2003年7月

7/1/2003/TUE

先週土曜日の読売新聞に、いわゆる活字離れを憂慮するシンポジウムが特集として掲載されていた。題して「本は生き残るか……デジタル時代と読書」。書誌研究者、林望による基調講演のあと、作家、映画監督、翻訳家などによってパネルディスカッションが行われている。

こうした活字離れについての議論は、論点を明確にしていないために、議論はますます拡散し、事態をますます深刻化させている。つまり、活字離れをどうすればいいかということ以前に、活字離れとはどんな現象を指すのか、という点からして、一つのシンポジウムですら一致した意見が見られない。それぞれに自分が考える活字離れを念頭に解決策を提示しているため、話がいっこうに建設的な方向へ進んでいないようにみえる。

林望の基調講演は、のっけから問題設定をひっくりかえす。彼によれば、現代はけっして活字離れではない。優秀な若者は日本語以外の原書もたくさん読んでいる。だいたい読書をする人口はいつの時代でもそれほど多くない、と林は述べる。この転覆は、おそらく意図してのこと。

主催者は、自分たちのもっていきたい方向と話が違うので、慌てたに違いない。その後を読むと、林にとって活字離れとは、面白い本が少ないこと、本が売れないために、これまでベストセラーにはならなくても、面白い本を企画してきた中小の出版社が経営難に陥っていることを意味している。

続くシンポジウムは、企画どおりの展開。実は、この企画どおりが曲者。林にあっさり覆された読書に対する幻想を無自覚に出発点にしている。そのため活字離れを憂える人々には、心地よい議論になる。いまの若者は本を読まない、本を読まないから、言葉を知らない、集中力がない、知性がない、だから若者は本を読むべきだ、と進み、最後にはパネリストのおすすめが紹介される。

パネリストが考える活字離れとは、若者が本を読まないこと。本とは、ここでは小説のこと。パネリストが奨めているのは、夏目漱石、村上春樹など、本を比較的読んでいる人ならば、多くが読んでいる、あるいは名前を知っている作家の小説ばかり。

活字離れとは何か。基調講演とパネルディスカッションだけでも、まったく正反対のことを言っている。当然、それぞれが提案する処方箋も違うものになる。論点が明確にされずにメディアで喧伝されるため、受け手も思い込みばかり強くなり、解決策はいつまでたっても具体化されない。

問題の本質は、活字離れとは何か、ということ以上に、活字離れによって何が問題となるのか、という点にある。活字離れで何が困るか。出版業界が縮小することか、良書を出してきた出版社が潰れることか、若者がキレやすくなることか、自分が読んだ小説の名前さえ、次の世代には知られなくなることか。どこに焦点を当てるかで、活字の中身も変わってくるし、活字離れの中身も変わってくる。

今回のパネリストをはじめとして、活字離れを論じる人々は、その点について無自覚に過ぎる。彼らの多くの中では活字、即小説であり、読書とは知られた作家の代表作を読むこと。いずれも自明ではないし読書の楽しみのほんの一部分にすぎない。そして、読書の楽しみを知らない人たちは、こうした身勝手な幻想を押し付けられると、ますます本を遠ざける。こういう論法を繰り返すかぎり、皮肉なことに、彼らが思う「活字離れ」は加速していくに違いない。


7/2/2003/WED

昨日の荒川洋治。

夏休みが近づいているので、旅のことばについて。

旅のことばといって思いつくのは、野宿のことば。草枕、仮の宿など、野宿をあらわす言葉は古いことばに多い。なかには岩枕などという痛々しいことばも。

長期的で本格的な旅にでかけるときには、鹿島立ち、真旅という言葉が以前は使われていた。旅行という言葉は、意外と新しい。大正以降ではないか。

旅する、旅行する、のほかにも、わたる、あそぶ、などどこかへ出かける表現がある。なかでも、どこどこにあそぶ、という表現は奥ゆかしい。曾遊に遊ぶという言葉もいい。いずれも明確な目的をもたず、風光明媚な場所をあてもなく歩いて楽しむさまをいう。

かつて文人たちは仲間と連れ立って、水辺や山にあそんだ。数人で数日間、ぞろぞろと海辺、山道を散策し、夜、宿で一人になったとき身内や友人たちに手紙を認めた。旅先で自分をみつめなおし、また、友人の作品の感想を認めたり、「ちょっと仕事」をした。

昔は、衣食住の中でも住がもっとも不安定だった。それだけに旅に出て同じ釜の飯を食い、同じ屋根の下に眠る体験が、人々の絆を強めた。


表現をする人にとって、旅に対する反応は三種類ある。まず、旅をまったくしない人。このタイプは、変わりない日常に感動をさがして表現の種にする。次に、旅、すなわち非日常で得た感動をモチーフにする人。最後が、旅から戻って、日常をそれまでとは違った眼で見直す人。

この型は完全に分けられるものではなく、一人のなかにもそれぞれの傾向があることは言うまでもない。それでも、表現、すなわち作品にするという点で、どの型から作品を生み出すか、表現者によって傾向や、得手不得手があるように思われる。

日常生活の何気ない一風景から、存在に関わる深遠な問題へ進むような文章を書く人がいる。そういう人が紀行文では、ありきたりな名所礼賛を書いてしまうことがある。反対に、異郷、異国や精神的な逆境など、異常な環境に置かれて才能を発揮する文筆家もいる。

画家でも同じことがいえる。ある画家の記念館でのこと。外国旅行をしたときに描いた絵は、いかにも初めて見た風景を慌ててとらえただけで深みがないように感じられた。あるいは、出かける前からもっていた先入観をなぞっただけにも見えた。ところが、同じ画家が、アトリエの周囲や、帰省したときに描いた故郷は、その人にしかない見方で、みずみずしい表現をしていて驚いた。

一回の衝撃を、自分なりの視点で捉え直し、自分なりの技法で表現するのは難しい。身近なものを自分なりに表現することも、もちろん易しくはない。ただし、こちらは繰り返し観察し、繰り返し表現することができる。練習ができる。しかも旅に出かけた後には、よく知っているものを、少しよそよそしく見直すこともできる。旅に出るのは、非日常を味わうためではない。見慣れたものを違う眼で見るため。旅は、やはり帰るために出かけるものなのだろう。

書評ページのhtml書換完了。文章は存在していたのに、目次には表示されていたなかった書評「失明の階層」を植栽。

書評「世界の艦船 空母特集」の最後の一行を削除。図書館ではときどき軍艦、軍用機の雑誌を読む。それを好きだからですませていいだろうか。しかし、その嗜好は責められるようなものなのか。今はまだわからない。すこし考えてから何か付け加えたい。

そう考えたのは『噂の真相』で、あるタレントが自分が乗っている軍用車について、「ハマーに罪はない」と言ったことが、ヤリ玉にあげられていたから。確かにこの発言は無神経かもしれない。かといって、戦争映画を好きな人がすべて好戦的というわけではない。しかし、ここでは話は映画や模型ではない、現実の航空母艦である。とりあえず、空母が好きだからという開き直った一文は削る。

表紙の背景を水色に、写真を夕景に、変更。


7/3/2003/THU

随筆「ルオー展」を植栽。書き上げるのに思いのほか時間がかかった。例によって、まだ納得できないので、まず外に出してみる。今回は、感動した事実や感動の内実だけではなく、感動を表現に変えていく過程を書いてみたかった。

身辺雑記を7月から身辺抄にする。この語は小椋佳の古い曲から借用。ただし作詞は彼自身ではない。曲はずっとむかし、ライブアルバム『遠ざかる風景』(1976)で聴いた。


7/4/2003/FRI

ENGINE 8月号(第4巻第8号通巻35号)、巻頭特集 エンジン・ザ・ホット・ワンハンドレッド・ニューカーズ・ウィズ・ランキング2003、鈴木正文編、新潮社、2003

徳大寺有恒『間違いだらけのクルマ選び03年夏版』(草思社、2003)をきっかけに久しぶりに自動車雑誌を手に取った。『ENGINE』は、「夢のあるクルマ生活を!」と主張する徳大寺有恒が中心の一人となっているクルマ雑誌。

雑誌の難しさは、一つの世界をどうつくりだすか、にある。その世界があまりに自分の現実に近すぎても、遠すぎても、雑誌を眺める面白さは充分に味わえない。なかでもファッションやクルマの雑誌は、夢をみせる雑誌。その夢のみせ方がむずかしい。多くの雑誌は、現実とかけ離れたことを、まるで当然のように語り、かえって僻みをかきたてる。現代は、世界のあらゆる場所、あらゆる問題から無縁の場所などありえない時代。夢を見せるといっても、あからさまなブランド主義は、バブル後遺症と攻撃される。かといって節約法ばかりでも味気ない。

