4/1/2005/FRI
未来少年コナン 第21話 地下の住民たち、第22話 救出
陽気がよくなってきたので、週末は久しぶりに横浜中華街まで出かけて昼食を食べた。その後、冬の間に行けなかった大桟橋へも行ってみた。海からの風が、もうだいぶあたたかくなっていた。
昨年12月以来のシンガポールへの出張があったため、第21話の感想はホテルの部屋で夜書き上げた。
さくいん:横浜
4/2/2005/SAT
まぼろしのデレン 間宮林蔵の北方探検S、関屋敏隆、福音館書店、2005
地球のてっぺんに立つ!エベレスト、(The Top of The World: Climbing Mount Everest, 1999)、Steve Jenkins、佐藤見果夢訳、評論社、2001
4/3/2005/SUN
まほうのはっぱのおまじない、泉啓子文、狩野ふき子絵、新日本出版、2001
魔法といえば、今日はまだ一分咲きにもならないなか、「桜まつり」で新しい戦隊ヒーローシリーズ、「魔法戦隊マジレンジャー」も見た。
写真は、稲村ガ崎から見た江ノ島。二年前の冬に撮った写真。
さくいん:江ノ島
4/8/2005/FRI
吉田満著作集(上下)、文芸春秋、1986
散華の世代からの問い 元学徒兵 吉田満の生と死(1980)、NHK、吉田直哉編、ポニー・キャニオン、1990
「戦後」が失ったもの、戦争とは何だろうか 鶴見俊輔座談、晶文社、1996
書評と映像評。
読み終えてから何も書けないまましばらく放っておいた。仕舞いには著者から電話がかかってきて書評をメールで送る約束をさせられる夢までみて、ようやく書き上げる気になった。
文章に用いた言葉のいくつかは、これまでに書いたほかの文章で考えたり定義づけしたりしてあったもの。吉田や小林の言葉にも、これまでに読んできた本や書いてきた文と呼応するものがある。
蛇足か補足か、それぞれ言葉が使われている文章へ注記を連結しておく。
P. 2
- 反省=書評「小林秀雄全集(第五巻、第七巻、第八巻)」、随想「反省について」
- 体験とそれを超える経験=書評「森有正エッセー集成2」
P. 3
- 過去相に生きる=書評「森有正エッセー集成5」、随想「大桟橋から」
P. 4
- 「祖国のために死ぬ権利」=書評「祖国のために死ぬ自由」
- 山口瞳=書評「江分利満氏の優雅な生活」
- 胡桃沢耕史=6/12/2002
- 水木しげる=8/10/2003/SUN
- 生き残る=6/14/2004/MON、絵本「おとなになれなかった弟たちに」
- 感傷=書評「人生論ノート」
P. 6
- 草の上=書評「裏庭」、随想「草の葉/言の葉」
戦中、社会的な弱者が庇護されるどころか、邪魔者扱いされたという記述は、ずっと前に見た沖縄の平和資料館の展示の記憶から。最近では『天使のピアノ 石井筆子の生涯』(眞杉章、ネット武蔵野、2000)でも読んだ。
鶴見俊輔については、松田道雄とのつながりで名前を出したり、黒井千次との対談のほか書評は残していないけれど、図書館ではよく立ち読みする。
最近では『読んだ本はどこへいったか』(山中英之聞き手、潮出版、2002)を面白く読んだ。
4/9/2005/SAT
未来少年コナン 第23話 太陽塔
以下、段落を修正。いずれも思い入れが深く、何度も読み返す文章。剪定は、これで一段落。しばらくは、読み返すこともないかもしれない。
写真は、団地の街路に並ぶ桜。
4/10/2005/SUN
書評「君たちはどう生きるか」を剪定
書評「君たちはどう生きるか」を剪定。後半を削除、「言葉をかえれば」以下を追加。
結語がまだすっきりしないけれど、とりあえず公開。
引用したパスカル『パンセ』は、昨年の秋に読み終えたものの書評は残していない。このような基本書は、なかなかまとまった書評は書けない。別の書評に少しずつ感想を埋め込んでいくことならできる。随想「大桟橋から」は、その一例。
『パンセ』は、塩川徹也『パスカル「パンセ」を読む』(岩波書店、2001)を読み、そもそも『パンセ』はどういう本か、という知識を得てから読み始めた。この本を読んでから、中公文庫版(前田陽一、由木康訳)にとりかかったのは、よかったかもしれない。
『パンセ』のような古典はいきなり読んでも歯が立たない。そうかといって、概説書や新書の類ばかり何冊読んでも切りがない。
