谷間の女たち、森山啓、新潮社、1989

森山啓 石川近代文学全集9、森英一評伝、解説、石川近代文学館、1985

ふるさと石川の文学、金沢学院大学文学部日本文学研究室編、北國新聞社、2003


森山啓との出会いは偶然。北陸での仕事の合間に時間ができて、小松市内を歩いたときに図書館で記念室を見た。それまでは、森山の名前すら知らなかった。そこで読んだ自伝の一部や談話から、森山啓の作品だけでなく、森山啓その人に興味をもった。

けれどもその後、森山の作品を読む機会にはめぐまれなかった。図書館に所蔵されている作品はほとんどない。もともと小説よりも、随筆エッセイを好んで読む。そうした作品があるのかどうかもわからない。他にも読みたい本はある。そうこうしているうちに小松に出かけてから、一年近くも経ってしまった。

その間、初めて金沢へ行く機会があった。といっても夜遅く到着して、翌朝に仕事を片付けそのまま帰京してしまった。このときは待ち時間に小松空港近くの航空プラザを見た。そして先月、もう一度福井へ出かけた。街をみる時間はこのときもなかったけれども、空港で前に来たとき、目にとまりながら買わずにいた『ふるさと石川の文学』を買った。

昨年はじめて北陸を訪れた私は、北陸について漠然としたイメージさえ持っていなかった。ましてや北陸の文化や文学については、何の予備知識もなかった。自作のプレイリストに、「遠きにありて思うもの」と副題をつけておきながら、室生犀星が石川の人であったことも、彼の名前が金沢の街中を流れる犀川に由来することも知らなかった。

室生犀星の詩集も読んだことがない。泉鏡花の小説も読んだことがない。それでも、そうした有名な作品が北陸で生れたことを知っただけでも、金沢や福井について、文芸の花咲く土地という印象を私に植えはじめた。


『ふるさと石川の文学』が採りあげるのは、石川県出身の哲学者や文学者だけではない。古代から現代まで石川県を舞台にした作品も紹介する。作家や作品の紹介の合間に、兼六園や旧制第四高等学校など、石川の文学を理解する鍵となるいくつかの場所も紹介している。

北陸の地域や文学について、いくらか予備知識を得てから『谷間の女たち』を読みはじめたのは好都合だった。島村藤村の『破戒』『藤村全集』の一部、『北村透谷選集』を最近になって読みなおしたこともよかった。彼らを含めて、明治の自然主義文学は、学生時代の森山を魅了し、彼の文学の苗床となった。

こういうめぐり合わせは不思議というほかない。もし、昨年、森山啓記念室を見てからすぐに『谷間の女たち』を読んだとしても、時代背景も舞台設定も理解できず、これほど深く作品を味わうこともできなかっただろう。

『谷間の女たち』は、四歳のときの最初の記憶から、昭和の初めに結婚して、戦中に作家になることを決意するまでを回想する作品。一言でいえば、自伝的な小説であり、また小説的なエッセイでもある。森山は、いわゆる私小説家ではない。農民や女工を主人公にした小説も書いている。それでも彼自身の生涯、とりわけ少年時代から大学時代までは、何度も小説にとりあげられている。

ときには「愛別」「美しいもの・醜いもの」のように杉村夏也という名前を与えられて虚構に仕立てられ、ときには「北窓ひらく」のように、学生時代の逸話とまったくの空想とがからめられた青春小説にもなる。いずれも『石川近代文学全集』に収録されている。自分自身の十代が、森山にとってもっとも重要な主題であったことは間違いない。


『谷間の女たち』は、そうした若い時期の作品とは、同じ主題を扱いながら、作品がもつ雰囲気はだいぶ違う。ただの自伝ではないし、まったく作者の視点を排除した物語でもない。そうかといって、幼少期を過ごした大正、昭和初期という時代を回顧するエッセイでもない。『谷間の女たち』は、それらの要素が折り重なった作品。自伝的小説には、複合的な作品という意味もある。この小説が複雑な構造をもっていることは、読みはじめてすぐ気づく。