“ENGINE”は、美しい夢物語を見せながら、細くても現実との接点を保つよう腐心しているようにみえる。巻頭エッセイで編集長鈴木正文は、贅沢な輸入車を特集する雑誌を9.11後に続ける意味を真剣に考えようとしている。確かに「クルマ選びにうつつを抜かしていても、我利我利亡者にはなりたくない」という文章をナンセンスとみることもできる。ひととき夢を見ようとページをめくる人に向かって、夢を見ている場合ではありませんと、当の雑誌に言われているようなものだから。

それでも、この言葉が言い訳がましく感じられないのは、地に足をつけてクルマという夢の凧をあげようとする気概が全体を通じて感じられるから。好き勝手に気に入った車を選ぶ一方で、誰が一番高い車を選んだのか表にしてみたり、徳大寺は「多くの人々にとって300万円はクルマに払うおカネのひとつのピークだと思う」と述べた上で、『間違いだらけのクルマ選び』から、さらに踏み込んだ発言をしている。

世の中にいいクルマと言われるものはいっぱいあるけど、そっちから切っていくと、自ら範囲を狭めてしまうんじゃないかな。自分が本当に好きなのは、どんなクルマなのか、それを見つけるために人間って日々生きているのかもしれない。

夢を見ている場合ではないと卑下することはない。いつだって夢を見ている場合ではないのだから。世界は常に不幸に溢れている。だからこそ、真剣に夢を見せてほしい。真剣な夢から現実を変えていく力も生まれてくる、そう信じたい。


7/5/2003/SAT

踏切待ちをしていると、空地に張られた針金に政治家のポスターがかかっている。

大きな顔にかぶさるように「改革一筋」と斜めに走る。まあ、今は誰でも改革を唱える時代だから、驚きはしない。とまどったのは、下半分に太字で書かれた言葉。

「無責任政治改革」「官僚政治改革」

どういうことか。十秒くらいではまだわからなかった。無責任な政治改革を進めようというのか。官僚による政治改革を進めようというのか。

いくらなんでも違うだろう。踏切はまだ、開かない。無責任な政治を改革しよう、官僚政治を改革しよう。情熱にあふれた顔つきを見せる壮年の政治家は、おそらく、いや間違いなく、そう言いたいはず。

日本語は難しいなどというありきたりの感想ではすまされない。言葉は政治の武器。それがこんなナマクラでいいのだろうか。

そんな深刻なことは、実は考えなかった。「無責任政治改革」。何だか面白い。くすりと笑ってしまった。

植木等を首相にするのか。ポスターの政治家は似ても似つかぬ、悪代官面。コワイ顔して「無責任政治改革」なんて言われると、どういう訳か笑うしかない。

いいネタ拾った。


7/6/2003/SUN

J.S. Bach, English Suite No.1, No.3, No.6, Murray Perahia (pf), Classical, Sony, 1998

Bach: das orgelwerk 11-- BWV 550, 551, 552, 562, 564, 565, Helmut Walcha (orgue), Archiv, 1970

久しぶりに図書館でCDを借りた。オルガンは、演奏者だけでなく、楽器によってずいぶん演奏が違って聞こえる。

久しぶりのCDに加え、週末にはしばらくぶりで子ども向け以外のテレビ番組を見た。まずは、オリビア・ニュートン=ジョンの東京公演。歌姫という言葉がありきたりでなかったころの美声。映画『グリース』の映像を交えながら、今も透き通る歌声と堂々としたステージ・ワークを堪能した。70年代の明るい一面を思い出して、そのまま寝ればいいものを、つい次の番組の出だしだけ見たくなった。

始まったのは、『ドラマ人間模様、続・続・事件』。見はじめて、オリビア・ニュートン=ジョンに誘発された懐かしさは、一瞬にして暗転した。『事件』は、いわゆる裁判ドラマ。若山富三郎扮する国選弁護人が、殺人事件の裏に隠された現代社会のゆがみと現代人の狂気を明らかにして、罪におののく被告への情状酌量を引き出していく。出演は、若山富三郎のほか、中村伸郎、佐藤浩市、岸恵子、浅茅陽子ら。

このドラマは70年代の放映時に見た記憶がある。

若山は、このドラマで知った。誠実な弁護士の印象をもったたため、後で鶴田浩二の兄役を演じたヤクザ映画を見たときには、この映画を先に見た人とは反対の方向に驚いた。別の回では、ケーシー高峰が気弱な殺人犯役だった。あとで『笑点』で見かけたときには、呆気にとられて「クランケ」に笑うこともできなかった。

引き込まれていくのは俳優たちの見せる迫真の演技のせいか、吐き気を催す筋書きのせいか、緊迫した演出や音楽のせいか、それとも幼い眼で見た記憶が蘇るからか。一部の台詞まで覚えていることが、自分でも不気味に感じられる。『八甲田山』『犬神家の一族』、『タワーリング・インフェルノ』、そして『タクシー・ドライバー』70年代に見た暗い映像が、次々に思い出されてくる。結末は記憶していたほど悲惨ではなかったけど嫌な気持ちのまま床に入ることになった。


日曜日の昼間にはめったにテレビをつけない。珍しいことをすると、やっているのは『のど自慢・バンクーバー大会』。日本語の歌を歌うさまざまな人。日系3世、4世、カナダ国民、英語話者と結婚した人、あるいは日本語話者と結婚した人、十代で移住した人、親が移住していて、自分は日本からカナダへ「里帰り」している人、日本に住んだことがある人。

歌われる日本語もさまざま。日本語がまったくできなくても、祖父から教わった『スキヤキ』だけは歌える人、すっかり英語に馴染んでしまい、話す言葉はたどたどしくなっていても、昔歌っていた歌だけははっきり発音する人、“anatahitori ni kaketa koi”とローマ字で書いた歌詞カードをポケットに入れて、「長崎は今日は雨だった」を歌った人。

司会のアナウンサーは、「大阪で生まれた女」を歌う男性にむかって、「カナダ人が大阪弁で歌うとは」と無邪気に笑っていたが、日本語が母語であっても、シャンソンやブルースを歌う人もいるのだから、まったくおかしなことではない。現実にも、肌の色が多くの日本国民と似ていても日本語を話さない人は少なくないし、日本国民でない人もいる。あるいは、中国残留孤児のように日本国民ではあっても日本語が達者でない人もいる。反対に、肌の色が多数派とは違っても、日本国籍を持つ人もいれば、ペラペラの大阪弁を話す人もいる。


日本語と、それを包含する日本文化の多様性を認めること、そして、さらに多様性を広げること。その一方で、日本国民とは、肌の色や母語が何であれ、日本国籍を持っている人であると厳密に理解し、日本語話者、日本国居住者と区別すること。もちろん、区別することは差別することではない。区別することから、それぞれの立場で異なる権利と義務が明らかになるはず。

多様性の受容と属性の峻別。まず「日本人」という言葉を安易に使わないことから。日本人だって日本語だって日本社会だって、充分に坩堝であり、モザイクなのだから。


7/7/2003/MON

荒川洋治『本を読む前に』(新書館、1999)を読んでいる。「一発屋」という文章では、若くして文壇で成功しながらも、やがて破滅した作家がとりあげられている。一発屋というと、確かに花火のように華々しく咲いて消えていくものと想像しやすい。けれども、そうでない一発屋もなかにはいる。

週末の夕方のラジオは、EPOが案内役をつとめるNHK-FM、「ミュージック・プラザ第二部、EPOのエポック・ミュージック」。南佳孝がインタビューで出演していた。EPOや南佳孝を一発屋呼ばわりするのは失礼かもしれない。しかし、一世を風靡したものの、今、ヒット・チャートを賑わせているというわけではない。

ところが、EPOは二時間番組を毎週受け持っているし、南佳孝も地元で小さなライブを好きなようにしているらしい。二人とも湘南住まいという。そういえば白井貴子も湘南に住んでいて、地元を中心に仕事をしていると聞いたことがある。

一度大きな成功をしたあとで、ずっと走り続けることをせずに、やがて自分の歩幅で歩いていく。そんな一発屋もいる。荒川は、文壇の異端児と呼ぶような一発屋が文学を変えてきたと書いている。文壇ではどうかは知らない。ポップ・ミュージックの世界では、破滅しなかった一発屋の地道なその後が、音楽を楽しむ裾野を広げているような気がする。EPOも南佳孝も、何より楽しそうにしているのが、聴いていて気持ちよかった。