4/17/2005/SUN
白いねこ(La Chatte Blanche)、Madame d' Aulnoy原作、こみねゆら文・絵、偕成社、1994
本文にあるように、月曜から米国出張で昨日帰国した。今回は機内やホテルで思いのほか時間があり、読書が進んだ。以下、この旅行のあいだに読み終えた本。
- 戦中派の死生観(1980)、吉田満、山本七平(解説)、文春文庫、1984
- 大和の最期、それから 吉田満 戦後の軌跡、千早耿一郎、講談社、2004
- 弔いの哲学 シリーズ 道徳の系譜、小泉義之、河出書房新社、1997
- 雨ふり花 さいた、末吉暁子文、こみねゆら絵、偕成社、1998
- 詩と言葉 シリーズ ことばのために、荒川洋治、岩波書店、2004
これだけ入力が多いと、感想を表現できるまでには発酵の時間が必要だろう。しばらく新しい読書は控えることにする。そういいながらも向こうで本を買い、今日も返却のために出かけた図書館で、もう新しい本を借りている。
機内では、夏川りみがこれまでのシングル曲を集めた新盤を紹介する番組と、小林克也が案内する往年の音楽番組が復活する『ベストヒットUSA』、LAの人気FM局、KOSTのDJが案内するソフト・ロックの番組を聴いた。
『ベストヒットUSA』の選曲は、Earth Wind & Fire, “September,” Culture Club, “Carma Camereon,” Bryan Adams, “Heaven,” Elic Clapton, “Change the World”など。
“Change the World”では、プロデューサーを務めたBaby Faceが、それまでギターの陰に隠れていたClaptonの声の魅力を引き出したという解説があった。
土産はいつものとおり、絵本と音楽。
- Walden and Civil Disobedience, Henry David Thoreau, Burns & Nobles Classics
- Essays and Poems by Ralph Waldo Emerson, Burns & Nobles Classics
- The Cat who loved Mozart, written by Patricia Austin, illustrated by Henri Sorenson, Holiday House, NY, 2001
- THE WORLD RECORD PAPER AIR PLANE BOOK 16 Models 100 Planes (1994), KEN BLACKBURN & JEFF LAMMERS, KONEMANN, 1998
- Songs in the Attic, Billy Joel, Columbia, 1981
- Midnight in San Juan, Earl Klugh, Warner, 1991
- Stanley Jordan Live in Montreal, Stanley Jordan, L'ÉQUIPE SPECRA / Image, 1990
ソローとエマーソンは、鶴見俊輔『読んだ本はどこへいったか』(山中英之聞き手、潮出版、2002)から。
スタンリー・ジョーダンのDVDは衝動買い。デビュー・アルバム“Magic Touch”は、いまでもよく聴く。ずっと昔、バルセロナ・ギター音楽祭を特集したテレビ番組で、彼の演奏を見たことがある。両手弾き、二本弾きとギターの常識を超えた演奏がつづく。弾き方は鍵盤楽器に近いけれど、グリッサンド、ハンマリングなど、音色はやはりギターならでは。
帰りの便では、めずらしく映画を見た。昨年話題になっていたレイ・チャールズの伝記映画、“Ray”。壮絶な人生に、途方もない疲労感が残った。映画を好きでないわけではなく、むしろ、つい見入ってしまうので、たくさん見ることができない。映画のあと、『ベストヒットUSA』をもう一度見た。“Hit the road, Jack”を歌う本物の映像を見て、映画の同じ時代の場面が思い出され、ますます苦しい気持ちになった。
レイを惑わせた水の幻覚は、ドラッグのせいではなかった。ドラッグに溺れる前から彼は幻覚に悩まされていた。それは視力を失う前に焼きついていた光景、「大人になれなかった弟たちに」伝えられなかった言葉。
