2003年10月

10/1/2003/WED

きのうの荒川洋治。文豪と新聞社の関係。明治の文豪は新聞社との関わりが深い。顧問や社員、すなわち専属作家となって連載を書いた人が多い。

二葉亭四迷もその一人。今の外語大の教授を辞して筆一本で暮らしていくことになったあと、朝日新聞社員となった。ところが、彼自身はあまり小説を書きたくはなかった。だから同じように一高教授から社員となった夏目漱石を敵視することなく、むしろ温かく迎えた。

すでに「猫」「坊ちゃん」で名を知られていた漱石は、一般人の平均年収が700円と言われる当時、すでに年に2,800円を稼いでいた。しかし養う家族や親類縁者も少なくなく、けっして裕福ではなかった。

入社にあたって漱石が出した条件。作品は、すべて掲載すること。内容、量、時期は漱石の自由とすること、年棒2,400円とし、ボーナスは別にすること。

こうした法外な条件を朝日はのんだ。その後、漱石は亡くなるまでの十年間、今では文学史上に金字塔といわれる作品を新聞連載小説として書き続けた。

今では新聞社と作家は専属関係ではない。それでも新聞には、新しい作家を発掘し、その文章を掲載し、育てていく責任がある。

荒川が提起しているのは、パトロン(patronage)の問題といえる。かつて貧富の差が今よりも大きかった時代、新聞社だけでなく、個人として芸術家を支えた人がいた。彼らの多くは漱石を支えた朝日新聞のように、作品に口を出さず、無条件で生活と表現活動を支援した。言い換えれば、個々の作品の良し悪しや、そもそもその芸術家の表現に普遍的価値があるのかどうかは、問題とはならなかった。その意味では、パトロン個人の道楽でもあった。

現代では芸術はもっと社会的な文脈でとらえられている。一般的に、いい作品は多くの人が認めるものだと思われているのではないか。度が過ぎると、いいものは売れるとまで思われている。また、かつてほど破天荒な表現者、破綻した芸術家も少ないように感じる。つまり、表現者といえども、表現内容だけでなくある程度社会人としての資質も問われるようになっている。そして社会全体から評価を受けるものと思われている。

19世紀の画家クールベは、世界には、自分の芸術を理解し、養ってくれる人が一人いれば充分、そして少なくとも一人はいるはずと信じていたという。今、芸術を志す人でこういう意識を持つ人はあまりいないだろう。

こうした事態は、社会がある程度、平等に、また均質になったためといえる。明治や大正時代では、社長とヒラ社員の給料差は今よりずっと大きかったと聞く。夏目漱石の小説にも、何もしないで暮らしていける高等遊民が多く登場する。社会の平等化と均質化が進む一方、芸術もこじんまりとしてきたと言えなくもない。

現代はまた、貧富の格差が拡大しつつあるとも言われる。芸術はそこで、時代の偏見を越えたパトロンを得ることができるだろうか。それとも、他力本願ではなくて、表現者自身による自助努力が新しい芸術をつくるのだろうか。


10/2/2003/THU

夕べは兵庫に泊まった。久しぶりに新幹線に乗った。高速列車は旅情を失わせたと言うけれど、1時間たらずの飛行で到着する飛行機に比べれば、2時間半はまだ長い。投稿書評で稼いだポイントで荒川洋治の新刊『忘れられる過去』(みすず書房、2003)を入手し、車内で読む。本のなかで、荒川も新幹線に乗って本を読んでいる。空いている席に座って本を読んでいる詩人を想像してみる。

平日の新幹線は、ほとんどがビジネス客。朝9時ののぞみでも、ビールを飲んでいる人がいる。半分旅気分なのか、仕事を終えて帰宅するだけなのか。ビールでなくても、新幹線では何かを飲み食いしている人が多い。私も、帰りは久しぶりに駅弁を食べた。夏休みなどに、家族連れがいると、和やかな雰囲気にもなるが、険しい顔やくたびれて眠る顔ばかりに囲まれて、家族旅行の楽しさも半減してか、少し困った顔をしている。

飛行機のほうが時間は短いけれど、仕事以外で乗っている人が多い。ビールも機内で売られているが、新幹線のように宴会を開いている人は見たことがない。みんな少し緊張した面持ちでいる。どんなに航空機が普及しても、何度も乗って乗りなれたつもりでていても、そして事故率は自動車の比ではないと頭ではわかっていても、飛ぶときは誰でも緊張する。国内便のわずか一時間たらずの飛行でも、10時間以上飛行する国際線と同じように、安全装置の案内があり、機内雑誌が置かれ、イヤホンで音楽が聴け、飲物のサービスがある。このあたりに、緊張感とともに旅らしい雰囲気をつくりだす要因がある

土曜日夕方のTBSラジオ『宮川賢のパカパカ90分』。先週は、これまでのバカ大人の傑作集。新婚旅行で初めて飛行機に乗った際、夫に「離陸中の酸素補給」とだまされ、備え付けのイヤホンを鼻につっこんだ新妻がいた。大笑いのあとで、飛行機はまだまだ極度の緊張を強いる乗り物なのかもと思いなおした。草履を脱いで汽車に乗ったという話は、今ではもう笑い話ではなく昔話になっている。飛行機では、乗り慣れてないようにみえる人がまだ少なくない。

話のタネに新設された品川駅で乗り換えてみた。改札口が小さく、山手線のホームが近くて便利。でも、終着駅のひとつ前で降りてしまうのが、ものたりないような、もったいないような感じもする。京阪で淀屋橋まで行かずに京橋で降りてしまうときに似ている。東横線で桜木町まで行かず横浜で降りるときも、こんな気分だった。

9/20の身辺抄に追記。


10/3/2003/FRI

OLIVE、松任谷由実、Express、東芝EMI、1979

このアルバムは、ずっと初期の作品だと思っていた。音作りの面からも、歌詞の面からも、『流線型’80』の前に感じられる。この頃、ユーミンは一年に二枚ずつアルバムを出している。それぞれ個性的であるだけでなく、商業的に成功していたのだから、時代に愛されていたと言えるだろう。

初期の作品と共通するのは、陰のある言葉と感傷を排した乾いた音楽。「ツバメのように」はデビュー曲「ひこうき雲」と同じ主題。この主題は「12階の恋人」(『流線型’80』)では、より都会的な感覚を装っている。このアルバムでは不条理を強く打ち出している。

最後の曲「りんごのにおいと風の国」は、同じように感傷的な曲のなかでも「かんらん車」(『流線型’80』)よりも、『ミスリム』の最終曲「旅立つ秋」に雰囲気が似ている。

今でも記憶に残る言葉。

私は十三 初恋なくして もう恋はみんな同じ
そのうち誰かが火星に降りても もう驚かないでしょう(「未来は霧の中」)

終わっている世界に生きる。終わっているはずなのに、また世界の始まりと終わりを繰り返す。すでに終わっていると思うこと、言葉をかえれば世界への絶対的な無関心は逆説的に心の強さにもなる

世界はすでに終わっていると思いながら、今いる世界に生きる。そうすることが新しい世界をその場に生み出す。絶望の極点は、希望の始点。この曲はそこまで明言してはいない。でも、もしほんとうに何ごとにも驚かないなら、こうして歌をつくる必要もなかったはず。この歌を書いたことじたい、絶望から希望が生まれた証拠。ユーミンの反語ではないだろうか。

絵本短評“Home in the sky”を植栽。


10/4/2003/SAT

団地の集会所で葬儀が行われていた。ここへ来てからはじめて見る。土曜の午後、広場では子どもたちが歓声をあげているなか、焼香する人たちが行き交う。一瞬、奇妙な光景に見えて、ためらう。これは奇妙な光景だろうか。

近頃、都会では、葬儀は専門式場で行われるのが通例。亡くなるのは病院、弔われるのは専門会場。生まれるのは病院。結婚式もホテルや専門式場。そのような一生にとって、「家」とは、もはや食う寝るところに過ぎない。

専門式場でのお別れに比べれば、暮らしてきた団地の集会所でのお別れは、家族にとっても、おそらくは本人にとっても、この場所に生きた意味をかみしめるひと時になるだろう。また周囲の人々も、この場所は人々が暮らす場所、すなわち生き、死んでいく場所であることをあらためて思い知ることになるだろう。

