巨額を稼ぎ出すハロー・キティの生態(Hello Kitty: The Remarkable Story of Sanrio and the Billion Dollar Feline Phenomenon, 2003)、Ken Belson, Brian Bremner、酒井泰介訳、東洋経済新報社、2004


新聞の書評欄で書名を知った。図書館で酒、料理、服飾などの棚を見ていたとき、隣にあった消費生活の棚で本書を見つけて走り読み。

本書の内容をごく大雑把にまとめると次の三点になるだろう。

-かわいい文化の発信地としての日本

-キャラクター商品のブランディング戦略

-肥大化する消費社会の象徴としてのハロー・キティ

本書は分析より、現状の観察に主眼をおいている。以前はマンガやアニメなど、日本発の文化についてはニッチやマニア向けという扱いがされていた。また、日本国内では、よくある日本特殊論とあいまって日本特有の文化として一般論では扱われない傾向もあった。最近ではアニメやマンガも社会学的な研究の対象にもなっている。本書にしても、ハロー・キティをコカ・コーラやマクドナルドと同じ世界的なブランドと位置づけながらその特色や波及を論じている点が新鮮。


著者たちは世界的なブランドや、消費社会全般に広がるキャラクター商品そのものには否定的ではない。ただし、あまりにも急速にまた広汎に展開するハロー・キティに生き急いでいるのではないかと憂慮はしている。あくまでファンとしてブランドの健全な成長を願う姿勢。終章では、同じようなキャラクター・ブランドであるスヌーピーを紹介しながら、細く長く生きるブランドについて簡単に考察している。

ハロー・キティの急激で抑制のない成長を、著者らはそれが日本発だからとは決めつけてはいない。確かにテレビ番組とキャラクター商品の頻繁な改版や自動車のモデルチェンジの短期的なサイクルなどをみても、消費社会の過剰な広がりや速度は日本企業や日本社会が発信源であったとしても、いまやその波は世界中を覆いはじめている。

図書館で本書の近くでみつけたある本では、セーラー・ムーンや戦隊もののテレビ番組から流れ出すおもちゃの洪水を批判しながら、ドイツのおもちゃ事情を肯定的にとらえていた。ドイツのおもちゃ事情に詳しいわけではないが、こういう対比を使った論法はもう通用しないのではないだろうか。

日本はダメ、欧米は優れているという論法は、現実にそうした一面があったとしても、議論や分析の方法としてはすでに有効でないように思う。国境に関係なく広がるところにグローバリズムの恐ろしさがあるのだから。また、本書で取り上げられているスヌーピーの例のように、日本であってもブランドの拡大を制御しようとしている企業もないわけではない。


これまでグローバリズムや無限の拡大成長という考え方に地域や歴史という概念で対抗してきたようにみえるヨーロッパの様子が変化している点にこそ、注意したほうがいいのではないか。長期的なバカンスを謳歌してきたヨーロッパ諸国でも、世界的な経済競争にさらされ大企業を中心に労働強化が進んでいるという報道も聞いたことがある。

これまでのステレオタイプな見方だけではなく、世界を包む趨勢によってヨーロッパで崩れはじめているもの、それに対して日本で抵抗しているものにも目を向けることもしたほうがいい。ちょうどこの本がハロー・キティを一つのキャラクター・ブランドとしてとらえ、一般的な文脈のなかでその特殊性をあぶりだしているように、世界の問題は一般的な文脈で特殊な場面をとらえる必要がある。

特殊なものを特別に見ているうちは、その特徴は見えてこない。