烏兎の箱庭――烏兎の庭 第二部 日誌
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2006年1月


1/7/2006/SAT

ウェブリアルバムを開設

このブログを置いているプロバイダの提供しているウェブ・アルバムに、庭の窓――写真集を開設。

響きがよく、気の利いた漢字二字が思いつかなかったので、目次にはそのまま写真という言葉を使った。

以前は、記事に対して画像をアップロードする方式で、画像はプロバイダが管理していた。昨年、方式がかわり、画像を集めたフォルダ全体を自分で閲覧編集できるようになった。サービスが拡張された分、管理する手間は増える。そこで、いっそのこと、このフォルダでこれまで表紙に使ってきた写真をまとめて管理することにした。

あわせて、これまでの記事のうち、画像が掲載されていなかったものに、できるだけ内容や季節にそった写真を添えた。

写真を並べてみると、樹木の写真が多い。新聞で知った長谷川潔の版画や、大阪の国立国際美術館で『マルセル・デュシャン展』を見たあとに常設展で見た、巨大な画面に枝が広がる日高理恵子の絵を模倣していることに気づく。

窓から庭が見えるのではなくて、私の庭の窓から外の景色が見える。私の庭の窓は私の心の窓でもある。


2017年5月27日追記。

掲載している写真を「はてなフォトライフ」に移転

これまで利用してきたBIGLOBE「ウェブリアルバム」はそのまま。このサイトはフラッシュがないと閲覧できない。


1/13/2006/FRI

書評「鶴見俊輔 希望の社会学」を推敲

書評「鶴見俊輔 希望の社会学」を読みなおしては、書きなおす作業を続けている。今回は、以下を追記。

   現代では名前が顔ではなく、属性を代用する。小林秀雄という名前は、一人の文学者ではなく、その名前で奉られている偶像を指す。坂口安吾は、「教祖」という言葉で名前の属性化を非難した。その後のマス・メディアの加速と拡大は、民衆を名もない人びとではなく、キャラのある群れにしている。

鶴見俊輔が小林秀雄について発言している箇所を引用した勢いで、つづけて話題にしてみた。坂口安吾「教祖の文学」は、三年前に小林秀雄との対談を読んで興味を持ち「堕落論」と一緒に読んだ

ほかに、『戦後が遺したもの』での聞き手、上野千鶴子について言及した一文のあと編者でもあるもう一人の聞き手、小熊英二についてひとこと追記。


書きなおすうちにこの文章は、知識人と民衆を属性の対立ではなく、個人が内包する資質の一面としてとらえる方向に進んできた。

この考え方をすすめると、丸山眞男の提起した図式、「『である』ことと『する』こと」にも新しい見方ができる。「である」ことは存在と属性、「する」ことは行為を表わす。これらのあいだに「なる」ことがある。より正確にいえば、「なろうとする」こと。「なる」ことは、存在からにじみでて、属性を支える。行為は、「なる」ことから生れる

いま書いたことや、書評に書いたことは、先達が提起した図式では間違っているとか不十分などと指摘する意図があって書いているのではない。自分自身が理解を深めるための個人的な補足にすぎない。そして、このような自分自身の経験や思索に基づいて個人的な補足を付け加えられるということは、元の図式が的確でいて、豊かな包容力をもっていることを示している。


丸山眞男自身がそのことを書いている。

理論家の眼は、一方厳密な抽象の操作に注がれながら、他方自己の対象の外辺に無限の曠野をなし、その涯は薄明の中に消えてゆく現実に対するある「断念」(原文傍点)と、操作の過程からこぼれ落ちてゆく素材に対するいとおしみがそこに絶えず伴っている。この断念と残されたものへの感覚が自己の知的操作に対する厳しい倫理意識を培養し、さらにエネルギッシュに理論化を推し進めてゆこうとする衝動を喚び起すのである。(理論における無限責任と無責任、「日本の思想」『日本の思想』、岩波新書、1961)

