大手拓次詩集、原子朗編、岩波文庫、1991


荒川洋治が『日記をつける』『文学が好き』で取り上げていた象徴派の詩人。毎週読んでいる出久根達郎の新聞随筆「レターの三枚目」にも登場したので、詩集を手にとってみた。

大手は、1887年(明治20年)、群馬県碓氷郡、いまの磯辺温泉に生まれ、1934年(昭和9年)に亡くなっている。旺盛な詩作、執筆にもかかわらず、生前には雑誌寄稿を除いて作品は刊行されなかった。

詩を読むには慣れが必要。これも荒川洋治の言葉。詩はわかるところだけを読めばいい。ところが読み慣れないと、わかるところがわからない。ついすべてを読もうとするとかえって混乱する。

詩人の教えに従い、思い切ってわからないところ、想像が膨らまないところは読み飛ばすことにした。初めは象徴的な技法の短詩に馴染めず、後半にまとめられた散文詩を面白く感じた。「ひとつの言葉」という惹句から思いもつかない世界へ次々と言葉が飛んでいく「噴水の上に眠るものの声」は、読んでいて新鮮な驚きがある。久しぶりに詩を読む楽しさを感じた。とくに最後の段。

ひとつの言葉をえらぶにあたり、私は自らの天真にふるへつつ、六つの指を用いる。すなはち、視覚の指、聴覚の指、嗅覚の指、味覚の指、触覚の指、温覚の指である。

六番目の温覚の指が、こちらの日常的な感覚を揺さぶる。以下、次々と聞いたことも、想像したこともない「指」が現れる。読んでいると言葉に喚起される無数の小さな映像が脳裏でぐじゃぐじゃの絵になる。荒川が引用した広告についての論文でも、大手は同じように未知の概念を無数に創り出していた(「論文の『香り』」『文学が好き』(旬報社、2001)。

この後、散文詩が脳の柔軟体操になり、他の詩の多くも読むことができた。

ところで、この詩集では、編者であり、自身、詩人でもある原子朗による解説に、詩の読み方だけでなく、あらゆる「作品」への関わり方について、示唆深いことが書かれている。

詩人にとっては、しかし、作品こそがすべてで、詩人その人が教養派であろうと、なかろうと、また生ま身の閲歴が悲劇的であろうと、あるいは輝かしかろうと、そうした生ま身のほうから詩は理解されるべきでないことは、いうまでもない。まして、詩が読まれるのに、誤解や伝説的偏見が先入主の役わりをするのであれば、詩はなかば死んだものになる。逆に詩は深く味わわれてゆくにつれて、ことばから、ことばの間から生じる謎が、私たちに語りかけてくる。その痕跡が、しだいに集積され、厚みをおびてきて、詩人の真実をいやおうなしに読者に浮びあがらせてくる。それがまた痕跡に曲折と深みを与えずにはいない。私たちは作者である詩人像をまったく無化してしまうことはできないのである。

大手は、従来、厚い伝説の雲に覆われた詩人だった。私が大手を知るきっかけになった文章も、そうした伝説を少なからず踏襲していたことは否定できない。しかし、伝説や広告や紹介なくして、作品に出会うことは、まずない。

伝説によって作品を知り、まずは伝説を忘れようとする。まとわりついたほこりを払い、作品を見つめる。そうして作品を深く見つめることにより、次第に伝説のはがれた作品と作者が浮かび上がる。その時、見る者の心に映るものは、もう伝説ではない。作品それ自体、作者その人。そこで初めて個性が理解できる。

けれども、作品や作者の個性を、見る者が自分の言葉で表現しようとするとき、今度は見る者の表現、鑑賞者のスタイルが、作品にまた違った伝説をかぶせてしまう。作品に固有の価値をつかもうとすることが批評ならば、自分の言葉で表現する限り、けっして作品そのものを批評することはできない。だから批評は、作品そのものを見出しながら作品そのものを表現しきれない矛盾をばねにして、作品と自己を往復する自己批評という精神の運動になる。

そして、その批評が、また誰かにとって伝説となる。その伝説がまた新たな鑑賞と批評を生む。作品はこうして伝播し、あるものは忘れられ、あるものは磨耗する。数え切れない批評と伝説を通り抜けても、まだ批評と伝説の源泉となる作品。それが古典となるのだろう。

古典は、ありがたがって飾るものではない。思う存分、叩くものである。


碧岡烏兎