『谷間の女たち』は、80歳を過ぎた森山が、自分の過去を回想する体裁をとっている。その形式だけをみれば自伝。しかし、回想される逸話を読んでみると、その描写はいま目の前で起きているかのように鮮やか。

それでいて、ときどき今の著者に戻り、心労を重ねる母親や、風変わりと両親から疎んじられた姉を、後から得た医学的知識で診断したりもしている。この部分は、随筆のようにも読める。さらに当時の医療や社会制度を批判的に考察する部分もある。この部分は社会批評的。

また、語り手は自分であるけれども、物語をすすめていくのは明治の終わりから大正、昭和のはじめまで北陸に生きた多くの女性たち。母親、姉、近所に住む同級生や女学生のお姉さん、病院の看護婦たち、学生を下宿させる未亡人、そこへ集まる主婦や一人身の女性たち、保養先の年上の美しい女性、そして、のちに妻となる恋人。彼女たちの描き方は、実物を回想しているというより、物語の登場人物としてそれぞれ特徴的に描かれている。

登場人物では数少ない男性の一人である父親にしても、冒頭に書かれる「何たることある」という威勢のいい口癖が、八時髭を触る手つきとともに厳格さを印象づけるために繰り返し効果的に登場する。これがなくなる時は、父親が衰えるとき。この点でも、単なる自伝や随筆ではなく、小説と呼ぶべき作品にみえる。


文学作品には、ある時代やある場所を写実的に記録するはたらきがある。『谷間の女たち』を読むと、北陸地方の方言や、今はもうない旧制高校の様子が、手にとるようにわかる。戦前の世の中というと、これまで見知った情報の偏りから、封建的、陰湿、閉鎖的と一面的な理解に陥りやすい。活き活きとした記憶の再生を読んでいると、けっして一つの言葉では括れない一つの時代が見えてくる。

あるいは、一つの言葉で表すとしても、必ずそこに表と裏があるというべきか。女性が虐げられる封建的な家族制度の裏に、温かい父親や夫の姿や開放的な性がある。男女別々の厳格なエリート教育制度の裏に、抗しきれない性欲や同性愛がある。

自伝であり、小説であり、随筆であり、批評である、という『谷間の女たち』の特徴は、言葉をかえれば、作者の視点が複眼的、多角的ということ、小説のなかに登場する自分自身さえ客観的に見ているということ。

もう一度、自伝的小説とは何か。文学理論のなかでは、小説とは何か、物語とどこが違うか、ということも、簡単には説明できない問題らしい。小説とは虚構、作り話であるととりあえず理解するにしても、それが事実を回想する自伝と組み合わさるところに、矛盾した響きがある。それだけ書く難しさを感じさせる。

自伝とは、自分がみたものを自分が見たように書くこと。文章さえ書ければ、それは難しいことではない。また、自分のことを客観的にみることも、できないことではない。例えば履歴書は、自分のことを客観的に時系列にして書いた文書。文章を書く能力と、経歴をたどる資料と少しの記憶力があれば、自伝や履歴書を書くことは、さほど難しいものではない。


自伝的小説とは、自分がみたもの、考えたことを、他人がみたように、他人が考えたように書くこと。これは、やさしいことではない。さらに、その他人がみたように書いたものを、自分の視点で読みなおし、考えなおす。これをするためには、自分自身を二重三重に裏返さなければならない

『谷間の女たち』は、そのような多層的反省と呼べるような構造になっている。母の自死に号泣した自分。その原因は、栄養不足や自分への看病がもたらした極度の疲労だったことに気づく自分。それを責める自分、同時に母の慈愛と自分を行きずりにしなかった気丈さに感謝する自分。母を取りまいていた家族、社会や歴史について、知識を広げ、考察を深める自分。それらを何度も文章にした自分。そして、それらすべてを齢を重ねて思い返す自分。

