2003年6月

6/2/2003/MON

先日の都知事選で、立候補しようとした人が東京都に住民籍がなかったことが失態と報道された。見方を変えれば、そこに住んでいなくても、その場所への深い思い入れを持つ人がいることを示してもいる。東京都の行政に利害がかかわり、関心をもつのは、東京都に住んでいる人ばかりではない。周辺各県に住み、通学通勤している人のなかには、住民票のある場所以上に長い時間を東京都で過ごす人もいるに違いない。そういう人には、都知事を選ぶ一票は与えられていない。

一票にこだわらず、遠隔地からある場所に関わろうとする人もいる。歴史をみれば、ロンドンにあったド・ゴールのフランス亡命政府や、東京やハワイで孫文が活動していた中国革命準備結社などの例もある。

これらは、理由あってその場所にいられない元住民が、遠い場所で故郷の政治に関わった例。最近では、そこへ住んだことがなくても、その場所への愛情を表明する人もいる。たとえば、タリバン政権が領土内の文化財を破壊しようとしたとき、他の国に住む多くの人が反対した。京都に高層ホテルが建てられたときにも、過去に京都を訪れた国内外の人々から景観を損ねると憂慮する声があがった。

信託住民という概念も聞いたことがある。支払うべき税金の一部を自分が指定した、必ずしも住んでいる場所ではない地域に送る制度。

世界の小さく、また平らになり、自治という概念は住民だけではくくれなくなっている。その一方で、大企業は社会全体に大きな影響を与えていても、社長は選挙では選ばれない


6/3/2003/TUE

ネット書店bk1に書評「もうひとつのピアノ」を投稿。書評投稿について、自分に課した原則。読んでよかった本について書く。まだ誰も投稿していない作品について書く。書評を書くときの心構え。紹介のためだけに書かない。自分のためだけに書かない。「必読」という言葉で締めくくらない。どんな人の、どんな時に意味ある本なのか、評者にはあずかり知らぬことなのだから。

6/4/2003/WED追記

ネット書店bkのサイト内に故安原顕による書評十戒をみつけた。「自分の寄って立つ立場を鮮明にせよ。」「自分のつまらぬ感想は綴らぬこと。」「読者が買いたくなるような内容と文章を。」の三項が、とくに私の考えと共鳴する。

書評とは、詰まるところ本の紹介。だからいい書評とは、読んだ人がその本を読みたくなるような文章である。もちろん、書評に個人的な感想が必要ないということではない。それどころか、内在的な感想をつきつめて、それを単純な印象にとどめず、その本のいいところもわるいところも(社会的に、あるいは読者個人にとって)よく理解したうえで、まだその本を知らない人の興味をかきたてるような表現をする必要がある。小林秀雄が到達した「ほめる」書評とは、そんな文章ではないだろうか。

主観的な感想を主観的な表現で書けば、告白になる。そして、客観的な事実を客観的に書けば記事に、客観的にみるべき事柄を主観的に書けば妄想になる。そして、主観的なことを客観的に書けると批評になる。それぞれに持ち味があり、適した媒体やふさわしい技法がある。妄想ですら、程度と表現方法が合えば、幻想的、官能的な作品になる。書評に必要な態度は、感動する自分と同時に自分をつきはなす冷徹な眼差し。

自分の文章でも、オススメ書評に採用されているものは、その按配がうまくいっているようにみえる。見ている人は見ているものだ、と思う。


6/4/2003/WED

きのうの荒川洋治のラジオ・コラム。俳句の季語について。荒川はしばしば「季節を感じない人間」と自分を笑う。季語に関心をもったきっかけは、台湾に暮らす俳人による歳時記『台湾俳句歳時記』黄霊芝、言叢社、2003)。五十年におよぶ日本の植民地統治の結果、台湾には日本語を話す人が多くいる。その中には、俳句をたしなむ人もいる。台湾は亜熱帯なので、歳時記の中身は日本で一般的に使われている歳時記と異なる。まれに降る雪については、雪見という季語を用いて、重用する。また、日本軍によってもたらされたと伝えられる昭和草という雑草も季語になっている。

みぞさらえ(いわゆるドブそうじ)、障子洗いなど、今ではあまり見かけなくなった風物も季語には多く残る。もともと季語は、やまと言葉だけに限られていた和歌に対する抵抗として俳諧が俗語を積極的に取り入れたときに生まれた。高浜虚子などにより、大量に創出されたらしい。虚子の生み出した一例として、夜の涼しさを表す夏の季語、夜の秋がある。

