいかげんなプロほど、モグリを内心恐れているので、自分がプロであることを際立たせるために肩書きを重んじる。識別を明快にするために、まずモグリの真似をしたり、理解者であるふりをして近づく。

私にとって思索の源泉の一つといえるマンガ『ガラスの仮面』(美内すずえ、白泉社)のなかの姫川亜弓と北島マヤの関係も、プロとモグリの関係として見直すことができる。

ここでは亜弓は、プロというよりエリート。エリートといっても選民という意味より、専門知識を正統な方法で早くから学び、才能に早くから自覚している人という意味。亜弓は父親が映画監督、母親は大女優。幼い頃から劇団で頭角を表し、親の威光がなくても、主役を張れる実力と人気を十代で身につけている。

北島マヤには、モグリの気配がある。才能を直接活かし、伸ばすことができる環境に生まれ育っていない、独学で専門的な知識や修練がほとんどない、自分の才能に自覚がない。亜弓は技能の人、マヤは感性の人。といっても、二人とももう一つの才能を磨く努力を惜しまない。

マヤは初めのうちどこへ行っても妬まれ、いじめられる。亜弓ほどではないにしても、マヤ以上に演技の練習を積んできた人たちは多い。そういう、いわばセミ・プロは、プロの王道を進むべく修練を重ねている。だから、マヤの才能がわからない。モグリが突然現れて、奇を衒った方法で周囲をだましているようにしか思えない。だから嫉妬し、攻撃する。

亜弓もはじめは、マヤを敵視する。自分とは生きてきた環境も違い、得てきた技能と知識も違う。自分も努力をしてきたつもりなのに、相手は軽々とそれ以上をこなす。エリートのプライドが揺らぐ。生理的な嫌悪感から、敵意をむきだしにすることもある。

やがて亜弓は、マヤの才能と彼女の存在の仕方が自分のそれとはまったく違うことに気づく。ライバルではあっても、邪魔者ではない。二人の異なる才能が補完しあう、物語の一つの頂点が、「第10章 冬の星座」(花とゆめCOMICS、第23巻~第27巻、1982-1983)で展開する、劇中劇「ふたりの王女」。

この芝居は、マヤをモグリからプロに変える。それまでのマヤの演技は、一回きりの公演や即興が多い。「ふたりの王女」はロング・ラン公演。繰り返される演技は、感性の単なる発露ではなく、自覚的な表現になる。またこの劇は、技能の下に秘められた熱い感性を亜弓に気づかせる。

「ふたりの王女」の長い公演のあと、二人は同じ目標を目指す正真正銘のライバルになる。亜弓は、恵まれた環境や覚えた技能に頼るエリート・プロではない。自分の感性で自分の技能を磨いていく。マヤも、感性の爆発に頼るアマチュア的モグリではもうない。技能によって感性を制御するようになる。異なる経路で、二人は「紅天女」を目指す。

プロ中のプロとモグリの気のあるプロの対決は、まだ終わっていない。

さくいん:『ガラスの仮面』


2/23/2004/MON

エリート、あるいはプロフェッショナルとモグリの対決という構図は、昨日の『ガラスの仮面』だけではない。とくにスポーツ系や、根性もの、といわれる作品ではよくある図式かもしれない。よくある図式だけに、図式に頼ればありきたりな話で終わる。

姫川亜弓と北島マヤの場合、プロとモグリの違いを明確に描き分けた上で、対立が補完になり、再び好敵手として対決する。性格の違い、それぞれの成長、関係の変化が物語を面白くし、単純な図式で終わらせないでいる。

マンガ『エースをねらえ!』(山本鈴美香、集英社、全18巻)も、そんな物語のひとつ。お蝶夫人こと、竜崎麗香は典型的なスポーツ・エリート。幼少から英才教育を受け、若くして成果をあげている。名前や縦ロールの髪型、近寄りがたい話し方は、どれも生れ育った環境がエリートだったことを強調するけれども、お蝶夫人は亜弓と同じく、プライドが高い分、それを維持するために努力を惜しまない。藤堂も異性である以外、同じようなスポーツ・エリート。