過去の、とりわけ幼年時の辛い体験を言葉によって再構築することは、精神医学の世界でも認められている療法の一つらしい。うまくいかなったことを言葉で説明して自分を納得させることは、日常的に誰でもすることだろう。とはいえ、日々の暮らしのなかで、失敗を合理化するだけならともかく、幼い身にふりかかった不幸を言葉にすることは、悲しみを吐き出すだけでも、そう簡単なことではない。そのうえ森山の作品は、忍耐強く長い年月をかけて生み出された点で、医学療法や処世術とは一線を画している。ましてや、単なる体験談とはまったく異なる

作品は一度きりの回顧ではなく、また過去から現在へ向かう不可逆な直線でもない。回想は、何度も過去と現在を何度も往復する。焦点は、歴史や社会を眺めて巨視的になったり、地域や家族を見つめて微視的にもなる。この視点の動き、すなわち文章がなめらかであること、そして眼差しの温かさ、すなわち人々への愛情が文章にあふれていることが、森山の文体の特徴と言っていいだろう。


母親を太陽にして、その周囲を多くの女性たちが惑星のように周回している。その意味で、この小説は自伝的でありながら、自分が中心にいる天動説にたってはいない。かといって、母親への追慕から逃れられない地動説でもない。作品のなかでの森山自身は、母親を中心にして、多くの女性たちのあいだをめぐる彗星のような存在。

ふだん、めったに小説は読まないけれども、『谷間の女たち』にはぐいとつかまれたまま引き込まれた。それは小説としてより、やはりエッセイとして読んだからかもしれない。いずれにしても、本書は筆者が一人称で書きすすめる独白体。エッセイにしろ小説にしろ、私が好んで読む文章には、この形式が共通する。

『石川近代文学全集』のなかでも、『谷間の女たち』のあとに続く時代を回想したエッセイ「霜柱二十年」や、敗戦直後の女工の暮らしや労働争議を一人の女工の独白体で描いた「貧者の愛」は、一息に読み終えてしまった。

「貧者の愛」は、敗戦直後、生きる意欲も術も失った若い女工が、働き出した職場で出会った女性に惹かれ、彼女に導かれて待遇改善のための運動に目ざめていく過程を、彼女が日々記す手記として描く。二つめの手記では、運動の成功と挫折の後、結婚して工場を離れてから、労働運動だけでなく生き方の範を示した女性を回想する。

春野さんは、旧制の女学校を出て、東京の音楽学校を中途退学した人だったことを、わたしは手帖で読んではじめて知った。貧乏のための中途退学で、それ以来ずつと働いて家計をたすけてゐた。人の身の上をきくのがためになると云ひつゝ、自分のことはあまり云はない人だつた。でも争議がすんでから、わたしと一層気のおけない仲となつてからは、映画をみたいとか、本を読む暇がほしいとか、ピクニックに行きたいとか、音楽をききたいとか、好きになれそうな男が一人だけあるとか、鮨を食べたいとか、無邪気ないろんな慾望をわたしに告げられた。そしてどんなに無邪気な慾望を口にしても、何かしら思想的な空気のなかに生きてゐる人だつた。春野さんは新しい人だつたのに、手帖のなかには、ずゐぶん古いやうな形の文章も書かれてゐる。その一つに、
   すぎにしかた恋しきもの――枯れたる花、自由の夢。
   ゆくすゑ恋しきもの――枯るゝことなき花、自由の夢。
   といふのがあつたが、春野さんこそ、わたしの思ひのなかで、「枯るゝことなき花」となつた。

「何かしら思想的な空気のなかに生きてゐる人」。森山啓こそ、そのような人に私にはみえる。文学作品という芸術を、ほとんど直観で書く人もいる。森山は、そういう意味での芸術家ではない。彼の小説は、はっきりとあらかじめ見出された思想を自覚的に表現した作品。しかし彼にとって思想とは高邁な芸術論や社会変革の理論ではない。自然に対する畏敬であり、人間に対する愛情であり、その意味で思想という言葉よりは信念という言葉がふさわしいかもしれない。

今年は森山啓の生誕百年にあたる記念の年。彼の誕生日は、3月10日。

『谷間の女たち』も『石川近代文学全集』も、図書館の書庫で眠っていた。記念すべき年、記念すべき月に、北陸に芽吹いた「枯るゝことなき花」が目の前で咲いている。


碧岡烏兎