2003年11月

11/1/2003/SAT

森有正は「思索の源泉としての音楽」、原武史は「思索の源泉としての鉄道」。音楽も鉄道も関心がないどころか、いつも触れているものだけれど、私にとっては思索の源泉とは言い難い。そうかといって、ただの楽しみや移動手段というだけでもない。あえて言えば、「思索の背景としての音楽」であり、「思想の背景としての乗り物」。

バッハを聴きながら、あるいは弾きながら、森はバッハの芸術性から自分の思想へと考えを深めていく。駅そばを食べ、中央線に乗りながら、原は鉄道文化の地域性や大日本帝国の政策について思いを深める。

私の場合、気に入った音楽を聴いている時、音楽とはまったく違うことを考えている。だから、気に入っている音楽ほど、曲名や歌詞を気に止めない。あれこれと考えごとにふけっていると、いつの間にかアルバム全部が終わっていることがある。その意味では「思索の推進力」、あるいは「導火線」「誘発剤」としての音楽といえる。

鉄道に乗っているときもそう。振動、騒音、流れる車窓の風景、人々の会話、暗い窓に映る自分の顔、背後の人の姿。思いつくのは、鉄道のことでも窓のむこうの場所のことでもない。もちろん、自分のことばかりでもない。朝読んだ新聞記事、仕事の段取り、週末の予定。快適な移動中は、いい考えが浮かぶ。飛行機や自動車の運転でもそう。ただし、一番考えごとがはかどるのは、歩いているとき。歩いているときに思いついたことは、あとで変心したり後悔したりすることがほとんどない。

今の私にとって「思索の源泉」と言えるのは絵本。絵画を眺めるのが好きで、物語がほどほどに好きだけれど、長編が苦手。言葉そのものや言葉による思想表現に関心はあるけど、哲学書が苦手。そして詩や箴言のような短い言葉の表現から考えが広がることを好む性質には、絵本がちょうどいい。英語やフランス語も絵本程度なら辞書なしで読めるものもある子どもには毎日読み聞かせているし、図書館に出かければ、一緒に児童書棚をまわる時間しかない。そういう意味でも、絵本は今の暮らしにあって重要な一部分になっている。

もう一つ、絵本が「思索の源泉」である理由。それは、幼いころに親しんでいたこと。源泉は森の奥深くや、高い山合いにある。あるいは、砂漠のなかにひっそりと浮かぶ。自分でも気づいていない自分の奥深くに源泉は眠っている。森有正は、音楽に母親の面影を重ねている。原は、時刻表を読みはじめたのは父親とのふれあいにきっかけがあったと、『鉄道ひとつばなし』のあとがきで書いている。

絵本を読まない時間が何年もあった。それでも再び手に取ったとき、すぐに熱中するようになったのは、絵本を読むことが身体に染みついていたからかもしれない。絵本を読むことは、私には家族の風景を思い起こさせ、Homeという言葉を連想させる

書評「アーレント政治思想集成1 組織的な罪と普遍的な責任」「アーレント政治思想集成2 理解と政治」「人間の条件」を植栽

書評「在日外国人と帰化制度」を、bk1投稿分に加筆して植栽。絵本短評“Lisa Prend l’avion,”“La Fée et la Poupée,”“La Belle et Bossu”を植栽。

絵本短評のうち、原書名がなかったものに、原書名を追加。こういう検索は、ネットのおかげで飛躍的に楽になった。

表紙写真を「ぼんやりとした雲」に変更。


11/2/2003/SUN

書評『在日外国人と帰化制度』のなかで、国旗・国歌の法制化について書いた。新聞によると、東京都教育委員会は学校式典での国旗と国歌の取り扱いを厳格にし、配置場所、伴奏方法はもとより教職員の姿勢まで細かく規定し、違反者は懲戒処分とする方針という。

教員側の反発は必至。とはいえ、国旗・国家の問題はあくまで象徴的な問題であり、お互いに過敏に反応するあまり、双方思いもよらない方向へ議論も行動も進んでいるようにもみえる。確かに歴史は一時に動くものではない。国家のように大きな組織はなおさら、小さな動きの積み重ねがいつのまにか戻れない道に進ませていることもある。

そうだとしても、国旗・国歌の問題はいま、国家の行く末に関わる小さくても無視できない問題だろうか。「いつか来た道」「軍靴の音が聞こえる」などの常套句に酔える人は酔えばいい。私には、それらはあくまで象徴的な問題の一部分であり、問題の本質でも核心でもないような気がしてならない。

教育現場での国家意識の強制は好ましくない、と私も思う。昨今の動きは眼に余るものがある。その一方で、一連の当局側の動きに対する抵抗も、突発的な拒絶反応や、組合の自己顕示によるものに感じられる。つまり、生徒や保護者からしてみれば、教員と行政との対立はコップの中の嵐に過ぎない。

教員達は、国旗・国家の強制は良心の自由を侵すという。それでは、彼らが強制している校則や生徒管理の細かな規則は、児童、生徒の良心を侵していないのか。「黙って守れ」と言われることに反発する人たちが、同じ言葉で自分が支配する人々を押さえつけていないか。その疑問に答えられないならば、彼らはより強制され、より反発を受けるだろう。

絵本評「本に願いを」をbk1に投稿。加筆して植栽。短評「桃源郷ものがたり」を植栽。


11/3/2003/MON

Libraries--New Concepts in Architecture & Design(現代建築集成/図書館)、鬼頭梓監修、メイセイ出版、1995

MECCA[メッカ巡礼]、野町和嘉 (写真・文)、集英社、1997

図書館の壁に読書週間のポスター。本に関する本を借りようと、総論、図書館情報の書棚を見る。“Libraries”は最近の図書館建築を集めた写真集。

住まいや職場の近くだけでなく、出かけた先で図書館を覗くことがある。同書に掲載されている石垣島の図書館は、旅行したときに立ち寄ったことがある。地域の民家に似た外観と高い天井が印象に残っている。

つい最近立ち寄った神戸のある図書館では、書棚の一角に空襲の記録や、遺品が展示されていた。地域に関する本を集めた書棚には、空襲、震災、校門圧死事件から中学生による児童殺人事件まで、地域に起こった災難や事件についての本があふれんばかりに置かれ、歴史ある都市の重い吐息を感じた。

“MECCA”は、偶像崇拝が厳しく禁じられ、信者以外立ち入れない場所も少なくないイスラム教の聖地を撮影しためずらしい写真集。以前、大阪の民族学博物館でカーバ神殿の大きなパネル写真を見た。おびただしい人の数に圧倒された。イスラム教のことはほとんど知らない。この写真集を見ても、いまはただ、人の多さに驚くばかり。

昨年の今頃書いた批評「『国内国際最高記録』について」「ノーベル賞はいらない」「オリンピックメダルは誰のもの」「ナンシー関の方法論」を剪定。


11/4/2003/TUE

少し前に、『満月をまって』という絵本を読んだ。月と風が重要な役割を果たしている。ちょうど同じ頃、飛行機内で、政木早希子「風になろうよ」という歌を聴いた。

風という言葉から連想する歌。沢田聖子「憧憬」、浜田省吾「風を感じて」、The Boom「風になりたい」石川セリ「遠い海の記憶」、そしてBob Dylan, “Blowin’in the wind”。

その邦題でもある「風に吹かれて」という曲がオフコースにも森高千里にもある。映画『風の谷のナウシカ』の題名はもちろん、最後の場面の「風が戻ってきた」という台詞も耳に残る。村上春樹『風の歌を聴け』も読んだことがある。

こうした作品や固有名詞だけでなく人や場所も含めれば、「風」という普通名詞にも、人それぞれ、さまざまな、その人だけの連想があるに違いない。「風」と一言いっても、私の「風」は他の誰とも違う。「風」という言葉の最小限の意味は通じるとしても。

言葉は表面的には記号であっても、本質的には記号ではない。丸山圭三郎を通じて学んだソシュールの考え方を、私はこのように理解している。

読んだばかりの絵本が、私の「風」に一層、厚みを加える。言葉はミルフィユ。「言」という字は形から、「葉」という字は呼び起こす姿からして、幾重にも積み重なっている。


11/5/2003/WED

きのうの荒川洋治。受験勉強の暗記本について。

英語、歴史などの受験勉強に、暗記本は便利。よく売れている。なかには30年以上売れているものも。

暗記法にはこじつけも少なくない。暗記のために、別な言葉や話を覚えなければならないものもある。

最近の暗記本で面白いのは、野村光夫『ゴロゴロ日本史 野村のスーパー暗記帖』(学研、2003)。従来は、1192年で、「いい国作ろう鎌倉幕府」など、一つの年で、一つの事項を覚えるだけだった。野村方式は、一つの語呂合わせで、同じ年の複数の事項や人名を盛り込む。

荒川も試みに、明治以降の詩人、14人の名前を織り込んだ長歌をつくってみた。

無理やりな点もあるけれど、暗記本は、受験生の息抜きにもなる。

近代詩人長歌は、書きそこなった。

暗記本には、いわゆるトンデモ本が少なくない。Acknowledgeなどacで始まる単語はみんな和田アキ子が登場してしまう英単語暗記本を、と学会の本で見たことがある。

