残り2週間
初出勤は先方の都合で16日になった。私の希望ではキリがいいので12月1日をとしたかった。社会保険の計算上、1日入社とすると11月分を負担する必要があるかららしい。
今日になってみると、2週間、先延ばしにしてもらってよかった。
1日入社としたかったのはキリがいいからだけではない。ハローワークから給付される再就職手当が多くなるから。お金に対するセコさが自分でも嫌になる。
これからずっと働くのだから、稼ぐにしろ、倹約するにしろ、お金は入ってくる。今、数万円多くもらうよりも、2週間の自由な時間を残した方がいいに決まっている。
それなのに、ハローワークの冊子を見て、いつ入社ならいくらもらえるのか、チマチマ計算していた。情けない。
あと2週間、何をするか。生活を整えていきたいので、午前中の就労移行支援事業所は欠席しない。丸一日かけて行きたい場所はほとんど行けた。行けなかった場所は、歴博、川村、ホキ。いずれも会社までの路線の先にあるので定期券を入手したら行く。
あとは、紅葉がきれいなところに行ければ満足。これで休みがなくなるわけでもない。
福原愛、全日本選手権は欠場
福原愛が年始にある全日本選手権に出場しないと報道されている。
エントリーがなかっただけで、特に発表があったわけではない。一部ではこのまま引退するのではないか、とも言われている。結婚の記者会見では選手続行に意欲を見せていたけれど、いつ復帰するかは明言しなかった。
復帰を急ぐことはない。出産後に復帰するアスリートもいる。
25年もの間、子役からアイドル、優等生アスリートをしてきたのだから、しばらくマイペースで暮らしてもいいだろう。
福原が結婚を発表した時、「日本中の人が娘が嫁に行くような気持ち」とまで言う人もいた。日本中から親戚扱いされる重圧は観戦する側には想像もできないものだったに違いない。
最近は、日本語のTwitterもブログも更新されていない。一方、中国語の微博(Weibo)では毎日、何通も生活の一部を披露している。
中国語圏のほうが気楽にいられることは想像がつく。
さくいん:福原愛
私の特性
就職先の企業が就労移行支援事業所にどんな配慮を私にしたらよいのか、尋ねてきた。その問い合わせに答える形で事業所が私の特性をまとめた。一部を私なりに表現を改めて転記しておく。
長所
- 旺盛な知的好奇心と向上心
- 発表、プレゼンテーションのスキル
- 勤勉・真面目な性質
- 助言を受け入れる謙虚な姿勢
- 身近な人との絆を重視する価値観
課題(あえて欠点とは言わないでくれた)
なるほど、人を相手に仕事をしている人はよく見ている。特に課題は的確。その通りと思うことばかり。
その証拠に、傍証できる部分を自分が書いた文章に見つけることができる。
長所のうち、真面目というのは実感はないけれども、叱責されることを恐れるあまり、ルールや権力に容易に従う、とは言えるかもしれない。
六義園、東京都文京区
六義園で紅葉を楽しんだ。しばらく前、日経新聞土曜版で東日本の紅葉の名所、一位とされていた場所。
東京都に住んで25年経つ。住んできたところは西部の半径4Km内で、職場も山手線の内側だったことは一度もないので、実は都心というものをよく知らない。
ついでに書けば、下町もほとんど知らない。国立博物館や江戸東京博物館に行くようになってようやく台東区に足を踏み入れた。
今年初めから通所している就労移行支援事業所が山手線の内側にあるので、自由になる午後の時間にこれまで行ったことのない東京の名所にあちこち行ってみた。六義園のほかには、小石川後楽園、庭園美術館、根津美術館、そして皇居東御苑は、いずれも都心とは思えないほど静かで緑あふれる場所だった。
さくいん:東京
