烏兎の箱庭――烏兎の庭 第二部 日誌
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2005年10月


10/1/2005/SAT

世界途中下車の旅、櫻井寛、PHP研究所、2003

世界の終着駅(テルミニ)へ、櫻井寛、PHP研究所、2004

日経新聞の連載コラムを単行本化した二冊。

鉄道写真家の撮った世界各地の駅や鉄道は残念ながら白黒。終着駅の写真は、しばらく前に読んだ植村正春パリ発 鉄道でめぐるヨーロッパ』(朝日新聞、1995)でも見た。櫻井の単行本を探したのは、この本を眺めていたせいもある。

久しぶりに快適な読書をした。

書名を引いたレスリー・カバーガ『デザイナーのための世界の配色ガイドを読み返してみると、行末の揃えができていないので、文節音節で行が移るように剪定しておく。

気まぐれで、最後に「すばらしい世界旅行」と書いた。こう書くだけで、久米明の声が聴こえてくる。それから番組最後に流れていた、秀夕木の歌う「この木なんの木」も。

終着駅はテルミニ。そういえば、いまこのメモを書いている場所、空港もターミナル。

明日へ続く。


10/2/2005/SUN

If Nathan Were Here, written by Mary Bahr, illustrated by Karen A. Jerome, Eerdmans, 2000

随想「101―ノーカル残像」を剪定。

ノーカルとは、ノース・カリフォルニアのこと。

先週は半年振りにシリコン・バレーに出張した。空いている時間に、二年前の6月に出張したときに書いた文章を書きなおした。

往きの機内では映画『四日間の奇蹟』を見た。紹介を読んでも配役を見ても、おそらく地上では見ることはない作品。飛行機に乗ると感傷的になるのか、こういう作品をふと見はじめて、そのまま最後まで見通してしまうことがある。


いったい、作品に固有の価値などあるのだろうか。何度も繰り返して考える。地上ではおそらく興味も持たず、見ても感想は書かず、書いても難じる言葉しか出てこないような作品でも、それを見たフライトの特別な思い出と一緒に記憶に残る。

評論家の評価やネットの感想はどうでもいい。表向き、彼らの酷評に同意さえする。それでも評価とは無関係に、忘れられない、そういう作品が確かにある。

ある人の演技とか、ある場面の音楽とか、ある台詞とか、そういう場合には、きわめて局所的だけれど深い、とげが刺さったような感動が残る。

作品がいいとか悪いとか、論じることになにか意味があるのだろうか。どんな気持ちで作品に出会うか、どんな気持ちで近づいたり離れたりするのか。そんな作品との関わり方がずっと重要ではないか。しかも、そういうことは自分で選ぶことができない。


いつか、同じような気持ちで、同じように機内で見た映画『秘密』。小林薫が広末涼子に投げかけた、最後の台詞は「ずっとお前だったのか」。新しい映画を見ながら、なぜかこの場面がずっと心に突き刺さっていることに気づいた。

認めたくはないけど、ときどき同じことを尋ねたくなるような気持ちになっているのかもしれない

結局のところ、作品とは黙って立っている石柱のようなものではなく、生きている人間と同じようなものではないか。嫌いになったつもりでも、憎みきれないこともあれば、憧れて背伸びしてつきあってみても、長続きしない関係もある。

帰路便で、二コール・キッドマン主演の新説『奥さまは魔女』をクスクスして見ながら、そんなことも考えた。


買い物はEarl Klughの新譜、“Naked Guitar”(Koch, 2005)とその隣りにあった未聴盤、“MOVE”(Warner Bros, 1994)。

劇中に流れる“Ding Dong the Witch is Dead”は新譜で、終幕に流れていたなつかしい主題曲“Bewitched”は、“The Earl Klugh Trio volume one”(Warner Bros, 1991)でも聴くことができる。

この映画とEarl Klughの音楽の共通点はポップであること

『奥さまは魔女』は、コメディ仕立てのなかに、大衆文学の王道ともいえる「秘密と告白」が組み込まれている。たくさんの軽妙な台詞のなかで、“I want to be normal!”という言葉だけは意外に重く響く。

気軽だけれど、お気楽ではない。


さくいん:シリコンバレーアール・クルー


10/3/2005/MON

書評「詩とことば」(荒川洋治、岩波書店、2004)を剪定

書評「詩とことば」(荒川洋治、岩波書店、2004)を剪定。最後の部分を推敲した。

以下削除

   おそらく、問題はどこではなく、いつ、どのように待っている言葉に出会うか。それではどうすれば、待っている言葉に出会えるのか。もしかすると、出会っているのに、気づいていないだけなのかもしれない。ではどうすれば、待っている言葉に気づくことができるのか。
  荒川洋治に会えたら、聴いてみたいことがたくさんある。

