土を掘る 烏兎の庭 第三部
表紙 > 目次 > 随想雑評書評絵本 > 文章

2.28.09

束の間の猶予期間に


2月末日で会社を退職することになった。2月の2週目から残っている、というより1月1日に付与されたばかりの有給休暇を使って休むことにした。

ほんとうは、切りよく4月1日入社としたかったのだけれど、先方からの要望もあり、3月2日の月曜日から新しい会社に出社する。思っていたよりも短い間隔になってしまった。このご時世、すぐに職にありつけることに感謝すべきだろう。

それでも2週間以上の休暇となると、就労中はほとんどありえない。束の間の猶予期間に何をしようか、考えてみると、新しいことは何も思いつかなかった。してみようと思ったこと、そして実際してみたことのほとんどがこうした転機に必ずすることだった。


ヘンリー・ブラウンの誕生日(Henry's Freedom Box, 2007)、Ellen Levine、Kadir Nelson、千葉茂樹、すずき出版、2008

クラウディアの祈り、村尾靖子文、小林豊絵、犬伏洋子ロシア語訳、ポプラ社、2008

まとまった時間ができると銀座へ行く。銀座の散歩コース、「私の銀ブラ」はほとんど決まっている。まず、いつも買う紳士服の店へ、並びはじめたばかりの春物のスーツを下見。今年は社会人になったときに買って以来20年近く着ている紺無地のスーツを買いなおそうと思っている。

その次は銀座通りに面した書店。何度も来ているけれども、最上階にある聖書博物館は、あることは知ってはいたものの中に入ったのは初めて。昨年、聖書学についての本を何冊か読んだので、パピルスなどに書かれた古い資料を一度見てみたくなった。

それから階段を降り各階で少しずつ立ち読み。児童書の売り場では2008年に出版された児童書と絵本がまとめて展示されていた。幸い、小さな椅子が置いてあったので、目についた絵本を手に取り、座って読みはじめた。


『ヘンリー・ブラウンの誕生日』は、これまで何冊も読んでいる千葉茂樹が訳者となっていたので目がとまった。奴隷制時代の米国で本当にあった南部脱走の逸話の一つ。

読後、気になったのは物語には書かれていなかったこと。そういうことはときどきある。目の前で連れ去られたヘンリーの妻や子どもはどうなったのだろう。ヘンリー・ブラウン自身、フィラデルフィアに着いてから、そのあと、どんな後半生を送ったのだろう。

一つの、小さなハッピーエンドのまわりに、数え切れない悲しい出来事があったことを想像しないではいられない。この絵本は、そんな想像をかきたてる。


『クラウディアの祈り』は、こちらも気に入っている絵本作家、小林豊が絵を描いている作品なので手に取った。

この作品は、同じように戦争の爪あとを題材にした映画『ひまわり』と似たような設定でありながら、まったく異なる結末へたどり着く。その結末に驚き、戸惑う。こんなの形があるのか、ありえるのだろうか。

この結末について、いまの私には何も言うことがない。「別れも愛の一つ」という映画『銀河鉄道999』の主題歌の一節を私の記憶から引用しておくことは難しいことではない。でも、それが何になるだろう。

クラウディアがどんな気持ちでヤコブを送り帰したか、ヤコブはどんな気持ちで祖国へ帰って行ったのか、あまりの重さに言葉を失う。感想も解説も、私には書けない。

似たモチーフの作品を探すこと、作品の主題を要約すること、そんなことは、このほんとうにあった話を受け止めることに比べれば、何でもない。

いま、私にとりあえず書けることは、『ぼくは弟とあるいた』『せかいいち うつくしい ぼくの村』、そして、『せかいいち うつくしい ぼくの村へかえる』を描いてきた小林豊が、さらに深く広い世界へ、絵本表現を押し進めているということ。

少子化の現代、絵本の市場が広がっているとは思えない。その一方で、絵本という表現が、単なる子ども向けの教材ではなくなっていることも確かだろう。絵本を読み聞かせてもらった世代が、大人になり、ただの懐かしさからではなく、一つの表現方法、絵と言葉を組み合わせた総合芸術として絵本を読んでいる。

新しいスタイルの絵本は市場を得るだろうか。その鍵は、作品の質は言うまでもなく、それを子ども向け、大人向けと分別するのではなく、ただ作品の質において正当に評価する批評が絵本市場に生まれるかによる、と言っても大げさではないと思う。