大田区居住90年記念 川瀬巴水―大田区制70周年記念―、大田区郷土博物館、東京都大田区
2年間続いた無職生活も残すところあと10日。しばらく週末は休養に充てることになりそうなので、行っておきたい場所へ足を運んでいる。
川瀬巴水は「小林清親展」を見たときにはじめて実物を見た。今回は主に戦後の作品が展示されていた。
本展では、写生帖や摺順ごとの絵、試摺と完成版、色違いや摺方違いなど、作品が完成するまでの過程を見ることができた。色鉛筆で描いた素描がとても綺麗だった。
色と摺によって作品の雰囲気はだいぶ変わる。長谷川潔は、長年依頼していた刷り師が亡くなったためにマニエール・ノワールの創作を辞めた。それほど版画家にとって摺りは重要なもの。つまり、版画は版画家一人ではなく、多数の職人がいて初めて完成する。
そこで創作をまとめるプロデューサー役が必要になる。巴水の場合、渡辺庄三郎がその役割を担っていた。
巴水の魅力は、雪、宵、紅葉。絶筆も、雪の平泉金色堂だった。
さくいん:川瀬巴水、小林清親
新宿から町田までは小田急の快速急行で30分。時間だけみればそれほど遠いわけではないのに、東京西部に住んでいると町田は遠い。前回は「小林清親展」を見に来た。駅の周囲に百貨店や商店街が放射状に広がっていてまごつく。
来てよかったと思う展覧会だった。小さいところではあるものの、多くの手稿や資料が展示されていて、これまで知らなかった重吉の一面を知った。
私が八木重吉に出会ったのは40年近く前、小学校三年生のとき。
手稿を見るのは初めて。綴り文字で読みにくい日記や手紙と違って、原稿用紙に書いた詩の文字は丸かったり斜めに傾けたり、昭和後期の女子学生のよう。
絵に秀でていたとは知らなかった。「母をおもふ」など、いくつかの作品に自ら挿絵を描いている。
重吉の詩は読み手の心に景色を描く。本展に合わせて市民が寄せた詩画がよい。重吉の作品に多く使われている空や雲が爽やかな風景を思い起こさせるのだろう。
重吉はほんとうに純粋な人だったのだろう。だから、彼を応援したいと思う人も少なくなかった。でも、過剰な純粋さは世間の常識から乖離してもいる。面識のない北村透谷の未亡人に会いに行ったり、社会人一年生が家庭教師の教え子に求婚して退学までさせる、という逸話は、彼の「一途すぎる」一面を垣間見せる。
そういう危うさを持ち合わせていたところも、実は彼の才能の一部かもしれない。
最終章に掲げられた展覧会のまとめの言葉。
詩を書くことによって信仰が研ぎ澄まされ、その信仰がまた詩を問いただす。自分にとって詩とは何かを問い続けた重吉は、近代詩がなしえなかったキリスト教の日本語による血肉化、詩と信仰の合一を自らの方法で成し遂げたのであった。
平易な言葉で率直な心情を吐露する、八木重吉を真似たような「詩人」は昨今、少なくない。作品は特徴を過剰にした毛筆で。カレンダーからラーメン屋のメニューまで、あちこちに。
そういう「素朴系」と八木重吉とはどこが違うのか。一言で言えば、自己批判の精神。率直な心情を開陳すると同時に、その心情を冷たく見つめる他者の目を持っている。言うまでもなく、その他者とはイエスを指す。
最近の研究では、かつてと違い、重吉は信仰に陰りもない宗教詩人という評価ではなくなっている。現実との葛藤、家族との葛藤、病との葛藤。
重吉の純粋で素朴な言葉は「生の苦しみ」をろ過して生まれる。そう、私は、彼の詩に苦さを感じないではいられない。
自筆の挿絵をときどき見返したいので、図録を買った。
1904年に相原で生まれた八木重吉は1905年に同じ神奈川県の農村、小机で生まれた父方の祖父と一歳違い。祖父は1984年に79歳で亡くなった。重吉が長生きしていたら、どんな老人になっていただろう。