以下追記

   荒川とは、似たように感じていることを、違う表現でしているように思うことが少なくない。「書きたいと思うことを書くだけでなく、この時代に書いておかなければならないことを書きたい」ということを最近話していた。これは、おそらく「文学がすき」から出発している自分を戒めるための言葉でもあるのだろう。
  私は、たぶん荒川とは正反対の場所から出発している。文学に対する嫌悪感、社会科学や社会思想への親近感。
  自分の位置を消去して思考する場所から出発した私は、荒川とは反対に、徹底的に自分が思うがままに書くしかないと思っている。

荒川の言葉は先々週のTBSラジオ「にっぽん全国8時です」から。萩原朔太郎賞を受賞して、今後の抱負について、森本毅朗に聞かれて答えたもの。

雑誌『考える人』(新潮社)の最新号で、荒川は、鶴見俊輔と対談している。ここでも荒川は同じことを話している。新刊の詩集とエッセイ集は未読のまま。いずれまた。


10/8/2005/FRI

Naked Guitar, Earl Klugh, Koch, 2005

たまには、「好き好き好き」の勢いで書くのも楽しい。

それでも、Earl Klughの到達点は「ほとんど」としておいた。

彼が目指しているものは、たどりつけるものではないだろう。

点数にすれば、95点。芸術に満点はない。

これは、森忠明『きみはサヨナラ族か』(金の星社、1977)の登場人物、川原先生の言葉。

インプロヴィセイション(improvisation)という言葉は、Earl Klughについて書かれたサイトをまわっているうちに知った。「即興性」を表わすジャズ批評の基本用語らしい。

知らない言葉を安易に使うのはいけない、文章は自分の肌に染みついた言葉で書くもの、と思ってはいるけれど、こんな風に覚えたての言葉を織り込んでみるのも楽しい。

アルバムは先週の出張土産。いつも絵本を探す大型書店のなかにある音楽店で買った。書店では出たばかりのBilly Joelの評伝“Billy Joel: The Life & Times Of An Angry Young Man”(Hank Bordowitz, Billboard Books, 2005)も少し立ち読みしたけれど、今回は買わなかった。

CDはいつも帰国前夜、深夜まで営業している音楽店で買う。その後、最後の夜を楽しむワインを買いにスーパーへ行き、レジのわきにある“Weekly World News”を一緒に買う。

今回はいつもと宿が違ったので、違うスーパーへ。レジの手前には、ちゃんと毎週がエイプリル・フールのタブロイド新聞がおいてある。今週の見出しは、「タイタニック号の乗客、海底にいまも! 驚くべき生存秘話」。

Earl Klughの曲は、公式サイトを広げると流れてくる。


10/10/2005/MON

書評「世界途中下車の旅」を剪定。

書評「世界途中下車の旅」を剪定。

世界に散らばる日本の言葉や鉄道に出会う様子を書いた部分を、「砂漠のオアシスのように、こんなところというところで」から、「砂浜に流れ着いた椰子の実のように、思いもかけないところで」に推敲。

遠く旅したところで、聞きなれた言葉や新幹線0系のように乗りなれた鉄道に出会うことは、旅人の渇きを癒すかもしれない。しかし、著者が出会う鉄道は、オアシスのようなものばかりではない。満州国時代にできた駅や、日本軍が連合軍捕虜につくらせた橋もある。同じように、彼が出会う言葉には、大日本帝国が残していった日本語もあれば、世界のすみずみにまで出て行ったエコノミック・アニマルの日本語もある。

「砂浜に流れ着いた椰子の実」という言葉は、島崎藤村の詩から。

思いがけない出会い、懐かしさと入り混じる不安と疑念、想像しないではいられない椰子の実の流れてきた長い旅路。そんなことを考えると「オアシス」よりここでは似つかわしく感じた。


砂漠を歩いたことのない私には「オアシス」より「椰子の実」のほうが実感もある。UAの声とFM東京「にっぽんの歌」、最近では夏川りみの声でも聴いた。

椰子の実というと笑い話もある。小学四年生の冬、スイミングスクールの合宿旅行で大型プールのある温泉郷へ行った。家族と離れて泊まるのは、はじめてのこと。緊張とうれしさの相乗効果で、奇妙な土産をたくさん買って帰った。