注目するのは。同じ風でも野分のように季節を分けていく風が歳時記には多い。「風の違いに敏感に反応できないと、この世界には入っていけない。」

言葉とは不思議なもので、身につけようとして身に着くものでもないのに、忘れようとして忘れられるものでもない。植民地政策のもとで覚えさせられた言葉で詠む俳句。そこには世界文化混淆の裏面がある。もちろん、俳句が読めるようになったのだから、植民地支配はいいことをしたなどというのは言語道断。それでも、いやいや覚えさせられたとはいえ、身についた言葉は思考を制御する。その言葉を否定することは、その人を否定することになりかねない。

考えてみると、どんな言葉にも植民地や国土統一、近代化教育など政策を通じて作られた標準語とその流れに反発しながら派生した方言、いわゆるクレオール言語がある。フランス語は日本語以上に中央集権意識が強く、正統フランス語が特権的に存在している。実際には北アフリカ、ベトナム、カリブ、タヒチ、ニュージーランドにはそれぞれのフランス語があるらしい。隣国ベルギーのフランス語も微妙に違う。これに対して米語は正統性をふりかざさなかっただけ、なし崩し的に普及したとみることもできる。

日本国もともかく植民地をもっていたのだから、日本語がさまざまな地域へ広がっているのは当然。まして今や、世界中でたくさんの人が日本語を学んでいる。近頃は雑誌のコラムなどでも、第二言語として日本語を使う人の文章を多くみかけるようになった。

先日も大阪に行ったとき、京阪電車の広報紙でスリランカ出身の経済学者、にしゃんたの文章を興味深く読んだ。ウエブ上でも公開されている彼自身の日本語による文章は、日本語文化の内部から破壊と開放/解放を促している。


6/5/2003/THU

批評文「思想、批評、経験、そしてスタイルについて」を植栽。あまりにお粗末な覚書だけど、これから伸びていくことを願いながら植える。


6/6/2003/FRI

表紙写真を紫陽花に変更。


6/9/2003/SUN

批評文「思想、批評、経験、そしてスタイルについて」を剪定。スタイルを表す日本語を探すことが私のスタイルに関わるという主旨の結語部分を削除。このように意識しないうちに根を張る母語イデオロギー、母国、自文化イデオロギーは摘み取らなければ。スタイルとは、そうした偏光を外すことにより、つまりお仕着せの概念や言葉を使わずに自分を表現することなのだから。


6/12/2003

書評「文学が好き」を植栽。批評文「帰れ! 帰るな! いったいどこに?」を剪定。かっこのなかにオチをつけるような文章をやめる。書きたいことは本文で、が基本。


6/14/2003/SAT

月曜日からサンノゼ泊。

予期せぬ出張。しかも前週から週末にかけて慌しく、ここへ来ても日中は忙殺され、何も書くことができなかった。こういうことも珍しい。1月のラスベガスとはだいぶ違う。

何か書こうとしても、天候や食事、要するにありきたりのことしか思いつかない。肉体的に疲れていて、精神的にも耐圧限度に近づくと、自分をなぐさめるような文章しか書けなくなってくる。

そうした文章に意味がないわけではないとしても、ここに掲げる目的とは違う。帰国までに少し時間がある。断片的になることを覚悟でシリコンバレーで思うことを書き残す。自分をなぐさめるような文章しか書けない同じ理由で、追いつめられたときには、自分が過去に書いた文章になぐさめられる。意外にも、こういうときに庭の掃除がはかどる。

成田空港出国審査門に、「日本人は出国カードはいりません」とある。ここはどうしても日本国民としてほしい。日本人であっても日本国民でない人もいれば、日本人でない日本国民もいるのだから。こういうところでこそ、きちんとお役所らしく振舞ってほしい。ここで合衆国の入国門ではどうだったか書くまでもない。そういう比較にたって、外国は正しい、日本国は遅れている、という文章はげんなりしてくる。よその国がどうしようと関係ない。単純にそうしたほうがいいと思うだけ。


6/17追記

帰国の際、もう一度見てみると入国審査所の掲示には「日本人/Japanese Passport」と書かれている。向こうもちゃんとわかっている。わかっていながら、日本国旅券保持者、日本国民と書かない。日本人の日本人に対する幻想が露呈している

さくいん:シリコンバレー


6/15/2003/SUN

日本語の本では著者紹介に学歴が書かれていることが多い。前から不思議に思っていた。英語でも、専門書ではどこの学校でどのような資格をとり、どのような職歴を経ているのか、克明に書かれている。一般書ではほとんど学歴はない。かわりにあるのは居住地と家族。ご丁寧に配偶者や子供の名前まで書いてあるものも少なくない。だいたい英語ではコンピュータ・ソフトの解説書や受験参考書のような本でも、誰かへの献辞が添えられたりしているのだから、本というものに対する基本的な考え方に違いがあるのかもしれない。どちらがどうということはない。率直にいえば、どちらも不必要なものだと思う。そう思っても、あればつい見てしまう。