昭和の暮らし博物館、東京大田区

私は、東京都大田区にある本門寺の近くで生まれた。物心つく前に兵庫県西宮市へ引っ越してしまったので、東京生まれの実感はない。

時間ができたので、記憶にはない自分の生地と、その近くにあることを知った昭和の暮らし博物館を訪ねてみた。

戦後しばらくして建てられた家に昭和40年代ころまで使われていた生活用具が展示されている。北向きの台所、南向きの縁側、文机、足踏みミシン、そして、狭い便所。どれも、いまはもうない祖父母の家を思い出させるものだった。

汲み取り式便所は、一昨年の夏に旅した鳥取浦富海岸の民宿で私は再体験、子どもたちは初体験した。吊るしたバケツを下から弁を押し上げ水を出して手を洗っていたと、水洗に変わっているトイレに掲げられた説明を読んで、祖父母の家の玄関脇に吊るしてあったバケツの派手なピンク色を思い出した。いま思えば、それも昭和らしいだった。

祖父母の家の台所は、後で改装されたものの、私が幼い頃には座敷から低い土間になっていた。遊びに行ったのは、いつも日曜日。台所の手前にある薄暗い座敷に祖父は座っていた。夕方、お茶を飲みながら、輪島と北の湖の千秋楽の取り組みを見ていた。

本門寺界隈は坂の多い静かな住宅街。米屋と酒屋は変わっていない、と誘った両親、すなわち、ここで私を産み、育ててくれた年老いた二人は、ここへ来れば言葉にできないたくさんの思いがあるはずなのに、何も言わずに喜んだ表情を見せてくれた。

私は、いつまでも甘えん坊の末っ子のままでいる。


鉄道博物館、埼玉県さいたま市

自分の子どもには、自分が子ども時代に好きだったもの、いま自分が楽しんでいるものを押し付けではと思うほど与えてきた『ウルトラマン』『未来少年コナン』Billy Joel、『ガラスの仮面』『刑事コロンボ』MLBNBA……。

ほとんどのものには興味を示し、体験を共有してきたけれど、鉄道クルマにだけはまったく興味が湧かないみたい。ダイヤブロックとミクロマンで私がたくさん遊んだように、レゴとシルヴァニア・ファミリーでは、二人ともよく遊んでいたけれど、プラレールやミニカーではほとんど遊ばなかった。

鉄道博物館は万世橋にあったときにも行ったことがあったし、大宮で新装開館したときから行きたいと思っていた。でも、家族は誘ってもつれないので、仕方なく一人で行くことにした。

ポスターを見て期待していたほどには広くはなかった。面白かったのは、明治時代の御料車と東京から下関までを25時間かけて走った最初の寝台特急、富士の客車。下関から釜山、長春からシベリア鉄道を通ってベルリンまで、それまでの船による旅よりもずっと時間は短縮化されたという。

どの時代のことを学んでみても、私が思っていた以上に人々は遠くに移動している。もちろん、その数は現代ほどは多くない。でも、ずっと昔から人々が世界中を行き来していたこと、その事実にいつも驚かされる。

初期の御料車には、天皇自ら運転士に速度を指示できるような仕掛けがあったと原武史の本で読んだことがある。やがてダイヤが過密になって、天皇といえども、移動する速度を自由にはできなくなった。文明開化以降の産業化が政治的な権威を吸い込んでしまったという指摘が印象に残っている。


カトリック教会と性の歴史(Eunuchen für das Himmelreich. Katholische Kirche und Sexualität, 1988)、Uta Ranke‐Heinemann、高木昌史・松島富美代・高木万里子訳、三交社、1996

内村鑑三(1953)、森有正、講談社学芸文庫、1976

転機が訪れると、必ず訪れる店がある。転機のときには、たいていちょっと時間が空くので、単純にすこし時間ができたとき、ふと足が向いてしまう場所。一軒は、銀座にあるライブハウス。もう一軒は、蕎麦屋(そば屋ではなく、蕎麦屋と漢字で書いたのは、中島みゆきの曲を思い出したから)。

最初の子が生まれたときも、なぜか、この店の冷やしたぬきが食べたくなり、病院からクルマを飛ばして食べに来た。それより2年前、ほぼ3年間かけて書いた拙い論文を提出したあとも。今回は、自転車に乗って食べに行った。

この店の売りは美味しいことは言うまでもなく、量が多いこと。ふつう盛りでも気取った高級店の大盛りより多い。中盛りで2倍、大盛りはふつう盛りの3倍という。運ばれてくる巨大なモンブラン・ケーキのようなもりそばを見るだけで満腹になってくる。だから、この店では他の客を見ないようにする。私は、中盛りを食べるのが精一杯。今回も、自分の器に集中して、なんとか完食した。