書評「アリの街のマリア」「働くということ」を植栽。「アリの街のマリア」を書き始めたのは、3月。もともとは書評「シュヴァイツァー」の後半部分だった。四ヶ月温めてみても、これ以上書けない。「働くということ」は一週間程度で書きあげた、ことにした。うまく書けてはいない。日々直面している問題は、何度書き直しても納得いくものにならない。こういうときは例によって、一度外に出してみる。どちらも同じことを書こうとして、いずれも頓挫している。二つ並べて、外からみるのは悪くないだろう。

「働くということ」の最後に引用した美術史家の言葉は、『二枚の絵』(高階秀爾・平山郁夫・丸谷才一・和田誠編、毎日新聞、2000) で、大高保二郎(上智大学・西洋美術史)が、ホセ・デ・リベーラ「えび足の少年」とバルトロメ・エステバン・ムリーリョ「蚤をとる少年」を紹介した文章の中で、ラフェンテ・フェラーリの言葉として引用していたもの。


7/8/2003/TUE

今日の荒川洋治。姿が見えない作家について。

今年の三島由紀夫賞受賞者は、謎に包まれている。生年、出身地以外は公表されていない。受賞会見も「小説で喜びを伝えていきたい」と代読。担当者によれば、「全身小説」のような人らしい。

こういう作家は、娯楽小説には少なくないが、純文学では珍しい。もっとも外国では、サリンジャーのような大物をはじめ、過去にも隠遁した作家は少なくない。

日本で隠遁というと、かつては出家することを指した。世間と断絶した生活を意味する。ただし、還俗することもできるので、戻ってくる人も少なくなかった。

作家は、自分一人で創作の世界に生きているのではない。日常生活のなかで、人々とのつながり、助けがあって、創造行為ができていることを忘れてはならない。

作家が姿を見せないことは、神秘性を醸し出すことにしかならない。詩人はといえば、いつも姿が見えないので、関係がない。

荒川が言いたいことは、プロの責任ということではないだろうか。プロは、一人でプロでいられるわけではない。顧客、読者、視聴者、事務方、作業者、担当編集者、などに支えられている。自分の信念から素顔を隠したつもりでも、結果的には、ある種のマーケティング効果しかもたない。それを承知のうえで見せたり隠したりするのならともかく、孤高を気取るのは傲慢でしかない。そういいたいのではないだろうか。

その一方で、メディアによるプライバシーの暴露は行き過ぎている。ノーベル賞受賞者や犯罪被害者たちは、一度スポットライトを浴びると、何もかもさらけ出されてしまう。もっとも荒川の論点はそこにない。少なくともプロを自称するならば、露出度を意識的に制御する責任があるといいたいのだろう。

いつも不思議に思うのは、何度でもスキャンダルが取りざたされるタレントもいれば、私生活がまったく表にでてこない芸能人もいること。多くの場合、暴かれているようにみえて、暴かせているのが実状かもしれない。どこに出るか、何を見せるか見せないか、そうしたことにプロは無頓着ではいられない。何を売るのかが、そもそもプロの自覚にかかっている。

荒川が苛立つ背景には、プロ意識を忘れたプロがはびこっていること、つまり、アマチュア精神を忘れ、アマチュア気取りするプロが少なくないことがあるように思われる。プロとアマの問題は、実に深い。

随筆「福井行」を植栽。4月に福井へ出張したときに書いた文章。一部を身辺雑記に抜粋していたが、もとの姿で独立させることにした。


7/9/2003/WED

養老孟司『バカの壁』(新潮新書)が売れ続けているらしい。売れている本について、何か書くのはやめよう、どんな本に誰が感心しようと感動しようとケチをつけるのはやめよう、そう思ってはいる。けれども普段から気になっていることに関係があるし、書店に行く度に妙な苛立ちがこみ上げてくるので、自分の精神衛生のために書き残しておく。

この本は着想こそ面白いが、文章表現がいただけない。

例えば、「日本人は話せばわかると思いがち。国境はなかったし、民族内の殺し合いもなかったし、戦場にもならなかったから」という風に書かれている。いくらなんでもこれはひどい。結論はともかく、それを傍証する部分がすべて事実に基づいていないから。 蝦夷や琉球は、いつから日本国になったのか、縄文、弥生時代に国内戦争はなかったのか、大和と九州、河内、越後は戦争していなかったのか、戦国時代や関が原は何だったのか、戊辰戦争や西南戦争は内戦ではなかったのか。沖縄戦は戦場とは呼ばないのか、空襲は戦場とは呼ばないのか。内容がどうであれ、最も大事な最終章で、こんないい加減なことを書いていいものか。

この本は一人で語ったことから書き起こしたものらしい。本は、著者と編集者の共同作品。文章の最終責任は、著者を名乗る人にあるとしても、誤字脱字、引用文、事実関係の確認はおおかた編集に責任があると、私は思っている。大手出版社が、これから看板事業にしようとする新書の第一弾で、こんな杜撰な編集ではあまりに頼りない。

最近の新書ブームは、粗製濫造としかいいようがない。本は素人のウエブサイトでのつぶやきとは訳がちがう。一人一人が数百円払って買うのだから。缶ジュースなら、チリ一つ入っただけで該当する製造ロットは回収され、下手をすればブランドは消滅する。差別用語さえ使わなければ、嘘を書いても回収する必要はないと思っているのか。

この本の主題は、異なる存在、他者と自己のあいだには、相容れないもの、共約不可能なものが必ずある、ということ。しかし理解不能になるのは、共通の知識が欠けていたり、意図的に無視している場合が少なくない。壁は自分で作っている。

本書の杜撰な編集が、図らずもそのことを明らかにしている。

書くだけ書いて、とりあえず清清した。

12/2/2003/TUE追記

日経ビジネスで、養老孟司がインタビューで答えている。

確かにおもしろいことをいう。示唆豊富ではある。けれども、どうしてかしっくりこない。それはおそらく、養老の文章や作品、本に対する考え方に甘さがあるから。

このようなインタビュー記事の場合、最終的な文責は雑誌側にある。文責、構成といった語が、たいていインタビュー記事の最後に付け加えられている。話し手は、答えているだけ、喋っているだけ。

ところで話し言葉は、相手や状況の変化に応じて臨機応変なもの。裏を返せば、その場にいなければ、誤解してしまう可能性もある。今回のインタビューでも、その例は適当なのか、別な見方もあるのでは、といった、言ってみればツッコミどころが散見される。そのため、インタビュー記事は面白いけれども、後には何も残らないただの読み物で終わっている。それを、「喋っただけだから」「どう受け止めるのかは、読者の勝手」と開き直るのだとしたら、言葉の表現者としては、あまりに無責任ではないか。

養老は、『バカの壁』が成功した要因が、話し言葉をそのまま文章にしたことにあると認めている。また、そうした文章がウケる背景として、携帯メールの普及によって、「新しい言文一致体」が生まれているからだと考えている。

文体はどこで生まれるのか。個人の間でかわされる私信から生まれるものなのか。そしてプロの表現者は、喋るだけで、誰かがそれをそのまま文章にすれば、本になり、それが作品と呼ばれるというのか。そうではあるまい。むしろ事情は反対のはず

話し言葉と書き言葉は、脳のなかでは違うところで機能していると養老は語っている。とすれば、話し言葉のような文章を、誰かが意識的に生み出さなければ、それは文体と呼ばれる様式にならないし、それが自覚的に公開され不特定多数に読まれなければ、多くの人びとの言葉づかいをこれほど短時間に変えることはないにちがいない。

明治時代の文人、記者、教育者たちがもっていた言文一致運動に対する熱意と使命感は、まさにこの点にあったはず。明晰さと透明性、わかりやすさとイメージの喚起力の両立を目指して、自覚的に磨くことで、言葉は新しい言葉になる。気ままに喋って新しい文体が生まれるのなら、文学はいらない。


7/10/2003/THU

VOICE OF WONDERLAND VOW15、宝島編集部編、宝島、2003

大阪泊。買ってしまった。20年、14冊めまで、笑いをこらえて立ち読みでごまかしていたのに、20年分の「ベスト爆笑ネタ」がつまった記念版の前に屈服した。

『バウ』が面白いのは、投稿された写真だけではない。投稿者のコメント、それにツッコむ編集者のやりとりが笑える。投稿者も心得ていて、面白い文章を寄せている。

笑わせる文章は、笑わせるしゃべりと違う。漫才をそのまま書き起こしても、それほど面白くない。それとは反対に、と学会の本では、発表会を書き起こした最近のものより、はじめから文章で書かれた初期の作品のほうがずっと笑える。文章を読んで、笑わせるのは、また別の技術がいる。これが上手い人は、ラジオのパーソナリティができる。吉田照美、宮川賢、伊集院光は、何でもないハガキでも面白そうに読む。

