土を掘る 烏兎の庭 第三部
表紙 > 目次 > 書評 > 文章

11.18.06

「待つ」ということ、鷲田清一、角川選書、2006


『「聴く」ことの力』の続編。前著を読んでからしばらく経つ。その間、本書の元になった連載雑誌の記事はときどき目にはしていたけれど、単著は読んでいなかった。連載が単行本になったことも知らず、知ったときには初版は売り切れ、図書館では貸し出し中。本書を読むまでに、私はまず「待つこと」を強いられた。

読んでみると、これまで読んだ鷲田の本同様、考えさせることがたくさん残る。本書はこれまで以上に、いくつかの問題が散らかったままで終わってしまったような気がする。著者も「途中で書きぶりが揺らいでいる」とあとがきで認めている。

前著で、「聴く」ことを軸にした臨床哲学は、「ジェンダー」を前にして沈黙した。相手を拒むでもなく諭すでもなく、じっと聴いてやることは、女性がずっとしてきたこと。男性は、それを学問的に化粧するだけではないか。その問いかけの前に鷲田は沈黙した。

本書で鷲田は、「祈り」という言葉の前で沈黙する。本書の後半、何か具体的なことを「待つ」という行為から、待つこと自体を放棄した「待つ」、いわば自動詞としての待つへ視点は移っていく。その途中で、「祈り」という言葉はいつの間にか滑り落ちてしまう。


鷲田は、何かを具体的に待つ心持ち、さらにそれを取り囲むその人の「生活様式」を「待つ」ことと見るヴィトゲンシュタインの定義を否定し、別の「待つ」の定義を模索する。「そこをくぐり抜けてはじめて」(9 遮断)と言うけれど、後半の叙述はくぐりぬけたあとに見えてくる別の「待つ」の姿であり、どのように潜り抜けていくのかは詳述されていない。

結論から書けば、他動詞的な<待つ>の否定ではなく、他動詞的な<待つ>の目的語を徹底的に突き詰め、それが否定されることを受け止めていくことでしか自動詞的な<待つ>にはたどり着けない。私はそう思う。鷲田の書き方では、他動詞的な<待つ>とは別に自動詞的な<待つ>があり得るように読めてしまう。

他動詞的な<待つ>を観念的に否定するだけで、それとは別のところに自動詞的な<待つ>を措定したところで、何かを期待する他動詞的な<待つ>はかえって、意識の下で増殖する。そうして、結局、何かを期待する。その何かは現実的な他動詞とは別の場所にあるから、自分の意志や実力や客観的な状況を超えたものになりやすい。

一言で言えば、一発逆転の夢想。もっとも典型的なのは、「神風」という発想。客観的にはどうみても苦境なのにそれを直視しない。現状を打開することを諦め、現実に起こり得る何かを受け容れる覚悟もないくせに、何か別のことが起こることを待っている。

閉塞した地域で祭りのたびに騒ぎを起こす、文字通りの「期待族」や、最近指摘されている何の努力もしていないのに、何か大きなことができると信じている若者の万能感も、たぶん同じところに根がある。


待つことを放棄した待つ、ということも、確かにあるのかもしれない。でも、その境地は観念的すぎて検証することができない。だから、心の上辺では待つことを放棄したつもりでも、奥底ではまだ何かを期待していることも起こりうる。しかも、表面的には待つことは放棄されたことになっているから、何かを期待していることに対して自覚がない。

鷲田と私では、現実世界に見ている問題の面が異なるのかもしれない。鷲田は、最初から具体的な結果ばかりを気にして、決断を急いだり、あきらめたりする「前のめり」の生き方を批判的に観察している。一方、私が今、身のまわりで不満に思っているのは、責任ある立場の人が何かを待ったまま何もしないでいること

何かが起こるだろう、何とかなるだろう。こういう人が組織の上にいると、従う側の者はそれこそなすすべもなく終わりが来るのを待つほかなくなる。

「人事を尽くして天命を待つ」。この古くからある言葉が、鷲田の考える待つことを放棄した待つに近いのではないか。

本書では、「効いてくれ」と願いながら新薬を猿に注射する研究者や、和やかな空気のなかでそこに居合わせた人が自然に参加するようなケア・センターを運営する人が紹介されている。彼らは、ただ神風のような偶然の幸運を待っているのではない。研究者は出来るかぎりの実験や考察をして、これなら行けるだろうという自信をもっている。ケア・センターの場合も、場の雰囲気をつくることに細やかな気を配っているからこそ、そこに来た人の小さな善意の積み重ねに期待が持てる。