肩書きや略歴など著者についての情報は、本の商品としての価値に関わっている。文庫本や新書のように体裁や装丁が画一的であるほど、著者についての情報は豊富。カバーには、内容の紹介まで書かれている。それらは必ずしも著者の意図したとおりではない。そう考えると、文庫本や新書は、書物というより出版社の製品とみるほうがいいのかもしれない。ハードカバーでは、装丁、献辞から著者紹介のすみずみまで、著者の意図が込められているものもある。

先日、ノンフィクション作家を名乗る人物が、自分が出会った不愉快な人について新聞の随筆欄で書いていた。これは許されることだろうか。読んでみると確かに不愉快な出来事だったようだ。しかし読めば書かれた本人は自分のことだとわかるに違いない。それにもかかわらず、その人に反論の機会は与えられない。

つまり、このノンフィクション作家は、全国紙に書けるという地位を使って一人の人間を公衆の面前で罵倒している。そう考えるのは間違いだろうか。どんなにそれが不愉快な体験であったとしても、通りすがりの人を告発するような文章で金をもらっていいものだろうか。よくわからない。いずれにしても、あまりいい気持ちのする文章ではなかった。

最近はインターネットの普及により、素人とプロの間で発言を拡声する力に違いがなくなっている。機内で読んだ週刊誌によれば、それを悪用して、素人が勝手な噂をばらまいて、俳優や作家のようなプロを困らせるような事態も起きているらしい。

それでもプロが素人を批判、中傷するのはどうかと思う。もちろん名誉毀損となるようなこと、プライバシーを損なうようなこと、すなわち犯罪行為はどんどん告発すべきだし、摘発すべきだと思う。マナー違反は容赦なく掲示板から締め出せばいい。それとは次元が異なる、プロの表現に対する批判を素人がした場合まで、「まず名を名乗れ」というのはお門違いというものではないか。プロは素人の論評に対して対等に反論する必要はないのだから。無視すればいい。

表現を生業としている人にとっては、極端にいえば、批判、中傷ですら商売繁盛につながる可能性がある。素人は論争から金銭的に得るものはない。結果において公平でないのだから、条件において平等でないのも当然ではないだろうか。

見方をかえれば、今やプロとアマの違いは、それでお金をとっているかどうかの違いだけになっているということでもある。もちろん、すべてというわけではないが、アマより低い質のプロがいることは否定できない。そういうプロに限って、利権を守るためにギョーカイをつくりたがる。

批評文「バカと普通」を植栽。書きながら、理論信仰と実感信仰のどちらも否定する丸山眞男や、「経験の重要性を説くが、わたしはいわゆる経験主義者ではない」という森有正の言葉を思い浮かべていた。

鷲田清一の書名にあった「普通は誰も教えてくれない」という言葉も念頭にある。同じことを書いているに過ぎなくても、自分の言葉で書くことが私なりの「ふつう」への挑戦になる。荒川洋治が説くエッセイを書くときの心構え「自分がその件について知ることをすべて破棄する。知識、情報、数字を出さない」の実践でもある。


6/16/2003/MON

My First Dictionary: 1,000 words, pictures, and definitions, written by Betty Root, illustrated by Jonathan Langley, Dorling Kindersley Limited, London, 1993

The Snowy Day (1963), Ezra Jack Keats, Puffin, 1981
Goodnight Moon (1947), Written by Margaret Wise Brown, Illustrated by Clement Hurd, Harpercollins Juvenile Books, 1991
Crow boy, Taro Yashima, Penguin, 1976

Steely Dan, Everything Must Go, Warner, 2003

Michael Hedges, Beyond Boundaries, Windom Hill, 2001

World Weekly News, June 17, 2003

頂き物と買い物

1月の出張のときのように、買い物リストを残しておく。

“My First Dictionary”は名詞だけでなく、形容詞、動詞まで絵、写真で説明している。つねづね思っているのは、欧米語の辞書と日本語の辞典では目的に違いがあるのではないか、ということ。欧米語の辞書、いわゆる英英辞典などでは、言葉を定義することに重きを置く。だから大きな辞書ではwhatを説明するのに何ページも費やしたりする。