野村の本を書店で見てみた。確かに一つの文章に、年号から人名から入っている。野村は、受験指導のためというより、まず自分が覚えるためにいくつもの語呂合わせを発案したという。自分でつくるか、よほど肌にあうものではないと、森本が指摘する通り、かえって混乱するばかりだろう。

語呂合わせは、侮れない。今も新聞を読みながら、山村良橘『世界史年代記憶法』(代々木ライブラリー)で覚えた語呂合わせを唱えることがある。山村先生の記憶法は、イメージ豊か。たとえば、1948年、56年、67年、73年まで四度あった中東戦争。「師走の頃は空しく涙」で一度に覚えられる。しかも、この言葉は冬季講習で聞いたので、ずっと忘れない。

山村先生はゴロゴロ方式の先駆。一文で複数の年代を入れたり、事件の背景、結果などの関連事項まで掛詞のように織り込んだりした傑作がいくつもある。長いものでは、1832年、1867年、1884年、1918年、1928年と5回あったイギリスの選挙法改正は、「闇に止む無くはやしたが、悔いはなく、苦にはならない」に収まる。

暗記法は、波長が合わないと年代を覚える以上に苦痛になる。私には、山村方式が肌に合ったのかもしれない。「戸開け、肉、フォーク、カレー」のように、ほとんど意味のない言葉の羅列のような「おまじない」も、今でも覚えている。この文は第二次大戦後、選挙で選ばれた米大統領、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、(暗殺後、副大統領からジョンソン就任)、ニクソン、フォード、カーター、レーガン、を覚える「おまじない」。

語呂合わせは、一種の言葉遊び。荒川のように私もつくってみたことがある。年代の語呂合わせだけでなく、事件と人物名や背景を掛け合わせることができると、面白い。あるいは、まったく違う風景を入れこんでしまうのも、楽しい。ページがとれてぼろぼろになっているけれど捨てられない『世界史年代記憶法』の余白から抜き出してみる。

イギリス秘密投票法、1872年。「夏の秘密、アイム・ソー・グラッド(ストン内閣)」
国際社会主義女性会議、1907年。「女集まれ、シュトゥットガルト」
鄭成功、台湾を攻略、1661年。「ロックンロールの聖子(成功)、大(台)ヒット」
ニュートンの生没年、1642年~1727年。「引力法に接線」
モスクワ五輪。1980年。「和を欠いた五輪」

米大統領は、「戸開け、肉、フォーク、カレー」のあとは、「ブクブ(ク)」(ブッシュ、クリントン、ブッシュ)と続ければ、とりあえずはカレー鍋の様子が思い浮かぶ。その次が「ク」で始まると決まったわけではないけれど。


11/6/2003/THU

多和田葉子は、『エクソフォニー』の中で、自分が話さないフランス語を一日中聞いているうち、不思議な快感ともいえる気持ちが湧いてきたと書いている。人間が話す言葉そのものがもつリズムやメロディが心地よく聴こえたということかもしれない。

こうしたことは母語のなかでも、話し言葉でない文章のなかでも起こりうる。経済紙の技術記事、夕刊紙の競馬欄など、自分が関心がない文章は、日本語であってもさっぱりわからない。日本語だから読めるには読める。でも、固有名詞はもちろん、語彙、言い回し、どれもどんな意味なのか見当もつかない。それでも読んでいると、何となく面白く感じられてくる。

バスや電車で、違う世代の言葉を聴いてもそう。同じ日本語とは思えないほど、違う単語をつかい、違う話し方をしている。制服を着た高校生が、バイト先か友人宅に携帯電話で話している。私が仕事で使っている言葉と同じよそ行きの敬語。「はい、わかりました。それでは失礼します。」と電話を切る。

携帯電話をしまうと、隣にいた友達に向かって、彼女はそれまでとまるで違う口調で話しはじめた。単語や口調はもちろん、発声法まで違うようでしばし呆然と聴いていた。日本語のなかの完璧なバイリンガルを見た気がした。


11/7/2003/FRI

昨日の続き。『エクソフォニー』の副題は、「母語の外へ出る旅」。ことばの旅には、「母語のなかへ入る旅」もある。昨日書いたような、自分の知らない日本語を知ることもその一つ。詩や小説、いわゆる文学作品を読むことは、母語のうちに新しい言葉を知ることでもある。

母語といっても、それは日本語、英語のように、辞書や学校の科目で区切られるものではない。自分が覚えてきた言葉、それが母語。

森有正は、渡仏後、生涯フランス語で日記を書き続けた。それが彼にとって「母語の外へ出る旅」だった。それでも、疲れきった晩には母語で書かないではいられないこともあった。そういうときでも、彼はこらえ、ローマ字で綴った。

二宮正之が指摘するように、森の日記は母語から外の世界に生きる苦闘の軌跡であることは間違いない。亡くなる直前、病に倒れたときにも日本語で書いていたという(「森有正の『日記』について」『私の中のシャルトル』ちくま学芸文庫)。

だが、こうしたことから人は母語から逃れることができないと考えるのは早計だろう。いや、人は母語から逃れられないとしても、すでに書いたように、それが日本語、英語、フランス語と学校の科目のように割り切れるものではないはず。

森有正がフランス語のなかに日本語を混ぜないではいられなかったこととは反対に、日本語を書きながら、思わず英語やドイツ語を使うときもあるかもしれない。それは語学力の程度とは関係ない。昔学校で教わった一言、映画や歌で覚えた言葉、旅先で聞いたあいさつ。それもまた私の言葉の一部。これは日本語、これは英語と区別して、見聞きしているわけではない。

ハンナ・アーレントは、「何が残った?母語が残った」と言った。残るのは、区切られた国語ではなく、自分が身に着けてきた言葉。純粋な日本語などというものはなく、母語というものも、彼女がいう「関係の網の目」に過ぎない。「関係の網の目に飛び込め」ということは、母語の内に外に、飛び出し、飛び込んでいくことと、受けとることもできる。

1/14/2004/WED追記

原著では、題名は“What remains; The Language remains.”となっていた。充分でない英語力のまま合衆国へ亡命し、そこで英語で著作を書き続けた彼女は、“Mother Toungue”という言葉に、不要な感傷はもっていなかったとみえる。

絵本短評「ぼくらの村にサーカスがきた」「せかいいちうつくしい村へかえる」を植栽。

10/11の雑記、川村陶子の講演会の感想に追記。この論点は、森有正が丸山眞男に投げかけた疑問でもある。

批評「ナンシー関の方法論」の最終段落に「批評家」の言葉を追加。蛇足とも思われたが、含意をはっきりさせるために入れてみる。

各小目次のページの右上に、目次へのリンクを貼付。掲載項目が増えてきたため、最下段の目次が見えにくくなっているため。


11/8/2003/SAT

子どもがバザーで、『ウルトラマンブック せんしととくいわざ』という本を買ってきた。喜んで読み始めてすぐ、コスモスがいないと文句を言い出した。見てみると、その本はウルトラマンからセブン、ジャック、エース、タロウ、レオ、エイティ、グレート、ゾフィー、父、母しか、のっていない。しか、といってもこれだけでも充分な人数。スペシウム光線、アイスラッガーなど、それぞれの必殺武器も解説されている。

30代以上の父親なら大喜びする一冊だろう。子どもとの共通の話題も増えそうと期待するに違いない。でも、子どもにしてみたら、どうだろう。最近のウルトラマンや仮面ライダーは、一人のヒーローでも三変化したり、放映の途中でパワーアップと称した衣替えもする。それらの新しい名前だけでも頭がいっぱいなのに、ウルトラマンの古典世界まで持ち出されては、混乱しないほうが不思議。

斎藤美奈子は『趣味は読書。』のなかで、「教養」と呼ばれるような知識体系が大きく変容しているのではないか、と書いている。今の学生にとって、シェイクスピアはもはや知らなくてすむ知識となっている一方で、アニメ、コミック、テレビ・ヒーローなどは、古典から際物までさまざまあり、「教養」ともいえるような知識体系をつくってしまっている。

「教養」は、本来、知識の体系ではないと今では思ってはいるけれど、斎藤の論点はわかる。ウルトラマンしか見たことがなければそれですんだかもしれないけれど、今や、一族郎党で物語をつくっている。これをみな覚えなければ、ウルトラマンの世界全体を楽しむことができない仕組みになっている。

最近買った雑誌でも、「ぶんしんかいじゅうについてべんきょうしよう」というページがあり、新しい怪獣だけでなく、バルタン星人が紹介されていた。分身怪獣を知るために、宇宙忍者は必須項目ということか。それからまた最近公園では、すべり台を降りるとき「アムロ、行きま~す」と言っている小学生を見た。いったいどこで覚えたのか不思議でならなかった。

学校では学ぶ項目がどんどん減っているというのに、日常生活では、たかがテレビ・ヒーローの必殺技でも、覚えなければいけないことがどんどん増えている。奇妙な子どもの世界。

現代社会では、学ぶ知識が生理的に生きることには直結していない。狩りの仕方や寒さをしのぐ方法は学校で教えられていない。学校での、つまり社会が求める知識は、どうしても社会的な知識が中心になる。それだけに、知識体系は、もともとが生命保存という基準があるわけではないから、社会のあり方とともに変化していく。ウルトラマンの名前を知っていること、その話題に調子を合わせることも、生きていくために必要になることもあるかもしれない。