そう思いながら、葬儀はまったく知らない人のために行われていることに気づいた。実は、この団地のなかに顔見知りは一人もいない。何よりそのことが奇妙ではないか。知らない人だから、すぐそばで悲しみに沈んでいる人がいても、子どもたちは何ごともないように遊んでいる。奇妙なのは、人々の場所への関わりの浅さ、同じ場所に暮らす人々への関わりの薄さ。もちろん、人々とは、私自身を含めて。

bk1に書評、荒川洋治『忘れられる過去』(みすず書房、2003)を投稿。植栽は後日


10/5/2003/SUN

サラヴァ!(Saravah!)(1978)、高橋ユキヒロ、音楽市場、キング、1995

YMOが再結成されるらしい。休日の午後や運転しながら、ときどき思い出したように、このアルバムを聴く。ずっと探していたところ、数年前、古レコード屋で偶然コンパクト・ディスクを見つけた。

YMOの音楽は、あるラジオ番組と一緒に記憶されている。NHK-FM『サウンド・オブ・ポップス』。いまの『ベスト・オブ・クラシック』の時間、午後七時のニュースの後に流れていた。

テクノポリスの大ヒットを受けて組まれた五日連続の特集番組。たぶん1980年後半のこと。正確な時期は覚えていない。エアチェックしたカセットテープも、なくしてしまった。その割に、かかった音楽はよく覚えている。YMOの最新曲だけでなく、YMOに至るまでそれぞれどんな活動をしていたかも日替わりで特集された。

「イエロー・マジック・カーニバル」(Tin-Pan-Alley)、このアルバムに収録されている「サラヴァ!」「サンセット」、それから「音楽殺人」「Stop in the name of love」(高橋ユキヒロ)、「千のナイフ」(坂本龍一)

案内役は、糸井重里。そのまま『増殖』や『スネークマンショー』に使えそうな、まるで会話にならない、人を食ったようなインタビューも覚えている。

このアルバムは、西銀座の古レコード屋で見つけた。たぶん、こういうことはみんな、書いておかなければ、次第に忘れていくだろう。


10/6/2003/MON

Live in Central Park (1982), Simon and Garfunkel, CBS, Sony, 1988

夢ムック 文藝別冊 総特集 サイモン&ガーファンクル、河出書房新社、2003

昨日書いたYMOだけでなく、サイモン&ガーファンクルも再結成、いや再再結成すると聞いた。私にとってのS&Gは、ほとんどこの一枚。テレビでコンサートの様子を見て、その後、レコードを買った。コンパクト・ディスクももっている。「スカボロ・フェア」は学校のクラブで練習した。楽譜集も買ってみた。他のアルバムも聴いてみたけれど、今でも一番聴くのはこのアルバム。

中学校の教室の片隅。最後に歌われる「サウンド・オブ・サイレンス」の出だしが合わない二人を友人と真似していた。今年出版されたムックを立ち読みしてみると、幼なじみだったポール・サイモンとアート・ガーファンクルは印税の配分などから仲違いしていて、この再結成コンサートでも、構成や編曲に関して意見が合わなかったらしい。

ふだんラジオを聴いていると、司会者とゲストや、二人組の司会の間柄がうまくいっているか、声だけでも何となく伝わってくる。記憶に残る、二人の出だしがずれる、“Hello, darkness, my old firend”。二人の息が合っていないことを暗示しているように、今聴くと感じる。

レコードには収録されていなかったが、暴漢がステージ上のポール・サイモンに襲いかかるなど、このコンサートは、表向き楽しげに飾られた同窓会の雰囲気とは裏腹に、緊迫感のある舞台裏だったらしい。暴漢のことは、レコードの解説でも触れられている。先日、衛星放送で再放送されたときには、省略されずに映っていた。

“American tune”“Still crazy after all these years”、それから“Fifty ways to leave your lover”と“Sound of Silence”。ポール・サイモンの歌詞には、一曲一曲思うところがある。また書くときがあるだろう


10/7/2003/TUE

日経新聞、10月3日、金曜日の夕刊。神戸製鋼ラグビー部の平尾誠二が、興味深いことを書いている。平尾は高校時代、豪州代表に互角以上に戦っていたのに、年齢が高まるにつれ、優劣は逆転した。その理由を、彼は両国のスポーツ観の違いにみる。

日本はスポーツが「体育」の授業に織り込まれ、義務教育の一環。子どもは親から「根性つけてもらえ」「鍛えてもらえ」と言われ、部活などで暗く長い練習を自分の意思に反して強いられる。次第に創造力が失われ、精神的にも燃え尽きてしまう

この後、平尾は、自身が体験したオーストラリア、イギリスでは、スポーツは基本的に楽しむものと考えられており、練習も選手たちの自主性にまかされているために意欲が衰えることがない、と述べている。

よその国でうまくいっているかどうかはわからない。それはともかく、指摘されたように日本の学校教育に組み込まれたスポーツには弊害が少なくないと、私自身の部活動の体験を顧みても思う

時間をおいて感想を書こうと記事の切り抜きだけしておいたところ、今朝読んだ朝日新聞で、スポーツ意識の世論調査に添えられた談話で、スキーヤー荻原健二も、「日本ではスポーツが『遊び』というより体育の延長にあり、楽しむことが少ない」と、平尾とまったく同じことを述べている。

私のように部活動だけで学校スポーツを終えた人間だけでなく、平尾や荻原のようにスポーツ選手として第一線で活躍した人までが、生徒、学生時代にはスポーツを楽しむことを知らなかったというのでは、よほど問題は深刻なのではないか。

オリンピックや世界選手権などの報道を見て、以前から思う疑問。メダリストに、医学部の学生がいたり、国代表に弁護士など専門職が入っていることがある。こうした例は日本ではあまり聞かない。

荻原がいみじくも指摘するように、他国の場合、スポーツは「遊び」であり、ある程度裕福でないと一流になるほど練習できない一面もあるのだろう。水泳、ゴルフ、テニス、スケートのように道具や場所に費用がかかったり、プレイすること自体が社会的地位と関連付けられているスポーツでは、とくにその傾向が顕著。後進国、途上国からオリンピックに参加する選手は、今でも富裕なエリート層が多いと聞く。

日本の場合でも、かつて大学野球が職業野球より人気を博していた時代は、「学生」というステータスとスポーツという高度な遊びが混ざり合って人気を作り出していたようにもみえる。それがどこかで、国の健康、衛生政策や兵卒の体力向上とからみ、さらには竹内洋が分析した教養文化に対抗するバンカラ文化と混合して、体育会系という奇妙な伝統をつくりあげてしまったのではないか。

外国と日本のどちらがいいというものではない。世界のどこでも、同じように相反する傾向が見られる。つまり、スポーツは一方で裕福な人の自己投資、他方ではアメリカン・ドリームのように立身出世の手段。

いずれの場合も、生涯スポーツ、自己鍛錬、身体的教養、そういう考えからは離れている。二人の元一流選手も、ただ外国がいいと言っているわけではない。自分たちが「体育」や「部活」を越えて見つけた、スポーツ本来の楽しさを訴えたいのだろう。

言葉を聞いて理解はできても、「体育」と「部活」に飼い慣らされてしまった身体には、スポーツを楽しむという単純なことが難しい。

温泉旅館でラケットを持つだけでも、苦々しい気持ちになるのだから。


10/8/2003/WED

梅田駅から阪急電車に乗る。プラットフォームに同じ色の電車が並んで壮観。

走り出すと転轍機のうえで、電車は蛇のようにくねる。この揺られ方が、なつかしい。ふり返ると大きく口をあけた始発駅。近鉄の上本町駅、名古屋駅。東急の渋谷駅。いくつかの始発駅が思い出される。

同じ始発・終着駅でも、ホームの少ない東急の桜木町駅や、井の頭線の渋谷駅には大規模な転轍機はない。いくつもの線路が上下線入り混じる転轍機は、終着駅の要でもある。

まだ幼稚園に通っていたころ、プラレールの転轍機をねだっていたら、母親に買ってもらった日に父親も買ってきて、二倍うれしく思ったことがあった。始発駅、終着駅への思い入れは、その頃に根がありそう。

転轍機を渡って電車がぐらりと揺れたとき、何か特別なことを思い出しかけたような気がした。真直ぐ走り出してからは、まして電車を降りてからは、どうしても思い出せない。

書評「大手拓次詩集」を植栽。荒川洋治『忘れられる過去』は、詩についての文章を多く含む。詩について考え、詩を読むきっかけになった。

批評「極刑は仇討ちになるか」を植栽。


10/9/2003/THU

NO SIDE、松任谷由実、Express、東芝EMI、1984

アルバム名は、“NO SIDE”。収録曲は、「ノーサイド」。この曲は、ユーミンの歌を聴く前に、麗美の歌で聴いていた。“NO SIDE”は華やかで少し大げさなアルバム。けれども印象に残るのは小品。