そのあと、自転車を飛ばして、かつてクルマで通っていた学校へ行ってみた。ここへは2004年2月最初の金曜日にも来た。そのときは中島知久平が終戦の日を迎えた古い屋敷跡で、この場所のことも書いてある『森有正エッセー集成5』を読み返した。春休みと入試期間でキャンパスは静か。梅の花のほのかな香りのなかを歩く。今年は、何も読む本は持ってこなかった。

だから、学校の図書館で少しの時間を過ごした。といっても、たくさんの本を読むような余裕はない。開架棚のあいだを背表紙を眺めながら歩く。ここで目に止まるのは、公共図書館では見かけることの少ないキリスト教関係の専門書。時間はあまりなかったので目についた本を走り読み。

『カトリック教会の性と歴史』は、女性で初めてカトリック神学の教授となった人という。本書では、カトリック教会がいかに人間にとって自然な性を抑圧し、また女性を蔑視してきたか、厳しい論調で明らかにしていく。

今月、ヴァチカンでガリレオを称えるミサが行われたと新聞で読んだ。天動説を揺るぎない教義としていたカトリック教会は地動説を曲げなかったガリレオを弾圧し、破門した。彼の名誉が復権されたのは、つい最近のこと。

著者は、聖母マリアの処女懐胎に疑義を申し立てたために、本書が刊行されてから、神学教授の任を解かれたと解説に書かれていた。


科学が、処女懐胎を認めることはありえない。しかし、天動説のように絶対に間違っているとも言えないのではないか。一人だけに、マリア一人に、そのような奇跡が起きたと主張することもできるのだから。

しかし、処女懐胎は聖書に記されている奇跡の一つでは済まされない、キリスト教の根幹に関わる教義。言葉をかえれば、そこを源にして性の抑圧や女性蔑視が生まれている。処女懐胎を否定するだけでは、さまざまなジェンダーの問題の解決にはならない。また、女性の地位や同性愛の問題を肯定的に突き詰めていけば、いずれは処女懐胎の問題に直面することは避けられないだろう。

カトリック教会が処女懐胎を否定する日は、果たして来るだろうか? 本書を読んで、少なくともそれを求めている人が、すでにカトリック教会の内部にいることはわかった。


森有正の内村鑑三論には、「原型」という言葉が繰り返し使われている。渡仏以前に書かれた本書では、後に彼の思想の根幹をなす「経験」という言葉は使われていない。

「原型」という言葉からは、「遡る」「原点にたちかえる」といった含意を読み取ることができる。とすれば、この言葉は、彼が半生を費やした思索の出発点となった「バビロンの流れのほとりにて」の冒頭の言葉と結びつけてみても、あながち間違いではないだろう。

一つの生涯というものは、その過程を営む、生命の稚い日に、すでに、その本質において、残るところなく、露れているのではないだろうか

「原型」という言葉を、「経験」という概念の萌芽としてとらえらるならば、また「経験」という言葉に「原型」という基礎を見出すならば、森有正の思索における「経験」という語がもつニュアンスがこれまでとはすこし違って、より一段と深い言葉として感じられてくる。


大川美術館、群馬県桐生市

大川美術館 所蔵192選 松本竣介をめぐる近代洋画の展望、大川栄二編著、財団法人大川美術館、1989

新・美術館の窓から 扉を開ければ心が洗われる——地方都市・桐生からロマンの幕はおろせない大川美術館、大川栄二、財界研究所、2004

大川美術館は、前々から行ってみたい美術館だった。松本竣介の主要作品の多くがここにあることも知っていた。加えて、野田英夫、国吉康夫、清水登之ら、1930年代にアメリカで活躍した画家の作品がここにあることも知っていた。

大川美術館は、何かの事業で一代を成した人、口悪く言えば、成金が道楽で建てた美術館と思っていた。ところが、来てみると、ここは一人のサラリーマンが忙しい心を洗うために、こつこつと買い集めた絵を自ら美術館を創り、展示した場所だったということを、この場所へ来てはじめて知った。

画壇の評価も価格も無視して、自分の感性だけを頼りに探し出してきたコレクションの森を歩いていると、大川栄二という人がどんな絵を好んでいたのか、わかってくるような気がしてくる。そして、大川栄二がどんな人なのかも、コレクションは伝えてくれる。


大川は「絵は人格」と言う。この箴言には補足が必要だろう。素人がただ絵を描いてもそこに人格が顕れるわけではない。また、一見、矛盾しているけれど、素人が描いた絵には、その人が意図していなかった素性が出てしまうことがある。「お里が知れる」という言葉は、そういう事態を説明している。

