烏兎の箱庭――烏兎の庭 第二部 日誌
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2005年8月


8/5/2005/FRI

ちびくろ・さんぼのこと

『ちびくろ・さんぼ』は、私にも思い出深い絵本。これまでにも、随想「絵本の選び方、読み聞かせ方」と、新しい挿画の絵本評“The Story of Little Black Sambo”のなかで、例の発禁騒動について書いている。

第二部をはじめてから、批評文をまったく書いていない。書きかけのままの「キャラとスタイル」は第一部の日誌からの切り貼り。今日の文章も絵本について書いているから絵本評に近い。

その絵本の宣伝を助けるつもりもないし、名指しで批判するより、再販の背景にある気質を問題にしたいので、あえて出版社は明記していない。

もう一度書いておく。復刊に反対なわけではない。この絵本じたいが、挿絵も含めて発禁としなければならないほど差別的とも思えない。ただ、やり方にいやな感じがする。

否定的に書いた「懐かしさ」は、三木清が執拗に非難した「感傷」と同じ。主観的で、情緒的で、独善的。感傷は悪いことばかりではないと思うけれども、懐かしいから良い、感傷即善とはならない。絵本について言えば、何も知らずに楽しんでいた、幼い自分は素直だったかもしれない。けれど、いろいろなことを知ったあとで、それを知らないふりで懐かしがるのは、無垢とはいえない。

批評らしくはないけれど、しばらく自分の内面を抉るような文章を書いてしまうことが多くなっていたので、久しぶりに外の世界について書いてみると、書いた内容と裏腹に少しほっとした気分になった。

2月から7月まで少し書き急いでいたかもしれない。先を急がないこと。

あわてない、あわてない。一休み、一休み。

今年の夏休みは、『セブン』や『さくら』だけではなく、そんな台詞のあるビデオも見ている。


写真は、最近見た『ウルトラセブン』、「第16話 闇に光る目」から。


8/15/2005/MON

太陽を盗んだ男 ― オリジナル・サウンドトラック、井上堯之・星勝、VAP, 2001

雑評「太陽を盗んだ男」を剪定。

文章を書きなおしたのは、『太陽を盗んだ男 オリジナル・サウンドトラック』(Vap、2001)を買ったため。音楽担当は、井上堯之と星勝

アルバムに収録された映画の挿入曲から、70年代に人気のあった音楽を転記、それから2ページめをまるごと追記した。

この作品を最初に見たのは、高校生の頃か、そのあと。テレビの深夜映画だったと思う。いずれにしても、公開当時ではない。そのため私にとってこの作品は、70年代の記憶を封印した作品としてではなく、見るたびに70年代末の強烈なフラッシュ・バックを催させる劇薬になっている。

アルバムは、著作権の関係上、台詞も入っていた発売当時とは構成も異なり、また、すべての楽曲が入っているわけではないので、完全版とは言い切れない。

とはいえ、CD化を企画した高島幹雄(MUSICFILE/Vap)の解説は、作品への愛情が十分感じられる。

もとの映画作品が、70年代末という時代がそうであったように、サウンドトラックも逆説に満ちている。このことはアルバム解説でも指摘されている。夜明けの高速道路を(無許可で!)駆けめぐるカーチェースでは、ゆったりとしたメロディ、最悪の結末のあとには、すがすがしいくらいのバラード。苦い結末さえ堪能してしまった嫌悪感が、さらにかきむしられる。

原発を襲撃する場面で流れる曲の題名は、「プルトニウム・ラブ」。これはあとでゼロこと沢井零(池上季実子)がラジオ番組で冗談まじりに言った言葉。

言葉を入れ違いにして「プラトニック・ボム」にしても、この曲に当てはまる気がする。自分が自分でいることに耐えきれず爆発する、狂気という名の、人間が抱えるもっとも純粋な爆弾。

すべての楽曲を収録した完全版を、いつか聴いてみたい。できれば、それより前に、長谷川“ゴジ”和彦の三作目を見てみたい。


8/16/2005/TUE

特選 刑事コロンボ 完全版 美食の報酬 (日本語吹き替え版)(Murder under glass, 1978)、Jonathan Demme監督、パラマウント、1999  The Columbo Phile: A Casebook, Mark Dawidziak, Mysterious Pr, 1989

DVD ウルトラセブン(1967) vol.4 (第14話 ウルトラ警備隊西へ 前編、第15話 ウルトラ警備隊西へ、第16話 闇に光る目、第17話 地底GO!GO!GO!)