『バウ』のおかしさを、編集者の言葉に絞ってもう少し分析すると、4つの要素がある。

1.「ぎゃははは」に代表される真直ぐな初期反応。
2.まったく関係ないことを持ち出すボケ。
3.投稿者が編集者にツッコミ返せないために、編集者が自身に返すツッコミ。
4.意外とモラリスト。

こういう法則を体感することを、ツボにはまると言うのだろうか。そうなると、もう写真もキャプションもなくても、奇妙な言葉が羅列しているだけで笑ってしまう。20年のベスト・ネタのうち、21位以下は写真もキャプションもないけれども、たぶん、以前、読んでいるに違いない。投稿者と編集者の見えない応酬が想像されて可笑しい。「焼き鳥屋フェニックス」、「責任はおいかねません」。 投稿者のサービスは、編集者のレシーブは、どんな文章だったのだろう。気になる。バックナンバーを買わせる作戦かもしれない。


7/11/2003/FRI

チューリップ・ランド、チューリップ、音蔵、エキスプレス、東芝EMI、1997

日本語ポップスの棚で、思いがけずに見つけたチューリップのベスト盤。特別好きなグループではなかったけど、“The Love Map Shop”というアルバムをカセットに録音してもっていた。「さよなら道化者」「Shooting Star」「日曜日の風景」。どれもすっかり忘れていた。収録されている「人生ゲーム」を主題歌にした、財津和男のラジオ番組を聴いていたことも、このアルバムを聴くまですっかり忘れていた。

70年代、80年代と区切られたある時代に流行した言葉や人物などを集めたムックをときどき見かける。立ち読みはしても、買おうとまでは思わない。その時代にもっとも売れたモノ、もっとも話題になったモノが、自分にとってその時代を象徴するモノでは必ずしもないから。

ニューミュージック・フォーク大全集と銘打ったCDボックスも見かける。チューリップといえば、「サボテンの花」と「虹とスニーカーの頃」しか入っていない。

ほかの曲のほうがいいというのではない。思い出は、そんなふうに切り貼りできるものではない。ベスト盤を聞いてみても、何か物足りない。懐かしく思い出すのは、曲の間に流れたカセット・テープのホワイト・ノイズや、オートリバース・デッキが転回するメカ音、録音防止のツメを折らずにいたため、間違えてボタンを押して録音してしまった部屋の物音など、再現不能なものばかり。

記憶、あるいは思い出について、明らかなこと。それはたいしたことないこと、些事、ディテール。それは脈絡のない些事の集積。客観的にみれば脈絡はないかもしれないけれど、それらの些事は連続して、あるいは体系として残される。それは、まったく予期しない配分で、五感すべてに残っている。それは、思いがけないきっかけで、堰を切ったように溢れ出す

書評「森有正エッセー集成3」を植栽。これまで書かずにいたことも書いた。成り行き上、個人的な事情を書いてしまうことは止むを得ない。森有正の文章でも、思想が磨かれるにつれて、内面の思索と私生活の動静、社会の状況とが均衡して、よく整理されて書かれるようになっている。


7/12/2003/SAT

リンク・ページに「書評の鉄人」のバナーを追加。表紙を輝く水辺に変更。


7/13/2003/SUN

ネット書店bk1の書評コーナーで「書評の鉄人」に選ばれた。選ばれるだけでもありがたいうえに、うれしい紹介文。

碧岡烏兎さんは、文芸・児童・芸術・人文書に書評を書かれている方です。簡潔な言葉の中に、じっくり思索を重ねた跡がうかがえます。考えさせられる書評です。

そもそも文章は、読んでもらえるだけでありがたい。文章を書いていると、これを誰も読まないのではないかという疑問と、自分に向けて書けばいいのだからという思い込みにとらわることがある。しかし、虚無感と独善は、表現の成長を妨げる。他人に読ませるために自己満足するという矛盾に陥いるから。

この矛盾を転回する。誰も読まないのかもしれないというあきらめと、読まれなくても誰かに向けて書く勇気。これらは矛盾しない。謙虚という言葉は、一見、矛盾する諦念と自信から成り立っているように思う。そのような謙虚さを貫いて、はじめて自分のためになる文章表現になるのではないだろうか。他人に影響を及ぼす文章は、少なくとも私が影響を受ける文章は、すべてそういう文章。

同じことを、まったく裏返しにいうこともできる。すなわち、自分が変わるような文章でなければ、他人が変わることなどない。

私の文章が「考えさせられる」ものとすれば、それは、そうした評価をいただく以上にうれしい。そして、この紹介文が、折り返し私を考えさせてくれる。

bk1の書評担当者に感謝をこめて記す。


7/14/2003/MON

しばらく前の雑記に、即興について次のように書いた。

即興はある意味、神業である。神の手助けと思われるような偶然が重ならなければできないのではないだろうか。

これは間違っている。

即興は、偶然の仕業ではない。偶然を遊ぶことでもなければ、偶然をつかみとることでもない。あえて言えば、偶然を呼び込むこと。

このことは以前、日経新聞夕刊のコラム「あすへの話題」で宿沢広朗がきっぱり書いていた。ラグビーで、パントの落下位置に選手がいるのは、偶然ではない。何度も練習して、何度も試合を経験しているから、どんな場面でどこに立つべきか、優れた選手は身体で覚えている。だから素人からはまさかと思うような場所で、パスが飛んでくるのを待てる。

会心の技は、考えて出せるものではなく、無心から生まれる。無心は鍛錬の蓄積から生まれる。優れたスポーツ選手は、みな似たようなことを言う。

何年も前のこと。その頃住んでいた家に近い図書館で、詩集『はだか』を記念した講演会にでかけたとき、谷川俊太郎に向かって、「詩人は書いているのですか、それとも何かに書かされているのですか」と思い切り尋ねたことがある。詩人の返答はよく覚えていない。「そう思いたいが、そうではない」と言われたように記憶する。

その頃から書く、とりわけ詩を書くということを神秘的な技と思い込んでいた。詩人は書いている、間違いなく自分で。そういうことがようやくわかってきた。うまく書けたときもそうでないときも、自分で書いている。うまく書けたと思うとき、まるで何かに書かされたように思っても、そうではない。やはり自分で書いていることに違いはない。

間違っていると思ったところは、削除した。自分で書き、自分で消した。

書評「本を読む前に」を植栽。書評「森有正エッセー集成3」を剪定。随筆「北陸行」に第三部を追加。もともと身辺雑記の追記になっていた部分。


7/15/2003/TUE

昨日からのラグビー続き。

早稲田大学蹴球部監督、清宮克幸が、ある経済雑誌のインタビューで話していた。「すべてのプレーに意味と責任がある」。非常に含蓄がある言葉。さまざまな世界にあてはまりそう。

確かにスポーツの世界では、一人の位置、一つの動作が、その瞬間の空間的な意味とゲームの流れにある時間的な意味を必ずもつ。前半に使われた同じセット・プレーが後半のどこでもう一度使えば効果的か。同じコースに来たサービスを前と同じように返すか、違うレシーブをするか。その解釈と行動の積み重ねがゲームの展開をつくる。

文章表現の世界に合わせて言うならば、「すべての表現に関係と役割がある」となる。一人の表現者の文章作品のなかで、すべての「海」という言葉には関連があり、「海」と「海岸」「うみ」があれば、それぞれ違う役割を与えられている。自動車批評家の文章なら、「クルマ」「車」「自動車」の違いに、決定的な意味がある

そうした関係と役割が綿密に織り込まれて、文章表現の世界ができあがる。それは必ずしも体系的というわけではない。大雑把な関係と役割は、気まぐれな世界をつくるし、緻密すぎる関係と役割は、息苦しい世界をつくる。

思えば、古典と呼ばれる作品は、すべてそうした世界をもっている。著者が意図していたかどうかは別にしても、そのような世界ができあがっていることを前提にして、批評されたり研究されたりしている。

広義の文章表現のなかでも、思想の表現として文章を考えたとき、表現世界全体のなかでの個々の単語や文節、常套句がもつ役割と、それらがとりもつ関係は、とりわけ重要に思われる。定義するということは、思索と表現を繰り返し、それらの関係と役割を積み重ねる作業ではないだろうか。