人格は、画家自身がそこに人格を込めようと努力してはじめてそこに顕れる。そうするために、画家は技術を高め、精神を高めようと鍛錬を重ねる。作者の人間の深さと技術の高さが均衡して結びついたとき、作品が生まれる。大川が「人格」と呼ぶものを、私は「スタイル」と呼ぶ

「体験は、それだけでは経験とは言えない」という森有正の言葉や、「一つの経験は、別の経験によって乗り越えられなければならない」という吉田満の言葉も、ほとんど同じことを意味していると私は思う。


作品をゆっくり見ていると、大川が選んだ「青」に私は惹かれていることに気づいた。戦時下の民衆のとまどいとしたたかさを表した松本竣介「街」の青、人生の艱難辛苦を乗り越えた末にたどりついた鮮やかな難波田龍起「コバルト・ブルーの歌」の青、そして清水登之「パリの床屋」にある、整髪料をしまった戸棚だろうか、ガラスを描いた水色に近い明るい青。

松本竣介と清水登之は、作品や経歴だけを見れば、正反対の画家に見えるかもしれない。松本は外国に出たことはなかった。そして、戦中にも、押しつぶされそうな時代に抗うような、重苦しくも理知的な絵を描いた。一方、清水は暗い時代の前に米国に渡り、明るい画風で成功を収め、帰国後、「非常時」となってからは積極的に戦争画を描いた。

表面的には正反対の性格に見える、そんな二人に同時に魅かれて、作品を集める。そこに個人コレクションの面白さがある。個人コレクターにとっては、作品だけがすべて。気に入った絵や画家が世間では反対の評価を与えられていても関係ない。

同時に、世間では正反対や無関係に思われている画家の作品を個人コレクションを通じて見ると、そこに何かのつながりが見えてくる。作品や経歴を超えた、言ってみれば人間的なつながりが見えてくる。そういうことを『大手拓次詩集』を編んだ原子朗から私は学んだ。


展示の片隅で、大川栄二が昨年亡くなっていたことを知った。絵に興味をもちはじめるきっかけになった雑誌の表紙の切り抜きや、これまでに来館した著名人と並んだ写真が飾ってある。

大川は絵を見ることを「心の洗濯」という。これは言い得て妙。

絵を描くことは精神分析やセラピーにも用いられる。絵を見ることも、少なくとも私にとっては、信頼している医師の精神療法と同じくらいの効用があるように思える。

「絵は人格」というのであれば、「人格」をもっていると信じた作品を深い愛情と自分に許された財力で集めた「コレクション」もまた、「人格」であると言えないだろうか。

大川栄二は、もうこの世にはいない。でも、整然と並べられたコレクションを見終えて、私は確かに一人の人格に出会えた気がした。

生きているイエスに会うことはかなわなかったけれども、確かにキリストのペルソナに出会うことができた“四人目の博士”、アルタバンも、きっとこんな気持ちになったのではないか、帰り道、そんな想像をした。


キセキ、GReeeeN、NAYUTAWAVE RECORDS、2008

息子が風呂場で、呪文お経のようにもごもごと何かを唱えている。尋ねてみると、「キセキ」という歌だという。給食の時間にもよく流れているという。去年、テレビドラマの主題歌になっていたという。

そこまで言うなら、とレンタル店で借りてきた。これまでに聴いたことのないタイプの音楽だった。ところが、あとを引くというのか、癖になるというのか、あるいはハマる、というのか、それから2月のあいだ、何十回、何百回と飽きることもなく繰り返し聴いた。

2月の最終週、今回会社を辞めることになった「仲間」と「卒業旅行」と銘打って旅行に出かけた。

驚きや悔しさを共有し、法律の情報を交換し、慰めあい、励ましあった。たった2年で会社を去ることになるとは思ってもみなかったし、辞めることになってはじめて「仲間」ができるとは思いもよらなかった。

宴会で、「この2年のあいだで最後の一ヶ月が一番楽しかった」と話したら、皆、大笑いしながらも、うなづいてくれた。

覚えたての「キセキ」は上手くは歌えなかった。でも、これから先、何年、何十年とこの歌を聴くたびに、この「最後の一ヶ月」のことを思い出すだろう。

楽しい日々だけが人生じゃない
唇噛みしめる日々も必要じゃない
きっとそれがわかれば、それが君のスタート(「道」)

そんな歌も、今月は何十回、何百回と繰り返して聴いた。



uto_midoriXyahoo.co.jp