硝子の林檎の樹の下で 烏兎の庭 第四部
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9.15.12

働きすぎに斃れて――過労死・過労自殺の語る労働史、熊沢誠、岩波書店、2010


苦く、重い読書だった。そうなることはわかっていたのに、本書を手に取ったのは、やはり、この問題に対し私は潜在的に関心をもっているのだろう。多くの事例を詳細に紹介し、著者は、「無念の人びと」の声なき声を聴くことを読者に求める。思いがけず手に取り、読みはじめてはみたものの、壮絶で悲惨で、また憤懣やるかたない気持ちにさせる事例のすべてを読むことはできなかった。

列挙された事例のなかで「富士銀行一般職の過労死」(1989)と「電通社員の過労自殺」(1991)はよく覚えている。やはり私は特別意識をしなくても、こうした事件の記事を目に留め、記憶にとどめている。事務社員を過労死させるまで働かせるとは、一体どんな会社だろう。それが日本の大企業の実態なのか。この国でサラリーマンになるということは、そういう世界で生きていくことなのか。当時、学生だった私はとまどった

そうした事件をいくつか知ることとなり、始めるまえから私は企業労働に絶望していた。かといって、サラリーマン以外の職業もいくつか試してみてはみたものの、いずれもうまくはいかず、結局、同級生からはほとんど周回遅れとなった20代の終わりに私は賃金労働者になった。


著者が繰り返し説く「あれは私の体験だったのだ、私の身の内に起こったかもしれないことだったのだ」という言葉に励まされ、同時に問いつめられるようにして、なんとか読み終えた。著者の言葉が響いたのは、そう思う出来事が少なくとも、これまでに2度あったから。

一度めは学校を出て、会社員になりたての夏前。大学の同級生が亡くなった。過労だったのかいじめだったのか、わからない。ただ、失恋のような私生活上のことではなく、会社での出来事が原因ということは確からしいと聞いた。

入社してまだ3ヶ月余り。その短い時間に人一人が壊れてしまうようなことが起きた、らしい。どんな出来事が、わずか3ヶ月で人を壊してしまうのだろう。その頃、私はまだ暢気に関西にある工場で製造メーカのイロハを教わっていた。東京に本配属が決まって出した葉書は間に合わなかった。

この出来事の後しばらくしてから、ひどく混乱した私はよく考えることもなく、ほとんど誰にも相談せずに逃げ出すように会社を辞めた。

周囲から見れば唐突で、奇妙な行動に見えただろう。もっともらしい言い訳はしていても、いま振り返れば、完全に自分を見失っている突発的な行動だった。当時の私は、「次は自分かもしれない」という脅迫観念に過剰なほどに反応していた。

二度目はごく最近、2年くらい前のこと。7人しかいない会社で2人が退社し、社歴が一番長い私がとりあえずの代表代行を引き受けた。日常の業務に加えて、経理や労務など会社経営に関わる業務、さらに増員のための面接……仕事量もストレスも一気に増加した。

もともと「キャパシティ」——ストレスに対する耐性も許容量も——低い私はすぐにパンク寸前になった。ある日、家でしなければならないことを数えながら帰宅した途端、号泣し、暴れ出した。しばらく休んで落ち着いた後、とりあえずどうしても終わらせなければ行けない宿題だけは真夜中に済ませた。

このとき、思い知らされたのは、自分の限界は思った以上に低いところにあること、そして、一度限界に近づいていくと手に負えない加速度で転げ落ちていくこと。制御できない自分の感情に出会い、恐ろしくなった。あのとき誰もそばにいてくれなかったら、いま、こうして文章を書いている私はいなかったかもしれない。


とても楽観的にはなれない状況のなかで、労働者に向けた著者の提案。

(前略)私たちはついには、「自分と家族の生活のため」と「会社の仕事のため」とを峻別できる労働者像はいかに形成可能かと問うことを求められよう。
    いま私には、周到な発想をもってこの問いに対する十分の回答を用意する余力はない。しかし、旧著での表現を借りてさしあたり一歩だけ具体化するならば、形成されるべき労働者像はおそらく、価値意識としては、自分にとってかけがえのないなにかに執着する「個人主義」を護持しながら、生活を守る方法としては、競争のなかの個人的成功よりは社会保障の充実や労働運動の強化を重視する「集団主義」による——そうした生きざまの人間像であろう。
(終章 過労死・過労自殺をめぐる責任の所在 4節 過労死・過労自殺の労働者像 P370-371)

個人主義の意識をもちながら、労働者という集団で恊働する。これは難しい。集団であり組織でもある「敵」と戦うためには、こちらも組織化しなければならないのか。対峙するために作られた組織があらたな抑圧を生むことはないのか。現に、過労死・過労自殺の多くの事例で組合は被害者を守るどころか、会社との関係を重視し、被害者を孤立させている。

孤立した被害者が企業と戦うために、弁護士や同じ境遇の人びとが連帯する。確かにそうしなければ、戦うことはできない。それはわかる。でも、戦うために最初から「労働運動を強化」するための組織が必要とは、私には思われない。

まっさきに必要なことは、一人一人が「過労死・過労自殺」をしないように心がけること。つまり、働きすぎないように自分の労働生活を見直すこと。それもやさしいことではない。残業が染み付いた習慣になっている職場で一人だけ定時退社をすることは簡単ではない。でも、「一人」が始めなければ、「多く」が変わることはさらにない

月曜の祝日を増やしたところで、働き方に大きな変化が生まれるわけではない。組織の運動や法律ではなく、「一人」のはたらきかけからはじまらなければならない。

がんばることは大切。でも、がんばりすぎない、がんばることをしない、がんばらないことをがんばることも大切かもしれない

そうすることで、ほかの人もがんばりすぎないようになれるかもしれない。


同時多発テロ事件の後、米国は真先に報復の対象とする国と組織を指名した。そうした国も組織も確かにあったかもしれない。しかし、首謀者と言われた人が消された今でも続いているテロ事件は組織化された軍団ではなく、誰かの教えに共鳴してしまった人びとが、誰からの指示もなく行っているのではないか。

ネットワークとは、そういうものではないか。そして、同じことが労働運動についても言えないか。残業を拒否する運動をする組織よりも、一人一人が行動を起こしていくことが「敵」にとってはもっとも恐ろしいことではないか。


ふとずっと前に引用した山口瞳の言葉を思い出す。湾岸戦争のときクェートで一時人質となった商社社員が、戦争終結後、早々に帰国しようとしていることを書いてから、戦後の経済成長を牽引してきた一サラリーマンだった山口瞳は問いかけた。

   新入社員諸君! 君達はこの現実をどう思うか。実は、最近、僕は窃かに、自分のサラリーマン時代の生活を反省しながら、こんなことを考えている。朝の九時から夕方の五時まで、脇目もふらずに働く。そのかわり残業をしない。早く家に帰って適量の酒で寛ぐ。有給休暇はガッチリと頂戴する。こういうタイプの社員がそろそろあらわれてきていいんじゃないかなあ――。(「君達はどう考えるか。」『諸君! この人生、大変なんだ』常盤新平編、講談社文庫、1992)

どれほど難しいことであっても、習慣や文化を変えていく出発点は「一人」の行動でなければならないと思う。



uto_midoriXyahoo.co.jp