産業社会では産業知識に、情報社会では情報知識に偏っていく。生きることじたいが複雑な現代にあって、知識は社会的な意味に重点が置かれている限り、「生きる力」と一言でいっても、シンプルなものになるはずがない。

それでも、子どもに同情したり、また、彼らが追い求める知識を見下すのはやめよう。彼らはこの時代しか知らない。誰もが自分の時代しか知らない。そうして、その時代のなかで生きていくのだから。

書評「アーレント政治思想集成1・2」を植栽。bk1に書評「鉄道ひとつばなし」を投稿。


11/9/2003/SUN

『アーレント政治思想集成』の書評に加筆。書きながら、ずっと前に読んだツヴェタン・トドロフ『はかない幸福――ルソー』(Fréle bonheur: essai sur Rousseau, 1985、及川馥訳、法政大学出版局、1988)を思い出した。

この本のなかで、トドロフは、ルソーが概念化した人間像を、体制、時局に埋没する全自動人間、それらから完全に逃避する孤独な人間、そして「ありうべき社会」を夢想するのではなく、良心に従いながら、「あるがままの社会」に生きる道徳的市民の三種類に分けた。大まかにいって、それぞれの類型は、『社会契約論』『孤独な散歩者の夢想』そして『エミール』に対応している。そして、第三の人間像だけがルソーが何の留保もなく推奨した途だとトドロフは結論づける。

十年以上経っても、私の基本的な考え方は、ルソーから、というよりトドロフのルソー解釈からまったく離れてない。アーレントを読んでも、同じところに行き着いてしまった。違うところは、全自動人間を、全体主義に無自覚に埋没する人間と、自覚的にその中で生き残り、勝者になろうとする人間と分けたところ。

ルソーの「良心」、アーレントの「理解」、小林秀雄の「批評」森有正の「経験」丸山眞男の「精神革命」、そして鷲田清一の「臨床哲学」

みな同じようなことをそれぞれ自分の言葉で述べているのではないだろうか。そうだとすれば、問題は、それらの微妙な違いを明らかにすることにではなく、私自身の方法で表現できるか、そして表現したとおりに体現できるか、というところにある。

12/23/2003TUE追記

庭師紹介に、もう10年以上前に書いた論文の結論部分を掲示した。厳密にいえば、卒業論文ではない。演習の担当教授に提出した、いわゆるゼミ論。

『はかない幸福』でも最後に引用されていた、この言葉が含まれた文章が引用されている。もちろん原典にはあたりなおしたといっても、完全に借用となっている。

表紙写真を「秋の桜並木」に変更。

書評「ハンナ・アーレント政治思想集成」を剪定。全体主義に対しての四つの態度について追記。

書評を書いてすぐに書いた以上に追記することがときどきある。自分で書いてみて、自分が読んだことがわかってくる。「理解」ということは、こういうことだろうか。いずれにしても、意気込んで書いた段落はまだ混乱している。少しずつ整理していくことにする。


11/10/2003/MON

アーレントの書評についての続き。全体主義に対する五つの態度を、賃金労働、サラリーマン生活のなかで具体的に考えてみる。

何の疑問も抱かず働き、せいぜい赤提灯で管を巻いて憂さを晴らすだけというのが、埋没。賃金労働を自己実現、自己表現と積極的に受け止め、そこで金銭的な対価だけでなく、満足できる「仕事」をしようと努力するのが、適応。組織的な労働運動や政治運動に受動的に参加したり、宮仕えに嫌気が差したという理由だけで、起業したり、自給自足の田舎暮らしをはじめたりするのが、抵抗や逃走。

では、賃金労働における理解とは、どんなものか。体現はおろか、言葉で表現することさえ、今の私にはできない。それでも、ヒントになるだろうと思われる引用は残しておけそう。

山口瞳が、ウィスキーの宣伝に寄せたある文章。前回の阪神優勝の立役者、ランディ・バースが息子の病気のために帰国したことと、湾岸戦争のときクェートで一時人質となった商社社員が、戦争終結後、早々に帰国しようとしていることを書いてから、山口は問いかける。

   新入社員諸君! 君達はこの現実をどう思うか。実は、最近、僕は窃かに、自分のサラリーマン時代の生活を反省しながら、こんなことを考えている。朝の九時から夕方の五時まで、脇目もふらずに働く。そのかわり残業をしない。早く家に帰って適量の酒で寛ぐ。有給休暇はガッチリと頂戴する。こういうタイプの社員がそろそろあらわれてきていいんじゃないかなあ――。(「君達はどう考えるか。」『諸君! この人生、大変なんだ』常盤新平編、講談社文庫、1992)

いわゆる「ベルサッサ」が、理解へ通じる途となるかは定かではない。しかし、こうした生き方は、孤独と苦悩を招くことは間違いないだろう。会社からは役立たずと言われ、同僚からは身勝手と言われる。向上心もなければ、責任感もないと非難される。

いや、苦悩と孤独というのは、外部からの評価が悪くなることを意味するのではない。そうした外部からの評価に依存する自分を断ち切るところに、苦悩と孤独がはじまる。

実際のところ、就業規則の業務時間を一心に働いても、よく働いたことにはならない。いまやサラリーマンは、仕事の成果のみならず、それを生み出す生活の全般が評価の対象になっている。24時間企業人であることが求められている

脇目もふらず働く、ということは、それだけ仕事に対し責任と自負を持っていることを示している。責任を果たしながら、自分の領域を確保する。こういういいとこどりは、もう限界に来ている、あるいは初めから無理な気がしてならない

職業に対し一切の倫理的な責任感を捨てること。「いい人」「できる人」と思われたい願望を捨てさること。適量の酒で寛ぐためには、厳しい覚悟が必要になる、意識せずにそうできてしまうのでなければ。

書評「世界の配色ガイド」7月の雑記から転栽。

書評「ハンナ・アーレント政治思想集成」の中、全体主義に対する態度のうち、忘却を埋没に変更。忘却、自失、埋没と迷ったが、とりあえずは、埋没を選ぶ。

紹介「烏兎以前」を縦書きから、雑記と同じ体裁に変更。もともとはノートに横書きで書かれたもの。こちらのほうがすわりがいい。


11/11/2003/TUE

FMラジオで続けてビートルズのカバー曲を聴いた。Fiona Applle,“Across the Universe” とBette Midler,“In My Life”。最新の“Let it be”の“naked”版から“The long and winding road”も。

ビートルズ派か、ストーンズ派かと聞かれれば、間違いなくビートルズ派。ローリング・ストーンズの曲はほとんど知らない。といって、ビートルズに詳しいわけでもない。十代のはじめ、いわゆる赤盤、青盤と呼ばれるベスト盤を聴いた。あとでビートルズ・ファンを名乗る人に、赤盤、青盤しか聞いていない人はファンではないと言われた。

その後で、駅構内のワゴン売りで、“Let it be”や“Rubber Soul,” "Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"を買った。オリジナル盤はそれ以外聴いていない。駅構内やディスカウントショップで売られていたベスト盤はいくつか持っている。それぞれがソロになってからのアルバムはほとんど聴いていない。

今でも、“In My Life”と“Across the Universe”は好きな曲。“And the memories lose their meaning when I think of love as something new”や“Nothing’s gonna change my world”という言葉を何度も口ずさむ。

この一年で、これまでなじんでいた言葉が、まったく違う意味に感じられるようになってきた。ただの歌詞といえば、それまでだけれど、私にはかけがえのない言葉。本を読んだり、文章を書くことを通じて、前から知っていた世界が広がっている。

言葉をかえれば、ずっと昔にビートルズを聴いていなければ、この一年に読んだ本についての感想はこれほど深いものにはならなかっただろう。

“In My Life”の歌詞にある“love”は「思想」と置き換えてもいい。思想を新しいものと考えるとき、過去は意味を失うようにみえるけれども、そうではない。新しい意味を与えられていく。

そうして、記憶は煉瓦となり、「穢されることのない私の世界」を守る城壁となる。


11/12/2003/WED

昨日の荒川洋治。大修館から『日本語大シソーラス』という辞典が発刊された。類語辞典は英語では古くからあり、19世紀から“Roget”と呼ばれる辞典があった。

『大シソーラス』には「美しい」という言葉と似た意味をもつ言葉が、熟語から比喩的な表現までたくさん掲載されている。『ことばの意味』(平凡社)でも、「うっかり」「思わず」「つい」、「丹念」「丁寧」「念入り」などの違いを細かく解説する。

言葉には、それぞれ違う意味やニュアンスがあるが、違いを気にしすぎると、言葉に恐怖心をもつようになってしまう。ありふれた言葉がかえって新鮮さを生むこともある。

好例が俳句。漱石、虚子、誓子などが紹介された。

凝った表現より、ありきたりな言葉の組合わせが新鮮な感動を生むという考え方は、荒川の持論。以前も、おいしいときにどういうか、という話題で、同じことを話していた

ずっと前に読んだ井上ひさし『自家製文章読本』(新潮社、1984)のおわりに、つまるところ言葉はすべて比喩にすぎない、と書かれていた。「はじめに言葉ありき」ではなく、「はじめに気持ちありき」ということ。その気持ちを表現するために、言葉を選ぶ。しかしその選んだ言葉によって、はじめにあった言葉にならない気持ちが、まるではじめから言葉で割り切られていたかのように感じられてしまう

