最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

葉山港から見るウインドサーフィンと江ノ島

2016年7月

今月の本


橘木俊詔は、これまでに読んだ『いま、働くということ』『働くことの意味』から、近著の『21世紀日本の格差』まで「ほどほどに働き、ほどほどの生活を楽しむべき」と一貫して主張している。この主張には同意する。

「働きがい」が見つけられなくても、暮らしのなかに楽しみを見出すことができれば、十分幸福に生きていける。むしろ、そうあるべきだろう。

仕事があって生活があるのではない。仕事は人生の一部分でしかない

橘木は、結語で家族とともに暮らすことを勧めている。一人で暮らすより、経済的にも心理的にも余裕が生まれ「ほどほどの暮らし」がしやすいから。感想は残していないが、斎藤環『家族の痕跡 いちばん最後に残るもの』も、同様の趣旨で結んでいた


二人の意見に異論はない。ただし、二人とも「家族とは何か」をはっきりとは定義していないので、それ次第によっては意見は合わないかもしれない。

「家族」の定義は、この先もっと広くなっていくだろう。血縁で繋がる関係だけが家族ではない。同性の親二人に養子や、女性二人の親の片方が人工授精で出産することも考えられる。シェアハウスのような家族のあり方も考えられる。現在でもすでに動物を人間の家族同様に大切にしている人も少なくない。

そもそも、家族が血縁者だけで構成されるようになったのは、核家族化が進んだ戦後のことで、かつてはそうではなかった。養子や女中や書生や居候など、血縁者ではない者が家族の一部であったことは明治時代の小説を読んでもわかる。

現代では、一方で血縁以外のつながりで構成される家族が再び生まれている一方、代理母や人工授精の技術のおかげで、家族に血縁を強く望む人も少なくない。

単純に共に暮らす生命を「家族」と言うならば、橘木と斎藤の結論に私は賛同する。


『溥儀』には、周恩来が日本軍の捕虜に施した「丁重な扱いによる思想教育」が詳しく書かれている。刑務官は貧しい食事でも、捕虜には栄養のある食事を与え、懐柔しつつ、反省を促した。

同じことが溥儀を含む満州国上層部にも行われていた。それによって、溥儀がどこまで思想を変えたのか、明確には書かれていない。

一市民として北京に住む一方で、幼い頃に染み付いた「皇帝」の振る舞いは終生変わらなかったように書かれている。

「三つ子の魂百まで」という言葉がある。


さくいん:橘木俊詔周恩来


今月の美術館と博物館

『古代ギリシア展』は期待していた以上によかった。2000年前の風俗や暮らしぶりもわかった。

「ギリシア悲劇」の展示前では思わず、代ゼミの世界史講師、山村先生おまじない、「サッフォー、穴に落ちてピンチ」を思い出した。これで、サッフォー、アナクレオン、ピンダロスを思い出せる。

予備校で学んだことが、大人になって役に立っている。受験勉強は無駄ではなかった。むしろ、私の「教養」の礎になっている。

不思議だったのは、古代オリンピックは、男子だけが参加し、しかも全裸で競技を行っていたということ。恥ずかしさは感じなかったのだろうか。

「二つの半跏思惟像」は、特別展だけでなく、法隆寺宝物館で連動して催された所蔵の菩薩像展。何十もの菩薩像が一部屋に並んでいて壮観だった。


メアリー・カサットの名前は知らなかった。

知らなかった画家の展覧会に行くと出会いと発見がたくさんあって楽しい。


さくいん:東京国立博物館(トーハク)いわさきちひろ


今月の音楽

『忘れないでね』は『THE HIT MAKER-筒美京平の世界-』で知った鮎川麻弥を探していて見つけた。企画意図がわからないコンピレーション・アルバム。

タイトルには忘れられそうな歌手を集めたという意味も込められているのか。

今井優子、美雪、いわさきゆうこ、本城未沙子などは初めて聴いた。忘れたくない歌手たちになった。

『Softrock Drivin'』は70年代のポップスを集めたコンピレーション。他にも『美しい星』と『美しい誤解』を聴いた。あとの二枚はジャケット写真がコスモ・スポーツとサバンナ。70年代の「ソフトドライブ」というタイトルによく似合う。

フォークではなくニューミュージックでもない。まして歌謡曲でもない。あえて言えば今のポップスに直接つながる『喫茶ロック』

曲目に重複はないものの、曲風はかなり重なっている。

北條達子は、フルートで奏でるジャズ。Alexander Zonjicを聴いてから、フルートのジャズをずっと探していたので、洞窟のなかで宝箱を見つけたような歓びがあった。


さくいん:70年代