烏兎の庭 第一部
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夢ムック 文藝別冊 総特集 山口瞳 江分利満氏の研究読本、西口徹編、河出書房新社、2003


山口瞳を知ったのは、二十歳になった成人の日。毎年、成人の日に出るサントリーの広告で気の利いた文章を書いていると教えてくれた人がいた。私が成人を迎えた年に山口瞳はすでに酒を飲めない身体になっていた。だから「僕の代わりにガンガン飲んでくれ!」が、彼の新成人への言葉だった。

それから何年もあと、国際線の飛行機に乗る前に『酒呑みの自己弁護』(新潮文庫、1973)を見つけ、機内でのんびりと、引き込まれるように読んだ。その後、かつて読んだ文章を含めて、成人の日のために書かれたすべての文章が収録されている『諸君! この人生、大変なんだ』(常盤新平編、講談社文庫、1992)を古書店で買った。

山口の小説は、読んだことがない。本のなかでも小説ばかりを読んでいた頃もあったけれど、最近は、小説はほとんど読まなくなった。好んで読むのは、随想、エッセイ、それから対談。だから山口自身の短文や彼の知己が寄せた随想などを集めた本書は、私にはおあつらえ。ちょうど飛行機にも乗ることになったので、もう一度、江分利満氏の世界へ身をゆだねることにした。


巻頭におかれた単行本未収録のエッセイ「私の人生」のなかで、山口は、文士を志賀直哉型と谷崎潤一郎型に分ける。谷崎型とは、書くことに一生を捧げる人。作品を書くことにすべてをかける。生活も恋愛も仕事も、すべては小説のため。破滅型といってもいいかもしれない。志賀型にとっては、書くことは生活の一部でしかない。山口自身は、志賀型であると分析している。

私は一流会社に就職し、これで妻子を飢えに追い込むことはないとわかったときから小説を書きはじめ、60歳になって、もう書きたいことは書き尽くしたと思ったとき、昔から連載を続けている短文を除き、小説家であることを放棄した。

この姿勢は、山口瞳に一貫している。そのほかのエッセイや、半生を回顧するインタビュー、親しい作家とのインタビューでも同じことを繰り返している。俵万智との対談での山口の言葉。

僕には小説に限らず歌に限らず妻子を不幸にしてまでやることじゃないっていう思いが根本的にあるんですよ。(中略)周囲の人を不幸にしてまでやるほど文学って偉いのかっていう感じはありますね。間違っていると思うんだけど、自分の資質としてはそういうところがあるんです。(「山口瞳『小説・吉野秀雄先生』を中心に」)

書くために生きるのではなく、生きるために書く、という姿勢が、山口の基本。しかし、これらの言葉を額面どおりに受け取るわけにもいかない。山口の書く文章は、ほとんどすべて経験を元にした「私小説」であり、家族や身内の暗い面までもさらけだしてしまうようなものでもあったから。そういう作品が、軽妙なエッセイのネタに使われるだけでも、家族には気苦労を強いるものであったことは、本書に収録されている妻や息子の回想からもわかる。


山口にとって書くことは、生活の外にある趣味であり、にもかかわらず、書かないではいられないことを書けるだけ書いてしまう、性のようなものでもあったのではないか。そうした二面性、というよりは矛盾のなかに耐えること、雨に打たれて笑うこと、笑いながら泣くことが、山口にとっての書くことだったのではないだろうか。

それは、けっして特別なことではない。人はだれも、一つの言葉で言い表せる感情で生きるわけではない。言葉をかえれば、感情が二面的であったり、矛盾しているのではない。矛盾しているのは言葉のほう。だからこそ言葉と文章だけで、気持ちを表現しきることにむずかしさがある。そして、そんな文章が書ける人は作家と呼ばれ、その文章は作品と呼ばれる。

山口にとっては、書くことは、やはり終わるものではなかった。小説はやめた。同胞(きょうだい、と山口は読ませる)を苦しめるような作品もやめた。金のために書くこともやめた。それでも彼は終生書き続けた。その持続力は、いったいどこから生まれていたのだろう。


そんなことを考えながら本書を眺めていると、1979年の成人の日のために書かれた「人生仮免許」が、当時の広告そのままに表紙の裏に掲載されている。読んでみると、そこでは酒について書いていながら、自分にとって書くとはどういうことか、なぜ書き続けるのか、彼は自問しているように、私には感じられた。すべての酒という文字が文という字に、どうしても読めてしまう。

言葉を話せるから、文章が書けるようになったと思ったら大間違いだ。諸君は、文章を書く勉強をする資格を得ただけなのだ。仮免許なのだ。最初に、陰気なもの書きになるなと言っておく。本を読んだり、文章を書いたりすることが、心の憂さを払うなんて、とんでもない話だ。悩みがあれば、自分で克服せよ。悲しい文章を書くな。次に、文章を書くことは分を知ることだと思いなさい。そうすれば、失敗がない。第三に、文章のうえの約束を守れと言いたい。諸君はいつでも、試されているのだ。ところで、かく言う私自身であるが、実は、いまだに、仮免許がとれないのだ。諸君! この人生、大変なんだ。

そのまま引用したつもりが、どうも元の文章とは違っている。こんな風に読めてしまうのは、出張の疲れか、時差ボケのせいか、機内の乾燥と気圧のせいか。そうではなくてやはり、酒と、山口瞳の文章に酔っているにちがいない。



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