岡ひろみがテニスを始めたのは、高校に入学し学園のスター「お蝶夫人」に憧れて。しかし新入部員のなかでは一番下手で、明るさと無邪気さだけが取り柄。おなじ性質を見ても、お蝶夫人は「可愛い後輩」と思い、宗像は「無限に努力できる才能」を見出す。藤堂は、異性として魅力を感じる。

『エースをねらえ!』を面白くしているのは、竜崎麗香の内面的な葛藤であると思う。彼女の眼に映るひろみは、エリート対モグリという構図をとりながら、次第に変化する。可愛い後輩、藤堂への恋路の邪魔者、コーチの指導を独占する不届き者、ひたすらに努力する素人、自分に追いつこうとする後輩、対峙する敵、コートの上でのパートナー、そしてコートの外でのパートナー。宗像がテニス・プレーヤー岡ひろみの育ての親なら、テニスをはじめるきっかけだった「お蝶夫人」は生みの親であることに、彼女は気づいていく。

つまり、『ガラスの仮面』とは違い、『エースをねらえ!』では、プロとモグリが対決ではなく、親子、先輩後輩、先達後進という関係に変容していく。

『エースをねらえ!』は『ガラスの仮面』に出会うずっと前に知っていた。こうして書いてみて、なぜ二つのマンガをずっと繰り返し読んでいるのか、ようやくわかってきた。

さくいん:『エースをねらえ!』


2/24/2004/TUE

恵まれない人に眼を向けることは、社会生活では確かに重要なこと。それにしても、相手が「恵まれていない」と思う根拠は何か。そもそも「恵まれない」とはどういうことか。幸福でないということか。幸福であるかどうかを他人が決めていいのか。そういうことができるのか。

貧しい、お金を持っていないことは、確かに恵まれていないかもしれない。けれども、それだけで不幸なわけではない。何かの理由によって相手を不幸と決めつけることは、実は相手を見下しているのではないか。

後に「アリの街のマリア」として知られる北原怜子は、裕福な家庭に育ち、憐れむ気持ちからアリの街と呼ばれる貧民街で人々を助けるようになった。しかし、上から見下ろした憐れみは、かえってアリの街の人々を傷つけた。そのことに気づいた北原は、裕福な環境を捨て、アリの街に飛び込み、そこで暮らすようになった。

捨てた、飛び込んだ、という表現は間違っている。彼女はアリの街の人間として生まれ変わり、そこの人間として生きた。アリの街を助けること、救うこと、解放することは、すべて自分を助け、救い、解放することと同じだった。

かつて社会主義者を標榜する自称インテリゲンチアが好んで使った、プロレタリアート革命を指導する、という言葉は矛盾していないか。革命とは、まず自分が属する階級で起こすもの。別の階級の革命を手助けすることなどできない。そうしたければ、まずその階級に属さなければならない。

自分はいったいどの階級に属しているのか、何を革命しようとしているのか。それを考えることは、自分自身に対して革命を起こすことにつながる。自分がどれほど恵まれていない人間かがわかるだけでなく、どれほど恵まれている人間かもわかってくるから。

そうすると恵まれた自分が恵まれない自分を憐れみ、助け、救おうとするようになる。つまり、憐れみはまず自分自身に向けられるべきということ。そうでなければ、どれほど親身になったつもりでも、相手には頭の上から手を差し伸べているようにしか見えないだろう。

Michael Walzer『寛容について』(大川正彦訳、みすず書房、2003)の冒頭を立ち読みして、こんなことを考えた。読みたい本に限りはない。書きたいことも少なくない。迷っているうちに、いつも場当たり的でつまみ食いのような読み書きになる。あまりいい癖ではないけれども、止められない。