日本語の辞典は、言葉の広がりや多様性を収集することを目的にしている。英語を本格的に勉強するときには英英辞典を使えとよく聞く。国語辞典を初級の日本語学習者が使ってどれだけ有益かは疑問。類義語や使い方豊富にあっても、言葉そのものの定義は出ていないから。

絵本は、大型書店のコールデコット賞作品コーナーから気に入っている古典を入手。本棚から縦になった英文の書名を探し出すのは慣れないと疲れる。帰ってきてみると、ネット書店のセールのほうが、自分が買ったドル円レートより安い。検索、価格の面から洋書はネット通販に分がありそう。だいたい出かける機会に限りがあり、書店で過ごす時間はもっと限りがあるのだから。

最近、ようやく自分の音楽の趣味がわかってきた。バッハをよく聴くといっても、聴いているのはギターとピアノ、リュートやオルガン。順位を下げるとフルート、クラリネット、ホルン。弦楽器の音は、それほど好まない。オーケストラやカンタータ、オペラの類いはほとんど聴かない。

何といっても好きなのはギターの音。Michael Hedgesをはじめ、Earl Klugh, Stanley Jordan, Tuck and Pattiとギターのアルバムが増えている。機内で聞いていたのも、Herb Ohtaのウクレレ、Joni Mitchellの弾き語り、それとはじめて知った三線のジミヘン、登川誠仁「忠孝の唄」。

考えてみると、夏川りみを好きなのも、歌声だけでなく伴奏する吉川忠英のギターに負うところが少なくない。好きな楽器の順位をみると、粒だった音を好んでいる。そういうことは、記録をとりながら濫聴して、しばらくたって記録を眺めているとわかってくる。

“Weekly World News”はお約束。今号の一面は「海坊主、南太平洋で発見される」。なかには特集、これまで発見された動物人間。どう見ても被り物の豚男、狼男が紙面を賑わす。こういうのは面白い。気になるのは、コラムなどで、フランス政府、フランス人に対する反感が露骨にされていること。こういうのは面白くない。

しばらく前にと学会の一員、植木不等式がbk1のコラムで、戦中のメディアについて「冗談が言えなくなったらおしまい」と書いていた。戦争とか平和とか小難しい論争から一番遠そうな媒体に戦時色が表われると、何とも気味が悪い。

土産ではないけれど、思い出になったこと。雑貨店の人形を見て、よく知られた英語漫才“Who's on first?”の演者がAbbot and Costelloとわかった。長年の疑問が解けた。


6/17/2003/TUE

bk1に書評「バッハ問」を投稿。

庭師紹介に二つの断章からなる「烏兎以前」を追加。この文章のなかには、これまで直接触れることがなかった個人的事情も書いた。それについて今後これ以上の説明をすることはないだろう。その理由は、紹介文に追記したとおり、このページの目的は私を理解してもらうことではなく、私の文章を理解してもらうことだから。


6/18/2003/WED

昨日の荒川洋治。文豪の間違いについて。鴎外、漱石、さらに漱石の妻の文章のなかにも、厳密な文法、語法からみると間違いがある。それらのなかには間違いとは言い切れないものもある。例えば、漱石の妻の表現には彼女が生まれ育った場所の方言が混ざっている。その意味では生の言葉である。

聞き取りづらい場所にいたので、メモもとれず、不十分な要約。大事な締めくくりの言葉を聞き逃したのが残念。おそらく荒川の真意は、言語表現に間違いと判定を下すことは難しい、日本語といっても方言を含めて多様な広がりがある、というところではないだろうか。

ちょうど昨日の昼、ニッポン放送「高田文夫のラジオ・ビバリー昼ズ」で、伊藤秀志が秋田ZUZU弁で歌う「大きなのっぽの古時計」「夢の中へ」が披露された。これも日本語なのか。途中、フランス語にも聴こえるしゃれをわざわざ混ぜて、日本語に対する画一的な思い込みを打破する。

それにしても高田文夫は面白いものを見つけてきて、ブームを作り出すのがうまい。今回の伊藤秀志にしても、「だんご三兄弟」の速水けんたろうと茂森あゆみ、クレイジー・ケン・バンド、大西ユカリなど、いずれも高い実力が正当に評価されていなかった人を表舞台に引き上げてきた。

フランス語は規範が明確な言語。アカデミーが新語、外来語をいちいち純粋フランス語に直すし、文法にも厳格な規範があるらしい。それでもフランス語にも、アルジェリア、ベトナム、カリブなど世界中に派生語、クレオールが存在する。それらは典型から見れば間違っているが、使っている人たちから見れば少しも間違っていはいない。