彼らは自信満々というわけではない。もしそうであるなら、願ったり祈ったりする必要はないし、偶然の結果を期待する必要もない。

自信と謙虚。彼らの行動には、二つが共存している。待つということは、待つことそれじたいことを止めてしまうすることではなく、何かを待ちながらも、別の何かを受け容れる構えも残しておくことではないだろうか。

自信が行き過ぎると、超世俗化された予定説と呼べるような事態になる。期待通りの結果を出した者だけが賞賛され、さらに突き進むと因果が逆立ちして、賞賛されたことのある者だから、彼らだけが期待通りの結果を出せると思われるようにまでなる。これが、ベストセラー信仰などに象徴される現代の個人崇拝のメカニズムではないか。

自信があるということは、何か具体的な結果を十分意識しているということでもある。それがあるから、理想と違う出来事が起きても、比較しながら受け容れることができる。もし具体的な期待がないなら、比較する対象もなく、ただ目の前に来たものを取り入れるだけになる。それはすでに、「待つ」ではない。


待っていたものとは違うものが起こり、意外なことにそれが自分が思っていた以上に自分にふさわしいものに思えることがある。鷲田も、よくあることと言っている。でも、日常生活にもっとよくあるのは、何かが起きたあと、ずっとあとになってからも、これだったかあれだったかと迷うことではないだろうか。

それどころか、どう見ても、災いとしか思えないようなことが起きることもある。それを自分が待っていたものとして受け容れることは容易ではない。受け容れることと甘んじることは違う。

災いと思っていたことを、例えば試練と思いなおし受け容れることはできないことではない。そうなると逆境でさえ、喜んで受け容れるものになる。では、そのとき災いのなかで被害を受けた人々について、どう考えたらいいのだろう。受け容れるという自分の主観を押しつけることはできない。まして、喜んでなどとは苦境にいる人に向かって言えるものではない。

「若いときの苦労は買ってでもしろ」という言葉を、私に向かって苦労どころか、苦痛を与えている当人から言われて、ひどく憤ったことがある

「これを待っていた」と自分に向かって言うことはできても、他人については迷い続けるものではないか。実際には、自分自身についても、逡巡が続くような気がする。

「待つ」ということは、「いま選ばないということを選ぶ」ということ。「待つ」という一見、受け身の態度であっても、そこに責任が生じる。

そう、「待つ」という行為は何かが起こるまでは何もしない受身の状態ではない。いま決めることを選ばないという積極的な行為でもある。「ただ寝ていること」と、「エライことを考えようと思って寝ていること」は、外からは同じに見えても、中身はまるで違う

過ぎたことをくよくよするのはよくない。でも、過ぎたことのすべてを「これでよかった」と確信のもとに片付けてしまうことも間違っていると思う。そこでは、「選んだ」、つまり別の「選ばなかった」選択肢に対する責任が簡単に見捨てられているように感じる。


途中の道筋はすこし違うけれど、鷲田の結論は、私の考えていることとそう遠くない。

   開いているということを、迎え入れる用意があることと言いかえてもよい。何が到来するのかわからないままに、いや何かが到来しているということじたいに気づくこともなく、それでも何かの到来を迎え入れる用意があること、このことを西洋人にならって、<ホスピタリティ>(歓待)と名づけることもあるいは可能であるかもしれない。(19 開け)

よくわかる。でも何かわからないものが来ても受け容れられるのは、自分を開け放しているからではなく、しっかりと自分の窓から外の気配をうかがっているからではないか。だから、それは「待つ者が待つことそのことを放棄したところ」とは、言い難い。選ぶこと、決めることを放棄したと言ったほうがいい。そこで、本当に待つことが始まるのだから。

「待つことそのことを放棄する」という表現が、やはりわかりにくい。結果を期待する、そのために配慮する、思惑と違う結果でも受容する。この一連の「待つ」という動作は、「信じ、待ち、許す」と言いかえてもいいかもしれない。罪を赦免することではなく、事態を承認すること。

罪を赦すことと事実を認めることは、どういう関係にあるか。罪を赦すためには事態を認めていなければならないし、事態を認めても、罪を赦せないことはあるから、罪を赦すことがつねにあとに来るものと考えられる

「祈り」ということは、ここでようやくはじまる、そんな気がする。自分ではどうすることもできない事態を承認する。それでもなお、受け容れ難いものをどこかへ預けてしまう。「祈り」は、何か具体的な願望を託す「希い」とは違う。けれど、鷲田が引用するアランの言うような立派な行いとばかりも言えない。「祈り」には、すがるような一面もある


素早い決断と行為が優先される時代。確かに今、「待つ」意味を再認識する必要はある。でも、そのために結論を急いでは、元も子もない。

待つことの定義を待つ。文豪がえらいことを考えようと思いながら昼寝していたように、悠然と待ち続けよう



uto_midoriXyahoo.co.jp