ヨーロッパ旅行覚え書き


1. これまでの海外旅行

今年(1989年)の夏、僕はヨーロッパ旅行をしようと思っている。今度の旅行は、僕にとって三度目の海外旅行になる。最初は大学一年の終わった春休みにアメリカ東海岸(ワシントンDC、ボストン、ニューヨーク)を三週間かけてまわった。二度目は大学二年の終わったこの春、中国の四都市(上海、南京、香港、北京)を二週間旅行した。19才になるまでこの島国から出たことのなかった僕にとって海外旅行は国内旅行に比べるとまだ何か特別な旅行に感じられる。

それに今回の旅行は国内旅行も含めて今までの旅行でもっとも長く一月半ほど旅しようと考えているので、今から少し緊張気味でいる。これまでは旅に理由などいらない、日常を抜け出せられればそれだけでも旅の収穫だと思ってきた。でも今回は特別な中でもさらに特別な思い入れをこの旅行に感じている。

僕は大学一年の秋から「三年の夏にヨーロッパへ行く」と決め、アルバイトをして資金を貯め計画を立ててきた。だから無理につけるというのではなく、この旅行に関しては書いておきたいことがたくさんある。しかしまずはそうしたヨーロッパ旅行への思いを書く前にこれまでの海外旅行を簡単にふりかえってみようと思う。

アメリカ旅行

アメリカ旅行は初めての海外でもあり自分のテーマを決めて見るというより、今まで写真やテレビでしか見たことのなかった「外国」が、本当に存在するということを確かめに行ったようなものだった。それでも19年間一つの国から外へ出たことのなかった僕には、アメリカが実在するということだけでも十分すぎる刺激になった。海外に行き慣れた人には当たり前かもしれないけれど、到着してまずびっくりしたのは人々がみんな英語を話していること。それまでにも仲間どうしで練習のために英語を話すことはあったけれど、時間が来れば練習は終わって会話は日本語に戻るから、うまく言えないことがあってもあとで日本語で話せるから待っていようと安心できた。

ところがアメリカではいつまでたっても英語が終わってくれない。しかも僕が席を外している間も、むしろ僕がいる時より会話はスムーズに流れている。これは英会話の練習ではなく、日常の会話なのだとようやく気づいたが、それでもまだ逃げ場があると思い、スイッチを入れたテレビから英語を聞いた時には大きなため息をついてしまった。その時僕は「違う世界」へ来たという実感を持った。


近頃では国際化、異文化交流といった言葉が流行っているけれど、はじめから何もかもわかりあえると思ったら大間違いだ。「同じ人類」と頭ではわかったつもりでいても、初めて見た外国はまさに「違う世界」であって、自分とは決して相容れないもののように思えた。でも今から考えてみると、まるで違うと思うところから始めたからこそ、その後の三週間でこの世界も僕の世界と同じ世界の一部なんだということが感じられたのかもしれない。

アメリカは日本に近い、というか日本がかなりアメリカ化されているからアメリカへ行ってもたいしたカルチャー・ショックはないと旅行前には言われていたのだけれど、とんでもない話だった。この旅行では外国は違う世界である、究極的には同じ世界の一部であっても少なくとも違う文化の世界であり、違うという認識から異文化理解は始まるのだということを痛いほど思い知らされた。


他にアメリカ旅行で大きかったのは美術館を見るのが好きになったこと。それまでも展覧会へ行くことは好きだったのだけれど、デパートの主催する画家別やテーマ別の展覧会ばかりだった。それがアメリカではナショナル・ギャラリーメトロポリタンなど大きな美術館を一日かけて見ることができ、美術史を通して見ることができたし、いろいろな種類の美術があることもわかった。専門的ではないにしろ自分なりの見方を、まとめて沢山の美術を見ることを通して見つけられた。この効果はヨーロッパの美術館で発揮されるだろうと思う。