丸山圭三郎のいう「言分け」とはそういうことではないか。だから詩人は明晰で定義のはっきりした言葉ではなく、平明でいて広がりのある言葉を選ぶのではないか、言分けされない気持ちの余韻を楽しむために。

11/14/2003/FRI追記

荒川が、厳密な言葉の意味にこだわりすぎると、言葉に恐怖心をもつようになる、といっている同じことに、鷲田清一が「過剰な合理主義」という言葉をあてている。これは「会話においてことばとして言表された意味内容の論理的な一貫性に執拗にこだわる態度」。

なぜそういう態度に陥るかというと、ゆるやかな言葉や身振り、声色を含めた生身の「ふれあい」をもつと「じぶんが崩れ、溶けだすから、逆に自己の輪郭を必死で補強しはじめる」から。(『「聴く」ことの力』、TBSブリタニカ、1999

11/28/2003/FRI追記

荒川は明言していないが、問題は言葉が経験に裏付けられているか、ということではないだろうか。春先になると、着慣れない背広を着た若者が街にあふれる。くたびれた背広を着ている人間からは一目瞭然。何年も背広を着ていても、新しい背広は何となく着慣れない感じがする。

そんな風に、辞書で引いて見つけた言葉遣いはすぐわかる。だからといって、新しいものは必要ないというわけでもない。そこが背広も、言葉も難しいところ。

書評「鉄道ひとつばなし」を投稿書評に加筆して植栽。書評「大和路百景」には、入江泰吉に出会った経緯を追記。


11/13/2003/THU

Godiego Rare Tracks (Godiego Box) 、ゴダイゴ、コロムビア、1986

「Taking Off」一曲を聴くために借りてきた。解説によると、発売日は1979年7月1日。はじめて自分で買ったレコードは、この曲がB面になっていた「銀河鉄道999」か、映画『さらば宇宙戦艦ヤマト』挿入歌のささきいさお「好敵手/テレサよ永遠に」か。はっきりとは思い出せない。

初めて自分の小遣いで買ったLPレコードは何だっただろう。『さらば宇宙戦艦ヤマト』のサウンドトラック盤か、さだまさしの『随想録』(エッセイ)か『印象派』か。

「999」は、映画の最後に流れる別れの歌。「Taking Off」は、列車が宇宙へ向かって旅立つ場面に流れる出発の歌。いずれも、作詞は奈良橋陽子。歌詞も曲も、“Taking Off”のほうが気に入っている。

I'm leaving, I'm flying, I'm taking to the unknown
新しい星を探すんだ Taking off Taking off
誰も行かない未来へ

「未来」という言葉が、まだ特別な光を放っていた。それは、私にとってだろうか、それとも時代にとってだろうか。

表紙写真を「公園の落葉」に変更。書評「入江泰吉」を剪定。


11/14/2003/FRI

ときどき私は…SERI(1975)、石川セリ、キティ、日本フォノグラム(CD選書/Q盤)、1994

ゴダイゴのアルバムと同じように一曲のために探していたアルバム。古レコード店でようやく見つけた。探していたのは最後の曲「遠い海の記憶」。この曲はNHK少年ドラマシリーズの一つ『つぶやき岩の秘密』の主題歌だった。ドラマの原作は、新田次郎

最初に放映された時の記憶はうっすら。数年たって中学生の頃、原作を読み直した。『孤高の人』『銀嶺の人』『栄光の岩壁』『アラスカ物語』『珊瑚』などの新田作品を続けて読んでいたのも、そのころ。さらに数年後、少年ドラマシリーズがビデオで発売された。『なぞの転校生』と一緒に『つぶやき岩の秘密』を見た。

物語は、よく覚えていない。三浦半島を舞台に、隠された財宝をめぐる大人の争いに少年が巻き込まれていく話だったように記憶する。最終回で、海に金塊を投げ込む場面だけは脳裏に残る。

NHK少年ドラマは、私にとって読書への入口だったかもしれない。『タイム・トラベラー』(『時をかける少女』)(筒井康隆)、『ぼくのおじさん』(北杜夫)、『とべたら本こ』『ぼくがぼくであること』(山中恒)、『夕ばえ作戦』(光瀬龍)、『きみはサヨナラ族か』森忠明)、『困ったなぁ』(佐藤愛子)、『なぞの転校生』、『未来からの挑戦』(『ねらわれた学園』、『地獄の才能』)(眉村卓)。

それから『11人いる!』(萩尾望都)、少し後になってから、『星の牧場』(庄野英二)。原作は読んでいないけれども、『孤島の秘密』は今でも主題歌がそらで唄える。

放映された時に見ていない作品もある。むしろ、見ていない作品のほうが多いくらい。それでも原作の本がいくつか家にあったので、中学時代に聞き覚えのある書名を次々に読んだ。最近は、ビデオやムックが何種類も発売されている。『星の牧場』のドラマにはバイオリニスト、千住真理子が出演していたと、最近立ち読みした少年ドラマシリーズのムックで知った。

「遠い海の記憶」は、作詞をした脚本家が無理を承知でファンだった石川セリを指名したところ、あっさり引き受けられたと、ビデオの解説に書いてあった。繰り返し聞いたわけではない。何年かごとに、何度か聴いた言葉が、なぜかずっと心に残る。

いつか大人になって 君はふと気づくだろう
あの輝く青い海が 教えてくれたものは何だったのだろうと

今年の二月、ある晴れた日に、育ったところに近い海へ出かけた。何度も見た海の風景だったけれど、私はふと気づくことは何もなかった。まだ大人になっていないということなのかもしれない

一曲のために買ったアルバムは、全曲聴きごたえのある内容だった。1975年に録音されたこのアルバムは、私が好んで聴く、当時のほかの音楽と重なる。それは参加したミュージシャンにもみてとれる。

荒井由実、みなみらんぽう、松本隆、伊藤銀次、松任谷正隆、吉川忠英、石川鷹彦、矢野顕子(このアルバムでは晶子)、後藤次利、村上秀一、斉藤ノブ、山下達郎、大貫妙子。

「遠い海の記憶」は、ドラマの主題歌。ほかの曲も、当時見た映像を思い起こさせる。銀河テレビ小説や、ルパン三世の後主題曲にありそうな曲。青春ドラマの挿入曲にありそうな曲。映画『太陽を盗んだ男』に登場する、池上季美子がDJ役の深夜のラジオ番組「あなたと共犯関係」でもかけていそうな曲。聴いたことはないのに、いつか、どこかで、聴いたことがあるような曲。ある時代の音楽。

随想「書く、ウェブに書く」を剪定。「サイバースペース」という言葉を「インターネット」に変更。この変更じたいにたいした意味はない。全文を読み返した、というところに意味がある。


11/15/2003/SAT

EACH TIME(1984)、大滝詠一、ナイアガラ、Sony(CD選書)、1991

“EACH TIME”は、そのうち買おうと思っていた一枚。『ときどき私は…SERI』の近くに置いてあったので一緒に購入。“A LONG VACATION”はすでに持っている。

発売は、『ときどき私は…SERI』の約十年後。偶然、同じミュージシャンが何人か参加している。こちらのアルバムでは、それぞれ奇妙なミドル・ネームが与えられていておかしい。吉川“長老”忠英、石川“元老”鷹彦、斎藤“月見うどん”ノブなど。20年前にすでに長老、元老だった二人は、今でも現役で活躍している。

作詞は全曲、松本隆。どこかで松本自身が語っていたように、彼の歌詞の魅力は、凡庸を貫くところ。「小麦色のマーメイド」「白いパラソル」「青い珊瑚礁」、それから「赤いスイートピー」。松田聖子のために書かれたこれらの曲の題名だけでも、何のひねりもない、平凡すぎるくらいの言葉づかいがよくわかる。

歌詞の内容も、曲名から予想されるとおり。このアルバムでも、野球場にデートを誘う「恋のナックルボール」でも、街角で昔の恋人に会う「木の葉のスケッチ」でも、言葉にも物語にも、何のひねりもない。こんな歌、今までなかったのが不思議と思うくらい。言ってみれば、コロンブスの卵。あえて平凡さを選べるか、選んだ以上、一切ひねりや飾りを拒めるか、しかもそれを連作で。そう考えると、見た目以上に、難しいことに思える。

ところで、「ガラス壜の中の船」を聴くと、菊池桃子のラジオ番組「あなたと星の上で」(ニッポン放送)を思い出す。リスナーの恋愛体験を朗読するコーナーで使われていた。同じ番組のおかげで、今でも「星に願いを」を聴くと星占いのコーナーを思い出す。他愛のないことだけれど、書いておかなければ忘れていきそうなので、書き残しておく。

いや、反対。これまで、ずっと忘れずにいた。そういうことは、書いてしまわなければ忘れられないのかもしれない。これでもう、忘れてしまってもかまわない。読み返すたび思い出せるのだから。


11/16/2003/SUN

荒川洋治は、ありきたりな言葉の組み合わせが新鮮な感動を生むという。懐が深く、間口が広いほど、想像を広げるから。一方、森有正は自分のつかう言葉を厳密に定義することが、思想を育むことだという。これら二つの考え方は、一見矛盾しているようにみえる.。ところが、よく考えてみれば、そうではない。詩人と思想家は、同じことを互いに反対側から述べているようにみえる。