さくいん:八木重吉
発刊20周年を記念に4月に始まった連載がようやく単行本になった。テレビアニメの再放送も始まった。
オリジナルに遅れて2000年代半ばに『さくら』を読んだ(読まされた)娘は、十代の後半になって、よろこんでいる。
つまらないわけではないが、物語は始まったばかりでまだ大きな動きはない。
気になることが二つある。
一つ目。20年前の『さくらカード編』と映画の第二弾で、カードの謎も雪兎の正体も片思いさえ、解決してしまった。今やさくらと小狼は両想いで、ユエは自在に変化する。
この先、何がテーマになるのだろう。これは気になるよりは楽しみの部分。
もう一つの疑問は、なぜ今、新シリーズなのか、ということ。そこには、どんなマーケティング的な意図と戦略があるのか。
『さくら』が連載されている『なかよし』(講談社)は小学生向け。20年前に10-15歳だった人はいま、30-35歳になっている。晩婚晩産の現代、35歳で小学生の子どもを持っている人は少数派だろう。新しい『さくら』は誰をターゲットにしているのだろう。
新作のアニメ化は2018年。その頃には、30代後半になるオリジナル『さくら』世代の子どもも、『なかよし』の読者層になっているのかもしれない。
もっとも、『さくら』の魅力は年齢を問わない。
『さくら』の魅力の一つは、戦う相手が地球征服を狙う「敵」ではないこと。不思議な事件で解決したあとには、その力がさくらのものになる。さまざまな問題に出会い、向き合い、苦しみながら自らの手で解決して経験値を高め、人として成長する物語は普遍的なテーマと言える。
さくいん:カードキャプターさくら
拝啓 ルノワール先生ーー梅原龍三郎に息づく師の教え、三菱一号館美術館、東京都千代田区
ルノワールとルオーを目当てに出かけた。申し訳ないが梅原龍三郎には目もくれずに、二人の作品をじっくり見た。
ルノワールは小品ながら色鮮やかなバラの作品がいい。
「長い髪をした若い娘」(麦藁帽子の若い娘)は、おそらくこの美術館の所蔵品の中で一番人気がある作品だろう。明るい光の中にいる、健康的で穏やかな表情の若い女性は、ルノワール芸術が持つすべての要素が盛り込まれている。
相変わらず、彼の裸婦像はあまり好きになれず、注目せずに通り過ぎた。
ルオーは「聖書の風景」が2点。汐留ミュージアムで見たものより大きい。
近くではただの色の重ね塗りが、離れると人物に見えるところがほんとうに凄い。
松本竣介も、荒っぽい画風という第一印象を覆し、大胆な筆さばきは長年の鍛錬によるものとルオーのスタイルを賞賛している。
ほかに気に入った作品は、静かな田園でのピクニックを描いた、モネ「草原の夕暮れ、ジヴェルニー」。
さくいん:三菱一号館美術館、ルノワール、ルオー
弱いときにこそ強い?
パウロが残した、「弱いときにこそ強い」(コリント信徒への手紙 2, 12-10)という言葉の意味がわからない。
この言葉は「最も弱いときに最も強い」と語られることもある。
最も弱いとき、私はさらに弱くなる。この深淵に底はない。
「ひとり ただくずれさるのを まつだけ」になる。
強くならなければいけないのか。弱いままではいけないのか。
前を向いて生きろ、と言われる。前向きに生きなければいけないのか。
歴史家は過去について調べたり考えたりしている。彼らは後ろ向きなのか。
歴史家が過去について考えることに意味があるならば、自分が生きてきた社会や時代、自分自身に起きた過去の出来事について考えることにも、積極的な意味があるのではないだろうか。
私小説の形で、社会の歴史と自分史を巧みに織り込んだ物語を書く人もいる。
前向きに生きることはできないかもしれないとしても、過去を見つめ後ろ向きのまま、後ずさりして進んでいけないものか。