中国旅行

中国は社会体制も経済レベルもアメリカとは大きく違っていたけれど、初めての時のような気持ちの混乱はなかった。その分中国では自分のテーマにそった旅行をすることができた。テーマは大きく二つあって、一つは国家、一つは戦争である。戦争は国家のするものだからこの二つは別々なものではなく互いに絡み合った問題とも言える。

このテーマはアメリカには持っていけなかったけれど、国内では広島長崎沖縄をずっとこのテーマを考えながらまわり、中国でも日中戦争中、日本軍が中国人を大量虐殺した南京をまず訪れた。旅先では人間はなぜ国家をつくるのか、なぜ戦争を繰り返すのかという問題をじっくり考えるとともに、その国が自分たちのしてきた戦争をどうふりかえっているかを見るために戦争についての博物館や記念碑を訪ねた。


日本では戦争の傷跡には平和を願う祈念碑のようなものが置かれていることが多い。戦争の博物館がないわけではないが、それらはあくまでも「平和」資料館であり、戦争を戦争として冷静に見つめる態度は少ないようだし、一部の空襲や戦場の資料を集めた博物館はあっても、戦争全体を考える博物館はない。

中国には革命軍事博物館という巨大な博物館があり、古代から日中戦争、国共内戦といった現代までの戦争のその原因、当時の社会状況、使われた武器などを展示している。驚いたのは入り口に掲げられた古代中国の思想家孫子の言葉。中・英・日の三言語で次のようなことが書かれていた。

戦争は国家の重要な問題であり、これを考えることをさけてはならない

これはまさしく僕が旅を続ける目的であり、政治哲学を勉強している理由でもある。夏のヨーロッパでも僕はこの言葉を何度もかみしめるだろう。


中国旅行では自分に何が足りないかを痛感した。足りないものとはどんな環境にも適応できるたくましさである。裏通りの安宿に泊まったり、街の薄汚れた食堂で欠けたどんぶりからラーメンをすすったりすることが、僕にはどうしてもできなかった。

だから、食事はたいていホテルで済ませ、そのホテルも日本の感覚ではけっして高くはないけれど、現地では高級な部類に入るところに泊まった。高度成長期とともに子ども時代を過ごし、贅沢を当たり前に思いたくましさを失ったひ弱な自分を情けなく思った。


その一方で、日本の若者の身のほど知らずともいえそうな向こう見ずな行動には考えさせられた。冒険的な旅行を続ける日本の若者(僕と一緒に旅行した友人は彼らの持っているガイドブックから彼らを「地球君」と呼んでいた)と話す機会があったが、なかには自分のであった危険の度合いを競べあっているような人たちもいて、恐ろしい気がした。

近頃日本人旅行者の海外での事故が新聞によく出る。観光バスの窓からだけではその国の人々のことがわかるわけないけれど、外国は違う世界であり、たとえ日本では貧乏学生であろうと、そこの人たちから見れば金持ちの異邦人であるかもしれないことは忘れてはならないだろう。旅行が安くあがれば助かるし、現地の人々の生活にも直にふれてみたい。でも臆病と言われるかもしれないけれど、けがをしたり、命を落としたりしては何にもならない。


それともうひとつ、旅行が終わればまた飽食の国へ戻る僕らが何週間かの間だけ現地の人々の生活をちょっと真似したくらいで、彼らの気持ちまで本当にわかるといえるだろうか。自分の国の中ですら夜の貧民街を歩いたことなどない癖に、初めて訪れた異国の地を夜中うろつくことにどんな意味があるというのだろう。現地の人々と簡単に言うけれど、例えば中国のように貧富の差が大きい国では現地人といってもピンからキリまでいる。自分と違う立場の人たちの生活にほんのしばらくの間合わせたところで、彼らには金持ちの憐れみかいやらしい好奇心としか思われないだろう。

できるだけ多くの人々を見る努力は必要だろうけれど、直接交流をもつのはその土地で最も自分の立場に近い人たちだけでも充分ではないか。それ以外の交流は対等な交流とはならない以上、実のりのある交流にはならないだろう。もし現地の最下層の人々と直に交流したければ、まず身の回りの最下層の人々と交流をしてみるべきだと思う。