「DOWNTOWN BOY」。年下で生意気という設定は、ほかのユーミンの曲に登場する多くの男性像とは少し違う。佐野元春の同名曲もスマートで都会的。それよりも汗臭い男の雰囲気。浜田省吾「路地裏の少年」長淵剛「勇次」の方が、歌詞から想像される人物としては近い、作品としての音づくりは、まったく違うけれど。

「一緒に暮らそう」と「木枯らしのダイアリー」も好きな曲。結局、松任谷由実のなかで好きな曲は、言葉や出会いによって身のまわりの世界が一変するさまを歌ったものと、別離の場合に、いちどきにではなく、すこしずつ世界が変わっていく様子を歌ったものが多い。「一緒に暮らそう」は前者、「木枯らしのダイアリー」は後者。

何気ない一言や、人でなくても、モノや場所であっても、何かを新しく知ることにより、世界が真新しくなったように感じることがある。同じ言葉、同じ人、同じ風景が、一瞬前とまったく違う輝きを放っている。

別れの場合はそうはいかない。目の前からその人、そのモノ、その場所が消えても、世界は即座に変わらない。「DOWNTOWN BOY」では、秘密の空き地にビルがたったとき、ナイーブな彼も思い出のなかへ一緒に消えた。「木枯らしのダイアリー」では、まず「顔だけが浮かばなくなるの」と言っている。仕草や、匂いや、口癖が、少しずつ思い出せなくなってくる。そしてあるとき、しみじみとすべてを忘れていることに気づく。もしくは、いつまでも忘れられない何かが残っていることに気づく。

「さみしさのゆくえ」(『14番目の月』)でも、空港で翼を見送ったとき「何かがほんとに終わった」ように思えた。

このアルバム を聴くには、まだ少し暖かい。きっぱりと冬が来たら、聴きなおすことにする。

表紙の写真と背景色を変更。


10/10/2003/FRI

Theトレーラー、編集会議制作編集、三推社・講談社、2002

国産大衆車アルバムver.Ⅱ カタログが語る60~70年代の風景、角田博、三城書房、2000
ENGINE 11月号(第4巻第11号通巻38号) 巻頭特集 クルマを楽しみつくす、グランド・ツーリング、鈴木正文編、新潮社、2003

クルマの本を三冊。『Theトレーラー』は『The路線バス』の続編。トレーラーが疾走する写真。車庫入れの分解写真など。いつも、トレーラーのとり回しには感心する。ふだんは見る機会がない運転席からの眺めを見ると、思っている以上に周囲は見えていない。

大衆車といいながら、70年代までクルマは日常生活とはかけ離れた贅沢品だった。『国産大衆車アルバム』に掲載されている当時のカタログ写真で車に乗っている人は、タキシードや毛皮を着た人ばかり。

『ENGINE』では、編集長の鈴木正文が連載コラム「旬な男向上委員会」でスタイルについて書いている。題して「美学=スタイルについて ボードレールとニイチェを読め!」。タキというコラムニストの文章を引いて、スタイルは「見せかけの反対」にある「強い信念(コミットメント)」と述べている。なるほど、とは思うけれど、当面、ニーチェもボードレールも読めそうにない。ニーチェは何度か読みはじめてみたことがあるけれど、数ページも進まない。

スタイル、とりわけ、ボードレールのいう「身だしなみや物質的な優雅」について考えるためには、しばらく鈴木が編集する雑誌を読むだけで充分、満足できそう。

雑文「Black Jack 第17巻」ほかを植栽。書評に入れてもいいのだけれど、雑文の追加が最近なかったので、こちらに入れる。この3冊は、貯まったbkポイントで交換。


10/11/2003/SAT

武蔵野地域五大学共同講演会2003 新世紀を考える 文明の継承と創造 PARTⅢ、「文明の衝突」と国際文化交流、川村陶子(成蹊大学文学部助教授)、成蹊大学4号館ホール

問題。国際文化交流は、21世紀において、国際関係運営の有用な道具となるか?

前提。「文明の衝突」という考え方には問題点も少なくないが、「文明」が声高に言われるほど、21世紀は政治、経済以上に、文明や文化が鍵になる概念でもあることを示してもいる。すなわち、文化交流は重要な政策。

導入。9.11の実行犯、モハメド・アタは、留学し、異文化を体験するなかで、途上国民、ムスリムとしての自覚を深めたが、同時に「われわれ」対「あいつら」という二項対立的な思考に陥ったために、テロリズムというダークサイドに引き込まれていった。国際文化交流は、いいことばかりではない。

論点。国際文化交流はパラドックス。三重に矛盾、問題を含む概念。「国際」は、無意識に国民国家を前提にしている。「文化」は、多元的、重層的な文化を無視して、既成の枠組みに依存する。そして、本来、対等な関係を前提にする「交流」は、実際は非対称な関係の間で行われることが少なくない。

結論。国際文化交流は両刃の剣。特性、パラドックスを理解し、二項対立的な考えを脱して、同じ社会に生きる「仲間」として交流施策を進める必要性がある。日常生活に「交流」が溢れている現在、アタの問題は、わたしたちの問題。

講演はひじょうにわかりやすく、示唆に富む内容だった。川村はまず、文化交流を実践している人に挑戦しているのではない、と前置きした。あえて言えば、国際文化交流は大切だといいながら、的確な政策を立案できない政治家や行政、国際関係は結局、金と力だと思う政治家、学者に向けて挑戦しているのだという。

文化の複合性、アイデンティティの重層性に注目する彼女の考え方は、国民国家を相対化する視点をもつ。そのため、国民国家を文化共同体と考える古い人々とは相容れないに違いない。

重層的なアイデンティティや複合的な文化は、もちろん明るい面だけではない。人は、複数のアイデンティティの間に引き裂かれている。また、現代文化は複合的にみえる一方で、グローバル化という画一的な一面もある。そうしたなかに生きる現代人にとって、国家は何を意味するのか。

多少楽観的にみれば、地方自治体のような行政単位してのみ機能するようになるのではないか。時間もかかるだろうし、国家と出来合いの文化を同一化させたい勢力からの抵抗もあるだろうが、長期的にはこの傾向は避けられないだろう。

問題は、そうした急流に棹差すでもなく、そうかといって呑み込まれるでもない、確固たる自主性を複合的、重層的なアイデンティティと、どのように両立させるか、という点にあるように思う。新しい「国際文化交流」は、新世紀の世界市民を育成するだろう。

川村は、主にドイツの国際交流政策を研究している。外国人全体に対して偏見をもつ都知事とからめて、ヨーロッパでの極右勢力の現状と、国際交流政策の関係を質問してみた。川村の回答。ドイツでは、交流事業の多くが地方自治体に任せられていること、勤労人口の一割近くが外国人となっていて、外国人は偏見では済ませられない存在になっていることなどから、とりわけ大都市部では、「外人排除」を訴える政治家、政党は強い勢力とはなっていないとのこと。ただし、旧文化が温存され、異文化が圧倒的に少数派である中都市では、しばしば外国人排撃の動きがみられるらしい。

「アタの問題は私たち一人一人の問題」というとき、川村の研究は、政治思想の領域に深く踏み込んでいる。また、文学部に所属しているが、彼女は、行政学、国際関係論にも精通している。多文化社会をつくるのは、一人一人の多様な文化、アイデンティティであると主張は、単なる政策論や比較文化論を越えて、社会との関わりで個人のあり方を考える政治思想を中心にすえた、新しい国際政治学の中核になっていくに違いない。

会場は盛況だったが、老若ならぬ老齢男女がほとんどで驚いた。高齢者の学習意欲には目を見張るものがある。同時に一つの行事に参加する世代が偏ることは、市民講座という看板から言っても問題あり、だろう。国際交流だけでなく、世代間交流も政策として実施しなければならない時代が、早晩くるかもしれない。

短評“Toddlercreek Post Office”を植栽。買い物のついでに、ふだん出かける図書館とはちがう、街中の図書館へでかけた。日本語以外の絵本がたくさんあった。