2/25/2004/WED

きのうの荒川洋治。

文学館の楽しみ方。文学館と呼ばれる施設は、全国に130箇所くらいある。個人が設けた小さなものも含めると200箇所以上。

昭和42年、東京駒場にできた日本近代文学館がはじまり。震災、戦災で散逸した文学についての資料の保存と整備が目的。その後は、町おこしと合わせて全国に波及。

全国には、そこで生まれ育ったり、その地で暮らしたり、あるいは長く滞在した作家を記念する文学館が数多くあるが、意外なことに、漱石、鴎外、芥川には文学館がない。

文豪に文学館は似合わない。よく知られ、いまも読まれている作家には、必要ない。

町おこしやハコモノ行政とあいまって出来上がると、立派な建物なのに利用者が少ないものになってしまうことがある。

公共施設の場合、お役所仕事になったり、文学を知らない役人が館長になると面白みに欠ける施設になることもある。民間人を館長に起用しているところは多くない。

文学や古書事情に疎い人が運営すると、資料収集のために初版本などを高値で買わされることもある。そうかといって、原稿などの展示品が複製ばかりでも興ざめする。

豪華な図録もいいが、入場者全員に手短な紹介など配慮がほしい。そこから読書がはじまることもある。活動が活発すぎるのもどうか。地域の人には、めまぐるしい。

荒川のおすすめは、駒場の近代文学館。喫茶店、たんぽぽがいい。コーヒーの味がずっと変らない。

一昨年の十月、渋谷、松涛美術館で「小林秀雄展」を見たあと、駒場の近代文学館まで足を伸ばした。荒川のすすめる「たんぽぽ」も立ち寄った。カレーを食べ、コーヒーを飲んだ。

その日は家から自転車をこいで行ったのでかなり疲れた。当時公開していた日記の下書きに、「おばちゃんは親切。味もうまい。しかも値段が安い。」と書き残してあった。この部分は公開していない。


2/26/2004/THU

長谷川宏が書評でとりあげている丸山眞男『自己内対話』(みすず書房)は生前公開されることのなかった断章集。日記のようでもあり、作品の草稿でもあるらしい。らしい、というのは未読で、よくわからないから。最近は書簡集も公刊されている。どちらも、しばらく読むことはないだろう。

作家が公開を意図しないまま書いた文章を読むことに躊躇するようになった。以前はそんなことはなかった。むしろ、職業的な作家ではない人が書きのこした日記や手記を好んで読んでいた時期もある。そうしたものにこそ、人間性が現れると思い込んでいた。

作品とは、作家が自覚的につくりあげた人工的な構築物。読書や、自分で文章を書くことを通じて、そう思うようになった。手記や書簡は不特定多数に向けて公開することを意識していない。そうした文章は、作品とは言いがたい、せいぜい資料ではないか

資料には、資料の意味がある。作家の人となりはわかるかもしれない。しかし、『大手拓次詩集』(岩波文庫)の解説で原子朗が書いているように、人物を知ることは、読書にとって両刃の剣。作品を知る助けにもなれば、作品じたいから読み手を遠ざけもする。

大切なことは、作品そのものを読んだり聴いたり、見たりすること。作品をよりよく知るために作家を知ろうとし、作家の人となりを知ろうとするのであって、その逆ではない。

亡くなってまだ数年しかたっていないのに、個人的な手記や書簡が公開されるのは、すこし性急な気がする。同時代が過ぎ去っていないあいだこそ、作品を作品として読む絶好の機会ではないか。やがて作品は過去の作品となり、当時の歴史状況や作家の伝記的情報がなければ、内容がほとんど理解できなくなる時がくる。作品以外の資料を読むのはそれからでも遅くはないのではないだろうか。

森有正が亡くなってすでに30年近く経つ。近しい人の書いた回想記が公刊されていることは知っている。書店で見かけても、立ち読みさえためらう。知ってしまってから、知らなかったときには戻れないから。しばらくは、伏字だらけの日記を読み返すだろう。それさえ、森自身が生前に公刊した作品の外側に位置している。

丸山眞男のあまりに学者らしいスタイルを痛烈に批判する長谷川宏でさえ、あくまで作品を通じて批判するために、『丸山眞男をどう読むか』では『自己内対話』はとりあげていない。丸山は、公開を承諾しただろうかという疑念さえ抱いている。ところが、『自己内対話』の書評では、丸山を象徴とする大学当局と長谷川自身が対峙していた時期に記された内面の苦悩や、音楽などの個人的趣味について読みながら、丸山についての「自己内対話」が促されるという感想をもつようになっている。