森の言葉は言葉を発する側についての考え、荒川の言葉は言葉を受け止める側についての考えを、それぞれ述べている。これらが対照的であることは、むしろ自然ではないか。言葉は、気持ちを飛ばすカタパルトのようなもの。がっしりとした骨組みと、強いバネがなければ、気持ちは相手に伝わらない。へたったゴムを割り箸で引いても、すぐ落ちる。

定義された言葉というのは、厳格な言葉、難解な言葉を必ずしも意味しない。反対にありきたりな言葉というのは、あやふやな言葉ということでもない。定義されている、ありきたりな言葉というものも、ありえる。自分の気持ちが、はっきりとこめられていること。相手が誤解せず、受け止められること。

言葉の目的は、何より気持ちが伝わること。意味を伝えることだけでも、相手の想像力をかきたてることだけでもない。「のどがかわいた」という言葉への正しい応答は、「ああ、そうですか」でも、「わたしはそうでもない」でもない。黙ってでも水を差し出すことが、言葉を受け止めたことになる。

そんな風に、相手に気持ちが伝わる言葉が、定義された言葉。「のどがかわいた」がいいか、「何か飲むもの」がいいか、それとも「水!」がいいか。ありきたりな言葉でも、相手に気持ちを伝えるためには、定義を極めなければならない。

定義された、ありきたりな言葉、が発せられるとき、三つの経路が考えられる。一つめは、無意識のうちに発せられたありきたりな言葉、あるいは、ありきたりな言葉しか知らない人から発せられるありきたりな言葉。無邪気な言葉。子どもの言葉。二つめは、努力と苦労のうえに選ばれた言葉。選択された言葉。技術の言葉。類語辞典の言葉。素顔にみせる化粧をされた言葉。

三つめは、努力と苦労を重ねた人間が、無意識のうちに発する、ありきたりな言葉。詩人の言葉。芸術家の言葉。化粧されてない、それでいて化粧されたような素顔。スタイルのある言葉。

ここからが問題。三つめの表現が、狭義においてスタイルだとしても、ほかの二つも広い意味では、スタイルといえる。つまり、これら三つに表現としての優劣はない。いずれも、それ以外ではしようがない方法で表現がされているのだから。

それではどれでもいい、Anything Goes!というわけか。それとも、やはり三つめだけがほんとうの意味でのスタイルであるというべきか。そうだとすれば、それはなぜか。このあたりから、私のスタイルについての考えは、自分でも説明のつかない不透明な状態になる

短評「はるかな湖」「リンカーン ゲティスバーグ演説」を植栽。随想「101――ノーカル残像」を剪定。頭痛の理由と、場所が人を変えていくことを追記。批評「極刑は仇討ちになるか」を剪定。救済の意味について追記。2003年3月24日の日誌に追記。


11/17/2003/MON

先週末は、行きなれた場所で週末を過ごした。よく知った場所へでかけると、新鮮な旅ではないけれど、自宅とは違う寛いだ気分になる。行ったというより、家でもないのに帰ってきた感じ。

最近書評を書いた『在日外国人と帰化制度』の著者、浅川晃広さんのウェブサイトに書評がリンクされた。著者に書評を読まれるということは、少し恥ずかしくもあるけれど、もちろん、それ以上に光栄なこと。

これまで新聞や雑誌、ネット上の書評に誘われて本を手にとったことは何度かある。自分の書評から、誰かが本を手にとるということを、これまで想像したことがなかった。書くことについて、あまりに自分にとっての意味ばかり考えていたように思う。読まれるということを想像することが足りなかった。

荒川洋治のいう読み手との対話のある文章、鷲田清一のいう「聴く」姿勢をもつ文章ということの難しさが、少しわかってきたような気がする。これまでは、難しいとか易しいとか、そんなことも思いつかなかった。先月の雑記を読みかえしてみると、荒川のラジオコラムを聴いたあとの文章でも、この点とは違う方向で考えを進めている。

表紙写真を「公園のベンチ」に変更。書評「配色ガイド」の「多分化主義」という語を「文化の多様性」に変更。主義という日本語は他を許さないという強すぎる響きがある。そう考えると「多文化」と矛盾するように感じられたため。


11/18/2003/TUE

早朝の便に乗るために夜明け前に家を出る。玄関の前で見上げると、オリオン座が西の空に傾いている。よく晴れている透き通った初冬の空。

車に乗り込み、ラジオをつける。聴くのは、NHK-FM「弾き語りフォーユー」。小原孝のピアノとおしゃべり。松任谷由実「さまよいの果て波は寄せる」が流れている。オリジナルをかけてから演奏するのはこの番組では珍しいこと。この曲が収録されているアルバム『悲しいほどお天気』が出された年は、小原が大学に入学した年で、彼にとっても思い出深い作品と紹介された。

そのあと、いつもならAMラジオのニュースを順繰りに聴くところ。ラジオを消して、ユーミンに誘われるように彼女の作品ではじまる石川セリ『ときどき私は……SERI』を聴く。朝焼けと霧の風景ではじまるアルバムは、早朝のドライブに合う。家を出たときは、まだ真暗だった。

レインボーブリッジでは、橙色が地平に沈み、空の色が浮かび上がりはじめている。ビルの灯りが、小さいころに見たSFアニメのメガロポリスのように、乾いて澄んだ空気にさざめいている。

25年以上も前に発表されたこのアルバムをずっと知らずにいたとは、もったいない。かつて熱心に聴いたミュージシャンでも、今ではラジオで聴く以外耳にしない人も少なくない。一時はこの人を応援しようと決めて、ファン・クラブに入ったり、発表される作品をすべて手に入れようとしたこともあった。その決意を忘れることは、ファンとして無責任ではないか、芸術を支える意識が希薄なのではないか、そう思うことがある。

それでは、こうして25年以上前の優れた作品を知らずにいたことはどうなのか。いまでは優れていると思う作品を、知らなかったばかりに買いもせず、何も支援しなかった。それは知らなかったで済まされることなのだろうか。過去だけではない。今も、私をときめかせるかもしれない音楽も文学も、どこかで私を待っているかもしれないのに、私は知らずにいる。その無知は、罪ではないのか。

もう聴かなくなった音楽、もう読まなくなった作家、もう行かなくなった店。私の好みが変わったのか、向こうのスタイルが変わったのか、ともかくそれらとは離れている。その一方で、過去でも現在でも、まだ私の知らない音楽、文章、そのほかさまざまな商品、サービスがある。私の好みと合致するかもしれないのに。

私の気まぐれに、責任があるのか。私の無知に責任があるのか。売れない、話題を提供しない、知られていない表現者に責任があるのか。それとも出会いと別離は偶然に過ぎないのだろうか。


11/19/2003/WED

大阪駅から特急サンダーバードに乗って金沢へ移動。そのまま泊まった。昨日は早朝に出発したので、荒川洋治のラジオ・コラムは聴けなかった。録音できる機材をもっていないために、聴けなかった日は、残念ながら聴けないまま。

小松空港では、フライトまでしばらく間がある。受付横のポスターに誘われ、空港前の石川県立航空プラザを見る。一階は航空機の展示。二階では航空機の歴史とともに、小松にあった海軍航空基地について展示があった。小松空港が自衛隊と共用になっていることは知っていたが、もともと海軍航空基地だったとは知らなかった。

展示によると、小松基地は桜花を抱いた一式陸上攻撃機の出撃基地だった。9回の出撃があり、270人が未帰還。敗戦時には13機の一式陸攻のほか、飛龍、彗星、九十七式、天山、彩雲、東海などが残っていたという。

桜花は爆弾を内蔵した特攻用のロケット機。一式陸攻は、名前のとおり元は対地攻撃機であり、山本五十六司令長官が撃墜されたときに搭乗していた機でもある。そういうことは、小学生の頃に本で読んで覚えた。『日本の軍用機』『日本の軍艦』『連合艦隊』『ゼロ戦と隼』『戦艦大和のひみつ』など、戦記マンガも織り込まれた、立原書房や秋田書店の図解本。その後、靖国神社の遊就館で桜花の現物をみたこともある。一式陸攻のプラモデルもつくった、というよりつくってもらったことがある。桜花ももちろん付属していた。

小松に配置されていたのは「神雷部隊」と呼ばれる特攻部隊。鹿児島から一部移転してきたらしい。壁には、北國新聞、2001年8月14日からの連載「雲の彼方に――小松『神雷部隊』の記録」が掲示されている。出撃命令を待っていた隊員たち、空港整備に借り出された当時の勤労少年、操縦技量や健康状態を考慮して出撃する隊員を選別しなければならなかった管理者の回想をまじえて、責任感と恐怖感に揺れ動いた人々の複雑な心境が詳しく書かれている。

神雷部隊の解散式は1945年8月22日。ソ連参戦以後、ウラジオストック攻撃の命が下るなど臨戦態勢が続いた部隊の任が解かれたのは、ポツダム宣言受諾から一週間後。小松の戦後はこの日から始まったと記事は書いている。全国どこでも、8月15日に戦争が終わったわけではないことが、この記事からもわかる。