11/7/2003/FRI追記

川村の講演で残る疑問。トルコ系として初めてドイツの国会議員となった人の「パートタイム・ムスリム」という言葉が紹介されていた。西欧社会に溶け込み、その社会習慣になじみながら、行事や集会などを通じて、イスラム教徒でありつづけることができるという含意。

確かに排他的な集団主義は宗教の本質ではない。儀式もやはり本質ではないけれど礼拝や儀式によって精神のあり方が規定されていくことも宗教の一面を表わしている。制度と精神を切り分けることは簡単ではない。とすれば、排他的になることは許されないとしても、単純に酒を飲んでもムスリムでいられる、ラマダンに参加すればムスリム、という形式的な問題では済まされないだろう。

要するに、文化の問題は思想の問題であり、それが人間の心のあり方を問題にする以上、突き詰めれば信仰の問題を避けることはできない。この意味でも、川村は、さまざまな論点を含む奥深い議論を提起しているといえる。


10/12/2003/SUN

昨日絵本短評に「ただいる」ことに意味がある、と書いた。ふと思い出したのが、丸山眞男のよく知られた「である」ことと「する」ことという議論(『日本の思想』岩波新書、1961)。「である」ことや「する」ことに対して、「ただいる」ことはどのような意味をもつか。

丸山は、まず第一に政治の領域では属性を示す「である」こと以上に、行動、業績を示す「する」ことが重要であると強調する。重要なことは、「政治の領域」でという限定。丸山は「する」ことが「である」ことに対して、常に優位であると考えているわけではない。現代社会にあっては、むしろ「する」価値と「である」価値との倒錯がみられることを指摘する。

つまり一方で、本来市民が自発的な参加によって作り上げる民主主義政治の世界においては、「する」ことによる業績本位ではなく、政治家であること、役人であることが、政治に関わる条件であるかのように思われている。他方で、経済や労働の領域では、業績主義が加速度的に進み、さらに余暇のように、必ずしも「する」ことが重要ではない領域にまで、消費、効率、実用が侵食している。

丸山は、アンドレ・シーグフリートという人物の文章を引いて、内面的な精神生活としての教養は、一人の人間の「することではなくて、彼があるところに、あるという自覚をもとうとするところ」に軸があると述べている。また自身の言葉で、「である」ことと「する」ことの価値倒錯は、「深く内に蓄えられたものへの確信」に支えられて、はじめて克服されるとも述べている。

自分が自分であること。市民としてであれ、労働者としてであれ、家族、国民の一員としてであれ、自分が何者であるかを確信するためには、まず自分がいることを確信しなければならない。その意味で、「ただいる」ことは、「である」ことの一部分であり、より正確には、「である」ことに先立って、欠くことのできない基礎をなしていると考えられる。

存在の基礎において、自分自身にとっての意味があってはじめて、社会的属性や社会的行動に意味がもたせられるのではないか。村の郵便局のヴァーノンのように「ただいる」だけで誰かにとって意味ある存在でなければ、どれほど社会的に地位が高くとも、素晴らしい業績を残そうとも、人間的な価値は、はじめからゼロに掛け算を重ねるようなものではないだろうか。

書評「忘れられる過去」を植栽。引用が多く、感想は少ない。詩には、あまり感想文をつけられない。手に入れた本なので、読み返すとまた追記することがあるかもしれない。


10/13/2003/MON

風の道 Résonance, André Gagnon, epic, Sony, 1988

静かな生活 Les Jours Tranquilles, André Gagnon, epic, Sony, 1991
喜太郎 シルクロード THE BEST、喜太郎、ポニーキャニオン、1985

秋が深まってきたので、静かな、少し感傷的な音楽。

大阪のタワー・レコードでもらった広告雑誌“Museé”に、喜太郎『シルクロード』がデジタル・リマスタリングで再発売されると宣伝されていた。図書館にあったのは、もちろん古い版。

NHKテレビで『シルクロード』と題された連続紀行番組を見たのは、小学六年生の頃。敦煌、タクラマカン砂漠、サマルカンド。そんな言葉をはじめて耳にした。懐かしい主題曲を聴くと、ブラウン管に映る砂漠の風景を思い出す。それから石坂浩二の声も。

同じ頃、どこかの百貨店で平山郁夫の展覧会を見た。当時は、シルクロードや古代史が流行していた。「松本清張と邪馬台国」という展覧会を日本橋の百貨店で見たのもこの頃。

いつかシルクロードを歩いてみたい、と作文に書いたこともある。中央アジアは絵本を読む以外、まだ旅したことがない。シルクロードを出発点とした旅への憧れは、いつしかまったく違う場所を彷徨っている。


10/14/2003/TUE

先週土曜日の日経新聞朝刊の文化欄。日本文学の研究者、ダミアン・フラナガンが「文豪・漱石は世界レベル」と題した文章のなかで、ロンドンの漱石記念館で開かれた漱石渡英百年を祝う会に集まった50人中、外国人は一人だけだった、と書いている。

英国人は、シェイクスピアを世界文学として世界中に宣伝した。文学の質は言うまでもなく、そうした「宣教」の効果も見逃せない。フラナガンによれば、世界文学とも呼べる漱石の文学を「日本文学」に押しとどめているのは、「外国人には無関係」と思い込んでいる、日本人自身。

フラナガンの指摘で重要なことは、国、国民、国語という枠を離れて普遍的な視点で見るということ。世界レベルと外国人に言われたからといっても、のぼせる理由はなにもない。優れた文学者のなかには、日本語で書いていた人もいたというだけの話。

今日の夕刊では、ペーター・バロン、HBVキャピタル証券会長が書いている。日本では少し容貌が違う人は皆アメリカ人と思われている、日本語で話しかけても、ほぼ間違いなく英語で返される。飛行機の乗務員に新聞を頼んで、日本語の新聞を持ってきたためしはない。外国人といっても、アメリカ人以外もいるし、日本語を話す人もいる。日本語で話しかけたのに、英語で返されると、せっかく苦労して日本語を学んできた努力を無視されたような気持ちになると嘆いている。

フラナガンもバロンも日本語で書いている。バロンにいたっては、35年以上日本語と関わってきたというのだから、私以上に長いことになる。日本語に広がるエクソフォニーを続けて見つけた。


10/15/2003/WED

きのうの荒川洋治。芸術の秋。芸術にちなんだ言葉。

人生はボードレールの一行に如かず。芥川龍之介。人生は短し、芸術は長し。ヒポクラテス。

このように、人生と芸術を比較する言葉は少なくない。人生のための芸術か、芸術のための芸術かは、古くからの問題。芸術家は、日常生活から離れた美に憧れながら、日常生活に埋没した生活にも憧れる。凡庸への憧れをもつのが、芸術家。

トーマス・マン『トニオ・クレエゲル』では、この問題に揺れる主人公に対して、ある画家が、「あなたは俗人だ」と一喝する。主人公は「ありがとう、わたしは片付けられた」と引き下がる。

アナトール・フランスのある小説では、屋根裏に住んでいた貧しい女性が、貴族の夫人となったとき、同じ人物であることを見抜けたかった書斎人がでてくる。本をたくさん読んでも、人間がわかるようになるとはかぎらない。

芸術家は、自分の仕事を認めてもらいたい一方で、自分の仕事は無益なものだと全否定してもらいたい欲望も併せ持っている。肯定と懐疑のあいだに揺れ動くのが芸術家。

その高度な、あるいは究極の悩み、苦しみから生まれる作品を、われわれ凡人が見ることによって、ありふれた日常生活をふりかえるきっかけになる。つまり、芸術は、生活から遠くにあることによって、実は生活に身近になる。

現代は生活優先の時代。生活のなかにさまざまな意味や重みがあると人々は考えている。それにともなって、最近は芸術ではなく、アートといって、軽い響きになっている。

古書店のリストをみると、名作の初版本では数百万円を超すものもある。これも芸術の現代性の一つの表れか。

荒川は、アナトール・フランスの小説についてと同じことを、芥川の「蜜柑」についても以前話していた『本を読む前に』には、作家として業界では知られていても人と関わるための基本的な常識さえ持ち合わせていない人を非難する文章もあった。芸術のための芸術か、人生のための芸術か、という問題は、詩人荒川洋治にとっても常に切実な問題なのだろう。

実際のところ、人生という言葉は、最近耳にしない。代わりに多く耳にするのは、生活という言葉。英語ではどちらもlifeで済ませられるが、英語でもliving、とくにway of livingという言い方が流行語のようになっていると読んだことがある。