鶴見俊輔の戦後の思索と表現は、丸山眞男との出会いにはじまった。こうして、私の鶴見についての思索も丸山眞男につながったので、ひとまず終わりにする。


1/14/2006/SAT

わたしの社稷洞(サジクドン)、キム・イネ文、ハン・ソンオク絵・原案、おおたけきよみ(大竹聖美)、アートン、2004

今年、最初の文章。

写真は、公園の青空に飛んだしゃぼん玉。


1/20/2006/FRI

2003年12月16日の雑記に追記

先週、レンタル店の半額セールで中学生から高校生のころよく聴いていた浜田省吾『愛の世代の前に』(SONY、1981)を見つけた。

「教室じゃオレいつも窓の外を見てるだけ」ではじまり、“High school jail”と叫ぶ「独立記念日」は、中学三年生のときの私の気持ちそのまま。

もっとも、私は囚人であると同時に、当局側の協力者で内部の監視役でもあった

偶然なのか、週が明けると、私が中学生活を過ごした横浜での教員の生徒に対する暴力事件が報道されている。教育ブログ曹操閣下の記事によれば、生徒を柱にぶつけたり、質問に答えられない生徒の鼻にチョークを押しつけたりした教員に対して、横浜市教育委員会の下した裁定は、減給処分のみ。

横浜市では、「教諭に対して暴力を加えたわけでもない・また手のつけようのないほど暴れているわけでもない無抵抗な生徒に対して、教諭が一方的につかみかかること」(教育ブログ)をしても、告発も逮捕もされない。学校は、20年以上も昔から監獄以下のまま何も変わっていないらしい。

この教員は、いや、横浜中の教員が、今ごろは教室で気勢を上げていることだろう。

「お前ら、教育委員会に訴えたってムダだぞ!」

聴きなおしてみると、この歌にはいろいろ思うことがある。

守るべきものは何? 戦う相手は誰? 誰に聞いても答えられない

この言葉にも、当時は共感していた。今では、守るべきものは何か、わかっているし、戦う相手もわかっている。つまり、ほんとうの戦いが今になってようやく始まっている。

さよなら フラッシュバックのような 過ぎた日々
抱きしめる もう一度 忘れるために
(「ラスト・ショー」)

あの頃の「苛立ちとやさしさと怒り」を思い出し、いつか忘れるために、あの冬に目にした風景、耳にした音楽を素描した雑記に、苦々しくも、少し懐かしい音楽の名前を織り込んでおく。


さくいん:浜田省吾


1/21/2006/SAT

子どもとことば、岡本夏木、岩波新書、1982

これまで言葉について考えてきたことを、書評の文脈を遡りながら整理しておく。

言葉は、表現、思索、コミュニケーションを担うすべてではない。

言葉は、自分自身に向けられて、はじめて外へ向かうものとしても意味をもつ。

言葉のはじまりは、意志の伝達ではなく、経験の共有。家庭の言葉の重要性。


1/27/2006/FRI

Tea with Milk, Allen Say, Houghton Miffin, 1999

Home of the Brave, Allen Say, Walter Lorraine, 2002

先週末は東京でも5年ぶり8年ぶりという積雪。今週は久しぶりに大阪から「雷鳥」に乗り、北陸本線沿いの雪景色を見た。冬の北陸は、はじめて。風がなくても、しんしんとした寒さが足元から伝わる。もしこの冬、転勤していたら、どんな気持ちでこの雪景色を見ていただろう、そんな想像をしたりした。

小松では、時間が空いたので、駅から芦城公園にある図書館まで歩いた。道はもう覚えている。温水を流しているためか、車道に雪はない。公園の入口から図書館まではかなり積もっている。階段をのぼり、「森山啓記念室」に立ち寄る。何度も訪れていて、今では、帰ってきたとさえ思う。

再現された仕事場には、晩年、よく聴いていたという美空ひばりとマドンナのカセットテープ。森山啓とマドンナ。そんなつながりもあるらしい。

昨年、生誕百年を記念して発行された書誌を読む。毎回、買おうと思いながらも決心できず、帰京してから後悔する。年譜には、ある年粟津温泉で山本周五郎と大いに語り合うとある。山本周五郎森山啓。このつながりは、わかる気がする。

写真は、冬の小松空港、夕景。



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