名前の呼び方、呼ばれ方


合衆国からの来訪者二人と仕事の合間に雑談をしているとき、仕事のうえで人の名前をどう呼ぶかということが話題になった。実は、話題をもちかけたのは私のほう。きっかけは、私のことを「さん」付けではなく、名前で呼んでほしいと頼んだこと。

彼らは英語で会話しているときでも私のことを「さん」付けで呼ぶ。日本語では相手を呼ぶときに苗字に「さん」付けで呼ぶのが丁寧だという知識は、日本国へ仕事に来る人の間ではかなり知られているらしい。ところが彼ら同士は名前、つまりファーストネームで呼び合っている。些細なことだけれども、同じ仕事をしている仲間として、自分だけお客様扱いされているようで気になっていた。そこで私は自分もファーストネームで呼んでほしいと頼んでみた。

彼らはそんなことはわけないとすぐ承諾してくれた。そこから名前についての話が少しはずんだ。英語でも名前の呼び方には苦労があるという。名詞にはマイケルと書いてあっても、マイクと呼ばれることを好む人もいる。企業内部でも、一般的にはファーストネームで呼び合うことが多いけれど、苗字で呼ぶことが慣例になっている会社もあるらしい。苗字で呼ぶといっても、ドクターの尊称を忘れてミスターなどと呼ぶと機嫌を損ねる人もいる。

私の知っているある多国籍企業では、入社したときに自分がどう呼ばれたいか申し出ることになっている。その会社は米国、ヨーロッパ、台湾の三ヶ所に本社機能があり、副社長級の経営陣も三ヶ所に常駐している。各拠点では現地の言葉が使われるが、共通の業務を行う公用語はもちろん英語。

そういう性質から、さまざまな名前を持ち、さまざまな言語を話す人が働いている。違う言葉を母語とする人には難しい発音の名前もある。そこで呼びやすいニックネームが必要になる。

自己申告というのはいい制度だと思う。経営面ではアメリカ流の会社なので、大半はファーストネームをそのまま使ったり、流用した名前にしたりしているが、日本語圏や中国語圏では、本名とはまったく異なる英語発音の名前を採用している人もいる。彼らがいやいやそうしているのか、仕事上で違った顔をもつことを楽しんでいるのか、よくわからない。おそらく相半ばする気持ちなのだろう。

ほとんどの人にとって名前は生れたときにつけられ、使い続けるものだから簡単には変えられないけれども、呼び名は自由にできる。汚い呼び名はいじめの始まりでもある。つまり、呼び名を自分の好きなようにすることは、基本的人権の一部といっても過言ではないだろう。

井上ひさしに『吉里吉里人』という小説がある。東北地方の小村が独立国家をめざす物語。吉里吉里国では現地の人々はすべて土地の発音で呼ばれている。例えば、共通語では「たろう」であっても、吉里吉里国では「たぁろう」のように、正確には異なる呼び方になる。極端に言えば同じ言語といっても、共通語の文字表記にあわせると、親に付けられ呼ばれた名前とは違う響きをもってしまうこともあるかもしれない。

来訪者の一人はインドの出身者だった。彼はムンバイ、かつてはボンベイと呼ばれた街の生まれだという。「ムンバイでもボンベイでも他の人はどっちで呼んでもかまわない。ただ私にとっては生れたときからずっとムンバイだけどね」と彼は言った。

彼が今、アメリカ人、すなわち合衆国国民であるかどうか、私は尋ねなかった。そんなことはどうでもよかった。彼は私にどう呼んでほしいか、教えてくれた。そして、私が呼んでほしい名前も覚えてくれた。それがわかっただけで今は充分に思われた。


碧岡烏兎