元炭鉱町の温泉郷にあるはずのない椰子の実も、その一つ。「バナナ最中」と一緒にいまでも酒の肴になる。そういえばあのとき名前を彫ったキーホルダーも買って帰った。あれも、どこにでもあるみやげ物だった。いまはどこにあるか、わからない。

実感のある言葉だけを隙間なく積み重ねること。言葉というものは私にとってミルフィユでありまた記憶を封じこめたレンガでもある。


さくいん:島崎藤村夏川りみ


10/15/2005/SAT

雑評“Naked Guitar”を剪定

『ギター弾きの休日』の一語を追加。

今日は、一日中外にいて『トランペット吹きの休日』(ルロイ・アンダーソン作曲)を何度も聴いた。軽快なテンポとトランペットの高い音が澄み切った秋の空に似合う。

この曲は、図書館の催しで何度か見たことがある「人形劇団ポポロ」のオープニング・テーマ曲にもなっていた。

今週は新しい文章は書いていない。かわりに過去の文章を推敲。

書評「エクソフォニー――母語の外へ出る旅」(多和田葉子、岩波書店、2003)には、書評「在日外国人と帰化制度」(浅川晃広、新幹社、2003)へとつながるように、最後に一文追加。

書評「つぶやき岩の秘密」(新田次郎、新潮社、1972)は、書評「裏庭」(梨木香歩、理論社、1996)で始まる第二部の伏線となるように結語を推敲した。

ほかには、本箱に手持ちのEarl Klughのアルバムと、音楽のページで参照している曲の元アルバムを追加した。


10/16/2005/SUN

読書の階段、荒川洋治、毎日新聞、1999

言葉のラジオ、荒川洋治、竹村出版、1996

荒川洋治の書評集、エッセイ集の書評。内容は追記した書評「詩とことば」の続き。

書評は朝書いた。昼食後、ふと食卓のわきに置いたままになっていた荒川洋治編『新潮創刊一〇〇周年記念 名短篇』を手に取った。なにげなく開いたページを読む。椎名麟三「寒暖計」。純朴な青年が、殺伐とした日常から邪悪な闇へ堕ちていく夜。

「百年に会う――編集後記」を読むと、荒川自身も、この作品には特別な思い入れがあるらしい。「荒川の選ぶ小説には、それほど興味がわかない」と書いてからすぐ、彼の選んだ小説を読みふけることになった。

午後、長くサボっていたので、プールへ。快適な水圧と疲労の中で、これまであった邪悪な闇に引き寄せられた夜が思い出されてきた。

邪悪さと純真さとのあいだで苦しむ昌夫の姿は『ウルトラセブン』「第45話 円盤が来た」(川崎高・上原正三脚本、実相寺昭雄監督)でペロリンガ星人から地球を譲り渡すように吹き込まれた天文青年フクシンを思い出させる。

ふと、気づいた。いつの間にか手塚治虫『ブラックジャック』と同じように、『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』が私の思考枠組みの重要な部分になっている。最近も夏の旅行で撮った写真を見ていたら、大阪城の後ろにゴモラの姿が見えてきた。

城の前で、真新しい大阪城はゴモラに壊されたから建てなおしたと説き伏せたことを思い出した。


10/23/2005/SUN

雑評『刑事コロンボ 美食の報酬』を剪定。

雑評『刑事コロンボ 美食の報酬』を剪定。

夏休みに一人で見たビデオを再見。感想に少し加筆。

5月の連休は『ウルトラマン』、夏休みは『ウルトラセブン』と『カードキャプターさくら』戦隊ヒーロー。次々変わるマイブームならぬウチの boom。このところ週末の楽しみは『コロンボ』。

夏休み以降に見た作品とNHKでの放送年。

図書館で借りてきた、『刑事コロンボ 完全事件ファイル』(町田暁雄企画、別冊宝島、宝島社、2004)には、英語の謎本“Columbo Phile”に書かれていない裏話が書かれている。一度だけ予告編でPeter Folkの声をそのまま放送したら、以後字幕で見たいという要望が来なくなったという逸話は面白い。

小池朝雄あっての『刑事コロンボ』。声に加えて「ホトケさん」「カミサン」など独特のコロンボ語を散りばめた翻訳や、犯人を声高に追及する英語版にない演出など、日本語のドラマとしてすみずみまで手がかけられていることが、よくわかった。

