烏兎の箱庭――烏兎の庭 第二部 日誌
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2005年3月


3/5/2005/SAT

未来少年コナン 第17話 戦闘、第18話 ガンボート

一本の木

書評「出発点 1979-1996」(宮崎駿、徳間書店、1996)も改稿する予定。


3/6/2005/SUN

雪原の勇者 ノルゥエーの兵士 ビルケバイネルの物語(THE RACE OF THE BIRKEBEINERS)、Lise Lunge-Larsen文、Mary Azarian絵、千葉茂樹訳、BL出版、2004

ジェニー・エンジェル(Jenny Angel)、Margaret Wild文、Anne Spudvilas絵、もりうちすみこ訳、岩崎書店、2001


3/11/2005/FRI

祖国のために死ぬ自由 徴兵拒否の日系アメリカ人たち(Free to Die for Their Country: The Story of the Japanese American Draft Resisters in World War II, 2001)、Eric L. Muller、飯野正子監訳、飯野朋美、小澤智子、北脇実千代、長谷川寿美訳、刀水書房、2004

江ノ電、鎌倉高校前駅

久しぶりにどっぷり浸る読書をした。

本書を読んでから、日系米国人の強制収容体験を含んだ一人の女性の半生記を題材にした絵本、Allen Say,“Music for Alice”を読み返した。簡潔な文章の中に「避難」「転住」と詐称された強制収用がどのように強行されたのか、不足なく盛り込まれていて驚いた。

少し暖かくなってきたので仕事、といっても庭掃除をはじめた。

書評「裏庭」は、あとから入れたオルガン曲に題名を加え、最後の言葉を別の段落にした。

この曲は2年前の冬にはじめて知った。それ以来、繰り返して聴いている。

書評「出発点」は、後半部分を剪定。

後半に書いてあった「野心」の問題は展開不十分のため削除した。この問題は以前から考えているけれども、「野心」の概念化からしてまだできていない。「野心」ではなく「希望」という言葉と対比して、「野望」といったほうがいいかもしれない。でも「野望」というと官能小説の書名ようにも響いて何か違う。

いずれ場所をあらためて書くつもり。

以下は、段落、行末を揃えた程度。


写真は、江ノ電、鎌倉高校前駅の柱のあいだから眺めた相模湾。額縁に入れたような風景が気に入った。


3/12/2005/SAT

未来少年コナン 第19話 大津波

この回をみると、必ず絵本『樹のおつげ』(Lafcadio Hearn原作、斎藤裕子再話、藤川秀之絵、新世研、2001)を思い出す。

写真は、銀色に輝く七里ガ浜海岸。津波の気配はない。


3/18/2005/FRI

未来少年コナン 第20回 再びインダストリアへ


3/20/2005/SUN

書評「祖国のために死ぬ自由」に追記

書評「祖国のために死ぬ自由」の3ページ目に以下の段落を追加。

   大日本帝国でも、朝鮮半島や台湾から従軍した植民地住民は少なくなかった。彼らが志願した理由は、強制された一面だけでなく、戦果によって日本国民であることを証明できると信じ、また期待する一面もあったに違いない。

昨夜旅先で見た、NHK教育テレビ、放送80周年記念番組「ETV特集 遺された言葉―ラジオが伝えた太平洋戦争」の感想を一部、挿入した。

この考え方自体は、以前、批評「オリンピック・メダルは誰のものか」を書いたときから持っていた。報道を聞くかぎりでは、件のマラソン選手にはそういう意図はなかったようなので、そこまで文章にすることはしなかった。

大日本帝国は、列強と同じように植民地を広げた。その際、列強同様に植民地人を正統な宗主国民と認めることはせず、それどころか、日本国籍者でも植民地出身者を差別する構造を残した。その一方、内地の日本国籍者、いわゆる「ほんとうの日本人」についての定義もはっきりしないままだった。

このことは書評は残していないけど最近読んだ、『いくつもの日本Ⅰ 日本を問いなおす』(赤坂憲雄、中村生雄、原田信男、三浦佑之編、岩波書店、2002)にあったイ・ヨンスクの論文「『狭義の日本人』と『広義の日本人』」にも書かれていた。

イが結語で警告するように、「日本人」のあいまいな定義と空虚な純粋主義の混在は今でも残っている。このことは、書評「在日外国人と帰化制度」批評「帰れ、帰るな、いったいどこへ」にも書いた。



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