彼が生涯歌い続けた歌、“Georgia on My Mind”は、失った弟の名前と重なる。
ビートルズ・ブームよりもあとに生まれた私は、黄金期のレイ・チャールズは知らない。レイ・チャールズといえば、“We Are the World”とBilly Joelとのデュエット“Baby Grand”(“THE BRIDGE, ” SONY, 1986)。「旅立て、ジャック!」というと曲名ではなくて、RCサクセション「サマーツアー」(1982)の歌詞の一部。作詞は忌野清志郎。
映画を見てから考えると、「グランド・ピアノだけが、オレの気持ちを知っている」という歌詞は、レイ・チャールズの半生そのまま。そして、おそらくはBillyは自分自身の半生も重ね合わせているのだろう。
ぐったりしたまま飛行機を降りると、幸いというか、空港からの帰り道では『宮川賢のパカパカ行進曲』を久しぶりにまるごと聴いた。大笑いして、だいぶ旅の疲れもとれた。
写真は、帰路便の窓から撮影した銀翼と白雲と青空。
4/19/2005/TUE
未来少年コナン 第24話 ギガント
4/21/2005/THU
表紙本箱へのリンクを追加
表紙の索引のなかに本箱へのリンクを追加。
仮想本棚という発想は、面白いだけでなく、実益があってありがたい。本は、ほとんど図書館で借りて読む。中身は書評を残しておけるけど、返してしまうと装丁の記憶はおぼろげになる。
ブクログでは、その本を返した後でもずっと表紙を見ることができる。眺めていると図書館で借りたときのことを思い出したり、自分で書いた書評を読み返したくなる。
手元の読書記録は、2002年5月末に始まっている。これを公開したところから「烏兎の庭」ははじまった。これまでに記録した本は、雑誌を含めて約500冊。
本棚は、表紙を見て楽しい絵本から、思いつくままに追加していく。
4/22/2005/FRI
雨ふり花 さいた、末吉暁子文、こみねゆら絵、偕成社、1998
弔いの哲学、小泉義之、河出書房新社、1997
何気なく借りた、まったく違う分野の二冊の本が、あざなうように同じ主題をめぐっていることに驚く。これは『雨ふり花』にでてくる座敷童子の仕業かもしれない。そう書けば絵本評「白いねこ」の結語と同じになってしまうので、思っていても書くのはやめた。
かわりに、どこかで見かけたときに名前を忘れてしまわないように、ファイル名を座敷童子の名前にしておいた。
4/23/2005/FRI
未来少年コナン 第25話 インダストリアの最期
文中にある「1ダースくらいの段階」とは、アルフォンス・デーケンの説く、グリーフ・プロセスの12段階のこと。いずれ本文に明記するかもしれないが、今は抽象的な表現にしておく。
批評「読解試験批判への反駁」を剪定。行末を揃えた。
絵本評「岸辺のふたり」「悲しい本」を剪定。最後の文章を新しい段落にして、さらに一段落追加。この段落が書けたのは、『雨ふり花 さいた』のおかげ。
書評「吉田満著作集」、5ページ、第一段落を推敲。この部分は、「ハンセン病問題に関する検証会議最終報告」の報道を読んだときに書いたメモが元になっている。
管理教育や企業社会の過労、過酷、悲惨をハンセン病患者の置かれた境遇とを比較するつもりはない。彼らの受けた被害は比較にならないほど甚大。
ただ、そうなった原因の一つは、学校社会や企業社会が適者生存の原理だけで動き批判や抵抗を受けつけなくなっているために、そこからはみだした弱者が、丸ごと切り捨てられるような事態になっていたとは言えると思う。
さくいん:悲嘆(グリーフ)
4/28/2005/THU
未来少年コナン 第26話 大団円
大和の最期、それから 吉田満 戦後の軌跡、千早耿一郎、講談社、2004
ところで、吉田満は日経新聞夕刊に連載していた「あすへの話題」のなかで、私が「庭」のなかであえて名前を記さないでいる歌手の一人について、彼もまた名前を記さず書いている。私はまだ中学に入る前。それでも吉田満と同じ時代に生き、同じ歌を聴いていたと思うと親密にも思えてくるし、感慨深くもある。
4/29/2005/FRI
書評「詩とことば」(荒川洋治、岩波書店、2004)
少し急いで書いたので、連休にゆっくり書きなおすつもり。