星はものも言わず暗い夜空にさざめいている。古代人は、これら星々の一つ一つに役割を与え、その並び方に意味を見出し、星座をつくった。そして、それら星座の動きを物語に仕立てた。

文体とは宇宙であると言った人がいる。なんと的確で、なんと涯てしない比喩だろう。

随筆「啄木と重吉」に二段落加筆。随筆「福井行」を剪定、「北陸行」に改題。


7/16/2003/WED

昨日の荒川洋治のラジオ・コラム。名作のあらすじを解説する本が増えている。私もこういうのには飛びつくほうです。そこで「あらすじ本の読み方」。

地図帳を用意して、読む。文学作品には、場所との関わりが三つある。一つの場所で完結する作品。さまざまな場所を放浪する作品。そして二つの場所を結ぶ作品。

面白いのは三つめの例。なかでも、地方と中央ではなく、地方と地方を結ぶ旅や道を舞台にした作品には、一人の人間だけが歩む道が描かれていて面白い。個人の道は文学の重要な要素。

名作のあらすじでも、読まないよりは読んだほうがいい、という荒川は、いわゆる読書至上主義者とは違う。どこからでも入り口になる。どんな本にも楽しみを見出す。大切なことは、自分だけの読み方をみつけること。「文学がすき」な荒川らしい読書のすすめ。

『文学が好き』(旬報社、2001)のなかでも、荒川は文学を読むことだけでなく、文学の知識、しかも無意識のまま蓄積される知識を重視している。本棚に置かれた文学全集、家族の会話、授業で知った作家、教科書の隅にある文豪の写真。一体何がきっかけになるかは誰にもわからない。

もし家に文学全集がなく、図書館も近くになく、授業で文学をとりあげなくなったら…。実際、民謡、舞踊などには関わることなく、私は過ごしてきている。きっかけがどこにもなかったから。それらの質とはまったく関係がない。

本を読めと説教する人もいる。感想文も書かされる。それを助ける「粗筋本」もある。混沌とした読書の世界。それでも、火が消えそうな伝統芸能に比べれば、まだましなのかもしれない。

「今は他人の体験を聞くことが少ない。本でも読まなきゃ、まともな人間にはなれないような時代」と荒川は話す。いつもの森本毅郎が休みで、代行司会の中村久人もツッこんだとおり、ちょっとこじつけた論理ではある。でも、上機嫌なしゃべりを聞いた今日は、同意できる気がする。

「中途半端」「思想、批評、経験、そしてスタイルについて」「『逆に』と『ていうか』」「ナンシー関の方法論」を批評文から随筆へ。先月末に決めた、「自分の外側について書いたことは、批評文の頁に、自分の内側について書いたものは、随筆・雑文の頁」に基づく。批評文は、二文字の随筆に合わせて批評とする。

批評「学校について」に一段落追加。随筆「書く」を剪定。永久に推敲を続けるのは、ネット上の文章だけではない。本来、絵画もそういう性質をもつ。ルオー展の副題「未完の旅路」が、教えてくれた。


7/17/2003/THU

高校時代、現代文の授業中、「伊豆の踊り子」の朗読を指示された生徒が、「扉」を「ドア」と読んでしまい、教員の失笑を買った。しかし考えてみると「ドア」でも意味が通じないわけではない。漢字には読み方の目安はあるけれど、人名を極端な例として、読み方はその場その場。客室乗務員と書いてキャビン・アテンダントとルビをふる作家もいる(この作家という漢字に「知事」と漢字でルビをふることもできる)。明治の文豪もルビはかなり自由にふっている

実際のところ、黙読しているときは、すべての文字を読んでいるわけではない。客室乗務員のルビまで心の中で声を出すことはめったにない。むしろ字面を眺めて、客室乗務員という活字から、慣習的な読み方だけでなくそこから派生する語、つまりキャビン・アテンダントやスチュワーデスを思い浮かべたり、制服を身にまとった女性を思い浮かべたりする。読者は、意外と自分勝手に読み下したり想像したりするから、つねに書き手の意図したとおりに思考をすすめていくわけではない。

この点、日本語と英語で違いがあるだろうか。一見表意文字を含む日本語のほうが映像的に読んでいるようにみえるが、英語も単語ごとに空白を入れるから、慣れてくると単語や文節でまとまりをつくって映像として読む。漢字といっても、一つ一つ漢和辞典にある絵文字からの変遷を想像しながら読むわけではない。アルファベットでも、原理的にはさほど違いはないかもいしれない。ひらがなの場合でもそう。

ところで、その生徒は続けて「土方風」を「ひじかたふう」と読んだ。これは受け入れられまい。自由な読み方も意味が通じる範囲でないと。天城峠に、新撰組はいない。宇宙戦艦ヤマトの二代目艦長は、まして、いるはずがないのだから。蛇足。峠を攻めるフォード・カプリもまだいなかったに違いない。

新たに雑文の頁を用意して、随筆・雑文を随想に変更。本は書評、自分の外は批評、内は随想、それ以外は雑文とする。ジャンル分けができるようになったのは、『エッセイとは何か』の序章を読み終えたから。すっきりした。

「英語について」を批評から随想へ、随想「啄木と重吉」を書評へ、それぞれ移動。「菫とかささぎ」という題名だった随筆を、書評「美を求める心」「文章について」「かささぎ」に改題、書評へ移動。小林秀雄の全集を読み始めたときに書いた文章。


7/18/2003/FRI

Walk Alone, 小曽根真, Victor, 1992

The Look of Love, Diana Krall, Universal, 2002
Faithful (1976), Todd Rundgren, Bearsville, Victor, 1990
Wizard, a true star (1973), Todd Rundgren, Bearsville, Victor, 1998

音楽は、私にとって趣味の域をでないものなのだろうとつくづく思う。相変わらず濫読は続いているが、濫聴は次第に沈静化している。かわりに、これまで聴いた音楽を違った気持ちで聴きなおすことが増えてきた。音楽は、本と違い、繰り返し鑑賞することがたやすい。あるいは、一度聴いただけでは、それほど心に残らない。濫読が続き、濫聴が停滞するのは、そんな理由にもよる。

これまでは、新しく聴いた作品を掲示してきた。チューリップのアルバムは、かつて聴いた音楽を聴きなおしたもの。今後は、過去、聞いたものを新しい気持ちで聴きなおした場合にも書いていくことにする。

小曽根真ダイアナ・クラールは、イージー・リスニングのために追加。音楽が趣味だと思うのは、選ぶジャンルやアーティストにメジャー、いわゆる「売れ線」が多いことにもよる。ついついわかりやすい音楽を聴いている。ビートルズは聴いた。でも、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはまだ聴いていない。イーグルスは聴いた。でもアルバム“Hotel California”と“Live In Japan”だけ。そういう調子。

トッド・ラングレンも、音楽としてはわかりやすい。ただし、メジャーとは言い切れない。こういうのは少ない。たいてい誰かにこっそり教えてもらったもの

Simple things in life seem so hard to learn sometimes
And it takes so long
Catch while you can
Too late tomorrow (“Love of the common man”)

これまで書いてきたことも、これから書こうとしていることも、さらにそんなことがずっと書けなかったこと、ようやく自分の言葉で書きはじめたこと、そんなこんなのすべてが、簡単なことばで、すでに言い尽くされている。

思えば、3月の終わりに戦争について書いた雑記も“Sometimes I don't know what to feel”のなかにある“got to keep on keeping on”を自分の言葉で言いなおしただけのような気がする。


ところで“Faithful”には、The Beatles,“Strawberry Fields Forever”をはじめ、カバー曲が何曲か収められている。しかも、編曲から歌い方まで原曲のまま。カバーというと、たいてい編曲が異なっているから、これは珍しい。

完全コピーのカバー曲を聴くと、再現芸術としてのポップ・ミュージックの可能性ということを考える。クラシック音楽は再現芸術。同じ曲を弾きこなすこと、演奏に新しい解釈を与えることに価値がある。バッハは、「楽譜どおりに弾くことが最高の演奏」と言ったらしい。これに対してポップスは、表現方法ではなく、表現内容の独創性をより重視する。カバーはともかく、コピーはポップスの世界では否定語。トッドは、あえて完全コピーを目指す。そこにビートルズをポップスの古典、クラッシックとみなす考え方がみえてくる。