芸術からアートへ、人生から生活へという、いわゆる軽薄化は、文化や言語の境を越えた、時代の趨勢かもしれない。生活、と言えば、人生ほど堅苦しくはない。けれども、生活とは何か、と言われても、説明は簡単ではない。

生活とは、何か。ただ、生きていることが生活か。自分の生活にかかる費用を自分で稼いでいれば生活していると言えるのか。自分の食べるものを自分で調理していれば、そういえるか。それとも、自分の食べるものを自分で栽培しなければ、自分で生活をつくっているとはいえないか。生活という語を考えるためには、人生ではなく、労働、仕事、活動という語と対比させる必要がありそう。


10/16/2003/THU

キャラという言葉を、どうしても好きになれない。何となく、類型的で、薄っぺらな人物造型に思われるから。マンガでも小説でも映画でも、ある種の作品では、個性的な性格の登場人物が物語を牽引することはある。それはわかる。けれども実生活は、ギャクマンガでも、一話完結の短編小説でもない。

類型的な人物像ばかり見ていると、実生活でも、人間をキャラでしか捉えられなくなってくる。人間の性格を傾向ではなく、法則で見抜こうとしてしまう。もっとも恐ろしいのは、自分自身がそんな割り算できる人間に思われてくること。どんなもので割っても割り切れないものが、人間一人一人の個性であるはずなのに


10/17/2003/FRI

金曜日の夕方、NHK-FM、東京渋谷から放送される関東甲信越地区向けリクエスト番組「サンセットパーク」にラジオを合わせる。最近、石井庸子アナウンサーが担当するこの番組をよく聴く。葉書を読んで、リクエスト曲をかけるだけの極めて単純な番組。

ときどき英語の歌詞を、訳もあわせて朗読してくれる。以前、横浜放送局から流れていた同じような番組をよく聴いていた。地域の名所や季節の行事を各地の観光協会の人たちが電話で紹介する内容も同じ。

金曜日は洋楽の日。先週の番組では、近日発売になるというThe Beatles, “Let it be”の“naked”版から“The long and winding road”がかかった。これまで聴いていたアルバムは、事実上解散していたビートルズに代わって、フィル・スペクターがオーケストレーションや音響効果を追加したもので、メンバーの意向とは著しく異なるという。今回発売される版は、メンバーによる演奏のみで、華やかな伴奏、効果は省かれている。

アンプラグドどころではない、高校の文化祭のように薄ぺらい演奏。それだけでなく、歌い方や歌詞まで違っていることに驚いた。おそらく、歌にはいくつものテイクがあったのだろう。“Anyway you never know, many ways I’ve tried”のneverがalwaysになっていた。聞き間違いかと思ったところ、今週、もう一度ラジオで聴く機会があった。やはりalwaysと言っている。

英語のyou knowには、「でしょ、だよね」のニュアンスがある。You never knowでは、相手を責めたてる響きがあるが、you always knowになると懇願するように聴こえる。「あなたは知らないだろうけど」と「あなたはわかってくれるはず」では、だいぶ違う。

独白ではなく問いかけが、簡潔な演奏には似合う。


10/18/2003/SAT

武蔵野地域五大学共同講演会2003 新世紀を考える 文明の継承と創造 PARTⅢ、戦後思想の再検討――丸山眞男を中心に、中村孝文(武蔵野大学人間関係学部教授)、武蔵野大学グリーンホール

当日、講演の題名が変更になっていた。新しい題名は「デモクラシーを再検討する――丸山眞男の問題提起を中心に」。変更の理由は、丸山思想そのものは、他に適任者もいるだろう、丸山の所蔵図書が寄贈された東京女子大学は武蔵野地域五大学の一つでもあり、丸山研究の中心でもある、丸山の思想そのものは、そこでの連続講演などでも学習できる。今回の講演では、丸山を糸口に現代の政治を考えたい、とのこと。


1.なぜデモクラシー再考なのか。最近、民主主義、デモクラシーという言葉が積極的に使われていない。むしろ非民主主義が時代の潮流であるかのようにさえみえる。政治思想史において、デモクラシーは、アリストテレス、モンテスキューらの古典を紐解くと、徳、すなわち人間の内面のあり方と切り離せない。丸山の問題提起もここにつながる。丸山によれば、民主主義は制度であり、同時にその制度をつくりだす運動でもあり、さらに運動を支える思想でもある。思想とは、単に学者や思想家の考える理論、学説、教義ではなく、一般人の生活感情、さらに内面深くの「意識下の次元」にある。これが民主化されなければ、運動、ひいては制度は民主化されない。

2.丸山眞男のデモクラシー論。第二次大戦に対する反省。「日本をあの破滅的な戦争に駆りたてた内的な要因」の探求。ジョン・ロックが考察した、いわゆる積極的自由を念頭に、近代日本においては自由の概念が「人欲」の解放にとどまり、内面的自由から政治制度を変革する精神(エートス)へと発展しなかったことを批判。「精神革命」によって、「自分の属している集団なり環境なりと断ち切る」、すなわち「強靭な自己制御力を具した主体」を生み出す。これによって、戦後日本で「革命」を達成することが、丸山の目標であった。

3. 問題提起。思想や歴史は、つねにあらゆる可能性を秘めている。今日、民主主義を考えるために、丸山が思索の起点とした「戦後日本の出発点」すなわち1945年8月15日に立ち戻り、「民主主義のエトスの再発見と継承」が必要である。


地域の講演会の第二弾。先週とはだいぶ雰囲気が違う。前回は、新進気鋭の学際的研究者、今回は、政治思想史という限定的で古典的な学問の研究者。発表形式も、前回はパワーポイントをスクリーンに投影しながら、時事的な話題も織り込んだ展開。今回は、細かな引用を盛り込んだ梗概を元にした講義。内容も丸山の著作に限定した濃密な内容。

面白かったのは、教育基本法第八条についての指摘。条文では、第一項で「政治的教養」育成の必要性を説く一方で、第二項では、特定の政党に関わる教育を禁止している。従来、第二項を意識するあまり、政治についての教育が足りなかった、と中村は述べる。具体的にいえば、ルールを自分たちで作るという民主主義の基本活動よりも、校則は疑わず守らせることを優先するなどして、教育の現場では「政治教養」の育成はほとんど行われなかった、という説明があった。この点は、同感。


丸山眞男については、未読の『自己内対話』からの引用や、ロックについての考察など、新しい知識も得たが、全体としては、これまでの読書で感じた丸山思想の限界と可能性を(可能性と限界ではなく)、今回の講演でも感じた。

丸山は、一方では政治制度に、文化や宗教から独立した中立性を求めた。しかし、他方でそうした中立的な政治制度を創り出す精神に「日本人」というきわめて抽象的で、幻想度が高い概念を持ち出している。今回の講演でも、中村から「わたしたち日本人」という言葉が何度か聞かれた。「1945年8月15日を起点にする日本人」という考え方は、曖昧で、誰かにとっては郷愁と熱意をかきたてるかもしれないが、誰かにとっては排除された気持ちを強くするものではないだろうか。

一体、すでにある「日本」という国をつくりなおそうとしていたのか、それとも、人々が新たに創り出す国を「日本国」と呼ぼうとしていたのか。民主主義が運動であるならば、まず後者にたって不断に国という制度を破壊、創造していくべきなのに、丸山は、その点、少なくとも著書においては、前者に立ってしまっているように見える。


中村の言うとおり、歴史の瞬間において、思想はさまざまな可能性を示すものとするならば、1945年当時、きわめて抽象的な水準であったとしても、「日本人」のつくる日本だけではなく、多民族国家としての日本など、もっと多くの可能性を示すことができたのではないか。

しかも、民主主義を考えるために立ち戻る場所は、人それぞれ違うはず。1945年だったり、自分がこの国に生まれた年だったり、この国の国民となった年だったり、この国に住みだした年だったり。中村も引用していた「非政治的な立場からの政治的関心」という丸山の言葉は、個人個人の置かれた立場からはじまるものではないだろうか。一律に1945年8月15日、宮城から流れる玉音放送に始まるものではないだろう。

それでもなお、丸山が終生「精神革命」に挑んだ人であることは否定できないし、もしその思想を批判しようとするなら、まず自分自身が不断に「精神革命」を続けなければいけないだろう。

思想を批判しても、人間に畏敬を残すこと。他人の行動や思想は批判することはできても、スタイルは批判できない。他人の発言や行動を論評すること自体、結局は自分のスタイルに関わることなのだから。