さくいん:パウロ
想起と忘却
思い出さないようにしながら、忘れないでいること。
自分自身を傷つけないように、古傷が痛み出さないように。
でも、大切なことを忘れないように。
このことは、裏返して次のように言い換えることもできる。
いつでも思い出せるように、ふだんは忘れていること。
いじめと体罰を犯罪とみなすこと
いじめ防止の施策として、薬物と同じように、それが「犯罪」であり、一生を棒に振るような愚かなことと教えるべきではないか。
あわせて「いじめ」などという軟い言葉はやめて、恐喝や暴行など犯罪にあたる言葉を使うべきと思う。
同じことは、体罰についても言える。教員には、それが犯罪であると理解してほしい。
学校が閉ざされた空間であることが、言葉遣い一つからでもわかる。
さくいん:体罰
東京凸凹地形 ―地形から見た東京の今昔―、東京都立図書館、東京都港区
『ブラタモリ』を見ていたおかげで基礎知識を蓄えていたのでおおいに楽しんだ。
立体地図にプロジェクターから地名や歴史を投射する体感型の展示、「微地形模型」が楽しい。
無料で、地形クリアファイルのお土産付き。
1850年頃の古地図に、自分が住んでいる区域の地名がほとんどあることに驚いた。
育った場所は山を切り崩した造成地だったので、地名も新しく作られたものだった。今住んでいる場所に150年前から人が暮らしていると思うと愛着が増す。
地形といえば、日本テレビの桝太一アナウンサーが麻布中高時代、生物部にいた彼は、有栖川公園の地形図と樹木図を作った、と彼の著書『理系アナ桝太一の 生物部な毎日 』(岩波ジュニア新書)で読んだ。
都立図書館は有栖川公園の中にある。麻布学園は有栖川公園のすぐ近くにある。
さくいん:東京、タモリ
色の博物誌 - 江戸の色材を視る・読む、目黒区美術館、東京都目黒区
今年度のコンクルール受賞作品と各国のブックデザイン賞受賞作品の展示。
入賞作のなかでも『書影の森―筑摩書房の装幀』と『藤城清治の旅する影絵 日本』はぜひ読みたい。
文字が読めなくても、装丁を見るだけで楽しい。
一番驚いたのは、adidasをもじったドイツ語の本、"adibas."
自分は本を読むことが好きなわけではなくて、本を見ること、眺めることが好きということがよくわかった。
印刷博物館は、凸版印刷本社内にある。地下が博物館、1階はギャラリーとコンサートホール。
2階には外部者も入れるレストランがある。安くて美味しい。
飯田橋から地下鉄を乗り継いで目黒、駅から歩いて目黒美術館へ。Twitterで高く評価されている「色の博物誌」を見た。これは大当たり。
江戸時代の巨大国絵図を当時の色材で復元したり、浮世絵の復刻に下絵から摺りまで一人で取り組んだ立原位貫の作品も。
再現した絵図にはもちろん地名を書いた文字も再現されている。スキャンして転写したのかと思いきや、毛筆で丁寧に書いているところを作業を記録した動画で見た。
当時の同じ色材を探し出すことも難しいことはわかるが、江戸時代の文字を書ける人が現代にいることに驚いた。
北斎の『富嶽三十六景』、46作品のうち、16作には墨が、30作にはグラデーションやぼかしの表現ができるプルシアンブルーが使われているという。目を凝らし作品の表面を見ると違いがわかる。
私が好きな青は「緑青」「草汁」(クサノシル)と呼ばれる色ということがわかった。
図録を購入。今月は散財している。
初出社
前職の最終出勤が2014年12月18日だったので、ちょうど2年ぶりの出勤。
紹介会社の担当者、ハローワークの人、就労移行支援事業所の人たちからも激励のメッセージをもらった。
朝は居待月が西の空で見送ってくれた。
よし、今日からがんばらないぞ!
