死者と生者のラスト・サパー、山形孝夫、朝日新聞社、2000


本を読んでいて、その本を読み終わらないうちに、引用された本のほうが気になってくることがある。図書館の、いつもは行かない社会問題の書棚で見つけたある本を読みながら、紹介されていた二冊の本がどうしても読みたくなった。

一冊はシオラン『絶望のきわみで』(金井裕訳、紀伊国屋書店、1991)。シオランの名前は、はじめて知った。気になって借りてきてはみたものの、期待していたほどのめりこむ読書にはならなかった。

絶望と死の誘惑にとりつかれた青年が自分自身の極限状態の内面を描写する。こういう文章は出会い方によってこちらもとりつかれたり、どう読んでも覚めた読み方しかできなかったりする。

似たような文章をむさぼるように読んだこともあるけれど、この本では表現に感心しながらも、心はなぜか奪われなかった。ただ、元の本でも引用されていた次の部分は、原著のなかでもひときわ輝いているように感じた。

   ある経験をなめたあとでは生きつづけることはできない――そんな経験というものがある。その経験のあとでは、もう何ものもどんな意味すらもちえないように思われるのだ。生の限界に達し、この危険な極限のあらゆる可能性を激烈に生きたあとでは、日常の行為や仕草は、一切の魅力を、一切の魅惑を失ってしまう。それでもなお私たちが生きつづけるとすれば、それはもっぱら、この限界なき緊張を客観化によって軽減してくれる書くことの恩恵によるのだ。創造とは、死の爪の一時的な予防である。(「もう生きられぬ」)

書くことは、極限の心理に最後に残された行為、最後の藁の一本。シオランが本書を書いた二十代前半までだったら、私はむしろ、この部分を見逃して、そのほかの部分が心に残っていたかもしれない。今は絶望の描写よりも、いかにしてそれを描写する気になったかという心持ちの移り変わりが気になる。


もう一冊は、ある学者の自伝的エッセイ。山形孝夫は、初期キリスト教を研究してきた宗教人類学者。記録を見てみると、名前を意識せずに彼の書いた聖書の図説書を読んだことがある

山形はキリスト教の文化人類学的な起源や死生観に関心を寄せてきたらしい。このような関心から、彼は新約聖書に描かれたイエスの病気治しの伝説に焦点をあててきた。本書では、彼の研究の原点が、40年以上も前の、8歳のときに体験した母親との死別にあったことが明かされる。そのことに彼は、おそらく自分を守るために自分自身でも気づかないようにしてきた。そのためそのつながりも、その事実さえ、言葉にされることはなかった

本書のなかで山形は、初期キリスト教の雰囲気を残す砂漠の修道院に滞在した経験を通じて、自分を自分たらしめている原点にもどっていく。

心の旅路は、外側ではイエスの治癒伝説と、それを生み出した古代ヘブライ、ギリシア世界の死生観に向かいながら、彼の内面では幼いころに亡くした母親の面影に遡る。その大きな流れにあざなうように、宗教学者として成長していった大学時代、アメリカ留学やエジプトやレバノンでの調査、そのときの時代背景がさまざまな逸話とともに語られる。やがて宗教学の研究と自分の原体験をたどる心の旅は、ギリシアの教会での神秘的な体験を通じて一つに結ばれる。


山形がたどるキリスト教は、常識的なキリスト教のイメージとはだいぶ違う。彼が調査に向かったのは、現代のイスラムでもなく、古代文明のピラミッドでもない、初期キリスト教の面影を残すコプト教聖地としての砂漠とナイル河。

そこで山形が見出したキリスト教は、「多源的な一神教」と呼べるような姿をしている。一神教と多神教とか、東洋の宗教と西洋の宗教とか、正統と異端などという区別には、何の意味もない。キリスト教という名前さえ、あとからつけた政治や学問の言葉にすぎない。人間の信仰は、もっと深く、もっと広い。ナイルからギリシアまでの地中海沿岸の人々が育んだ、人知を超えた世界との交信。