表紙写真を「公園の木」に変更。絵本短評「満月をまって」を植栽。このところ、絵本短評は、一週間に一回更新を続けている。


10/19/2003/SUN

先週の荒川洋治のラジオ・コラムを聴いて、「生活という語を考えるためには、人生ではなく、労働、仕事、活動という語と対比させる必要がありそう」と書いた。労働、仕事、活動、といえば、思い浮かぶのは、ハンナ・アーレント。手元には『人間の条件』(志水速雄訳、ちくま学芸文庫)がある。買ったのは、何年も前。何度か読み出したけれど、どうしても読み切ることができないでいた。この本は原著“The Human Condition”でも一部、読んでみたことがあるけれど、まわりくどい表現が多くて、すぐに投げ出してしまった。

アーレントの文章は、とりわけ英語で書かれた文章は、難解というより、語法の誤りや複雑な推敲などのせいもあり、英語話者にとっても読みにくいものらしい。図書館で借りてきた『アーレント政治思想集成1』(Jerome Kohn編、齋藤純一、山田正行、矢野久美子、共訳、みすず書房、2002)の編者序文にそう書かれている。

同書は、未刊行エッセイを集めた作品集。それぞれの作品の分量は短い。これならいくつかは読めるかもしれない。『人間の条件』も、第一章、第二章を飛ばして、ずばり「労働」と題された第三章から、気になるところ、とりあえず理解できそうなところだけを拾い読むことにした。興味が向いてくると、かつては苦い薬にしか思えなかった文章が、心地よい山登りのように感じられる。

絵本短評「星の使者」を植栽。


10/20/2003/MON

Homebound、浜田省吾、CBS、Sony、1980

卒業(1982)、沢田聖子、クラウン、1990
Heart Beat、佐野元春、epic、Sony、1981

図書館で、ふと手にとった3枚のコンパクト・ディスク。何の脈絡もないようにみえる。共通点は、1980年代前半に、私がよく聴いていたということだけかもしれない。どのアルバムも耳にするのはカセット・テープを捨てて以来だから、何年ぶりかのこと。自分でも驚くほど、前奏が流れると歌詞を思い出す。

ユーミンのアルバムばかりを聴きかえしていると、まるで十代の頃はユーミンばかり聴いていたように思われてくる。もちろん、そんなことはない。こうしてあの頃聴いていた音楽をいくつか拾ってみるだけでも、その思い込みはまるで間違っていることがわかる。言うまでもなく、音楽だけを聴いて暮らしていたわけでもない。

スタイルの異なる音楽をまとめて聴くと、自分がどれほど複雑な存在なのかわかる。過去をふりかえる時、一つの作品、一冊の本、一人の人間、一つの出来事に、過剰に感情移入をしてしまうことがある。まるで何か一つが今の自分をつくっているかのように思われることがある。しかし、過去の音楽、本、人、出来事は、すべて象徴にすぎない。一つのことにもつ感情や解釈以前に、一つのことにこだわりすぎること自体が、過去の再構成として、すなわち現在地の再評価としては、間違いのもとになる。

三枚のアーティストのスタイルがそれぞれ異なっているように、思い出す風景も違う。浜田省吾は、朝の満員電車のなかでヘッドホンステレオから聴いていた。沢田聖子は、六畳間の真ん中においた二段ベッドの下段に寝転がり、カーテン越しにカセットテープから聴いていた。

佐野元春の初期作品を聴くと、横浜の風景を思い出す。伊勢崎町から関内、馬車道県庁前、大桟橋、そして山下公園。どの風景も思いだされるのは、夜。「彼女」を聴いて思い浮かぶのは、夜、山下公園の岸壁に打ち返す暗い波。“Back Street”のジャケット写真をはじめ、この頃の佐野元春が横浜に関わりがあったことは、ずっと後で知った。

もう一つ、このアルバムを聴くときの奇妙な癖。一曲目「ガラスのジェネレーション」で「さよならレヴォリューション」という歌詞を聴くと、つい「転向」という熟語を連想する。もともとそういう意味ではないのだろうけど。

浜田省吾を聴き返してみると、以前聴いていたときは、もっと怒りを感じていたように思う。文字通り「反抗期」の背景音楽だった。

ちょうど一年前の今ごろ書いた書評「政治家とリーダーシップ」を少しだけ剪定。書きはじめて一年がたち、前年の同じ頃に書いた文章を見直すことができるようになった。


10/21/2003/TUE

文章を書くようになって、文章を書き上げるまでの思索や試行錯誤に楽しみがあると気づいた。作品は、積み重ねた思索の果実。けれども、出来上がった文章を読み返してみると、書き上げたばかりなのにもう思索の臨場感のようなものが乏しい気がする。翌日のスポーツ面で試合結果だけをみているような気持ち。

読み返すだけでなく、一度書き上げた文章を推敲してみると、思索の臨場感を追体験することができる。そこから新しい、別の思索が生まれることもある。

なかなかできないけれども、他人の文章も自分が書いた気になって、心のなかで推敲しながら読んでみると面白い。書くように読む。文章の味わい方の一つと言えるのでは。


10/22/2003/WED

昨日の荒川洋治。「語りもの」の本が売れている。養老孟司『バカの壁』、吉本隆明『漱石を読む』など。司馬遼太郎の講演集も刊行中。

講演集や、口述筆記のような本はこれまでもあった。新しい、売れている本は、編集者との対話であったり、はじめから話し言葉で表現することに重点を置いている。その転換点は、司馬遼太郎の講演ではないか。

司馬の講演集を読むと、聴衆の反応に合わせて話題を変えたり、あらかじめ用意した構成をくずしたりしている。

「語りもの」には、読みやすい、調子がいい、など書き言葉にない広がりも感じさせる一方で、まわりくどい言い回しや、冗長な表現などが出やすくなる傾向もある。

それでも、これまで書き言葉、とりわけ専門家の文章は読み手を無視した一方的なものが多かったから、相手を意識する話し言葉の感覚は大事。荒川自身は、話す機会が増えてから文章の量が減った。その一方、読者、聴衆からの反応や質問、疑念を意識しながら文章を書くようにもなった。

これまでは話し言葉、書き言葉と言葉を別々の場所に無理に住まわせていた。

文章を書くとき、話し言葉を意識するとよいように、話すときに書き言葉を意識すると、聞きやすい話になる。

「語りもの」の本はあまり好まない。一時期、読みやすさから、興味のある作家を見つけたら、講演集や対談集から読み始めたこともあった。いまでは、そうはしない。確かにしゃべりのうまい人は少なくない。けれども、しゃべった内容を上手にまとめた本はめったにない。

荒川も指摘していたように、講演では面白かったかもしれないが、文章にしてみるとつまらないものが多い。その理由は、これまた放送で指摘されたように、言い回しや余計な脱線が整理されていないから。要するに、いわゆるテープ起こしのまま、活字にして一丁あがりにしているから、講演の臨場感も失われているし、文章の緊張感もない。

話し言葉と書き言葉の対立は、古くからある問題。小林秀雄は、講演の練習をしていたという。また、彼は講演録を文章として発表するときには、細かく推敲しなおしていた。文字通り「喋ることと書くこと」という、講演をもとにした文章で、そう書いている(『全集 第十一巻』)。

何年も前に読んだ井上ひさし『自家製文章読本』(新潮社、1984)でも、「話すように書くな」という章立てがあったように記憶する。話し言葉は流動的で、臨機応変なところによさがある。そのまま文章にすれば、体をなさないのが当然という主旨。荒川の主張も、話し言葉を文章に取り入れろというのではなく、相手をつねに意識するという話し言葉の利点を文章を書くときにも留意すべきという点にある。もっとも最近では、話し言葉でも相手を意識しない人が多いようにも感じる

話すように書く、書くように話す、それから昨日書いた、書くように読む。くりかえし、考え直す話題になりそう。

書評「森有正エッセー集成4」を植栽。例によって、出来栄えは不満。ひとまず日向に出してみる。同じ画面で見ているのに、公開してからは、見え方が違う気がする。


10/23/2003/THU

先週の荒川洋治のラジオ・コラムは、人生と芸術との対比を話題にしていた。荒川によれば、芸術家は、日常生活とかけ離れた美の世界を追い求めると同時に、あるいはそれゆえに凡庸に憧れる。凡庸と美を往復する苦しみこそ、芸術家の生きる姿。