“Faith”という語をアルバム名にこめたのも、過去に自分が出会った音楽への敬意とそれを忠実に再現したアルバムの意図を表しているのだろう。

ポップ、とはどういうことか。わかりやすい、ということか。しかし、わかりやすいとは、安っぽいと対になっていないか。トッド・ラングレンの音楽は、しばしば良質のポップスと形容される。良質のポップス。非常に響きがいい。わかりやすいけれど、安っぽくない、ということか。まだ充分な説明にはなっていないような気がする。

絵本・児童書の書評を独立させる。書評の頁から、絵本評を移動。これまで雑記に書いてきた絵本短評も今後まとめる。


7/19/2003/SAT

森有正『遠ざかるノートルダム』(筑摩書房)は1976年の初版、定価1,100円で箱入。古本屋では800円で売られていた。手元にある昭和50年前後の文庫本を見ると価格は200円程度だから、1,100円は当時としては十分高価だったに違いない。今、800円で箱入の本が手に入るとは、ありがたい。内容はもちろん、私にとっては、金額では測れない。

厚紙の箱の表には題字の下に一本の老木を大きく映した小さな写真が貼ってある。なかなか手の込んだつくり。森の文章にしばしば登場する「令嬢」が撮影したものと説明されている。『烏兎の庭』の表紙に似ている気がしてうれいしい。

こういう気持ちをファン心理というのだろう。

Essays in Englishに追加がなかなかできないので不可視とする。絵本・児童書の頁を絵本とする。身辺雑記を雑記、更新履歴を雑記として、二文字に揃える。身辺雑記から独立できる書評を書評、絵本などの頁に移動。


7/20/2003/SUN

いつの間にか、毎日文章を書くようになっている。一年前には考えられなかったこと。しかし、一年前でも、毎日いろいろなことを考えていた。そのとき考えていた言葉は文章にもならず、ネットで公開されることもなく、心のなかで捨てられていた。

そう考えると、今思いついたことを文章にしているのは、言葉のリサイクルと言えるかもしれない。確かにこれまで捨てていた思いのなかには、使えるもの、意外と見栄えのいいものもある。

ごみを減らそうとしてリサイクルをはじめてみると、今度は捨てるべきものも捨てられなくなり、部屋にガラクタが積みあがる。毎日書くのは必ずしもいいことではない。言葉の無駄遣いでもある。

生きていくために必要なことだけを考えて、必要なことだけを言葉にする。そんな言葉のエコロジーに、いつか達することができるだろうか。捨てていた言葉をリサイクルし、捨てるべき文章を無駄に費やす。しばらくは、そんなことを繰り返していきそう。

随想「都市に住む文法」「反省について」書評「さよなら日本」を植える。かつて随想として書いた「世界の終わり」が消失していたので批評として復活。


7/21/2003/MON

ファースト・フードでは、いつでも、どんな客に対しても同じ対応をする。そのようなサービスは、マニュアル主義と言われる。マニュアル主義は、顧客がどれだけ常連になってもサービスの向上が見られない一方、一見の客でも差別しないという利点もある。そのため、人間関係が希薄な現代社会に典型的な商習慣にもなっている。

マニュアル主義は一世を風靡したけれど、最新のマーケティングはそんなに単純でも大雑把でもない。例えばポイント・カードは、微視的なマーケティングを可能にしている。

ポイント・カードを差し出せば、その顧客がどれだけその店に通い詰めているか、入ったばかりのアルバイトにも一目瞭然になる。もっとも極端なのはおそらく、ポイント・カードの発祥地、航空産業。事前に座席を予約するときから氏名を明らかにしているから、搭乗したときには、その顧客がどれだけその航空会社を利用してきたか、言ってみれば忠誠の歴史が、すべての客室乗務員に知れわたっている。

それでは客室乗務員はマイレージが多い客だけに特別なサービスをするかというと、そういうわけではない。一見の客は、将来有望な顧客でもあるから。

目の前の人が困った顔をしている。助けたいか、どうか。助けるとすれば、どのように助けるか。なぜ、助けるのか。それを考えるのは、最終的にはサービスを行う個人の判断に依存する。ポイントの高い顧客だからか、将来有望な顧客だからか、サービス強化のキャンペーン中だからか、自分のポイントが上がるからか、それとも、ただ相手が困った顔をしているからか。

どれだけマニュアルが行き届いていようと、どれだけ顧客の忠誠心が明らかにされていようと、サービスを行う人間が何に対して忠誠を示すのかは、その人が何のために働いているのか、という問題と関わらざるを得ない。マニュアル主義だろうと、ポイント制度を分析したマイクロ・マーケティングだろうと、働く人の働く意欲を無視しては、効果的なマーケティング、顧客サービスはありえない。


7/22/2003/TUE

小林秀雄は、1958年(昭和33年)に書いた「写真」のなかで書いている。

写真は芸術といえるかという議論もあるが、写真が現実に新しい感動を人々の間に呼び覚まし、これが芸術という言葉の意味を変えていく力を持っているなら、そういう議論も空しいであろう。
『全集 第十一巻』

新しい技術が生まれるたびに、同じような議論が繰り返される。先日もある建築家がCADで設計した家には温もりが感じられないと書いていた。まったく空しい議論。家に温もりが感じられないとすれば、それは設計者が新しい製図器を使いこなしていないか、現場の大工が図面に不足しているところを補っていないか、いずれにせよ人間の力が及ばなかったから。道具のせいではない。

パソコンで書いた文章は味気ない、という意見も、いまだによくきく。これまた空しい。明朝体のフォントが味気ない文章をつくるなら、すべての印刷された文章は味気ない。ペンで書いた文章だけに味があるように言うのは、音楽家はみんな歌を歌え、絵描きはすべて爪で地面に絵を描けというようなもの。作家や編集者の中には、手書きに異常なほどこだわる人がいるが、本を作る側の傲慢にしか思われない。「本」は、読み手に対しては、ほとんど常に活字で提供されるのだから。

パソコンを使った文章には、むしろ、いろいろな利点があるように思われる。両手を同時に使って文章を書くことは、右脳、左脳を均等に使っているかもしれない。うろ覚えの漢字も調べながら効率よく書ける。もちろん知らない熟語は辞書を調べなければ使えないことは、ペンであろうとパソコンであろうと変わらない。

パソコンは、文章を書くことを絵を描くことに近づけている。部分ごとに書いたあとで、まとめることができる。全体を見ながら細部を修正することができる。パソコンを使って文章を書くときに真っ先に意識するのは、句読点の位置。読みやすいようにできるだけ行頭を避け、行末に置くようなことは、多くの人が実践しているに違いない。

素人作家にとって最大の利点は、プロのように見せられること。本のように、新聞のように、雑誌のように、自分の文章を見せることができる。そんな風に見栄えがよくなった自分の文章は、他人が書いた文章のように読める。これが推敲に役立つ。

意外なことに、パソコンで文章を書くようになってから手書きで文章を書く機会も増えている。どこにいても、思いついたことを手元のペンでメモ帳に書きつけるようになった。キャンバスに絵の具で色を塗る前に、まず濃い鉛筆でデッサンするように、あるいはふだんはエレキ・ギターで演奏するブルース・ギタリストが、気分にまかせアコースティック・ギターを弾くように、文章にも、プラグド、アンプラグドがあっていいかもしれない。

絵本の頁に絵本短評を追加。雑記から絵本評を移動。目次も二文字に整理されて、気持ちがいい。ここで公開される文章の性格、分野が明確になってきたように感じる。


7/23/2003/WED

モーリス・メルロ=ポンティがスタイルという語を使っているらしい。ふだん辞典にしている『現代思想ピープル101(Handbook of Thoughts) 』(今村仁司編、新書館、1994)に書いてある。

もう何年も前に開いた記憶がある木田元『メルロ=ポンティの思想』(岩波書店、1984)には、幸い事項索引がある。「スタイルとしての世界」「人間関係のスタイル」などの語が並ぶ。該当する本文にあたると、物事のあり方、その変遷、というニュアンスで使われているようだけれど、はっきりしない。「世界」にしても「人間関係」にしても、自分の外側にあるモノや人の諸関係という意味にとれる。私が使おうとしているスタイルとは少し違うようにも感じる。

休日にそんなことを考えたのは、木田元『闇屋になれなかった哲学者』(晶文社、2003)を出かけた先の小さな図書館で拾い読みしたから。自分の知的関心のおもむくままに探求を続ける半生記は面白く読んだけれど、哲学研究に関する部分はほとんどわからなかった。木田自身が、何度も読んではじめてハイデガーを「わかった」というのだから、解説書の拾い読みでわかるはずもない。「わかった」ふりをせず、「わからない」不満や苛立ちを溜め込むことが、この真摯な哲学者にとっては、研究への動機付けとなったのだろう。