マコのことは今回見なおして知った。一人で見たときには、ぼんやりしていて気づかなかった。悔しいので、文章のなかでは、その日のことにしておく。


さくいん:『刑事コロンボ』


10/28/2005/FRI

夕凪の街 桜の国、こうの史代、双葉社、2004

今週はシンガポールに出張した。日曜のおやつは家で食べていたのに、月曜の朝は熱帯のほの暗い朝で目覚める不思議。飛行時間は東京と九州の間の夜行バス程度。

山口瞳「江分利満氏の優雅な生活」に昭和30年代の出張の様子が書いてある。心理的な距離感でいえば、現代のシンガポール出張は、当時の東京から福岡まで行く出張くらいかもしれない。文章は、機内でメモを書き、空き時間に少しずつ書いた。

『夕凪の街』を読んでいたら、なぜか原民喜のことが思い出されてきて、古い文庫本『夏の花・心願の国』(大江健三郎解説、新潮文庫、1973)を出し、機内で読み返した。読んだことはあっても、あまり記憶に残っていなかった。『遠藤周作文学全集12 評論・エッセイⅠ』で、遠藤の書いた追悼文が心に残り、再読しよう、しなければと思っていたものの、なかなか読み出せずにいた。

機内で読むために、『森有正エッセー集成2』も持って行った。読みなれた本なので、蛍光ペンが引いてあるところだけを拾う。

よく知っている本を、ゆっくり読み返す。これも旅の楽しみ。


原は、妻をなくした1944年、39歳のとき『マルテの手記』を知ったと年譜にある。森も、リールケについて何度も書いている。

しかし「マルテの手記」は、一つのことを、人間が「自分」(原文傍点)に耐えることを本当に教えてくれた本として、僕にとって限りなく貴いものとして残るであろう。人間が「自分」(原文傍点)の重みに耐えかねて亡びようとする時、人はその中に生れた家や国や社会に「還り」(原文傍点)、それによって自分を支えようとする。「還り」(原文傍点)と言ったが、とにかく一応そこから出発しなければ、「自分」(原文傍点)がどれほど重いものかは決してわからないからだ。リールケの偉大は、この自分の重さそのものを、自己に吸収し尽し、逆に自己の抵抗の強さに転換したことだ。その時にはじめて人間は「自己」とは何であるかを知る。(「パリ 十一月二日(日)」(1958)「城門のかたわらにて」)

『マルテの手記』はまだ読んでいない。私には森有正の作品が「自分に耐えることを本当に教えてくれた本」。『エッセー集成2』の感想にも、そう書いた

原は自分の重みに耐え切れず、森は耐え切った。そういう単純な結論にはならない。きっと原にとっても『マルテの手記』は自分に耐えることを本当に教えただろうし、彼はその道を誠実に歩んでいたに違いない。

原民喜の最期は、一見、心の準備をしていたように見えるけれども、そういう行動をとること自体が視野狭窄であり、結果は不慮の事故だったと思う。


こうの史代が戦後60年を経て、さまざまな資料や先人の作品から学んで描きあげた出来事を、原民喜は被爆からわずか一年後に、自ら経験していながらもそれに溺れることなく、作品として書ききってしまた。そういう仕事ができたのは、彼に強靭な精神力があったからに違いない。

原民喜が潜り抜けてしまった踏切はもう今はない。高架になった井の頭通りを何事もなかったように自動車が潜り抜けていく。「心願の国」を読み返したくなかったのは、そのなかに私もいるから。

書評「エッセー集成」の終わりに書いた、いくつかの「立ち去る者」の名前に原民喜を加えるのはためらわれる。かといって、すでに記された名前は自分の重みに耐えかねて亡びた人たちと断言するつもりもない。並んでいるのは、十代の頃読み親しんだ名前。大人になって知った名前は、追加しないでおくことにする。

注記。「立ち去る者」という言葉は、原口統三『二十歳のエチュード』(1952、光芒社、2001)に寄せた森有正の文章の題名。図書館でこの本の新版を手に取り知った。「立ち去る者」の一人、原口の名前も二十歳を過ぎてから知った。

業務に一つケリがついたので、当分、あの街へ行くこともない。夜行便に乗るまでの間最後だからとはりきって外へ出るとあいにくの空模様。用心して遠出をやめると、案の定、雷とどしゃぶりの雨。

屋根のあるショッピング・モールをあてどもなく歩いた、マゼラン星人の少女マヤと別れたあとのモロボシ・ダンのように。


写真は、熱帯のスコールを浴びたガラス天井。

さくいん:森有正原民喜自死



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