日本語でも、方言だけでなくさまざまな派生言語、いわゆるクレオール語が思いつく。台湾、朝鮮半島の日本語、外国から来日した人々の間で交わされる日本語、アーミッシュのように母国を長く離れた結果、移民一世の古い日本語がそのまま残されている例もあるに違いない。何年も前に、クイズ番組「世界まるごとハウ・マッチ」で、ハワイに移住した日系一世の日本語と英語が混ざった独特な言葉づかいを聞いたことがある。

書評「向き合おう。語り合おう。――いま、問われるハンセン病の過去と未来」「趙根在写真集 ハンセン病を撮り続けて」を植栽。


6/20/2003/FRI

このサイト全体に“un jardin dans le coeur”という副題をつけた

なぜフランス語なのか。なぜun jardinでありle jardinではないのか。同じように、なぜmon coeurではなくle coeurなのか。

これらは読んでくれる人への謎掛けではない。こうしたことが自ずから分かってくるような文章を書きたい。

文章を書く目的は、私を理解してもらうことではない。究極的には、私の文章を理解してもらうことですらない。

読んだ人が、自分の心に言葉の庭を見つけ出すこと、その庭が、自分のなかにあるほかの庭や、他の人の庭/gardens/des jardinsなどなどへ続く道を伸ばしていくこと。そうなるために、まず自分の文章が誤解なく、ありのままに理解されること。

「ひとつの心の庭」

その意味が、行間から浮かび上がるような文章でありたい。副題は、たどりついた「道しるべ」であり、目指していく「夕べの星」

表紙を整理、雑木林の写真に変更。副題“un jardin dans le coeur”を追加。


6/21/2003/SAT

人間は最も少ない報酬で最も多く働くほどエライ人ぞな。一の報酬で十の働きをする人は、百の報酬で百の働きをする人よりエライのぞな。収入の多寡は、人の尊卑でない事くらい、わかっとろがな。

6月11日の日経新聞夕刊で、出久根達郎が正岡子規の発言を引いている。しばらく前に江波戸哲夫も同じようなことを日刊ゲンダイで書いていた。

この言葉は、働く者の心がけとして働く者の間で使われるのならば、叱咤激励となる。しかし、同じ言葉が雇用する立場、働かせる立場に使われると、まったく意味と効果は変わってしまう。

給料以上に働く人は偉い。会社からすれば、こんなにありがたい言葉はない。ましてそれが労働者の倫理、すなわち自発的な心がけに埋め込まれるならば、すべての不満や愚痴、要望、争議を封じ込めることができる。実際、まじめな人ほど、この言葉を自分自身への戒めと受け取ってしまう。過労死やサービス残業が問題となっている今、この言葉は慎重につかう必要がある。

正岡子規の言葉と同じように、働く者を励ます一方で強迫しているようにみえるのが「プロ意識」という言葉。責任感をもって仕事をする、押し付けられたのではなく、自分の仕事だと思う、そういう意味合いがこめられているのだろう。言葉じたいに問題はない。まったくその通りだと思う。

しかし、責任の範囲が明確にされなければ、働く側は無限の責任を押し付けられてしまう。さらに初めにあげたような標語と組み合わされると、プロならば安いお金でしっかり働くべし、となり、一切の待遇改善の要望も出せず、無限の責任を負わされるはめになる。

プロとは無限の責任を負うものではない。むしろもらったお金に対してしか、あるいは自分で定義した責任の範囲でしか仕事をしないものではないか。どんなに報酬をもらっていても自分の健康状態で登板しない投手もいる。もちろん必要とあらば、無理をしてでも登板する。それはプロ個人の判断による。


何年も前に、もう亡くなった記号学者、丸山圭三郎の講演会にでかけたときのこと。お酒が好きなので酒席には出かけるが、そこではフランス文学の話はしない、それはお金をもらってすることだから、と話していた。確かに私はその講演会にお金を払って座っていたので、よろこんで頷いたのを覚えている。対価がなければできることでもしない、これこそがプロ意識ではないだろうか。

プロ意識、仕事と対価、そういうことを考えるとき思い出すのが美内すずえのマンガ『ガラスの仮面』の一場面。主人公、北島マヤが所属する劇団つきかげは、自分たちの力試しに公園で無料興行を計画する。マヤには仇敵であるはずの大都芸能社長、速水真澄は思いがけず「無料(ただ)にはするな。料金をとれ」と助言する。

いいか!自分たちを安っぽくみせるな!無料だと世間はきみ達を甘くみるぞ!誇りをもって観客から料金をとるんだ……無料同然であったなら世間は実力など認めてくれない(花とゆめCOMICS、第21巻、白泉社、1981)

