樹のおつげ、Lafcadio Hearn原作、斎藤裕子再話、藤川秀之絵、新世研、2001


樹の声が聞こえた人の物語。この主題は『はるふぶき』(加藤多一文、小林豊絵、童心社、1999)と同じ。違いは、樹の声の主が人間の姿、しかも主人公にとっては異性の姿をしていること。そのせいで、こちらは少しロマンチックな物語に仕上がっている。

もう一つ、こちらの物語には、危機的な状況においてリーダーにはどんな行動が求められるかという難しい問題に対する示唆も含まれている。

日本画のような挿画はきめこまやかで美しい。襲い来る津波の迫力、狂気にもみえる久作の一途な目、村人たちの落胆しきった様子、そして「樹のおつげ」をしみじみと思い出す老人の白髪と遠い目。印象的な描写が続く。文章も読みやすく、それでいて不要な甘さがない。

大津波の到来を知らせる場面というと、アニメ『未来少年コナン』の一話、「大津波」(第19話)を思い出す。『コナン』では、彼の真剣な眼差しが敵対しているモンスリーにも津波は本当だとわからせた。津波が来るのを教えたのは、樹の精霊ではなく、鳥と話ができる少女、ラナだった。

アニメでは眼差しの表情を描くことはむずかしい。だから声優の演技がそれを補う。アニメは元来、映画よりもラジオドラマに近いのではないか。それを映画に近づけていくところにアニメーターの夢があるのだろう。

絵本の場合は、絵が動かないだけに一つの挿画が強く脳裏に焼き付けられる。この作品では、久作の目がやはり恐ろしい。村のみんなを彼のもとへ集める目つき。あれを見たら誰だって何事かと思って駆け寄るに違いない。目は、口ほどにものを言う。絵は言葉ほどにものを言う。

絵本では、子どもでもわかるように、言葉の表現はわかりやすくしなければならない。だから絵本では、絵が饒舌に語り、言葉に制約がある分を補う。大人はそこからさらに深い意味を読みとることができる。

この作品では、このことがとくにあてはまるように思う。

斎藤裕子は、『鬼の毛三本』の作者。気に入った絵本をたどっていくと、気にもとめていなかった名前に再会することがある。そうして気になる名前になる