人となりを知ることが、作品を考えなおすことにつながっているようにみえる。


2/27/2004/FRI

昨日のつづき。

本として公刊されるかどうかは別としても、文にして書くということは、すでに公開しているということではないか。誰にも読まれたくないものであれば、誰かにわかるようには書いてはいけない。

石川啄木がローマ字で日記を書いていたのは、妻に読まれないためだったと聞いたことがある。しかし妻には読めないとしても、ローマ字のわかる人には読まれてしまう。いつかは読まれることを期待していたのだろうか。

著作者となって本を出している人、まして丸山眞男のように請われてものを書いた人であれば、自分が遺した文章は公刊されるかもしれないと充分予測できたに違いない。ほんとうに読まれたくはない内面の葛藤であれば、自分で処分することも、遺言で処分を依頼することもできないことではない。もっとも小林秀雄が出版するなといった原稿が新しい全集に入ったように、わずか数十年で遺志が反古にされる場合もある

そもそも、内面的な葛藤を書いた手記が本として出版できる体裁になっていることが驚きに価する。長谷川が引用する一部分を読んでも、『自己内対話』は、読める文章になっている。私のメモは文章や断章にもなっていない。単語と矢印、○×の記号だらけ。「マリアは男」などと、それだけでは不可解な言葉の断片もある。この断片から、あとで文章を組み立てる。

手書きの日記はつけている。それは出かけた先を書きとめたり、読み聞かせた本を書き残したりする行動記録や備忘録であって、気持ちはほとんど書いてない。以前は、公開する文章と別に<非公開>という文章をパソコンでも書いていた。今は、手書きのメモから公開する文章をつくるだけでも時間が足りないくらいで、「自己内対話」は文章として残していない。

これはいいことなのかどうか、わからない。以前は、公開する文章とそうでない文章、いってみれば公的領域と私的領域が、完全に分離して二本立てになっていた。いまは、書く文章は公開する文章だけ。

すると不思議なことに、考えることまで公開できる内容ばかりになってくる。そうなると今度は、まるで自分の思考のすべてがネット上にさらけ出されてるような気がしてくる。自分だけの世界がなくなってしまったように感じる。そして一銭にもならないのに自分をさらしていることが馬鹿馬鹿しくなってくる。「庭」を閉鎖しようとさえ、思いつめてしまう。

そんなときに、思い切って手書きで文章にならないような言葉を書きなぐってみたら、さっぱりした。それからいま、この日誌を書き出した。結局、公開する思索と文章と公開しない思索と文章の均衡が大事ということなのだろう。

その均衡が崩れたとき、腰が痛いとき、落ち込んだとき、意外なことに私が見つけた有効な脱出法は、考えることについて考え、書くことについて書くことだった。


2/28/2004/SAT  

夕べは、仕事を早く切り上げて帰宅した。久しぶりに友人と会うため、出かけなおす。少し離れたバス停まで歩いて、地下鉄の駅までバスに乗る。おととい、図書館で借りた森山啓『谷間の女たち』(新潮社、1989)を読み続つづる。バスが揺れて、読んでいると乗り物酔いしてくる。面白くなってきたのでなかなか閉じられない。少しふらふらしながら駅で降りる。 

もう少し時間が早ければ、ラーメンを一杯食べてから酒を飲みに行こうと考えていた。駅前にはラーメン屋が多い。以前はよく食べていたのに、ここではしばらく食べてない。約束の時間が近づいているので、ラーメンはあきらめる。

切符を買う前に売店で日刊ゲンダイを買う。宇能鴻一郎の連載官能小説「貝くぐり」は最終回。といっても、来週から題名が変るだけ。何年続いているのだろう。ゲンダイを読みはじめた15年くらい前にはすでにあった。「私女子高生なんです」という自己言及ではじまる独特の文体はその前から読んでいた気がする。