速水真澄の言葉と正岡子規の言葉は、突き詰めるとどうしても矛盾が避けられない。つまり、これらの言葉の含意を、賃金労働の現場で同時に発揮するのは簡単なことではない。組織のなかでの立場や仕事の性質、顧客を含めた人間関係、そうしたものは限られた空間と時間で責任が果たされるスポーツや演劇とは比べものにならないくらい複雑だから。

マンガでは、興行はチャリティー公演となり、観客は芝居をみた感動に応じて寄付をすることになっていた。組織内労働である賃金労働では、一つ一つの行動に誰かが報酬を払うことはまずありえない。

働くということについて、さまざまな標語が飛び交っている。それだけ労働についての考えが混乱していることを表している。今は一つ一つの標語について、誰がどこで使うとどういう意味になるか、よく考えておいたほうがいい。自分を力不足と感じることは悪いことではないとしても、なんでもかんでも自分を戒めればいいというものではないだろう。それでは、誰かの思うツボとなる。

さくいん:労働


6/22/2003

批評文「多様化と細分化について」を植栽。過去に書いたものを読みなおして、考えを改めたり、深めたりすることがある。書くことの効用の一つだと思う。


6/23/2003/MON

朝、NHK-FMでギタリスト鈴木大介と女優高橋由美子の「気ままにクラシック」を聴く。今週は名曲探偵団。さまざまな場面でかかるクラシック音楽の原典をリスナーの要望に応えて探し出してくれる。

アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』のなかで、結婚式の場面で使われていた曲がJ.S.バッハ作曲、パストラーレ、BWV590であることは、昨年、たまたま図書館で借りたCDでわかった。今日も、その曲が紹介されていた。ほかにプロコルハルム「青い影」のイントロもバッハに着想を得たものらしいと、今日の番組で知った。

自分のなかでバロック好きの根は、クイーン「ラブ・オブ・マイ・ライフ」と映画『リトル・ロマンス』の主題曲とばかり思っていたが、他にも嗜好の源があるかもしれない。

とはいえ、過去の出来事と現在の嗜好の間に、つながりばかり見出すのはよくない。小さい頃に民謡を聞いたことがあるのに、今は必ずしも好きなわけではないのだから。また、過去に何もなくても、今好きなものもあるのだから。過去と現在には、あるつながりがある。ただし、そのつながりは現在の私が見出して始めて意味あるつながりとなる。その意味で、過去と現在の連環はつねに事後的である。

放送では吹奏楽の定番、「ボギー大佐」も流れた。この曲を聴くと、どうしても「サル、ゴリラ、チンパジー」と口ずさんでしまう。これもまた、断ち切ることができない過去からのつながりか。

さくいん:バッハ『ルパン三世』


6/24/2003/TUE

今日の荒川洋治。優れた短編小説に贈られる川端康成賞。今年の受賞者は、九十歳の男性。学生時代は太宰治や織田作之助と交流があった。任侠小説で生計を立てていたが、年齢を重ねてから純文学を書きはじめた。それにちなんで、遅れて文学の世界に入った人について。

ヨーロッパでは、三十代を過ぎてから文学、小説を書き始めて文学史に名を残した人が少なくない。例えば、18世紀、スイスの政治家であったコンスタンは59歳から小説を書き始め79歳で亡くなるまで書き続けた。

コンスタンの小説では、時間がゆっくりと進む。年をとってからはじめたからといって、焦ったところはない。第二の人生で文学を書く人には、むしろある種の余裕とプライドが感じられる。

年齢を重ねてから、あるいは第二の人生で文学を志す人には、長い社会生活、職業生活で培った人間的な広さや深さがある。ただし、年齢を重ねた人が文学を志す場合、相当の意気込みがあるということに周囲は忘れてはいけない。気をつけて話さないと、相手のプライドを傷つけてしまう。

何事もはじめることはいい。年をとって何かをはじめるのは、「はじめる」という言葉を使うだけでも前向きになり、元気にさせる。荒川は最近、携帯メールを始めたらしい。

文学を志すのは、職業的な作家や第二の人生に踏み込んだ壮年ばかりではない。多くのアマチュアがネット上でさまざまな作品を発表している。彼らはみな職業的文学者の予備軍だろうか。そうとも思えない。プロ・デビューを目指している人ばかりではない。ただ単純に書きたいから書いている人も少なくないのではないだろうか。趣味として楽しんでいるというだけでもなく、職業にすることを目指すのでもない。そういう方法もあるのではないか。むしろ趣味とプロ予備軍にしかアマチュアをとらえられないのは、プロの側の偏見ではないだろうか。