芸術家が凡庸に憧れるように、凡人は美に憧れる。そして、凡人であるのに美しさに憧れる自分に苦しむ。凡人は生活に追われている。生活に埋没している。埋没しなければ、生活を送れないから。にもかかわらず、生活の合間に何か生活と関わらないことはできないかと模索する。

芸術家、凡人という対比は極端すぎるかもしれない。実際には、その間で多くの人は揺れている。

夏目漱石の小説『それから』や『明暗』には高等遊民と呼ばれるような人が登場する。彼らは、斜に構えて生活を見下している。けれども、生活から離れた美や学の世界にも没頭できない。ときどき思い出したように洋書を開いて読んでみたりする。

周囲からすれば、そんなものは役立たずの知識であり、働きもしなければ、学芸に生きるわけでもない人間は、役立たずの人間。

芸術の側からでもいい。生活の側からでもいい。反対側の岸へ、押し戻されることを承知で泳ぎ出すこと。途中で留まっていては、何にもならない。泳ぎ出し、押し戻されることが、凡人の暮らしであり、芸術家の暮らし。そう思って間違いないのではないか、とりあえずのところ。


10/24/2003/FRI

『森有正エッセー集成4』の書評を書き上げた。文中、書いたとおり、森有正が作家のなかでも際立っているのは、少なくとも書き言葉においては、ほぼバイリンガルであったこと。森には、フランス語で書いてから自身で訳した日本語文もあれば、その逆もある。

森の書いたフランス語の日記原文は公刊されていない。元のフランス語は、どのような文体だったのだろう。二宮正之による日本語訳は、森がはじめからすべて日本語で書いたと思わせるほどに、森が書いた和文の文体を忠実に再現している。本人による模範がある文章を翻訳する作業は、かなりの緊張を強いるものであったに違いない。

アレン・セイ八島太郎などの絵本作家も英日、二つの言葉で書いている。これらは絵本だから、言葉は比較的やさしい。それでも同じ感覚を醸し出す苦労は、本人であろうと翻訳者であろうと変わらない。気持ちは一つでも、二つの言葉にすれば二つの世界に分かれようとしてしまうから。


10/25/2003/SAT

『森有正エッセー集成5』を読みはじめた。年末までに読み終えて、書評を書くつもり。読書に目標は似合わない、とふだんは思っている。年明けから読み始めて、ちょうど5冊目を秋に読み始めることになった。2003年を森有正を読んだ年として記憶するのも悪くない。

これまでの書評を読み返すと、第一巻からそれぞれ、「旅に出ること」「思索を続けること」「思想と経験」「言葉と翻訳」を鍵にして、読書をすすめ、感想を書いている。読み出したばかりだけれど、今回は、「過去と記憶」が鍵になるような気がする。

それは、そうしたことを主題にした作品が所収されていると書かれている編者解題を先に読んだせいだけではない。ここのところの私が、自分でも気づかないうちに「過去と記憶」を関心事にしているから。

『ハンナ・アーレント政治思想集成』では、「アウグスティヌスとプロテスタンティズム」が強く印象に残った。この文章は『告白』を、自分の過去を批判的に再構築することで、神の恩寵に邂逅した現在の自分を構築する作品とみている。また、ふと寄った書店では、金森修『ベルクソン』(NHK出版)を拾い読みした。ベルクソンはまだ読んだことがない。金森の文章によれば、まさに「過去と記憶」を中心にすえて思索を重ねた哲学者であるらしい。

研究や集中的な読書というほどの大げさなものではない。断片的に聴いたり読んだりしたことから、考えるべき事柄の輪郭がぼんやり浮かび上がってくるように感じることがある。もちろん、ここしばらく、過去に聴いた音楽を聴きなおして、過去の自分や生活や時代を再構築しようと試みていたことも関係あるに違いない。

まっさらな気持ちで本を読みはじめるということはありえない。作者や作品についての知識や偏見だけでなく、意識しようとしまいと自分の気持ちにもすでに何かしらの偏りがある。ときにはそうした偏りをあえて目的意識として自覚することで、効果が高められる読書もある。

あらかじめ設けた目標や主題にそって読書を進めるのは、読書本来の楽しみからは遠ざかる。しかし、経験からいって優れた本は、読んでいるうちに身勝手な問いかけをいつの間にか、打ち砕いてくれる。それだけではない。そうした本は、作品がもつ世界へ読者をいやおうなしに引きずり込んで、まったく気づかなかった世界を見せてくれる。

その点に関して、私は森有正の作品に全幅の信頼をおいている。

絵本短評「そのままのきみがすき」「世界の建物たんけん図鑑」を植栽。


10/26/2003/SUN

10/22の雑記。荒川洋治のラジオ・コラムでの「書き言葉と話し言葉」という話題から、井上ひさし『自家製文章読本』を思い出した。何年も前に読んだ本を見つけたので、「話すように書くな」と題された章を読み返してみた。書名は間違っていたが、記憶していた彼の主張は間違ってはなかった。井上の論点は、そのときに書いたとおり、話し言葉は書き言葉と根本的に違うということ。つまり、話すように書くことはできない。

むしろ「話すようには書くな」と覚悟を定めて、両者はよほどちがうものだというところから始めた方が、ずっと近道だろう。そのとき書き手を支えているのは、自分のなかに眠っている力を、言葉であらわすよろこびだけである。自己発見のよろこび、文章を綴るときの援軍は悲しいことにこの一騎だけだ。

書くことと重なるのは、話すことではなく、考えること。書くことは、果実の刈り入れではない。果実を育てる栽培活動。

10/29追記

書店で斎藤美奈子『文章読本さん江』を立ち読み。終章で、「話すように書いたっていいじゃないか」と斎藤は書く。確かに斎藤の文章は話しながら書いているようにみえる。しかし斎藤の文体は、あくまでも話し言葉の特徴を採り入れた文章であり、話したことを活字にしたものではない。話したことを活字にしても、斎藤のような文体にはならない。

結語の一文では、彼女は、文体とは要するに服なのだから、人に押し付けられるものではない、と書いている。一見、正反対のことを言っているようで、井上と斎藤とがかけ離れたことを言っているようには、私には思われない。

一度削除した開設日を表紙に復活。あわせて随想「感動について」副題、それを説明する一文も復活。この文章は論理も飛躍、破綻していて、全文削除するか初めから書き直したいくらい。記録としてそのまま残しておく。

いつか、「偶像について」と題した文章をあらためて書いてみたい。今言えることは、 私にとって偶像とは「青春の幻影」、すなわち星野哲郎にとってのメーテル


10/27/2003/MON

「書き言葉と話し言葉」「書くことと話すこと」についての続き。

同じような問題は音楽についてもいえる。生演奏を好む音楽家もいれば、録音を得意とするミュージシャンもいる。それでは、生演奏を好む音楽家のライブ・アルバムが素晴らしいかというと、必ずしもそうではない。ライブ録音は、とりわけロックでは非常にむずかしい。会場の音を拾えば臨場感は出せるが、演奏は聞こえづらくなる。演奏をライン録音すると、会場の熱気が伝わらなくなり、生演奏の粗さが目立つようになる。

そこで重要になるのは、編集。ミキシング、トラックダウンなどと言われる作業により、ただの演奏録音にもなれば、ライブ・アルバムという作品にもなる。つまり、アルバムは作品である以上、演奏それだけではなく、それを作品に仕立てる編集作業によって石にも宝石にもなる。

同じことが言葉についてもいえる。素晴らしい講義、講演をする人がいる。その言葉をただ活字にしても、素晴らしい本になるわけではない。本人による推敲や他人による編集という作業を経なければ、本という作品はできあがらない。

さらにいえば、本は、印刷された本文だけからなるのではない。はしがき、あとがき、著者紹介、活字、印刷、紙質、奥付、装丁、宣伝……。本とは、そうしたもののすべてが関わって出来上がる総合的な「作品」。

荒川のもともとの意図からは、少し外れたかもしれない。彼の論点は、最近の文章、とりわけ研究者などの専門家の文章には、読者の存在を忘れた一方的な文章が少なくないという点にあった。講演、対談などは、聴衆、話し相手とのその場での意思疎通という緊張感がある。文章にもそうした緊張感が必要だというのが、荒川の伝えたいことだったように思う。