靖国神社の境内には、部隊の生存者が植樹した「神雷の桜」があるという。戦犯扱いとなった人も英霊として合祀されていること、政教分離を標榜するはずの政府関係者が公人として参拝することなどには確かにさまざまな問題が含まれる。しかしそれはそれとして、多くの若者が国のために、しかもその多くは喜んで命を捨てた事実は、拒絶せず真剣に考えなければいけない。法律問題や外交問題にヒステリックに対応するあまり、思想の問題まで思い込みと勢いだけで片付けてはならない。

彼らは騙されていたわけでもないし、殺人愛好の極悪人だったわけでもない。客観的後知恵的な見方ではなく、あくまでも主観的にみれば、家族を守る、家族の住む土地を守る、それを囲う国を守るつもりで、ある者は自ら志願し、ある者は召集に従ったのではないのか。あたかも納税者が税金を納めるように、自分の命を国が遂行する戦争という大事業に預けたのではなかったか。

いったい、どこで間違ったのか。それとも、結果は間違ってはいたけれど、心意気は間違っていなかったのか。どう考えたらいいのだろう。こうしたことを考えなければ、国家でない組織や、ある種の政治運動に命をかけるほど献身的になることの功罪、爆弾は一つも使わないのに、税金を通じて行われる援助という名のもとに外国の人の暮らしを苦しめているような事態を、理解することはできないのではないだろうか。

書評「『聴く』ことの力」を植栽。書評「デザイナーのための配色ガイド」を、最初に書いた7月29日の日付に戻す。4月13日の雑記に追記。


11/20/2003/THU

ベルクソン 人は過去の奴隷なのだろうか、金森修、日本放送出版協会、2003

カラー版本ができるまで、岩波書店編集部編、岩波ジュニア新書、2003
本の世界のホントの話、久源太郎、ローカス、2000
The Christmas Card Songbook--featuring designs from the Hallmark Collection, Hal Leonard Publishing, Milwaukee, WI, 1991
VITRAUX――デュルト・森本康代ステンドグラス作品集、Durt 森本康代、リブロポート、1994

図書館が整理のために閉館となる前に、思いつくままにバラバラと借りてきた。すぐ読めて、楽しめそうな本というと、画集と新書。

ベルクソンの考えには、著者のいうとおり、常識はずれで理解しがたいところもある。でも、生きている実感を忠実に言葉で表わそうとすると、言葉としてはむしろ突拍子ない表現になるのかもしれない。気軽な言葉で書かれているけれど、著者の意図がはっきりしていて、一般的な入門書とは違う。つまり、もっとベルクソンを知ってみたいと思わせる案内書になっている。とはいえ、原著はやはり難しそう。

本について二冊。ヤングアダルトの棚にある高校生向けの本は、情報収集にちょうどいい。わかってもらおうと努力をしながら、これ以上やさしくならない、これだけは知ってほしい、という均衡点を模索するところから、読みやすくてためになる本が生まれてくるように感じる。これは、金森の本にもいえること。

書籍印刷のデジタル化が本格化したのは、ここ10年程度のことと知り、少し驚いた。パソコンのデスクトップパブシッシングでは、まだ印刷会社の技術にはとうてい及ばないらしい。

“The Christmas Card Songbook”はクリスマスに欠かせないキャロルとカードの歴史。楽譜と19世紀の貴重なヴィンテージ・カードも掲載。キャロルはルネサンス期に、聖書がラテン語から各地域の世俗語へ翻訳されたことと軌を一にして普及しはじめた。一方、カードは1843年、ロンドンに誕生。最初の意匠は、馬小屋でも、サンタクロースでもなく、ワインで乾杯する家族という史実は面白い。クリスマス・カードは世俗化したクリスマスの小道具として生れたということか。

“VITRAUX”とは、フランス語でステンドグラスのこと。森有正の文章に頻出する語の一つ。森の文章を読むまで知らなかった。神戸市出身のDurt 森本の作品は、ほとんど関西圏にある。垂水区役所など、公共施設にもあるらしい。キリスト教的な意匠ばかりではない。草花や動物や、幾何学的な図柄、和風建築に添えられた市松模様にも趣がある。出版されたのは、震災以前。作品は残っているのだろうか。

書評「知識人とは何か」を剪定。場違いな比喩を意図的に入れてみる。


11/21/2003/FRI

Handbell Christmas、Echo Handbell Ringers(児玉勝己指揮、補編曲)、CBS Sony, 1987

Christmas Carols, Musica Sacra, Gramophon, Polydor, 1990
Someday at Christmas (1967), Stevie Wonder, A Motown Compact Classic, Motown

クリスマスが近づいてきたので、図書館で二枚借りてきた。ハンドベルの音色は好きなのだけれど、コンパクトディスクを自宅で聴くだけでは、やはり物足りない。もう一枚は奇をてらわない正統派。ムジカ・サクラはニューヨークの合唱団と解説にある。

スティービー・ワンダーのクリスマス・アルバムは、手持ちの一枚。この季節には毎年繰り返して聴く。高校三年生の冬に“Someday at Christmas”を友人に教えてもらった。すぐ輸入版を買い、あとで歌詞カードの入った日本版を買いなおした。以前は政治的なメッセージもこめられた一曲め“Someday at Christmas”を好んでいた。

今年は、“The Day That Love Began”が気になる。どちらも詞は、Ron Miller。Millerは“Yester-me, Yester-you, Yesterday”なども手がけたモータウンのライター。

救世主が生まれた日、人々は贈り物をもって集まる。貧しい羊飼いも羊を一頭捧げるために、星を頼りに砂漠を歩く。けれども羊は、羊飼いが膝をついて祈りをささげる間に逃げてしまう。絶望する羊飼いに、聖母マリアの言葉。

Today you gave him the best gift of all
The moment that you cried

この一言で、羊飼いは救われた。歌いだしの歌詞には"peace could come to any man"とある。

Once upon a Christmas Eve
A shepherd who belived that peace could come to any man
Found the place his heart was dreaming of
And he kept his promise to a star above
The day that love began

羊飼いは、何もしない。ただイエスの生誕にかけつけるだけで、どんな贈り物よりも喜ばれる贈り物をした。しばらく気にかかっている「ただいること」と「救われること」とが、深いところでつながっていることを暗示する寓話だと感じる。

批評「誰か、止めてくれ」を植栽。批評「丸山眞男と小林秀雄」を剪定。真男をすべて眞男に訂正。一年前に書き、数ヶ月前にも推敲し、もう書き直すことはないと思っていた文章でも、見直すと段落の位置をはじめ、どうして気づかなかったのかと思うような基本的な間違いが見つかる。書評「『聴く』ことの力」に、引用を追加。家族と家庭の逆説的な定義を挿入。


11/22/2003/SAT

絹と光 知られざる日仏交流一〇〇年の歴史(江戸時代~一九五〇年代)(Soie et Lumières: L'âge d'or des échanges franco-japonais (des origines aux années 1950)、Christian Polak、アシェット婦人画報社、2002

ザビエルの旅 ヨーロッパ新紀行、菅井日人、 グラフィック社、1991

図書館の整理期間中に借りた本の続き。日欧交流史の二冊。

合衆国の大統領ですら、日本との同盟関係が百年以上も続いていると演説してしまうくらい、日米関係に対する幻想は強固。私の乏しい知識でも、20世紀初頭は、日英同盟の時代だったはず。年代暗記法では、オー日英同盟、黄金の日々、ふっと消え(1902年締結、05年、11年改定、21年解消)。本書は日英同盟からさらに遡り、幕末から明治にかけてフランスがただならぬ影響を日本国に与えていたことを明らかにする。

フランス文化からの影響というとファッションがすぐに思い浮かぶ。『絹と光』を読むと幕末から明治の初期では、服飾よりも軍事、工業、法律、新聞、企業という近代国家の基盤において、フランスは日本に多大な影響を与えたことがわかる。その影響は後の日米、日英のような政治的同盟関係以上かもしれない。日仏の接点は幕末明治に点在する。本書も通史ではなく、雑誌に連載されたエピソード単位で語られる。フランスは、日本社会のところどころに深く根を張っていることが、よくわかる。

文化交流は社会に質の変化をもたらす。だとすれば、どの文化が「一番」影響を与えたかを問うことには意味はないような気がする。質は、期間や量では測れないし、また比較の問題でもない。文化交流は部屋に空いた風穴のようなもの。どんなに小さくて、またすぐに塞がれても、部屋の温度も湿度も変化しないではいられない。

他の歴史書と同じように、本書を読んでこれまで知らなかった史実もいくつか知った。榎本武揚たちが五稜郭にたてこもったときに、箱館共和国の独立を宣言していたこと、その際、ジュール・ブリュネ、ウージーヌ・コラッシュら、フランスからの軍事顧問が支援していたこと。戦局は一方的で、すぐさま灰燼に帰したというものの、こうした事実を知るだけでも、日本国の歴史の多面性が垣間見える。

フランス政府自身は、表向きは幕府側に立ちながら、現地では中立の立場で様子をうかがっていたこと、傭兵たちは後日、母国で軍事裁判にかけられたものの軽い処分ですんだと書かれていることも興味深い。

左右のページに日仏両語が書かれている。こういう体裁は見たことがない。本書そのものが交流史の新しい一頁といえる。

『絹と光』によると、日仏交流の始祖はフランスにあったドミニコ会の神父、ギョーム・クルテとスペイン人ミゲル・デ・オザラザ。彼らは1637年石垣島に上陸したが捕らえられ拷問の末、処刑された。