アマチュア精神とは何か。とりわけ文章表現や思想という分野において、プロ、アマとは何を意味するのか。しばらく考えているけれど、なかなかまとまらない


6/25/2003/WED

bk1に「小林秀雄のこと」を投稿。

二、三日前に随筆「小林秀雄展」を読み返し、段落の落とし忘れをなおした。わずか半年あまりの間にずいぶんといろいろなことがあり、大げさでなく生活までかわった。

松涛美術館へ行ったきっかけは、たいしたことではなかった。よく目をとめる日経新聞最終面にある文化欄で編集委員、浦田憲治による紹介。そのあとで『小林秀雄全集』を読み、吉野秀雄辻邦生のエッセイ集などを経て、『森有正エッセー集』を読むようになるとは、そのときまったく予想もつかなかった。ネット上で文章を公開することも、ネット書店の書評欄に投稿をするなどということも思いもよらないことだった。今日植えた「エッセイについて」なども、一年前には書くことはできなかった。

もっとも、よく思い返してみれば、予兆はあったのだし、それ以前も書くこととまったく無縁だったわけでもない。突然、ボクシングや編み物をはじめたというのとは違う。読むことも書くことも、一時期没頭していたのに、嫌になって投げ出してしまった。それがいつの間にか、かなりの精力を傾けることになっている。とはいえ、今は、以前とはまったく違う方法で読んだり、書いたりしている。かつて走っていた風景を、違った気持ちで歩いているようなものかもしれない。


知る、知ってしまうとは、どういうことだろう。バッハのオルガン曲、小林秀雄や森有正の文章、夏川りみの歌声、そういうものを知らない自分が今では考えられない。知らなかった自分も想像できないくらい。といっても、これからまた忘れていくかもしれない。日々の暮らしは、批評だエッセーだと言ってる場合ではないとけしかけてくるのだから

それでも書き続けるべきなのか。正直なところ、よくわからない。体調が悪く、気分が沈んでいるときは、こんなことをしていて何になるのだろう、という徒労感ばかりつのる。こんな暇があれば、直接職業に関係する本を読むか、部屋の片づけをするか、さっさと寝るべきではないか、と思われてくる。

なぜ書きはじめたのか、なぜ書いているのか、自分にとって読む、書くとは何だろう。職業でもなければ、楽しむだけの趣味でもない。そう考えると、いわゆるボランティアが近いかもしれない。金のためではない。楽しみのためだけでもない。そうかといって義務感だけでもない。

今朝の日経新聞、「私の履歴書」に岡山の化学メーカー林原の社長がダライ・ラマの言葉を引いて、「好きなことをして世の中のためになるようにする」ことが日常の修行だと述べている。こういう境地に立てるようになるまで、あせらずあきらめず、ほどほどに、続けられたらいいのだけれど。

ところで、「エッセイについて」は、6月1日付朝日新聞朝刊に掲載されたグロード・ロエット『エッセイとは何か』(下澤和義訳、法政大学出版局、2003)に対して書かれた鷲田清一の書評に触発されて書いたもの。書評された本にも興味はあるが、ここのところ、吸収するものが溢れ気味で、すぐには読めそうにない。鷲田は、エッセイとは「公理的な知と臆見(ドクサ)のすきまで思考する精神」とまとめている。これまで読んだ鷲田による文章の多くに、その精神がいかんなく発揮されている。

随筆「エッセイについて」を植栽。エッセイ、あるいは批評文と分類される文章のうち、自分の外側について書いたことは批評文の頁に、自分の内側について書いたものは随筆・雑文の頁に植える。そう決めたというより、過去の仕訳をみるとそうなっていることに気づいた。

表紙を一新。内容に変化はなし。目次を中心揃えから左揃えにした。


6/26/2003/THU

感性の日常化を問う!

この言葉を聞いたのは、20年以上も前。今はないアサヒグラフでRCサクセションを特集したときの見出し文字だった。何年も前の週刊誌の見出しが、なぜか、忘れずに時々思い出される。

最近になって、結局、私が文章表現を通じて主張しようとしていることは、この言葉に集約されるのではないか、と思いはじめている。あるいは、この何気ない見出し言葉をきっかけにして、いろいろなことを考え始め、長い時間がかかってようやく自分の言葉で表現できるようになってきた、というべきかもしれない。

この言葉に集約されるといって、この言葉を呪文のように唱えて、すべてが解決するなら話ははやい。そうではないから、悩みはつきない。素敵な言葉をみつけたところで、現実の問題は何も解決しない。素敵な言葉といっても、その意味するところを明確にし、意味しないところをそぎ落としていくために、さらに言葉を費やす必要もある。

思想とは、後者を推し進めることにより、前者への指針を明らかにしていくこと、いや後者を徹底的に進めることにより、指針が自然に行動となること、さらにいえば、肉体的精神的に否が応にもある行動をとらざるをえないようなところへ追い込んでいくことではないだろうか。

RCサクセションのことを思い出したのは、日曜夜のアニメ「ちびまる子ちゃん」の後主題歌が忌野清志郎にかわったせいにちがいない。

何やってんだ人類 どうしたんだ、未来!