異端として切り捨てられたものに温もりを見出し、また、正統として生き残るものに厳しさを見出しながら、山形は、宗教の古層に近づいていく。それは、彼自身の奥底にある信仰の古層でもある。そこでは、生きる者と死せる者とが再びめぐりあう。


山形は、死者は消えてなくなるとは考えてはいない。しかしキリスト者でありながら、肉体の復活を信じてはいないと断言もする。死者は、生き残る者の心に生きている、彼はそう考えている。しかし、それ以上は謎に包まれたまま。

   記憶とは何か。記憶の森の中で、死者はどのように生きつづけるのか。(「終章 ラストサパー」)

最終章を締めくくるこの問いが、本書を通じて、繰り返されている。つまり、本書を読み終えても、明確な答えが与えられるわけではない。

彼のいう記憶とは、覚えていることがらではない。覚えていないこと、忘れたこと、忘れたいと思っていること、そういう事柄のなかに死者が生きている。

   おそらく人間の記憶は、長い時間の篩のなかで昇華され、その一部は神話のような物語にむかって、つくりかえられてゆくのであろうそのような記憶を語れば尽きないのだが、しかし、すべての記憶がそうなのではない。
   むしろ人間にとって重要なのは、長い間蓋をされたまま、意識の底に封じこめられた記憶ではないか。過剰な痛みの故に、笑うことも、泣くこともできず、ただ封じこめられるしかなかった記憶ではないか。(「第一章 記憶と忘却」)

あるいは、忘れてしまいたくなるような形で別れてしまった、あるいは去っていった人だからこそ、記憶の片隅ではなく、記憶のずっと奥底に、落ち葉に埋もれるようにして眠っている。だから、漫然と暮らしていては、記憶の森を訪ね歩くことはできない。

最終章に描かれた神秘的な体験はむずかしい。私にはまったく理解できない。言葉で伝えることはできないものかもしれない。それでも、読み終えて、死者を忘れられずにいる一人の人間が、生きている死者にめぐりあうまでには、遠い旅深い思索長い悲しみをくぐりぬけなければならないことはわかった。


山形の旅が長く辛いものになったのは、母との別れが自死だったから。本書の書き出しで、そのことは淡々と書かれているけれども、その一文を書くためだけでも、悲嘆に満ちた多くのため息があったことは想像に難くない。

家族の自死を経験した者が書いた文章はすくない。自死遺族は語ることができない。語ることが許されていないわけではない。彼らは、自ら語ることを禁じている。おそらくは山形も言うように、過剰な痛みの故に、無意識のうちに記憶を封じこめ、語ることだけでなく、思い出すことさえ止めているから。

悲しみを言葉で表わすことは、臨床心理学においても有益なこととされているらしい。だから最近では、悲しみや、トラウマを言葉にして語ることが積極的に行われている

確かにトラウマは、吐き出すことで一時的な解放感を得られるかもしれない。しかし目的は忘れてしまうことではない。悲痛な体験を自分の身体に埋め込み、同時に同じ時代に生きる他の人々と、自分のあとに生きていく人たちに理解してもらうためには、冷静で熟慮した表現も必要ではないだろうか。去っていった人たちの無念を伝えていくためにはなおさら、感情的に言葉つぶてをぶつけていくだけでは不十分だろう。


日本では、いやおそらく世界のどこでも、自死の文学はあっても、自死遺族のその後の人生を描いた作品は少ない。最近では、不幸なことに自死の件数が増加する一方、臨床医学の制度が定着しつつあるために、体験談こそ増えているけれども、体験を思想へ昇華させた作品を、私はなかなか見つけられないでいる。

一つ、これまでの読書から思い当たるのは森山啓『谷間の女たち』(新潮社、1989)。戦前にプロレタリア詩人として出発した作家が、八十歳を過ぎて書いたこの作品は、老いをまったく感じさせない青年のような瑞々しい文章で、幼い頃の原体験をふりかえる。森山もまた、封印された記憶に形を与えるために、長い長い時間をかけた。