最終回は、阿部定事件についての随筆風。阿部定事件は、胡桃沢耕史も『翔んでる警視』シリーズ、『新・翔んでる警視IV』のなかの一編、「青春の終わりの日に」(廣済堂文庫、1987)で取り上げていた。

ゲンダイは、読者層も執筆陣も高齢化しているように感じる。電車のなかでタブロイド新聞を広げる人は減った。恥ずかしいこととさえ思われているのかもしれない。それでもある固定読者層もいるらしい。あちこちでゲンダイに関係する人の名前を聞く。

先日「タモリ倶楽部」では、作者が亡くなり休載となってしまった長寿連載マンガ「やる気まんまん」が話題になっていた。ベストセラーを相次いで出している五木寛之の連載「流されゆく日々」も長い。よく読んでいた匿名書評は、『水曜日はの書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』として、ちくま文庫の一冊になっている

版元は児童書専門だが、決して子供向けのリライトや抄訳などではない。そこらへんを誤解して手をひっこめると損になるので、あえて付記しておく。

まだ読書記録さえつけないでいた三年前の秋、書評の最後にあった言葉に誘われてシェンキェヴィッチ『クオ・ヴァディス』(吉上昭三訳、福音館書店、2000)を図書館で検索した。今から思えば、現在まで続く濫読は、この一冊にはじまった。

地下鉄を降りて外へ出る。通りを歩く。以前働いていたところ。その後会社が移転し、さらにその後その会社を辞めた。ここで飲むのは一年ぶり。ここへ来るのが一年ぶり。働いていた頃は、昼食を一軒ずつまわったり、顔なじみになるまで居酒屋に通ったりもしていた。

店が思ったよりも、ずっと遠い。こんなに駅から離れていただろうか。目印のすし屋を見つける。確かにここ。前は歩きなれていたので距離を感じなかったのかもしれない。角を曲がると看板が見える。

昔はカウンターだけの小さな店だった。昼も夜も、何度となく寄った。去年の今ごろ、来てみたら一軒隣りに移り、店が大きくなっていた。テーブル席もいくつかある。マスターとおかみは変わっていなかった。あれから一年近くごぶさたになってしまった。近頃は、出張先以外、めったに外で飲むことがない。

マスターの娘さんが店を手伝いはじめていた。メニューも増えている。いろんなことが変っていた。私も、いろいろなことが変っている。マスターとおかみは、変わっていない。店の雰囲気は変わっていない。私にも、変らないでいるところがあるだろうか。

いや、周りの様子や表面的なことは変わっていても、私は本質的には何も変わっていない。それなのに、ずっと変わらないでいるものが何なのかもわからない。だから、いつまでも変わることができない。周囲の変化に追従しているだけ。

なつかしい場所で、なつかしい人と酒を飲む。楽しいひととき。私にもずっと変らないものが何なのか、わかるような気がしはじめたところ、すでに酔いはじめていて、それが何なのか思い出すことはできなかった。

マスターは私の名前を覚えていてくれた。前の店でカウンター越しの狭い厨房の奥にあった冷蔵庫に、私の名刺が貼ってあったことを思い出す。夏の盛りにメニューにない冷やし中華をつくってくれたことも、ふいに思い出した。


2/29/2004/SUN

今週の更新内容。

音楽のページに新しい私家集を加え、それぞれ副題をつけた。内容はまだこれから。

推敲をしながら段落の区切りをページに合わせる作業を続けている。以前から私の文章は、論理が飛躍する、論点が散漫と言われている。初期の文章は特にその傾向が強い。最近の文章は、その点は多少改善されているようにもみえるけど、その分冗長になっている。

批評「『逆に』と『ていうか』」は、「逆に」と「ていうか」という逆説の副詞が、それ以外の用法で濫用されていることを批判した文章。そういう文章のなかで、助詞の「が」を、逆説以外にも順接、追加など、ほかにも適切な言葉がありそうなところでも連発していたのは、お粗末というほかない。助詞の「が」に注意しながら剪定した。

随想「北陸行」の最後に一行追加。今週、福井に再びでかけたので、なつかしく読み返した。


碧岡烏兎