それにしても中国旅行で残念だったのは同じ立場の人とすら交流ができなかったこと。原因はもちろん僕が中国語を話せなかったからだけれど、それだけではなく、積極的な交流を試さなかったことにもある。今の僕にとって同じ立場といえば学生だけれど、旅行期間が短かったせいもあって観光に追われ学生のいる場所ーー大学を訪れる暇もなかった。そのために天安門広場まで行っておきながらたった二ヶ月後の民主化運動を予見することもできなかった。これは夏の旅行では課題の一つになるだろう。人々との交流のない旅行では黙って図鑑をみているのと変わりがない。

2. ヨーロッパ旅行

最近では沢山の大学生が学生時代の間に海外旅行を経験する。海外旅行を大学生活の一大柱にして、アルバイトでお金を貯め何度も外国へ旅行する人もいる。今度の旅行で三度目になるのだから僕もそのうちの一人だろう。しかしそんな風に海外旅行に学生生活を賭けていなくても学生時代に一度は外国へ行こうという人が多い。その旅行は卒業旅行と銘打たれることが多いけれど、その目的地の第一位はヨーロッパである。早い話ヨーロッパはミーハー旅行の代名詞でもある。

確かにヨーロッパは交通の便も良く、観光地も多いし、旅行しやすいだろう。しかしこれだけ海外旅行がしやすくなった今、学生時代に行きやすいところへ行くこともなかろうという疑問があって当然だ。大学卒業後、海外を旅行するチャンスがまったくなくなるというわけではないし、むしろこれからは長期休暇が増えて海外旅行へ行くチャンスは今より多くなるだろう。

それにヨーロッパなら仕事の都合で出かけることもあるかもしれない。学生時代でなければいけないような場所がヨーロッパ以外にもたくさんある。アジアの内部やアフリカ、南米などは仕事で行く可能性はヨーロッパよりはるかに低いだろうし、ある意味で年を取ったら行く意欲を失ってしまうかもしれない、若いからこそ魅力を感じる地域でもある。


それでもなお僕はヨーロッパに行きたい。ミーハー旅行を馬鹿にして大義名分をこじつけるつもりは全然ないけれど、なぜヨーロッパに行くのか自分のために気持ちの整理は必要だろう。ヨーロッパで考えたいことは大きく二つある。

国家と戦争

人間はなぜ国を築くのか、そしてどうして作り上げた国どうしで争い、殺し合うのか。これは僕が大学入学以来考えてきた問題である。しかしこの問いは深く、複雑な問題で簡単に答えが出せるとはとても思えない。国家と戦争の問題は人間を考えるためにとても大切な問題ではあるけれど、それを「人間はなぜ国家を作るのか」という問いかけから始めるのはあまりにも大雑把ではないか。今世界にはおよそ百六十の国家があると言われている。それらの国家をみな同じ「国家」という言葉でひとまとめにしてしまうのは少々気が引ける。

大きさ、歴史など何を比べても、国家のあいだにはまざまな違いがある。それらを見ずに自分の頭の中にだけある国家のことを考えても仕方がない。全ての国家を訪れて調べることはできないけれど、国家を分類してそれぞれのカテゴリーの代表的な国家を訪れることはできるだろう。分類といってもそれは社会体制や経済レベルの違いだけではなく、大きさ、位置、歴史の古さ、住んでいる民族の種類とその多様性などいろいろ考えられる。


これまでに僕はアメリカ、中国の二つの国家を訪れた。社会体制と経済レベルで見ればこの二つの国家はまったく違う。アメリカは資本主義の先進国、中国は社会主義でまだまだ発展途上にある。でも大きさ、民族の多様性という意味では二つは似ている。ヨーロッパの国々はこの二つに比べるとはるかに小さく、住んでいる民族も必ずしも単一ではないにしてもアメリカ、中国からみれば少なくとも多民族国家と呼ぶほどではない。こうして考えるとヨーロッパの国々は僕がこれまで訪れた二つの国とはまた違ったタイプの国家であると言える。