ザビエルが鹿児島へ上陸したのは、87年遡る1549年。ザビエルはスペイン、バスク地方の生まれ。パリ大学で学び、そこでイグナチウス・ロヨラと出会い、伝道に生涯を捧げる回心をしているのだから、ザビエルの旅は、日仏交流の前史と言えるかもしれない。

絵本短評「羅生門」「たいようの木のえだ」を植栽。随想「反省について」を剪定。


11/23/2003/SUN

昨日の日経新聞朝刊。音楽評論家、作詞家で、訳詞の仕事も多い、湯川れい子が「青春の道標」という欄で、自分が作詞したシャネルズの「ランナウェイ」について書いている。大型ラジカセのテレビ・コマーシャルに合わせて、出だしの30秒を最初に書いた。曲調は50年代のアメリカを思わせるもので、聴きながらデル・シャノン「悲しき街角」(原題は“Runaway”)を思い出し、次第に50年代の、自分が18歳の頃の「ひたすらに純粋に燃えた恋」を思い出した、と書いている。

作者と読者では、同じ作品でも思い浮かべる風景が違う。

「ランナウェイ」を聴けば、私も例のテレビ・コマーシャルを思い出す。それ以上に思い出すのが、「ランナウェイ・サウンド・レポート」というラジオ番組。ニッポン放送「高嶋ヒゲ武の大入りダイアルまだ宵の口」のなか、11時をまわってから。記憶違いでなければ、河合奈保子がアシスタントだった。リスナーが集めたり編集した短いテープを紹介する番組。街の音、自作の音楽、語り、いろいろあった。別のラジオ番組では、「くず哲也の日曜はダメよ」でも、リスナーが自分のドジ話を効果音も入れながら自分で語ったテープ作品を紹介していた。映像を自分で残す技術が普及していなかったから、音の編集が一般的な趣味として広く認知されていたのだろう。

シャネルズは、不祥事を起こしたあとで、ラッツ・アンド・スターと名前を変えた。改名後のヒット曲「め組の人」を聴くと、なぜかいつも、松田聖子「天国のキッス」を一緒に思い出し、後者を聴けば、必ず前者を思い出す。

そうして二曲一組で、中学の修学旅行を思い出させる。それは、曲の明るさや華やかさとは裏腹に、中学時代の息苦しい記憶の象徴でもある。

それにしても、新聞連載の題名が「青春の道標」とは。一字違いで、ある本の名前を思い出させる。どういうわけか、それも苦しい気持ちにさせる。

絵本短評「あなたがもし奴隷だったら…」を植栽。表紙写真を「公園の手品師、老いたピエロ」に、背景色も黄色に変更。


11/24/2003/MON

しばらく、プレゼンス、「ただいること」について考えている。この考えは、人間存在の基底に関わる。けれどもそこから一見かけ離れているように見える政治や経営、もっと広い意味でリーダーシップについても、考えを深めるヒントになるような気がする。

そういうことを考えようとしていたとき、思い浮かんだのが、ロシア民話『空とぶ船と世界一のばか』(“The Fool of the World and the Flying Ship”、Arthur Ransome文、Uri Shulevitz絵、神宮輝夫訳、岩波書店)。内田莉莎子による再話も『ロシアの民話』(福音館文庫、2002)に所収されている。

絵本を実利ある寓話として現実的な問題にひきつけるのは、あまりいい癖ではない。度を過ぎないように思いついたことを書いておく。

物語のなかで「ばか」な若者は何もしない。次々にふりかかる難題を解決するのは、みな彼を取り巻いている風変わりな仲間たち。何もしないかわりに、「ばか」は拒絶もしない。出会った人々を疑うことも評価することもせず、次々と船に乗せる。彼がすることといえば、仲間と楽しく歌うことくらい。

ここから我田引水を承知で読み取りたいのは、「ただいる」だけのリーダー。ただいることで、周囲にいる人間が働きやすく、力を充分に発揮できるようになる。ここでは、リーダーが何もしないでいることが、かえって周囲を元気づけ、組織を活気づけているようにさえ見える。

危機的な時代には、強いリーダーシップが求められる。また環境が厳しいときには、リーダー自らが積極的に動くことが必要になる。いわゆるプレイング・マネージャーが理想的なリーダー像として望まれる。しかし、動き回るリーダーに、大局が見通せるのか、人びとを導くことができるのか、という疑問も残る。

「世界一のばか」は、大局をみようとしているわけではない。適材適所の采配をしようともしていない。ほんとうに何もしない。もともとロシアの民話の底には、幸せになるためには「ばか」にならなければならない、という考え方が流れているらしい。結婚式で、ある人が祝いの言葉として、そう教えてくれた。

「ばか」になるとはどういうことか。「ただいる」ことと関係があるのか。そして、リーダーの理想像との関わりは、どうだろう。あれこれ考えはつきないが、物語のなかの若者の役割は、結果責任を負う組織の長とは、決定的に違う。ヒントは、あくまでほのめかしに過ぎない。この辺にしておく。

書評「『聴くこと』の力」を剪定。家族の定義を「人間であれ、動物であれ、人が生命と出会い、別れる場所」に修整する。仔犬の頃からつきあっている甲斐犬タローが教えてくれた。

批評「極刑は仇討ちになるか」に、「ハードボイルド小説のように、犯罪に関わった人々を次々消していくというのは、あまりに非現実的。」の一文を追加。この文を書きながら連想していたのは、一時期熱心に読んだ大藪春彦の小説のいくつか。ただし、どういうわけか、この一文を思いついたのは、テレビで森山良子が「さとうきび畑」を歌っているときだった。文章そのものより、こうした連想が私には意味がある。


11/25/2003/TUE

何の気なしに書いた昨日の文章。読み返して気づいたのは、バカであることとバカになることの違い。この違いはばかにできない。ばかである、ということは、自分がばかであることにすら気づいていない。ばかになる、ということは、少なくとも今、自分はばかでないと思っている。

ロシア民話『空とぶ船と世界一のばか』の若者が幸福になれたのは、彼が自分がばかであることにすら気づかないほど純粋な人だったから。出会った人を選ばない素直な態度が、出会った人たちに若者を助けようという気にさせたのだろう。

そういう純粋な気持ち、言ってみれば「ただいる」という境地に、自覚的になることはできるのだろうか。気づくことのないばかに、意識してなろうとするというのは、どうしたって無理な話ではないか。

しかし、こんな風に考えることもできる。ばかになろうと思うのは、いま、自分はばかでないと思っていない証拠。すなわち、これは自分のばかさ加減に気づいていないということでもある。だから、ばかになろうとする人は、自分がばかであることに気づいていないという点で、すでに「世界一のばか」と同じように純粋なばかである。どこかに論理矛盾があるか。あるとすれば、それは「ばか」という言葉がもつ矛盾、意味の広さ、両義性ゆえではないだろうか。

ばか、と書いてきた言葉は、もちろん知能の高低を言っているのではない。無知ということ。「無知を知る」という言葉も聞いたことがある。これも一種の堂堂巡り。

バカと普通、知識人と大衆、無邪気と自覚、旅と家、プロとアマ。いくつかの対立する言葉。これらは本当に対立しているのか。ばかをめぐる堂々巡りのように、一方の尾に他方の頭が食らいついていないか。このあたりに、考えておきたいことがある。

12/23/2003/TUE追記

昨日の日経新聞朝刊、最終面の文化欄で、京都芸術大学で宗教学、民俗学を、歌を通じて教える「神道ソングライター」、鎌田東二が興味深いことを書いている。

「一日一善」ならぬ「一日一馬鹿」をしよう。馬鹿なことをして、おのれの狭さを断ち割り、笑い飛ばし、謙虚に、かつ逞しくなり、枠を打ち破って、自己刷新を遂げていこう。そして、「馬」や「鹿」やその他の動物のように、毅然とした品性と霊性を持った存在に近づこう。

意識して馬鹿になれ、と諭す人がここにもいた。鎌田の考えに従えば、いい年をした大人が自分の馬鹿さ加減を披露するTBSラジオ『宮川賢のパカパカ行進曲』は、かなり崇高な番組ということになる。

鎌田は「『八宗兼学』ならぬ『全宗共存』という願いを歌に託している」という。なかには「南無阿弥陀仏マリア」という歌もあるらしい。私の言葉で言い換えてみれば「世界文化混淆」ならぬ「世界宗教混淆」というところだろうか。

そういえば、マリアと呼ばれている麻里愛の実家、すなわち麻里晩の家はホンダラ拳の総本山でお寺だった。母親は料理研究家で、双子の姉は香港の映画スター。しかも、マリアという名前でも、もとは男。確か、天国の警察官、花村じいさんの魔法で、今ではほんとの女のはず。

ついでに書けば、麻里愛の声は、幼い命を投げ打って世界を救おうとしたナースエンジェルの声。

『こち亀』(秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、集英社)の面白さは、「世界文化混淆」どころか、「世界なんでもかんでも混淆」というところにある。