10/28/2003/TUE

東京日記二〇〇一、安達洋次郎(写真)、遊人工房、2003

東京は広い。父島から桧原村まで東京なのだから。島や奥多摩を別にしても、臨海地区、下町、官庁街、歓楽街、山手、新興住宅地域、ニュータウンとさまざまな顔が東京にはある。一年をかけて撮影された街の素描は、東京がきわめて多彩な光を放っていることを教えてくれる。

写真はどれも、直線をうまく構図に取り入れているようにみえる。、ガードレール、樹木、屋根、壁。垂直、水平、斜線、ゆるやかな直線。幾何学模様のような印象のある写真。


10/29/2003/WED

昨日の荒川洋治。新刊から原武史『鉄道ひとつばなし』(講談社現代新書)を紹介。

新橋、横浜間に始まった鉄道は、時間の感覚をかえた。人々に分単位で刻まれて生活をもたらした。

鉄道の導入は、明治天皇の行幸と深い関わりがある。行幸が多かった東北地方は鉄道も早く敷かれ、分単位の生活もすみずみまで広がった。時間に関する学校の規則、時計店の数などを九州と比較してみるとわかる。東北地方は今も鉄道中心。廃止された路線も九州に比べて少なく、短い。

夏目漱石『三四郎』には、三四郎が上京する際、隣人に促され、列車から富士山をみる場面がある。当時は、合計4時間近く、列車から富士山が見えていた。昭和に入り、丹那トンネルができると車窓の風景は激変。さらに新幹線ができた今、富士山が見える時間は、20分程度。

荒川が面白いと思ったのは、東京へ着くために何時に出発しなければならないかという表。各県でもっと不便な場所から、同日中に東京へ出るために何時の列車に乗る必要があるかをまとめている。北海道は、途中で飛行機に乗るので、もっとも不便なわけではない。もっとも朝早く出なければいけないのは、岩手県のある駅。上り列車は朝夕二本しかないため、朝6時台の列車に乗る必要がある。

新書は未読だが、連載元の講談社の広報誌『本』で読んだことがある。立ち読み程度の知識しかないが、原には『大正天皇』や天皇の肖像画を主題にした本もある。「日本」という近代国家が、どのように国民のなかで象徴化(彼は可視化という言葉を使う)してきたかを、つねに関心事としているようだ。荒川の抜粋にもあるように、もともと多元的であった日本において、どれほど画一的な政策や国民統合の運動が進められても、その波及効果は多様なものであった、ということが、原に一貫する見方と思われる。

荒川は、よほど鉄道が好きなのだろう。鉄道や時刻表を話題にすることが多い。

書評「反ナショナリズム」を植栽。bk1に、書評「在日外国人と帰化制度」(浅川晃広、新幹社、2003)を投稿。植栽は後日。

同じ主題というわけではないが、通底する問題意識は似通っている。あるいは、私の問題意識が二つの本に同じものを読み取っただけかもしれない。ほぼ同じ主張の書評を書いた。浅川の本からは、とくに帰化経験者へのアンケートに書かれた自由記述の言葉から、多くを考えさせられた。いずれ雑記のなかで書いていくだろう。


10/30/2003/THU

鉄道ひとつばなし、原武史、講談社現代新書、2003

夕べは大阪泊。大型書店で原武史『鉄道ひとつばなし』を読んだ。荒川洋治がラジオで紹介しているのを聴いて、講談社のウェブサイトで確認したところ目次に「思索の源泉としての鉄道」とある。この言葉は森有正「思索の源泉としての音楽」からの引用だろうか、と思ったところ、果たしてその通り。まえがきで森の一文が引用されていた。こんなことから親密さを感じ、椅子に座って読み始めた。

「思索の源泉」というのは、けっして大げさな表現ではない。思想史、政治史、社会史の交差するところに立つ原にとって、近代国家の最重要交通網であった鉄道は、彼の研究の種袋のようでもある。荒川は、主に文学や地域性に関連するコラムを紹介していた。私が注目して読んだのは、思想史や関西の鉄道に関するコラム。明治天皇と鉄道、大国魂神社、多摩御陵と京王電鉄の関係。東急、五島と阪急、小林の比較、私鉄の西高東低と帝都東京、民都大阪の類比、関西に特徴的な風変わりな駅名など。

思想史だけではない。外国人観光客に人気のある日光への特急をJRにすすめたり、観光特急を優先させ、日々乗車している沿線乗客をないがしろにする小田急に痛烈な批判をしたり、鉄道時評としても面白い。今では常識になりつつある女性専用車両についても、痴漢についての社会史的考察と合わせて、導入される以前から提案している。

本書は、言ってみれば、思想史のフィールドワーク。身近なこと、興味のあることで気になることを調べ、調べたことをまた実地で確認する。謙遜か固辞か「真正マニア」ではないと言いながらも、楽しみながら調べ、考える態度が、本や資料を材料にした議論になりがちな思想史を、身近で活き活きした学問にみせている。

愉快で、また卓抜と感じたのは、駅の立ち食いそばについての考察。かつて味わったさまざまな駅そばを紹介した上で、現在ではJR、私鉄系企業による味、サービスの画一化を嘆いている。こうした画一化が「日本文化の多様性」を抹殺するという見解に、共感できる一貫した主張を感じた。

研究者、とりわけ若い年齢で本業以外の文章を発表することに、ためらいがあったこともあとがきで率直に述べられている。確かに、専門分野をないがしろにした趣味を披露しているだけのタレント学者も少なくない。本書はそうしたお気楽な「エッセイ」ではない。鉄道から思想史へ興味を深めるようになった個人的な動機なども書かれていて、思想史研究者による自己批評、つまり文字通りの思索の試みという意味での「エッセイ」として読むこともできる。

随想「感動について」の副題を「ホームページ開設に寄せて」から「『烏兎の庭』開園に寄せて」に変更。ホームページとは、サイトの表紙のことで、サイト全体はウエブ・サイトと呼ぶべきだと、どこかで読んだことがある。本文ではウエブ・サイトと書いている。「個人ウエブ・サイトの開設」と迷ったが、ひとまずこちらに変更。


10/31/2003/FRI

昨日の続き。鉄道といえば。

先週末、外で食事したあと、かつて住んでいた家、つまり両親の住む家に出かけた。家族は一足先に着いているはず。ふだんはクルマででかけるのだけれど、酒を飲んでいるので、ひとり電車に乗る。小学生から大人になるまで、ずっと乗りなれていた電車。こんな風に酩酊して最終電車に乗ったのも一度や二度ではない。

特急は、スピードが速い。小さな駅を飛ばして、大きな駅に止まる。高校生の時には、この駅で乗り換えていた。終電車に乗り込む人込みに押されて、呼び起こされる回想。

同じ学校の女生徒が、ホームの柱に寄りかかり、階段を見つめている姿。名前しか知らない人だったけれど、なぜかその風景が鮮明に蘇る。誰を、どんな気持ちで待っていたのだろう。

鮮やかに思い出せるのは、実は、繰り返し聴いた谷山浩子「うさぎ」や、松任谷由実「雨のステイション」の「会える気がして/いくつ人影見送っただろう」という歌詞のせいかもしれない。ユーミンには駅の向かい側のホームに昔の恋人を見かける「消息」という歌もある。山下達郎「クリスマス・イブ」の流れるテレビ広告の記憶も混ざっている。

鉄道は会社や路線によって、揺れ方が少しずつ違う。何年も乗っていなかったのに、眠くなっても振動に身体が追従する。トンネルを過ぎたり、暗闇に一瞬白い建物が見えたりするだけで、どこにいるのか、あと何分くらいで帰れるか、しようとしなくても計算している。乗り換えの階段も、身体が覚えている。

昔どおりにことが進むと、さまざまなことが思い出されてくる。心地よい酔いと回想にふけり駅を降りる。以前と同じように階段へ向かうと、目の前にエスカレーター。いつの間に新設されたのだろう。突然、眼が覚める。すべてが、「いま」に引き戻された。

翌日、居間に置いてあった阿刀田高編『日本幻想小説傑作集Ⅰ』(白水社、1985)を何気なく手に取った。目次で興味を引いたのは黒井千次「子供のいる駅」。前夜、ほろ酔いのまま、過去の記憶に閉じ込められた自分がよみがえる。切符をなくさないでいてよかった。

4/13の雑記、ブレッド&バター「あの頃のままで」に今月、三度めの追記。10月の雑記を日付によって降順に整理。書評「反ナショナリズム」に、『車の色は空の色』についての段落を追加。


碧岡烏兎