初日終了
長かった。入社オリエンテーションだけだったのにとても長く感じた。初日が12月の金曜日でよかった。2日休んで、2週間足らずで正月休み。
穏やかな人が多く、社内の雰囲気も穏やか。ここならやっていけそうな気がした。
日本支社も全社で見ても、これまで働いたどの会社よりも社員数も多く組織は大規模。組織やシステム、社内ルールなどもきちんと整備されている。
それだけ小さい組織で、何もかも自分でしなければならなかったこれまでの経験に意味があったことがわかる。
夕方には、備品番号が貼付された新しいノートパソコンがデスクに置いてあった。社内システムもすでにインストールされている。入社当日に自分で買いに行かされたスタートアップのときとはまるで違う。
一つ、気になったのはガラケーを支給されたこと。今回は言ってみれば「みそっかす」なので、携帯電話を持たされて夜や休日に呼び出されることはないと思っていたのに。
目的は、緊急時に社員の安否確認をするためという。
確かに今回入社した会社はライフラインにかかわる事業もしていることもあり、顧客の安全はもちろん、社員の安全を重視していることを社訓のようにして掲げている。
何にしろ、この電話を使う機会が少ないことを願う。
この先、期待通りでないこともあるに違いない。
とはいえ、第一印象がいいのは悪いことではないと思う。
すみだ北斎美術館がオープンしたことをニュースで知った。
就職すると週末は休養にあてることになるので、しばらくは美術館へ行けない。11月以降、行きたいところへ思いつくまま出かけてきた。そしていよいよ初出社日も近づいてきた。最後にどこへいくか。悩んだ末、北斎と戦国時代を特集している江戸東京博物館に決めた。
「富嶽三十六景」、46枚のうち36枚は絵の上辺にぼかしが使えるペルシアンブルーを使っていることを目黒美術館の特別展「色の博物誌」で知ったばかり。
「川瀬巴水」展や目黒美術館で浮世絵の制作工程を覚えたので作品の見方が変わった。色使いやグラデーションにも注目するようになった。
浮世絵でも海の色や空の色に使われている青に魅かれる。
北斎が長命だったことも、晩年に肉筆画を描いていたことも知らなかった。
川瀬巴水は外国向けのカレンダーを制作していた。北斎は、欧米で高く評価されてからその評価が日本に逆輸入された。暮らしがすっかり西洋式になった日本で、まるで外国の風景を見るように「江戸」の風景を見ていることを不思議に感じた。
ところで、この美術館では2機のエレベーターを1-4階、1-3階を往復させている。3階から1階に降りる階段は非常用でふだんは使わないという。何と不便な。
加えてコインロッカーは地下1階で大きい荷物は入らないので受付で預けなければならない。こんな体制で大型バスで乗り込んで来る団体客をさばけるのか、他人事ながら少し心配になった。
写真は、4階ラウンジから見たスカイツリー。
さくいん:川瀬巴水
家にあったソニーのラジカセ、ZILBA'Pがあった。あのラジカセでそらまめさんやさだまさしやオフコースを聴いていた、Billy Joelも。1981年の冬までは。
いつ捨ててしまったのだろう。置き場所がなかったわけではないのに。
忘れてしまいたいと思っていたのだろうか。ラジカセのほかにも、部屋にはたくさんの宝物が残っていた。どうして、何でもかんでも捨ててしまったのか、今の自分にはわからない。
ZILBA'Pは、まだメタルテープには対応していなかったけど、当時最高グレードだったFe-Cr(フェリクローム)のテープが使えた。でも、ソニーのDUADは高くて一つも買えなかった。
もっぱら買っていたのは、一番安いCHF。DUADは金色でCHFは赤だった。
壁一面に並んだカセットテープを見ていると、いろいろな思い出がこみ上げてくる。
さくいん:滝良子(そらまめさん)、さだまさし、オフコース、ビリー・ジョエル
夜更かし
先週末、夜更かしをして手持ちのDVDを見た。
『海街diary』の広瀬すずはかわいい。『なぞの転校生』の伊豆田依子も、かわいい。『野生の証明』の薬師丸ひろ子もかわいかった。当時13歳だったという。
見るたびに違う台詞が心に残る『海街diary』。今回、気になった台詞。
でもあれはどうすることもできないことで誰のせいでもないんだよ
そうだろうか。あれは本当に誰にもどうすることもできないことだったのか。
映画から離れて自分自身の過去について、問いかけずにはいられなかった。
そんなことを考えていたら夜更けも過ぎて朝が近づいていた。
さくいん:『海街diary』、薬師丸ひろ子
『この世界の片隅に』のエンドロールで参考文献としてあげられていた本。確か実家にあったはず。
映画を一緒に見た母にまだ持っているかと聞いたら、送ってくれた。
できることなら、君もまた、君の後に生まれる者のために、この一冊を、たとえどんなにぼろぼろになっても、のこしておいてほしい。これが、この戦争を生きてきた者の一人としての、切なる願いである。 編集者
本書にはカラーの絵も多い。台所で料理をする女性を見ると映画の場面を思い出す。
1969年の時点で戦争の暮らしはすでに忘れられそうになっていた。映画をきっかけにこの本を手に取る人がいることをすでに亡くなった編集者、花森安治の代わりに願う。
よく見ると、母が持っていたのは1969年に出版された保存版ではなく1968年発行の隔月刊版だった。
母がときおり話す戦中の話を忘れずに書き留めておこうと思う。
今年放映された、『暮しの手帖』を花森安治と創った大橋鎭子を主人公にした朝ドラはまったく見ていない。
働きがい?
