クリスマスイブのきゃく(OLD SADIE AND THE ChrISTMAS BEAR)、Philis Naylor文、Patricia Newton絵、さいとうゆうこ訳、新世研、1998

THE STORY OF HOLLY & IVY (1957), written by Rumer Godden, illustrated by Barbara Cooney, Viking, 1985

ナザレの少年—新約聖書より—、末盛千枝子編、舟越保武画、ジー・シー、1986


クリスマスが近づいている。図書館の児童書の棚でもクリスマスの絵本が特集されている。『樹のおつげ』を読んでから斎藤裕子の作品を探していたら、クリスマスの絵本がちょうどあった。

“HOLLY AND IVY”は、見覚えのある温もりのある絵に誘われて手に取ると、『満月をまって』で知ったバーバラ・クーニーによる作品。

どちらも心温まる結末ではあるけれど、よく読んでみると、寒い話の裏返しであることがわかる。アイビーは身寄りのない子どもで、みんなが家で過ごすクリスマス・イブに一人で街中へ放り出される。予期せぬ客をもてなすおばあさんは、アモスが来なければたった一人で過ごさなければならなかった。


私の好きなクリスマス絵本、『ゆうびんやのくまさん』(Teddy Bear Postman, Phoebe and Selby Worthington、まさきるりこ訳、福音館、1987)でも、くまさんはいつもの通りに仕事を終え一人で夕飯を食べ、一人で眠る。

クリスマス絵本は、寒さ厳しい季節にほっと一息をつく、そんな情景の物語が多い。クリスマスは、イエス生誕の伝説と冬至の祭りが合わさり出来上がったと聞いたことがある。北半球に住む人間にとっては、クリスマスとは寒さのなかにひとつかみの温もりを求める時期なのだろう。

“Holly and Ivy”は願うことから始まった小さな出来事の積み重ねが奇跡を導いた。『ナザレの少年』との出会いも、私には十分、奇跡といえるかもしれない。


先週、府中市美術館へ「牛島憲之と昭和前期の絵画——抽象と具象のあいだ」を見に行った牛島憲之の名前は二年前ふと出かけたこの美術館で「正宗得三郎展」を偶然見たときに知った。作品の多くが遺贈されていて常設展もある。

牛島は、パステル調の緑や青、灯台や埠頭などをモチーフにした直線的でモダンな構成が印象に残っていた。今回の展覧会で、牛島がスーラを好んでいたことを知った。好きな画家が好きな画家は、やはり好きな画家であることが多い。直線ばかりでない、具象的な絵画も描いた牛島にもさらに魅力を感じたけれども、今回強く引きつけられたのは、素描が特集されていた松本竣介。


松本は日本の近代画の傑作を集めた画集で見た「Y市の橋」しか知らない。一つしか作品は知らないけれども、その一つはどういうわけかずっと覚えている。「Y市」が、私が昔住んでいた街だから、題名に惹かれたこともあるかもしれない。いずれにしても、松本竣介はいつかじっくりと見てみたい画家だった

常設展でも「Y市の橋」に似た「鉄橋付近」が展示されている。私の絵の好みを客観的にみると、色は暖かで構成は理知的な作品が多いかもしれない。そして作品のどこからともなくさみし気な香りがする。

最近見た絵では、箱根ポーラ美術館で見たレオナール・フジタが晩年に描いた子どもの絵や、ジュール・パスキンの少女の肖像画もそう。

展覧会を見てから、美術館の図書室で、「没後50年 松本竣介展」(練馬美術館、1998)のカタログをめくった。そこで松本が舟越保武という名前の彫刻家と盛岡時代に同級生だったことを知った。そのほか、盛岡時代には父親と親交のあった宮沢賢治の影響を受けていたこと、東京では新宿区中井に住んでいたこと、終戦後間もなく36才で病死したことなど、いくつかの伝記的知識も得た。


話はまだ続く。しばらくたったある日、東京駅まで出たのでそばにできた大型書店に行ってみた。歴史、哲学、宗教といつも歩く書棚をながめていると、一冊だけ棚からはみ出ている大判の絵本に目がとまった。それが、『ナザレの少年』だった。

これまでに読んだクリスマス絵本とは違う。キリスト教系出版社が出しているクリスマス絵本とも違う。単純で直接的で、深遠。それは挿絵が単色の素描で、文章がクリスマスを物語る原典からの引用だけによるからに違いない。

もう一つ、この絵本が特別であるのは、馬小屋で生まれたところで終わらないところ。舟越は、イエスの生物としての生誕だけではなく、人間としての生誕、いわゆる第二の誕生までを描いている。ここに『イエスの生涯』は始まる。そしてここから、のちに人間の中でイエスがだけが体験することになる第三の誕生、すなわち『キリストの誕生』が暗示される。つまり、この絵本は私にとって『イエス巡礼』の一場面になる。


手持ちがなかったので、その日絵本を買うのはあきらめた。家に帰って調べてみると、通っている図書館の書庫に所蔵されている。翌日出かけて借りてきた。ほかにも、画文集『巨岩と花びら』(筑摩書房、1982)と『大きな時計』(ギャラリーせいほう、1987)。長崎市にある二十六聖人像は見た覚えがある。舟越の作品とは、もちろん知らなかった。

それから、松本竣介の著作集『人間風景』(中央公論社、1982)と宇佐美承による評伝『求道の画家 松本竣介——ひたむきの三十六年』(中公新書、1992)も、借りてきた。家に持ち帰り、ゆっくり読んでいる。

宇佐美は、大戦前に米国へ移住した絵本作家、八島太郎の伝記も書いている。有名無名の人々が混ざり合う群像のなかで、一人の人間の強い面と弱い面とを、褒めることも責めることもせず、読み手の心にそっと映し出す宇佐美の手法は、本書でも冴えている。


もし『ナザレの少年』や、ほかの本が図書館になかったら、もし新しい書店に行くことがなかったら、もし美術館の図書室で松本竣介の画集を開いていなかったら、もし「牛島憲之展」に行っていなかったら、もし「正宗得三郎展」で牛島の名前を覚えていなかったら、もし美術館の近くの職場に移っていなかったら、もし、もし、もし……。

ずっとずっと遡っていくと、クリスマスの奇跡はやはり寒い季節のほっとするひとときであることが、自分でもよくわかる。

それにしても奇跡とは何だろう。奇跡とは人間がつくるもの。そう書いたことがある心を変えて、見る世界を変えた人が生きる世界を変えること。“Holly and Ivy”で奇跡を起したのは、子どものいない夫婦の決心だった。

そうとすれば、まだ変わっていない私が奇跡という言葉を使うのは、早とちりかもしれない。今夜は、松本竣介と舟越保武をとりまく昭和美術の小さな星座を見つけた、そういうことにしておこう。