いくつになっても、どんな歌を歌っても、清志郎は感性の日常化を問い続けている。

さくいん:RCサクセション(忌野清志郎)


6/27/2003/FRI

随筆「エッセイについて」をさっそく剪定。子どもの会話文をすべて平仮名に統一し、最後に一段落追加。蛇足のようにも感じられるし、どうしても必要という気もする。しばらく様子見。

書評「小林秀雄のこと」に同じ著者による「母国語は宿命か――森有正と小林秀雄」を追加。bk1に投稿した書評がすぐサイトに反映されないと思っていたら、挿入した本にリンクをつけてもらっていた。もともとこちらでその細工をしようとしていたところ、タグを追加すると字数が規定を超えてしまい、あきらめてそのまま投稿した。その際、明記してあった『私の中のシャルトル』の書名を誤って削除してしまった。

bk1のサイト上にある書評では、「母国語は宿命か」がどこに所収されているのかわからない。質の低い仕事。罪滅ぼしと自己嫌悪を紛らわすために元の書評を書き直す。


6/29/2003/SUN

金曜日、土曜日と家族で小旅行。行き慣れた場所へ出かけ、何もしない休日。

朝食はバフェ形式。何回経験しても、どうしてもバフェを前にすると、胸が騒ぐ。何でも取りたいと思ったり、取りすぎてはいけないと自戒したり。要するに自然に振舞えない。こういうのを「そだち」と言うのだろうか。

子どもの様子をみていると実にあっけらかんとしている。豊かな時代に生まれ育ったせいか、目の前に山盛りの食品があってもガツガツしない。こちらが言わなくても食べる分しかとってこない。後でとればいいとわかっている。もっとも、もう少し大きくなって同じ年齢の仲間と来れば、競い合うような場面もあるだろう。

以前、郊外型の巨大玩具店にでかけたときのこと。大人でも欲しくなるおもちゃが所狭しと置いてある。時間もなかったし、何かを買う機会でもなかったので、「さ、帰ろうか」と促すと、子どもはあっさり踵を返して、出口に向かった。何か買いたいと駄々をこねたらどう連れ出そうと案じていたから、こちらが拍子抜けした。

物質的な豊かさは、精神的な豊かさへ直接結びつくわけでは、もちろんない。バフェから食べられる量だけとることと、モノを粗末にしない気持ち、モノを作る人を敬う気持ちは別のもの。いつでも追加できるから、無理して欲しがらないだけ。それでもひもじくないということは、ある種の余裕を生むことは間違いないように思われる。


6/30/2003/MON

自分が書いた文章を読み返すと、野球の比喩が少なくないことに驚く。野球はまったくしないし、プロ野球も見ない。以前は夜のスポーツニュースは見ていたけれども、最近では週末でも見なくなった。それでも野球、とりわけプロ野球を頻繁に文章に持ち出すのは、どういうわけだろう。

おそらくは、小さい頃にみた『巨人の星』や『侍ジャイアンツ』、『ドカベン』などの野球マンガの影響があり、プロ野球を社会の縮図、ビジネス・モデルの一例としてプロ野球をみている、あるいは、そうした文章を日々眼にし、影響を受けてもいるのだろう。せっかく無意識でも関心があるのだから、もう少し積極的に見れば、楽しくなるかもしれない。

すべてのファイルをhtmからhtmlに書きなおしはじめた。目次はすぐ書き換えられるけれど、縦書きページは<戻る>などの設定も入力、保存をしなおす必要がある。これを機会にちょうど一年前に書いた初めの文章から読み直す。

手始めに書評「だれのための仕事』を植え返し。かっこなしの日本人を「いわゆる『日本人』』とする。日本人という言葉の曖昧さに対して自覚していく過程が、烏兎の庭、第一段階と言ってもいいかもしれない。

『シキュロスの剣』『荒川洋治全詩集』『春にして君を離れ』『声に出して読みたい日本語2』までを植え返し。書いたときの勢いはそのままに、今の視点で推敲するのは塩梅が難しい。


碧岡烏兎