DVD ウルトラセブン(1968) vol.11 (第42話 ノンマルトの使者、第43話 第四惑星の悪夢、第44話 恐怖の超猿人、第45話 円盤が来た)

劇場版カードキャプターさくら 封印されたカード、CLAMP原作、浅香守生監督、バンダイビジュアル、2001

なぞの転校生(1972)、眉村卓原作、山根優一朗脚本、黛叶・吉田治夫演出、NHKソフトウェア・アミューズエンターテインメント、2001

魔術、芥川龍之介、宮本順子、偕成社、2005

鹿よ おれの兄弟よ、神沢利子文、Gennadiy Dmititriyevich Pavlishin絵、福音館書店、2004

完全無欠の東映ヒーロー100、竹中清編、徳間書店、2004

懐かしのアクション・ヒーロー vol.1, vol.2, vol.4、コロムビア、1994

7月末から夏休み前半までメモしておいた書評、絵本評、映像評をまとめて植栽。

一休みしたら、少し力を抜いて書けるようになった気がする。

まとまめて読めるように、ジャンルに関係なく、同じファイルにまとめておいた。


写真は、4年以上前にとった白い砂浜と碧い海。


8/17/2005/WED

夢路いとし・喜味こいし(お笑いネットワーク発 漫才の殿堂)、ポニーキャニオン、1996

エド・サリヴァンpresentsザ・ビートルズ ノーカット完全版1(Ed Sullivan presents the Beatles, 1964)、ビデオアーツ、2003

図書館の貸出カウンターの横に、出版社の広報誌が置いてある。書庫から本を出してもらうあいだにちょうどいい。

筑摩書房の『ちくま』では、斎藤環が家族について書いてきた連載が今月号で最終回。理不尽な場でありながら、強制でも洗脳でもない教育という方法で人を育てられるのは家庭しかいない、と書かれている。この考えには共感する。

ただし、斎藤が最後に持ち出している「血縁」という言葉が、これから家族を考える鍵になるとは思えない。家族は、血縁のない人へと広がっていく関係でもある。一緒に暮らすことは重要だとしても、それもまたすべてではない。

末吉暁子「星に帰った少女」を読んで以来、親と子の対話について考えたり、書いたりしている。今日は、書評の最後の段落を入れ替え、筆名と家族の関係について一文追記した。


活字を読むのは好きなくせに、本はめったに買わない。ほとんど図書館で借りるか、無料の雑誌で読むか。広報誌は、出版社の広告塔を兼ねているだけあって、執筆陣が多彩で豪華。記事も短くて、空いた時間にちょうどいい。

いま、見つけるたびに読んでいるのは、講談社『本』の原武史「鉄道ひとつ話」と角川書店『本の旅人』にある鷲田清一「待つということ」。鷲田の連載は、「『聴く』ことの力」の続編として読んでいる。岩波書店『図書』にある、鶴見俊輔の連載もよく読む。

広報誌ではないけれど、岩波書店の無料冊子『読書のすすめ』 も見つけるともらう。新しい第10集では、リービ英雄「書かれた風景の中へ」に、文学を通して風景を見る、新しい楽しみ方を教えられた。


8/26/2005/FRI

いちばん好きな絵本はど~れ? 〈日本絵本賞〉受賞絵本原画展、世田谷文学館

飛行機から見た夏の富士山

ぼくが弟だったとき、森忠明文、牧野鈴子絵、秋書房、1985

安寿と厨子王、森忠明文、堀泰明、 「京の絵本」刊行委員会・同朋社、1999

グリーン・アイズ、森忠明文、狩野富貴子文、小峰書店、1997

ホーン岬まで、森忠明文、藤川秀之絵、くもん出版、1990

小さな蘭に パパの大切な人たちのこと、森忠明文、クニモトミチコ絵、ポプラ社、1996

むぎわらぼうし、竹下文子文、いせひでこ(伊勢英子)絵、講談社、1985

雪女、小泉八雲、平井呈一訳、伊勢英子絵、偕成社、2000

1000の風 1000のチェロ、いせひでこ(伊勢英子)、偕成社、2000

夏休み後半の絵本評を植栽。

今年は何十年ぶりかで、42日間の「夏休み」という時間を意識して過ごした。その間に書いた文章は、まとめてたどれるようにした。文章も、「夏休みのはじまり」ではじまり、「夏休みも終わり」で終わる。


写真は、大阪へ向かう飛行機から撮影した富士山。

そのほかに、ファイルを書き換えた。それぞれの目次で表を廃止し、ボックスタグで配置してみた。表紙や日誌は、表に依存したデザインになっていて、まだできていない。

NHK-BS2「アニメソング大全集」でささきいさおの勇姿を見ながら送信。



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