そして次の項でも書くように僕らが今学問で使っている国家という考えはヨーロッパで生まれたものである。その意味で良い悪いはともかく、ヨーロッパの国家がこれまで国家を考えるための基準であったことに間違いはない。まずはその基準であるヨーロッパの国々を訪れることに意味があるのだろう。また後で書くようにこの基準は今では通用しなくなっているのかもしれないけれど、もしそうならどこがどう通用しないのか自分の目で見てきたい。


実は国家の基準であったヨーロッパの国々は現代の基準として通じないどころか、自分たちでその姿を変えようともしている。1992年ECは経済的統合を遂げる。経済政策は国家の重要な柱であるのに、それが統合されてしまえばそれだけでも国家の姿を大きく変えることになるだろうし、さらに政治的統合に進む可能性もでてくる。その大変身前夜である今年は時機の良いヨーロッパ旅行であると考える。

戦争の面から考えると、ヨーロッパの人々が戦争をどのようにとらえているかは非常に興味をそそられる。なぜならヨーロッパ人は特に17世紀以降世界史の中心になると同時に戦争の中心にもなってきたからだ。植民地を求めて南北米、アジア、アフリカと世界中を荒らしまわり、二回の世界大戦では自分たちの国を戦場とした。

またファシズムを生み出し、ヨーロッパの内部でも侵略し合い、多くの罪のない人々を虐殺した。現代では米ソ二大陣営の接するところでもあり、常に核ミサイルの標的になっている。彼らの戦争と平和への思いは、四十数年前の敗戦だけを問題にしている日本人に比べ、その歴史はより長く、その傷跡はより深く、その恐怖はより厳しいと思われる。今戦争と平和の問題を考えるうえでもヨーロッパを訪れることは意味が大きいだろう。

近代の源流

僕は今、政治哲学という学問を勉強している。主に取り上げているのは西欧の思想であり、正確には西欧政治哲学と言うべきかもしれない。名前はどうでも、前の項に書いたように僕らが今哲学に使う概念のほとんどは西欧、つまりヨーロッパで生まれた。

ヨーロッパだけが世界ではないし、ヨーロッパが世界の真ん中にあるわけでもないのだけれど、ヨーロッパはずっと世界史の主役であった。その傾向は17, 8世紀ごろから急激になり、世界史は地球いっぱいに多極化したけれど、その世界はヨーロッパの思想の支配するところとなった。その思想とは「近代」という考えであり、十七世紀はその近代の始まりだったのである。

客観性を重んじる科学主義、止まらぬ進歩を信じる進歩主義、理性によって全てを克服する合理主義など、近代を形作った一つ一つの考えは今では普遍的ではないかと思われるほど、僕らのなかに浸透している。近代の思想は産業革命から科学技術の発達を促し、これまで僕らの生活を豊かにしてきた。豊かになることを僕らは「近代化」と呼び全ての人類に通じる法則だと信じてきた。

ところが現在僕らが普遍的だと信じてきた「近代」が見直され始めている。科学は本当に客観的なのだろうか。人間はどこまでも進歩するのだろうか、そして理性を持った人間は万能なのだろうかといった疑問があちこちで出されている。世界史といいながらヨーロッパの事件だけを追いかけた歴史も見直されている。

僕もこの動きにはまったく賛成で、近代という考えは普遍的なものではなく、ヨーロッパだからこそ生まれた特殊な考えであると思っている。だからこれまでの西欧中心主義、近代主義を批判する意味は僕も認める。しかし近頃一種の流行でもある近代批判には二つの不満がある。


