土を掘る 烏兎の庭 第三部
表紙 > 目次 > 箱庭  > 前月  >  今月  >  翌月

2006年12月


12/2/2006/SAT

9月以前に書いた文章を公開

11月28日に、9月2日以降に書いた文章をまとめて公開した。

二つ、注記。

『百まいのきもの』の新訳は『百まいのドレス』になるだろうと書いたところ、ほんとうにその題名で新訳が出ることになった。新版は版も厚みも変わり、絵本というよりも中学年向けの児童書に様変わりした。9月に書いた文章はそのままにしてある。

訳者の石井桃子が、「岩波子どもの本」の創成期をふりかえり、長いあとがきを寄せている。50年ぶりに新訳を出した彼女は、1907年生まれ。百歳の児童文学者になる。

「烏兎の庭」という名前でウェブサイトを開いて、4年が経過した。毎年何かしら記念になる文章を残している

今年は、一冊の文庫本を読んでから全集を借りるまでのことを書いた。全集を読んでも新たに書くことはないかもしれないし、いまとまったく違う感想を持つかもしれない。開園の記念に、読みはじめる前の感想を残しておいた。


写真は、公園で見つけたからっぽのベンチ。


12/9/2006/SAT

随想「大桟橋から」の脱字を修正。もう書きなおすところはないと思っていた文章でも、まだ校正がいる。

随想「き印の夏休み」に、バカボンのパパとレバニラライスを挿入。夏以降、久しぶりに出かけて食べた。

覚えている、というよりも、忘れていない、ということがとても不思議に思える。バカボンのパパの大好物もそう。「都の西北、早稲田のとなり」ではじまるバカ田大学の校歌も、ときどき一人で口ずさむことがある。


写真は、武蔵野の湧水。


12/16/2006/SAT

書評「石原吉郎詩文集」を推敲

書評「石原吉郎詩文集」を横線で節に分割。文庫本を買ったことを末尾で明記した。

『石原吉郎全集』は、図書館に返した。予想、というよりも危惧していた通りのことが書かれていて心苦しい読書になった。頭から順番にではなく、ぱらぱらとページを繰り、開いたところから読んだ。だから、たぶん全部は読んでいない。

いまは、何も書くことはない。こういう読み方をしたときには、しばらく経ってから読んだ記憶もない言葉が深い底に降り積もっていることを知る。感想を書けるのは、そのあと。そういうことは、前にもあった

書評「『待つ』ということ」の段落を入れ替えて、少し加筆。読み返してみると、何を書いているのか、わからない。私自身しばらく「待つ」ことの渦中にあり、思考も表現もまるで定まっていなかったせい。いまの「待つ」ことが終わってからしばらく時間がたてば、書き直すことができるかもしれない。

この書評を書いているあいだ、頭に流れていた音楽がある。

こうした過去に出会った言葉が、待つことを祈ることよりも、私の中では選ぶことに関連づけている。ここに、「祈り」はない。「祈り」の前で沈黙したと著者を責めているけれど沈黙しているのは私のほう。

「祈り」とは何か、鷲田からも西田からも私は読みとれないでいる。

否定したいけど、否定できないという石原吉郎への屈折した共感の根は、おそらくここにある。

また、三つめの引用文にあるように、待つというとき、私が何かを待っているのではなく、何かが私を待っているように思うことの方が多い。だから鷲田清一の引用したフランクルの「待つ」に共感を覚える。もう何年も前に歌った合唱「気球にのってどこまでも」(東龍男作詞、1974)にも、「そこに何かが待っているから」という言葉があった。

そういえば『きみはサヨナラ族か』森忠明)でも、西方君が「ぼく」に残した形見の本にも「世界は森くんを待っている」と書いてあった。

しかし同時に、私が何かを待つというとき、私は鷲田のように何かを待つとは思えずにただ終わりを待っているようにしか思えないときがある

何かが私を待っていて、また、私は終わりを待っている。

「希望」と「終末」。この状態はそう言いかえられるかもしれない。そうならば、「祈り」はその二つのあいだのどこにあるか、という問題が残る。


写真は冬に聳える木。

さくいん:石原吉郎松任谷由実さだまさしゴダイゴフランクル鷲田清一西田幾多郎森忠明


12/23/2006/SAT

クリスマスのうたの絵本―ピアノの伴奏用譜面つき(We Three Kings and Other Christmas Carols, 1994), H. A. Rey、あすなろ書房、2003

おもいでのクリスマスツリー(The Year of the Perfect Christmas Tree, 1988), written by Gloria Houston, illustrated by Barbara Cooney、吉田新一訳、ほるぷ出版、1991

クリスマスのうたの絵本 おもいでのクリスマスツリー

クリスマスが近づいている。今年読んだクリスマス絵本は、『クリスマスのうたの絵本―ピアノの伴奏用譜面つき』(We Three Kings and Other Christmas Carols, 1994, H. A. Rey、あすなろ書房、2003)、それから 『おもいでのクリスマスツリー』(THE YEAR OF THE PERFECT CHRISTMAS TREE, 1988, written by Gloria Houston, illustrated by Barbara Cooney、吉田新一訳、ほるぷ出版、1991)。

『うたの絵本』は、なじみのある『おさるのジョージ』の登場人物が聖誕劇を演じているようで楽しい。『おもいでの』は、一昨年頂いたものの、長い話なので読んでいなかった。こちらも、なつかしい聖誕劇の話。