再就職した会社は、前職との接点がある。営業職で販売していた製品を製造する過程で使用する材料を販売している。
所属する部門は業界最先端の技術に深く関わっている。思えば、前職でも「世界初」の技術に関わっていた。今度の会社でも、スマホやIoT、太陽光発電、燃料電池などと直接ではないにしてもつながりがある。
思い返せば、渦中にいるときには気づかなったけれど、これまでの仕事はいずれも、IT業界の最先端技術に関わっていた。それを特別なことと気づかず当たり前と思っていた。そのことに「働きがい」を感じていたことに今になって気づいた。
障害者枠の仕事は事務補助などの単純作業が多い。それを嫌って職歴を活かせる仕事を探した。確かにそういう仕事に巡り合えた。幸運というほかない。
この仕事なら「働きがい」を得られるかもしれない。「働きがい」を感じながら自分を追い込まないようにすること。
結局は、自分の「働き方」が試されている。
さくいん:労働
寝クリスマス
情けないことに、4回、通勤しただけでもう疲れている。
昨日は、通所していた就労移行支援事業所で、就職した「卒業生」が就活について語る会に参加した。
昨夜、冬至の祝いにスパークリングワインを呑んだせいか、今朝は11時近くまで寝ていた。
ぼんやりしていると眠くなり、少し食べてからまた5時まで寝ていた。
何もしたくない。図書館から読みたい本をたくさん借りているのに読む気にならない。録画しているテレビ番組も見ない。散歩にも行かない。目が覚めたあとも、布団のなかでぼんやりしていた。
再就職できたとはいえ、病気が寛解したわけではない。むしろ保護されていた環境から離れ、これからはストレスを自分で和らげていかなければならない。
結局は、自分の「生き方」が試されている。
書けず
クリスマスまでに『悲劇と福音―原始キリスト教における悲劇的なるもの』(佐藤研、清水書院、2001)の感想を載せようと前々から準備していた。半分以上書いたけれど、書き上げることは結局できなかった。
本書は2001年の発行。核となる部分はさらに20年前の講演に遡るという。
驚いたことに、ここにはこの数年間に読んできた佐藤の著作ーーー『最後のイエス』、『はじまりのキリスト教』、『旅のパウロ――その経験と運命』などーーーで展開された彼の原始キリスト教理解の起点となるような構想が書かれていた。
内容が盛りだくさんなので、読み終えても考えがまとまらない。当然、感想を表現することもできない。
気になるところはブクログに転記しておいた。
書けないときには書けない理由がある。それを考えると、書かなければならないことが見えてくる。
考えてみれば、今日はイエスが生まれた日だから、彼の死と復活について書くのは季節違いというもの。来年のイースターまでに読みなおし、よく考えてから書く。
さくいん:佐藤研
今年の音楽
今年、図書館で借りたアルバムは500枚以上。もちろん、全部聴くことはできてない。
よく聴いたのは、Gary Burton, David Benoit, Fourplay, Sophie Milman。
ランダムに流していて「これ、いいな」と思い、名前を見てみるとこの4組の曲であることが多かった。
購入した音楽は、薬師丸ひろ子「Cinema Songs」から2の曲のみ。
12月になってからは、今年は栗コーダー・カルテットのクリスマス・アルバムをよく聴いた。
ほかに繰り返し聴く定番になったアルバムを挙げておく。
- Light Mellow Moment, 徳間ジャパンコミュニケーションズ、2014
- GOLDEN☆BEST、チューインガム、ソニー・ミュージックハウス、2002