森山と山形は、十歳になる前に母親を自死でなくしている。その経験を深めた彼らの作品に現われた、彼らの自死の受け止め方にも共通点がある。

精神分析や歴史背景など、大人になった自分の知識によって自死の原因を探求する、しかし原因の探求を通じて何らか解答を得られても、それをもって自分を含めた周囲の者や自死をした本人も責めない、つまり、自死の原因を外部の要因だけにも、本人の意思だけにも決めつけない、故人と二人きりで過ごした時間や、二人の間だけに交わされた言葉を大切にする、そして、これらのことを何度でも反芻し、その都度、自分の置かれた環境や時代のなかで、見つめなおす。

要するに、自死で亡くなった人を責めるでもなく、また悲しむばかりでもなく、自分の心のなかに生きつづける影として大切にしている点で、二人の作品は共通している。

こうした心理的な作業は、十分に自覚的ではない部分も少なくないし、自死の原因がわからないがゆえに繰り返し、堂々めぐりになっているのかもしれない。もう一つ、二つの作品に特徴的な共通点は、自死についての思索は孤独な独白になっていること。『死者と生者のラスト・サパー』では、調査をした砂漠に隠遁する修道士や、研究にヒントを与えてくれる友人、訪れた土地の人々との交流も綴られている。しかし、母親の追想は、父親や兄弟とさえ、共有されない。


本書のなかでも、誰も聴くことのなかった秘密の告白を聴く人が、たった一人いる。その人は、おそらくはイエスがそうしたように、励ましたり慰めたりするのではなく、静かに傍らに座り、食事をともにした。心に深い痛手を負った人の周囲では、このような態度が求められることも、最近では広く知られている。

山形が学問的に探求しようとした「治癒神イエス」は、ヒポクラテスのように外科手術で病気を治す神ではない。不治の病をはじめ、さまざまな理由で社会に見放され、生きていることに「一切の魅力を、一切の魅惑を失って」しまった人々を、励ますでもなく、慰めるでもなく、ただ、彼らの声にならない声を聴く人。遠藤周作の描いた「同伴者イエス」の姿にも、よく似ている。

家族の自死体験は、誰とも話し合うことができない。なぜ、言葉にすることができないのか。それは、生き残った者は、生き残った意味を考えれば考えるほど、立ち去った者が言い尽くせなかった言葉の前に、沈黙するほかないから。

   死者の胸のうちの、まるで呟きの反復でしかないような、あるいは、言い尽くすことのできない懐かしい溢れるおもいを死者たちは語る。生者は聴く。生者の心の水平線の彼方に、破片のように残っている物語の、ひとつひとつの空白を埋めるために聴く。死者の呟きに、生者はどのように答えればよいのか……。(「終章 死者のよみがえり」)

生き残った者はひとり、死者と交わせる言葉を、かつて交わした言葉を頼りに探しつづける。死者との孤独な黙契、と山形は呼んでいる。


孤独を強いる体験が、孤独を通じて死と生についての思索を促す。そのような促しに導かれ、孤愁と悲嘆と絶望に耐えながら、この作品は書かれたのだろう。

『死者と生者のラスト・サパー』は、私が『谷間の女たち』に続いてようやく見つけた「自死遺族の文学」と呼べる作品。二つの作品はいずれも、長い年月をかけて封印された記憶の蓋を溶かして書きあげられた。

なぜ長い時間が必要なのか。それは記憶の封印を溶かすために、思索と表現が熱く深いものでなければならないから。

   忘却にたいする記憶の闘いだけが、人間の魂に深みをあたえていくのだ。(「第一章 記憶と忘却」)

記憶の戦いが人間の魂に深みをもたらす。そして、魂の深みが記憶の封印を、それがどれほど強固で重厚であっても、おもむろに溶かす。これから先、生きていることに何の意味もないと思うような出来事を体験した彼らにとっては、書くという行為そのものが、記憶の戦いになった。

その記憶の戦いを、その悲嘆にくれてつぶやく声を、誰も聴くことがなかったとしても、いつかこうして読まれる日を、書かれた文章は、書き手の代りに待ちつづけてくれる