ほかには、『図説キリスト教聖人文化事典』(A TREASURY OF SAINTS: 100 Saints: Their Lives and Times, 2001, Malcolm Day, 神保のぞみ訳、原書房、2006)をながめた。この本は、『絵解き中世のヨーロッパ』(LA SOCIÉTÉ MÉDIÉVALE, François Isher, 蔵持不三也訳、原書房、2003)に続いて読んだ、見るだけでも楽しい大人の図鑑。前者は、聖人たちの来歴、伝説、彼らを描いた作品。後者は、細密画を通して推理する中世人の生活と精神。

数ある聖人のなかで、気になるのはイエスの養父ヨセフ。世間は受け入れない秘密を抱えた女性を黙って受け入れ、逃げまわり、息子を育てた。ところが、寛大で偉大な父はおそらくは「父」という概念が重複することが恐れられて、聖書にも記述はほとんどない。伝説らしい伝説もない。

ヨセフのどんなところに、イエスは学び、また反発したのか。息子が神殿で「父の家」と言ったとき、どんな気持ちで父はそれを聞いていたか。そういうことが、なぜか気になる

ヨセフがどんな人だったか、ラ・トゥールの絵から寡黙で実直な性格を想像したことがある。

今週はもう一つ、クリスマスにちなんで、昨年書いたクリスマスに関連した本の感想に以下、追記した。

きっかけはもっと前にある。イエスの生涯と、キリスト教の歴史について考えるようになったのは、『クオ・ヴァディス』を読んでから。思い出すと、今年、最初に読んだ本は、『ある巡礼者の物語―イグナチオ・デ・ロヨラ自伝』(Autobiograia, 1555, Ignacio de Loyola、門脇佳吉訳、岩波文庫、2000)。騒々しい歓楽街にあるホテルのベッドの上で読んだ。この本も『クオ・ヴァディス』と同じように、<狐>に教えてもらった。

『ロヨラ自伝』の書名は、去年も書き入れるか考えた末に見送っていた。一年経って、ほぼ二年前の読書の記録をつけなおしたことになる。

今年の夏、<狐>こと、山村修の訃報を聞いた。彼が大学図書館の司書だったこともそのとき知った。早期退職し、文筆に専念した矢先だったという。

『ロヨラ自伝』と『クオ・ヴァディス』の書評は、数え切れないくらい本が紹介されている『水曜日は狐の日』のなかでも際立って熱がこもっている。

クリスマスは誕生を祝う日、ということが、私にはまだよくわからない。せっかく生れて来たのに、あんな風にむごい死に方をしたことを考えると、お誕生おめでとうと素直には言えない。QueenのBohemian Rhapsody”(“A Night At The Opera,”EMI, 1975)にあった“I sometimes wish I'd never been born at all”という言葉がよぎる。もっとも過酷な刑死を受けて、イエスはそうは思わなかっただろうか。

イエスは復活した、そしてまたやってくる、そう信じている人にとっては、人間としてあのような死に方をしたことはたいした問題ではないのだろうか。しかし、イエスをあのような死に追いやったのは、ほかならぬ彼を「神の子」と信じていた人間たちではなかったか

そして、クリスマスを祝うにしても、それを知ったことも、彼らがイエスの生と死を自らの後悔の念とともに伝え継いできたおかげ

とすれば、クリスマスとは、誕生を祝うと同時に、無念の死を悼み、またそれを悔やむ日ではないだろうか。

私がクリスマスに思うことは、4年前から変わっていない。ただ、一つ、違うことがある。4年前にそう考え、いまもそう考えてしまう理由が、私にも、次第にわかりはじめている


写真は、広場の杉の木。

四谷交差点にあるサンパウロ書店で手に取った『カトリック生活 2006年11月号』。目当ては「特集「働く」ということ」だったけれど、竹下節子「カトリック・サプリ 第六話 父と子」が目を引いた。 父親は永遠に自分の子を知ることができないということから、「父であるということは、生れる子を引き受け育てることなのだ。すべての父は養父であり、すべての子は養子であるとも言える。「養い」が親子をつくるからだ。」と書かれている。 キリスト教は、根本的に血縁を否定したところから人間の関係を築くことをはじめようとしていることがよくわかる。


さくいん:バーバラ・クーニー狐(山村修)


12/30/2006/SAT

2004年6月18日の日誌に代々木ゼミナール講師、山村良橘の名前を挿入。

山村先生の講義を初めて聴いたのは、もう20年以上前のこの季節、講座の名前は「世界現代史ゼミ」だった。

山村先生の思い出を随想に書こうと思っているけど今年もできなかった。20年前、講義ノートの隅に、授業の内容とは別に書き込んだ「山村語録」はワープロ・ファイルに転記してある。

予備校を終えてから、もっと有名な教授や、もっと業績の多い学者にも出会った。でもこうして振りかってみると、歴史と宗教と思想について、より多くを学んだ先生は、ほかにいないような気がする。

たとえば、「クオ・ヴァディス・ドミネ」という言葉を知ったのは、シェンキェヴィッチの物語ではなく、山村先生の講義だった。そうでなければ、日刊ゲンダイの隅に巧みな書評を見つけても、上下二冊の福音館書店古典童話シリーズを手に取ることはなかった

いまでも『山村の世界史人物事典 欧米篇』(代々木ゼミナール、1986)の、ペテロの項を読むと、朗々と講談のように流れていく講義の様子を思い出す。


写真は、12月の夕焼け雲。

さくいん:山村良橘ペテロ


表紙 > 目次 > 箱庭  > 前月  >  先頭  >  翌月

uto_midoriXyahoo.co.jp