一つは批判の射程の短さである。近代がひとりでに出来上がったものであるなら近代だけを批判すればよいだろうけれど、近代が出来上がるまでにはそれまでの長い下地があったはずである。つまり「近代」がヨーロッパ特有ならば、近代を生み出した土壌もヨーロッパ独特のもののはずであり、その土壌を掘り返さなければ本当の近代の見直しにはならないだろう。

その「土壌」とはギリシア以来の形而上学的な思考方法のことである。形而上学的な思考方法というのは「自然の外に超自然的な原理を設定し、それを機軸に自然を理解しようとする」方法で、これ自体特殊な方法である。形而上学は近代以前に普遍的と考えられていて、今近代が批判されるようになり、それ以前の形而上学を再評価する動きもある。しかし近代と形而上学は別なものではなく同じ延長線上にある根本的には同じ考えである。「近代がだめならまた形而上学にすればよいだろう」ということにならないためにもより突っ込んだ批判が求められていると思う。


もう一つは、近代そのものの性質の見直しである。前にあげた近代の大きな三要素の性質ーー科学は客観的、人間は無限に進歩する、理性は万能ーーは確かに今では近代とはそういうものだと考えられてだからこそ批判の対象となっているのだけれど、ヨーロッパで近代が生まれた時今挙げたような性質をすでにもっていたのだろうか。

もう少しわかりやすく例をあげよう。旅行に備えて近頃僕はヨーロッパの写真集を広げたりする。そこに出ているのは古い城、聖堂、石畳、石造りの建物の街並みなどなどで、これらの一体どこが「近代」なのだろうと僕は考えてしまう。無限の進歩を信じているのならなぜ古い街並みをそのままにして住んでいるのだろう。「近代」というと超高層ビルやコンピューターを思い浮かべたりするけれど、超高層ビルはヨーロッパにはほとんどないし、コンピューターもアメリカで発明されたもので今では日本の重要な産業の一つになっている。

つまり僕が言いたいのはこういうことである。確かに「近代」を生んだのはヨーロッパかもしれない。しかしそれを今僕らが考えているような近代に変えたのはヨーロッパ人以外の人々だったのではないか。「無限の進歩」と最初に言ったのは確かにヨーロッパ人だったかもしれない。でも彼らはそう言いながらも暗黙のうちにそんなことはないとわかっていたのではないか。

それを真に受けて進歩に懸命になったのはヨーロッパ以外の人々、例えばアメリカ人や日本人だったのではないか。ではヨーロッパ人とアメリカ人や日本人との違いは何か。暗黙のうちの理解とは一体何なのか。

僕はそれは「歴史」ではないかと思っている。アメリカには歴史はなかったし、日本には伝統ともいえる歴史はあったけれど、近代を受け入れる下地としての歴史は持ち合わせていなかった。それを持っていたのは近代を生んだヨーロッパ自身だけだったのではないか。

発展という名の競争をいち早く降りて新たな豊かさを求め始めているヨーロッパ諸国と、競う相手などもう誰もいないのにいまだに全力疾走を続ける今の日本を見ていると僕は同じ「近代」でも二つの世界のとらえ方はまるで違っていたのではないかと思わざるをえない。この仮説といえば大げさだけれど、自分の推測を確かめるために僕はヨーロッパで歴史を見てこようと思っている。


それからこれは近代批判に限ったことではないけれど、何にしても自分の目で見て、自分の頭で考えるというのが大切だと思う。前にも書いたけれども近代批判は今流行といえるほど盛んに行われている。こうなってくるとどうしても自分の頭を使うより耳を使って人の話を聞くことが多くなり、頭でっかちになりやすい。

頭でっかちになっていけないのは、いつのまにか自分を問題の外に置いてしまうことだ。冷静な目を持つことと、部外者になりすますことは違う。現に僕らは今「近代」の中に生きているのだから、いくら外側から批判をしても僕ら自身にひそむ「近代」は克服できない。

だから僕は自分の足で訪ね、自分の言葉で批判したい。それだけが自分自身が住んでいる「近代」を乗り越える道だろうから。


碧岡烏兎