烏兎の庭 第一部
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8.23.02

春にして君を離れ(Absent in the spring, 1944)、Agatha Christie、中村妙子訳、早川書房、1973


もう何年も前に、新聞のコラムで誰かがすすめていた、クリスティーには推理小説ではない作品がわずかにあり、なかでもこの作品は心理描写がとても鋭い、と。古本屋をぶらぶらしているときにふと思い出した。

読んでみると面白い。最後まで結末が予想できない、いろいろ想像しながら読むと結局作者に裏切られる。その意味では、これも推理小説といってもいいかもしれない。犯罪は起こらないが、クリスティーならではの展開といえるだろう。


愛するがゆえのエゴイズムという主題はめずらしくはない、とりわけ女性、なかでも母親を描く場合によく使われる属性でもある。たとえば、ずっと前に読んだ山中恒『ぼくがぼくであること』(1969、角川文庫、1976)の母親。つい最近読んだ『シキュロスの剣』(泉啓子、童心社、2002)の母親もそう。

この夏はこの作品が頭から離れない。偶然なことに、あの物語も、本書と同じように、ある女性の前に、学生時代の憧れの女性が落ちぶれた姿で現れたところではじまる。

この小説では、主人公が自省を深めるほど、彼女のエゴイズムが徹底的に暴かれていく。自分自身につきつけられていく。そういう危機的な心理状態になったとき、人はどうなるのか。クリスティーなりの回答は恐ろしい。


この作品中、もっとも罪深いのは、実はジョーンではなく、ロドニーではないだろうか。寛大であることがいつも正しいとは限らないし、相手のためになるとも限らない。

この点で、映画『リトル・ロマンス』でのダイアン・レインの父親(といっても、彼は彼女の母親の何番目かの夫)が、最後にとった行動のほうが毅然としているように思える。


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