私の読書への動機付けは研究心とは違う。本のなかに書かれた別の本の紹介や、突然訪れる出会いが、次の読書を導いている。メルロ=ポンティは、今読んでも内容もわからなければ、読み続ける意欲もわかない。思想家列伝でメルロ=ポンティを紹介していたのは、これまで著書を何冊か読んでいる鷲田清一。もともと数冊読んだことのある今村仁司が編者ということで買った本。鷲田が執筆していることは、買ったときから今まで気づかなかった。いつか、回り道をして、戻ることがあるかもしれない。


7/24/2003/THU

マンガ『ガラスの仮面』(美内すずえ、白泉社)では、主人公の女優、北島マヤが、役作りに苦闘した末、自分なりにその役を体得したとき、いつも白目を剥いて呆然とする、「やれる、私にはやれる」とつぶやきながら。その境地に達するまでに通過する体験が、毎回突拍子もないので驚かされる。ここにマヤの天才性があると私は見るが、ここでの話題はマヤちゃんの白目。

初めて読んだ頃、薄気味悪い表情だと思っていた。それが繰り返し読むうちに、この場面ではこの表情しかないと思うようになってきた。そう思うようになったのは、文章を書きながら自分でもある種の恍惚感を得るようになったから。

書ける、私には書ける。

書き出し、比喩、構成、締めくくり。うまい書き方を思いついたときは、しばらく立ち止まっていたいような、そのまま蹲ってしまいたいような、あるいは、その場で大声で叫びたくなるような気になる。

ずっと昔に、クラッシク音楽を好む友人が、「麻薬は要らない、音楽がそれ以上の陶酔をもたらすから」というある指揮者の言葉を教えてくれた。法に許されたもので、持っているだけで犯罪になるもの以上の陶酔が得られるというのは、考えてみれば怖ろしいことではある。

近頃、書く歓びが深まると同時に、中毒症状を感じる。

出口に掲げたbk1へのリンクから書評の鉄人の紹介文を削除。雑記にも書いてあるし、いつまでも見せびらかすものでもあるまい。


7/25/2003/FRI

以前、「名前の呼び方、呼ばれ方」という随想を書いた。そこで主張したのは、自分の呼ばれ方を自分で決めることは、人間の尊厳に関わる、言い換えれば、人権の一つである、ということ。

そこから考えると、未成年の犯罪者の実名報道の是非について、巷の議論とは違う見方ができる。刑務所では、人は自分の名前で呼ばれない、らしい。あてがわれた番号で呼ばれる。名前は剥奪される。では、実名報道されない少年はどうか。結局のところ、彼らは、神戸の少年とか長崎の中学一年とか、人物を特定できる別名があてがわれている。そこでも、本名が剥奪されている。本名でなくても、人物は特定されている。

名前が報道されないからといって、未成熟な少年が保護されているわけではない。実際、学校、近隣では誰のことだかわかっているのだから。

実名を報道する害は何だろう。まさか、同じ名前の人が迷惑するからというわけではあるまい。神戸の場合、彼が書き残した名前は漢字こそ出鱈目でも、ごくありふれた名前だった。同じ名前をもつ人々こそ、いい迷惑である。いや、犯罪は個人の仕業なのだから、同じ名前であろうと、家族であろうと、他の人には関係がないはず。いやいや、鉄則は何より罪を憎んで人を憎まず、のはず。ならば、そもそも一人一人の犯罪者の名前を、判決が確定する前から報道する意味はどこにあるのだろう。

表紙をひまわりに変更。


7/26/2003/SAT

小さい子どもが最初に好むのは、原色、分りやすい平面的な絵、リズミカルな言葉。字も読めない乳幼児から絵本を与える運動を「ブック・スタート」というらしい。私の家庭では、谷川俊太郎文・元永定正絵『もこ もこもこ』(文研出版、1977)や、わかやまけん『こぐまちゃん』シリーズ(こぐま社)が、絵本体験の始まりになった。

単純な絵を好む子どもが、ある日突然変わる。どこでどう変わるのか、一緒に暮らしていても見極めることはほとんどできない。あるとき、それまでブルーナや山脇百合子を好んでいたのに、突然、細かい絵や長い話をせがむようになる。それは、ほんとうに突然に起こる。本を逆さまに眺めていた子どもが、表紙から一ページずつ見始めたときも突然だった。世界が変わったに違いない。こういう鉄が熱くなったときに読んでもらった絵本が、一生忘れられなくなるのだろう。

随想「エッセイについて」の最終段落、「思索の対象は、自分であり、自分をとりまく世界である。その意味では、『自』である。」を「『私』である」に変更。「シ」の音で文章を展開していたのに、一つだけ「ジ」となっていたのが気になっていた。意味においても、「自」はもともと「おのずから」という副詞であり、自分そのものではない。手元の『全訳 漢辞海』(戸田芳郎監修、三省堂、2000)で「シ」の音をたどり、「私」を見つけた。漢和辞典を開くのは、子どもに名前をつけるために購入して以来。


7/27/2003/SUN

響――Windham Hill Records Guitar Sampler、Various Artists、中川イサト解説、Windham Hill、ポニーキャニオン、1988

SELECTION 1973 - 1978、オフコース、Express、東芝EMI、1983
Someday、佐野元春、EpicSony、1982

『響』は、80年代後半に若手ギタリストを集めたアルバム。最近では村治佳織による演奏で広告でも使われている「サンバースト」。作曲者であるアンドリュー・ヨークも、このアルバムでは11人の内の一人として紹介されている。こういうギター演奏を聴くと掃除がはかどる。掃除とは、部屋の掃除と「庭」の掃除。

新しく聴いた音楽だけでなく、以前聴いた音楽についても、新たな気持ちで聴きなおした時に文章を残すと決めてからの第一弾。オフコースと佐野元春が並ぶことには、確かに何がしかの意味があるだろう。

村上春樹『ノルウェイの森』(講談社、1987)は、旅客機ビートルズの“Norwegian Wood”を聴き、呼び起こされる猛烈な回想に主人公が吐き気を催す場面からはじまる。そんな風に、この二枚のアルバムは、これまで聞き返したくないとまで思っていたもの。それが、図書館で何の気なしに棚から引き出せるようになった。それでも、いまはまだ何を感じたか、何を思い出したのか、まったく言葉にならない。ただただ激しく心が揺さぶられ、頭が痛くなってくる。

とりあえず、アルバムの周辺について書く。

オフコースは、レコード会社が勝手につくったベスト盤をもっているので、それぞれの曲はいまでもよく聴く。やはり元の曲順で聴くといい感じ。元といっても、このアルバムもベスト盤。ベスト盤が自分にとっては、オリジナルということもある

Maybe I'm a loser
Baby, I'm just a dreamer
かまわないで 好きにさせて
Yes, I'm in blue

佐野元春「I'm in blue」を聴くと、『孤独な散歩者の夢想』というルソーが晩年に書いた随想を思い浮かべる。こういうことは私の中では、少しも奇妙ではない

クレジットをみると、「麗しのドンナ・アンナ」「Someday」のアコースティック・ギターの担当は吉川忠英

ずっと昔に出会っていた。彼の音楽は知っていても、彼の名前は知らなかった。


7/28/2003/MON

卒業式で、校長が「君たちには無限の可能性がある」などとよくいう。響きのいい励ましの言葉。しかし、無限の可能性は、無根の現実であることを知らなければいけない。生まれたばかりの子どもには、確かに無限の可能性がある。しかし、それは可能性であって、現実ではない。赤ん坊は、まだ何もできないのだから。

生きていくということは、可能性を現実にかえていくことであり、同時に、ほかの可能性を消去していくことでもある。歩くことは走らないことであり、息を吸うことは、息を吐かないこと。

「前向きに生きる」。これも校長の訓示だけでなく、しばしば聞く激励。私自身、通念に従った意味で使うことが少なくない。しかし、「前向きに生きる」とはどういうことか、説明するのは案外むずかしい。

南極を探検した白瀬矗についての絵本『やまとゆきはら』(関谷敏隆、福音館、2002)を読んだ。白瀬は、極点へはたどりつけなかったものの、一生の計画である南極探検を果たし、そのために借りた金を一生かけて返し続けた。これは「前向きな生き方」か。

