鉄道ひとつばなし、原武史、講談社現代新書、2003


荒川洋治がラジオで紹介しているのを聴いた。出版元のウェブサイトを見てみると、目次に「思索の源泉としての鉄道」とある。この言葉は森有正のエッセイ「思索の源泉としての音楽」からの引用だろうか、と思ったところ、果たしてそのとおり。まえがきに森の一文が引用されていた。こんなことから親密さを感じて読みはじめた。

「思索の源泉」というのは、けっして大げさではない。思想史、政治史、社会史の交差するところに立つ原にとって、近代国家の最重要交通網であった鉄道は、彼の研究の種袋のよう。鉄道に乗って気づいたこと、疑問に感じたことから、歴史、政治、風俗へと話題は広がる。疑問は、知りたい、調べたいという欲求を生み、調べた知識は、再び疑問と思索を生む。調べた知識は、単なる薀蓄にとどまらない。

荒川は、主に文学や地域性に関連するコラムを紹介していた。私が注目して読んだのは、主に思想史や関西の鉄道に関するコラム。明治天皇と鉄道、大国魂神社や多摩御陵と京王電鉄の関係。東急の五島慶太と阪急の小林一三の比較、私鉄文化の西高東低と帝都東京、民都大阪の類比、関西に特徴的な風変わりな駅名など。鉄道とジェンダーという問題も興味深い。

思想史ばかりではない。外国人観光客に人気のある日光への特急をJRに勧めたり(これは後日、実現している)、観光特急を優先させ、日々乗車している沿線乗客をないがしろにする小田急に痛烈な批判をしたり、鉄道時評としても面白い。最近では常識になりつつある女性専用車両についても、痴漢についての社会史的考察と合わせながら導入される以前から提案している。

本書は、言ってみれば、思想史のフィールドワーク。身近で興味のあることで気になることを調べ、調べたことをまた実地で確認する。謙遜か固辞か「真正マニア」ではないと言いながらも、楽しみながら調べ、考える態度が、本や史料を題材にした議論になりがちな思想史を活き活きした学問にみせる。

愉快で、また卓抜と感じたのは、駅の立ち食いそばについての考察。かつて味わったさまざまな駅そばを紹介した上で、現在ではJRにしろ、私鉄にしろ鉄道系企業によって独占され味とサービスの画一化が進んでいると嘆いている。こうした画一化が「日本文化の多様性」を抹殺するという見解に、共感できる一貫した主張を感じた。

あとがきでは、研究者、とりわけ若い年齢で本業以外の文章を発表することに、ためらいがあったことも率直に述べられている。確かに専門分野をないがしろにした趣味を披露しているだけのタレント学者も少なくない。

本書はそうしたお気楽な「エッセイ」ではない。鉄道から思想史へ興味を深めるようになった個人的な動機なども書かれていて、思想史研究者の自己批評、つまり文字通りの思索の試みという意味での「エッセイ」として読むこともできる。

「思索の源泉」は思想の沿線。学問の本線か支線か、そんなことはこの際、少なくとも私にとっては、どうでもいいような気がする。


碧岡烏兎