エッセイについて


「パンはえいごでブレッていうんだよ。」
     夕食のとき、子どもが得意げに話す。少し意地悪に返してみる。
     「知ってるよ。じゃあ、フランス語で何ていうか、知ってる?」
     「しらない。」
     「フランス語でもパンって言うんだよ。」
     「え、なんで?」
     「日本語にはパンって言葉がなかったから。」
     「ん、なんで?」
     子どもはきょとんとしている。しばらくして自信をもって応える。
     「だってパンってにほんごじゃん。」

仰るとおり。自分が生まれたときから、パンはパンとしてあった。親もパンをパンと呼んでいた。あの食べ物ははじめからパン。子どもにとっては、今話している言葉が日本語であり、パンははじめからその一部分だった。

私にとって、スタイルという言葉も同じ。私が言葉を覚えたとき、スタイルという語はすでに日本語の一部としてあった。ただし、スタイルという語が容姿や服装だけでなく、文体を意味するとは、外国語を勉強するようになって知った。いずれにしても、スタイルという語がもともと何語であったかは、私にとっては大きな問題ではない。私が覚えてきた言葉の一つにすぎない。

そのことと、スタイルという語がもともと日本語になかったということは別の問題。なぜなかったのか。あるいは、あったのかもしれない。あったのに、知らなかっただけかもしれない。そうだとすれば、なぜ私はそれを知らずに日本語を覚えてきたのか。

思想という語がなかった時代に思想がなかったとは、もちろん言えない。スタイルに対応する語が見つからないからといって、スタイルに値するものがなかったとは言えない。何しろスタイルを思想を体現した生活という意味で使っているのは、おそらく私だけなのだから。ともかく、スタイルという語は狭い意味での日本語では何と呼ぶべきか、興味深い問題ではある。

日本語で巧い訳語が見つからないというと、エッセイもそう。試論と訳されることがあるけれど、これは矛盾している。エッセイとはひたすらに試す、つまり問い続けるものであり、論は体系を志向するものだから。試文といったほうが、行き当たりばったりのエッセイにふさわしい。

エッセイは試す、「試」。それは思索であり、「思」でもある。同時にそれは読み手の想像力をかきたてる表現という意味で「詩」でもある。だからエッセイは、試文であり、思文であり、詩文でもある。エッセイストは思索家であり、詩作家であり、試行錯誤する試錯家でもある。

同じ音を頼りに書いてきた。もうひとつ同じ音で、エッセイには欠かすことができない言葉がある。それは「死」。それは「詩」から連想される。

詩への欲望と死への欲望には、なにか重なるものを感じる。いや、詩と重なるのは死への誘惑であると同時に、死への抵抗。

なぜ、死に誘惑されるのか。そこに懐かしい人々がいるから。なぜ、死に抵抗するのか。まだやりたいことがあるように感じられるから、まだ死には値しないように思われるから、要するに、まだお呼びがかからないから。

死を身近に感じるからこそ、死に抵抗する、生を全うする意欲が溢れる。詩と死は、やはり同じことを表しているように思われる。昇る朝日と沈む夕日が同じ太陽であるようなものかもしれない。

この点は、もう少しわかりやすく説明する必要がある。そのためにはもう少し内的に思索の発酵と沈殿を待つ必要がありそう。思わせぶりな文章は無作法だけれど、あとで戻って来られるように石ころを置いておく。

こうした覚醒を、パリを終の棲家とした思想家ならば、夜のとばりに沈みゆくノートルダムになぞらえて書くのだろう。私はといえば、市立体育館の児童室で、滑り台を降りる子どもを眺めているときにふってわいたように思いついた。避けられず、取替えができないという意味で、「いかにもオレ」という気がしてくる。思想は、その内実だけでなく、見出す過程そのものが思想、だからこそ、思想はスタイルである、とあらためて思い返す。

思索の対象は、自分であり、自分をとりまく世界でもある。その意味で「私」。移り変わる世界を眺めては考え、思索を続けて、変わっていく自分を見届ける。すなわち「姿」。思想は、姿想。


碧岡烏兎