手塚治虫『ブラック・ジャック』(秋田書店)には、二種類の人間がくりかえし登場する。多額の治療費をB・Jに約束し、命拾いしたあと一生かけて金を返していく人と、「いくらでも払うから助けてくれ」と言ったのはその場だけのことだ、と言い逃れる人と。おそらく、後者の人たちは言うに違いない。「借金を返すなんて後ろ向きな生き方は意味がない。無限の可能性を信じて前向きに生きていくべきじゃないか。」

少年犯罪や交通犯罪の刑が軽すぎるという報道を聞く。被害者はすでに亡くなっているけれども、若い加害者にはこれからの前途、すなわち可能性があるから、という考え方が軽い刑を導くらしい。責任を取らずに向かう前途とは何だろう。自分が犯した罪の責任を一生をかけてとることは、前向きな生き方ではないのだろうか。むしろ責任を果たすことでしか、その人にとって前向きな生き方は見つけられないのではないか。

責任を取るということは、借りた金を返すとか、罪を刑期で償うとか、損害を弁償するとか、そんな狭くて具体的なことではない。今いる場所からしか、前には進めないことに気づくこと。無限の可能性も、有限の現在地から広がっていることを知ること。


7/29/2003/TUE

Axis 1998年12月号別冊 web design 100 Webデザインの現在がわかるビジュアルガイド、坂和敏・David Siegel(序文)・高木利弘(あとがき)、アクシスパブリッシング、1998

デザイナーのための世界の配色ガイド――世界中から集めた750種類の色をCMYK値とRGB値で紹介、Leslie Cabarga著、郷司陽子訳、グラッフィク社、2003

特別借りたい本がなくても、図書館にでかけると、何か借りて帰りたくなる。思いもかけない出会いをつくる場所は、新刊棚と返却されたばかりの本が書棚に戻る前に置かれる仮置場。

『Axis別冊』は、返却棚、『配色ガイド』は新刊棚で見つけた。これまでウエブサイトは、ほとんど文字だけで構築してきた。『Axis別冊』のあとがきでも書かれているように、ウエブサイトは総合メディアである。文字だけでなく、絵、写真、音楽も盛り込むことができる。5年前の本でも、とてもまねできないデザインばかりでため息が出る。

しかし、できるからといって、すべての要素を持たせなければいけないわけではない。不得意な分野や、興味がない技法を無理して織り込む必要はない。私のサイトは、今後も文字中心になるだろう。

文字中心という場合、デザイン上、気になるのはフォントと色、そしてレイアウト。私のサイトでは、これですべてといっていい。レイアウトについては、最近、目次の項目を二文字に揃えてずいぶんすっきりした。フォントは、手持ちはほとんど印刷用でウエブ表示すると見づらい。結局、標準のゴシックと明朝を使い分けるだけにとどまっている。

そこで残るは色。これは難しい。これまでは「庭」のイメージから緑とそれに隣接する色を使ってきた。そろそろ新しい発想で模様替えをしたいところで、『配色ガイド』に出会った。

驚いた。詩人は言葉でものを考える。画家は絵でものを考える。それから音楽家は音楽でものを考える。そこまでは想像がつくけれど、世の中には、色でものを考える人がいるとは知らなかった。

色で世界を見る著者の姿勢は徹底している。パリに行けば、タクシーの色を、中東に行けば、砂漠の色を、CMYK(シアン、マゼンダ、イエロー、ブラックの印刷で使われる四原色)の配分で見る。カバーについている著者紹介では、なんと妻と娘まで四色の配分で表現されている。一体、6C/20M/30Y/0Kと表わされるのは、どんな女性だろう。

本書は、世界中をまわって、著者が出会った配色パターンを、これでもかというくらい紹介する。面白いのは、言語学者たちが言葉について言うように、色についても、一つの色ではなく、配色、つまり色と色の関係から意味が浮かび上がってくると考えていること。

日本風の配色、フランス風の配色など、配色はおおまかに国別になっているが、著者の真意は、むしろ色配合の文化は、国境と一致しないことを明らかにすることにある。スコットランドやハワイは独立したページを与えられ、アメリカのページには先住民の配色文化が数多く盛り込まている。

各ページには、それぞれの文化に見られる独創的なデザインも合わせて掲載。添えられた短いエッセイが、軽妙ななかに、平和を愛し、不正義を憎み、多文化主義を擁護する強い主張が見られる。

色に始まり、いつのまにか色だけでない、デザインやアートも超えた世界へ話は広がる。それこそが、著者が愛する多色文化のアートなのだろう。

個人的には緑を基調にしたタータン・チェックが気に入った。うまく「庭」に反映させられるか。夏休みの宿題。

7/31追記

神戸出張。三宮駅の大型書店で手持ちの図書券を『配色ガイド』と交換。色彩世界旅行への切符を手に入れた。

8/31追記

夏休み中にはサイトの配色は変えられなかった。残念。

2002年の雑記を時系列的に上から下に読み進めるように転倒する。書評「ブルデューを読む」「八幡町ものがたり」を独立して書評に転栽。


7/30/2003/WED

二週間ぶりの荒川洋治。夏休みの日記について。

毎日書くのは、たいへんなので、書き溜めのコツを紹介。

  • -身近なことを書く。普段気がつかない、毎日変化のないことを書き残しておくと後で面白い。
  • -同じことを続けて、あるいは何度もする場合「少し」「ちょっと」など程度を表わす表現を配置すると本物らしくみえる。例。「本を少し読んだ。今日も少し読んだ」。先生はこういうのに弱い。
  • -「雨の中出かけた」のように天候と照合する文章を書かない。全体の整合性がとれなくなる。
  • -書き溜めしたことを正直に告白する。

日記は書くばかりではない。他人の日記を読むのも面白い。大人には書くことより、読むことを勧める。ただの記録でも、面白く読めることがある。勧めていたのは『日記をつける』でも紹介されていた、武田百合子『富士日記』。

荒川の助言に従い正直に告白すると、ここでは日記の体裁をとっているけど、かなり書き溜めをしている。出かけた日と場所では、嘘をついてない。音楽と図書の記録には多少のずれがある。思いついたことも、その日に書いているわけではない。

それから、書いた後でも頻繁に推敲している。日記というより雑記帳に近い。エッセイ集をCahiers(ノート)と名づけた人もいるらしい。まだ読んだことはないけれど。

無味乾燥な記録でも、しばらくたってみると感慨深く眺めることができるもの。もともとこの雑記は、図書館の貸出記録としてはじまった。感想も、なぜその本やCDを選んだのかも書かれていなくても、眺めているとさまざまなことが思い出される。

恥ずかしくて読み返したくなくなるような日記より、静かな記録が、あとで多くを、自分だけに語ってくれることがある。


7/31/2003/THU

ひまわり畑の写真を表紙に置いた。ひまわりの写真を見て思い出すのは、ソフィア・ローレン主演の映画『ひまわり』。より正確には、その名前を語った人物。

「私の平和思想の原点です」と語った、ある国際政治学者の言葉が不思議に記憶に残っている。その教授は人気があり講義はいつも満席。あまり混んでいるので、すぐに出席するのをやめてしまった。それでもこの発言だけは覚えている。

何年か後で、国際政治に関するあるシンポジウムを聴講した時のこと。休憩時間に、ロビーで彼を見かけた。ふと思いついて近づいた。講義を受けていたことを告げ、「どうして国際機関出身の人達は、あんな風に世界を見下ろしたようなものの言い方をするのでしょうか」とシンポジウムの感想をそのままぶつけた。

突然の、しかも不躾な問いかけに嫌な顔もせず、少なくとも私が感じた限り、微笑を浮かべて、「まったくその通りなんです」と彼は応えた。彼は、そのときはもう違う学校で教えていた。研究だけでなく、論壇での発言も積極的に行う学者だったけれども、その教授は、その後まもなく亡くなった。

講義はほとんど出なかったし、著書も読んでいない。それでも、彼は私の中では先生であり、ヘンリー・マンシーニの主題曲を聴くたび、その姿が思い出される。

ひまわり畑を見てもう一つ思い出すのは、ビデオで見たオフコースの武道館ライブ。“We are”、“Over”、と近作のアルバム名が浮かび上がり、グループとしての最後のコンサートであることが暗示される。それから、“Thank you”の文字。流れていたのは、アルバム“Over”収録の「言葉にできない」。

でも最後のアルバムは“Thank you”ではなく、“NEXT”だった。終わりではなく、それが次のはじまりだった

2003年1月から4月までの雑記を上下入れ替える。書評や絵本短評に移した文章を雑記から削除する。書評「春秋大和路」を書評に転栽。


碧岡烏兎