- Tadataka Unno Plays Jazz Standards, 海野雅威、Happinet / ZZJAPLUS, 2011
- On a Winter's Night: A Seasonal Collection From Imaginary Road, Philips, 1997
- Amendoeira, Bebeto Castilho, SPACE SHOWER MUSIC, 2006
さくいん:チューインガム
今年の本
今年は本を読まない年だった。夏までは就職活動で落ち着かず、秋に就職活動が佳境に入ってからは美術館や博物館へ足を運ぶことが多く、じっくり本を読むことがなかった。
数の少ない今年の読書から印象に残るものをあげる。
少ないながらも、今年、興味を向けて読んだ分野は二つある。一つは差別と格差、もう一つは東京の歴史と地形だった。
東京の地形と歴史に対する関心は、都立図書館の展覧会、「東京の鉄道史―鉄道が築いた都市、東京―」と「東京凸凹地形 ―地形から見た東京の今昔―」を見て高まった。
地形への関心が高くなったのは、NHKテレビ『ブラタモリ』の影響もある。「好きなことを好きなように学ぶ、そして楽しむ」というタモリの姿勢に憧れる。
映画評『この世界の片隅に』に追記。
さくいん:橘木俊詔、田中俊之、東京
仕事納め
8回出勤しただけで今年は仕事納め。誰かが挨拶するでもなく、大掃除するでもなく、三々五々、オフィスから消えていく。こういう風景は今まで見たことがない。
何度も転職を重ねてきた。本社はともかく、どこも小さな事務所だったので、仕事納めには掃除をしてから何か買ってきて呑むとか、寿司屋で忘年会ということもあった。そういう密着した雰囲気は嫌いではなかった。思っていた以上に私は「会社」が好きだったのかもしれない。
新しい会社には今のところ、とても満足している。仕事の内容以前に、オフィスが快適なのがいい。
オフィスは高層にある。一回りすると東京タワー、レインボーブリッジ、富士山までも見える。
一つ、気になることがある。それは病気で辞めることになった前職と同じ路線の電車を通っていること。最後に降りる駅は違うものの、乗る駅と乗り換える駅は同じ。
緊急事態が起きて携帯電話で長々と話した場所や、突然の腹痛に脂汗をかきながら探し回った末に飛び込んだトイレや、“毎日”乗っていた新幹線の乗換口が目に入るとまだ動揺する。
写真は鎌倉鶴岡八幡宮。台風で折れた古い銀杏の大樹。
今年の美術館・博物館
今年出かけた美術館、博物館、展覧会は約50件。国立博物館と東洋文庫ミュージアムには複数回行き、行きつけの博物館になった。
二つの博物館は、これまで関心がなかった浮世絵や陶磁器、書画を見る楽しみを教えてくれた。
小林清親と一畳敷と超写実画を見ることができたのも、今年の収穫。いずれも前々から見たかったもの。
心に残る展覧会を五つ、挙げると次の通り。
さくいん:小林清親、山本大貴
この一年を振り返って
しばらく前に、日経新聞夕刊に「振り返り4つの自問」と題して、スタンフォード大の心理学者、スタンフォード大、マクゴニガル教授が提唱する方法を紹介していた。
自問するポイントは次の4つ。
- 1. 褒めるべきことは何か。
- 2. どんなことに驚いたか。
- 3. 一年を象徴する感情・体験は何だったか。
- 4. 「羨ましい」と思った人は誰か。
以下、私の回答。
2017年2月5日、蛇足の追記。
彼らは中学も高校も制服がなく、学校で教員に殴られたこともない。
この10年を振り返って
めまぐるしい10年間だった。
来年は、平穏な「日常」を取り戻したい。
写真は長者ヶ崎の夕照。今年見た一番美しい風景。
さくいん:葉山