11/26/2003/WED

荒川洋治のラジオコラム。山口仲美『暮らしの言葉擬音・擬態語辞典』(講談社、2003)の紹介。

『今昔物語集』に使われている擬音・擬態語のうち、50パーセント以上が今も使われている。

英語の場合、擬音・擬態語は使われているうちに名詞化して、独立した単語となる。日本語の場合、助詞や動詞を自在につけることができるので、擬音・擬態語がそのまま残る。日本語に擬音・擬態語が豊富なのは、そのせいではないか。

小林一茶の俳句には、芭蕉の5倍、蕪村の8倍の擬音が使われている。幸田文の小説「流れる」のなかにも印象深い擬音の使い方がある。

放送で紹介されたcrackにしても、コンピュータ・マウスのclickにしても、もとは擬音。確かに英語では、もともと自然の出来事を素描した擬音・擬態語が普通名詞になってしまう傾向がある。そのかわり、英語では、個人個人がその場その場で生み出す擬音が豊富なように感じられる。英語では、適当な擬音が見つからないと、話者がその都度、のどを鳴らして演技する。これは言葉にならない、擬音以前の発声なので、個人の観察力と表現力に依存する。

日本語では、汎用性の高い擬音が多い分、表現が陳腐になる恐れもある。だから、作家はありきたりな擬音を思いもかけない場面で使い、言葉の鮮度をたえず新しくしていくのだろう。


11/27/2003/THU

しばらく前の、夕方のテレビニュース。車のなかで音だけ聴いていた。

「銀座で暮らす人々」という小特集。雑居ビルの警備を兼ねて、小さな部屋に暮らし、おもちゃ博物館をつくる夢をあたためている男性と、昼間は会社役員として働きながら、夜と週末、銀座に借りた仕事部屋で絵を描く男性が紹介された。男性の描くのは、フラクタル画といわれる絵。絵具を紙にたらし、吹いて風景画にしてしまう。合衆国で個展を開いたこともあるという。残念ながら、画家の名前は聞きそびれた。

その画家は、「この画家は、あまり売れないので、会社員である私が一番のスポンサーなのです」と話していた。正確ではないかもしれないが、そんなことだった。

この言葉は私にもあてはまるかもしれない。私は碧岡烏兎という筆名で書いている。自分のためだけでなく、書いたものを公開し、また、そのことを自覚して書いているのだから、碧岡烏兎は作家と言ってもいい、はず。

とはいうものの、この作家はまったく売れていない。せいぜい年収、数千bkポイント。書いたものが売れるというならともかく、売るために書いているわけではないのだから、仕方ない。だから、賃金労働者である私自身がスポンサーであり、パトロンでもある。

パトロンとして、私は作家に約束する。書く内容、分量、期限、一切注文をつけない。好きなように書くための費用と時間を与える。書いたものはすべて読んでやる。そして、読んで気づいたことを書き込む。

碧岡烏兎の書く文章を、いちばん楽しみに読んでいるのは、きっと私自身。明日で、開園一年になる。こっそり、ひっそり、二人で祝杯をあげよう。

書評「『聴くこと』の力」家族の定義を「人間であれ、動物であれ、たとえ機械であれ、人が取替えのきかない存在という意味での生命と出会い、別れる場所」とする。


11/28/2003/FRI

去年の今日、「烏兎の庭」と題したこのウェブサイトを開園した。実際には、その数日前からデータはアップロードして、表示を確かめたり試験的な運用はしていた。準備が整ったので、今日の日を開園記念の日とした。

「感動について」と題した随想のなかで、11月28日はある歌手の誕生日だと書いた。その歌手の誕生日をウェブサイト開設の日にしたことに特別な意味はない。その歌手が一番好きだというわけではないし、十代の頃、一番熱をあげていたというわけでもない。ちょうどその頃、図書館で見つけて久しぶりに聴いていただけ。

碧岡烏兎という筆名は、胡桃沢耕史にちなんでいる。「庭師紹介」でそう書いている。胡桃沢耕史は好んで読む作家ではあるけれども、誰よりも好き、というわけでもない。実際、それほど多くの作品を読んだわけではないし、書評もまだ書いていない。これも、ウェブサイトを作るにあたり、筆名を考え出そうとしたとき、たまたま連続して『翔んでる警視』シリーズを読んでいたから。別の時なら、別の名前にしていただろう。

日付にしても、名前にしても、そのなかには特別な意味はない。ただし、その日付にしたこと、その名前にしたことに意味がある。言葉を換えれば、そのとき、それらの名前を思い出したことに意味がある。

ウェブサイトを開設してから一年が経つ。思い返すことは、書いた文章より文章を書くこと、文章を書いた事実に意味があるということ。

暮らしにも生活にも、人生にも意味はない。暮らしていること、生きていることに意味がある。そして暮らしたこと、生きた事実に意味がある、長さや成し遂げたことではなく。

ほんとうは、まだ本心からそう思っているわけではない。勢いがついて書き出したことなので、書き残しておく。書いた痕跡が残る程度に、消しゴムでこすっておくことにする。

随想「浮彫としての文章」を植栽。


11/29/2003/SAT

J. Boy、浜田省吾、CBS SONY、1986

しばらく前に浜田省吾“Homebound”を借りてきたとき、“J. Boy”も同じ棚に見つけた。二枚組のうち、一枚が貸し出し中だったので、返却されるまで待つことにした。

“J. Boy”は浜田省吾の中では最後に聴いたアルバムで、一番聴きこんだアルバム。二枚組で曲が多く、ロックンロール、ドゥーアップ、バラードなど、浜田省吾が得意とする音楽がすべて盛り込まれている。大学の入学試験の当日、駅から試験会場までヘッドホンステレオで聴きながら歩いた。あとでこのアルバムを聴けば、その日のことを思い出せるように。

それにしても、なぜ、このアルバムを選んだのか。試験前に落ち着いた気分になれるような音楽ではない。私にとって、大学入試は自分を奮い立たせて立ち向かわなければならないようなものだったのかもしれない。


合格して、学校へ入ってしたいことがあるわけではなかった。かといって皆が行くから行こうというのでもなかった。浜田省吾の同じ頃の別の曲、“Dance!”に「まるで何かに復讐するように」という言葉がある。試験会場に歩く私は、まさにそんな気持ちだった。誰かを見返す、何かを果たすためだけに試験を受ければ、入学したあとで、燃え尽きたような放心状態になるのは、当然の帰結だった。


学校に居場所を見つけられなかったはずなのに、そのあと、私はもう一度、今度こそほんとうに仇を討つために、また学校へ行くことになる。そのことは、今はこれ以上何も書かないでおく

その空虚な気持ちは、在学中だけでなく、卒業してからもずっと続いていた気がする。それにしても、なぜあんなに鬱積した怒りが全身に充満していたのか、今もわからない。その理由が思い出せないことに、いまは腹が立つ。

聴き返してみて、なつかしいというより、苦々しい思いばかりこみあげる

4/16/2004/FRI追記

このアルバムの一曲目は、「New Style War」と題された曲。

貧困は差別へと
怒りは暴力へと
受け入れるか、立ち向かうか
どこへも逃げ出す場所はない
It's a new style war

確かにこの歌が予言したように、「新しい戦争」がはじまった。予言したということは、避けられなかったということか。いずれにしても、いま、この戦争状態から逃れることはできない。

短評「花さき山」批評「選ぶのは『生き方』であり、『仕事』でも『働き方』でもない」を植栽。


11/30/2003/SUN

19のままさ、浜田省吾、J. Boy、浜田省吾、CBS SONY、1986

昨日の続き。

アルバム“J. Boy”を聴き返すとき、よみがえるのは、受験生の鬱屈した気持ちばかりでもない。なかには淡い思い出もある。「予備校の湿っぽい廊下であの娘をみつけた」ではじまる「19のままさ」。この曲を聴くと、試験直前の予備校の風景を思い出す。

山村良橘先生の世界史の最終講義。一年半のお礼をするつもりでいたのに何も言い出せないうちに、先生は教室を出て行かれた。結局、先生には試験に合格した後にもあいさつには行きそびれてしまった。毎回、百人規模の教室で講義を受けていたので、一人で声をかけることのできないほど遠い存在だったからかもしれない。

しばらくのあいだ呆然としてから帰り支度をはじめたとき、隣りに座っていた女性が、聞きもらしたところがあるので教えてほしいと話しかけてきた。テキストを開いて説明すると、学生服を着た私に「現役生なのに、よくわかっているんですね」と彼女は言った。そんなことを言われて、うれしくないはずがない。


どんな会話をしたのか、今ではまったく覚えていない。二人で予備校の校舎を出て、代々木の駅まで肩を並べて歩いた。「どこを受けるんですか」「試験が終わったら会いませんか」。そんなことは言い出せないまま、それでも話しながら歩き、駅で別れた。

初心だったのかもしれない。今、思い返してみると、すでに「19のままさ」を知っていたので、それとほんのりとでも似た風景を見たことで何となく満足したのかもしれない。

それをうぶというならば、私は今でも初心すぎる。物語のような体験をしなくても、物語のような風景を眺めるだけでたいてい満足する。むしろそれ以上の体験は拒むくらい。

正確に言えば、まだ19才ではなかった。19才になる3か月前の出来事。

雑文「グッゲンハイム・エルミタージュ美術館」を剪定。初めから書かれていたけれどこれまで公開していなかった最終段落を追加。絵本短評「ぼくのチョパンドス」を植栽。


碧岡烏兎