硝子の林檎の樹の下で 烏兎の庭 第四部
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2012年7月


7/4/2012/WED

書き捨ててきた駄文の中でも何度も読み返すものがある。9年前の梅雨時に書いたこの文章もその一つ。毎年、この季節、この文章を読み返す。

こういう気分のときには中島みゆき「エレーン」(『生きていてもいいですか』、AARD-VARK、1980)を聴く。この歌はいつでも聴けるようにポケットにしまってある。


7/7/2012/SAT

いじめによる殺人事件が報道されている。「いじめを苦に自殺」というと本人の意志による行為とみなされるが、いじめによって自殺するよう追いつめられていたと考えるならば、「殺人事件」と呼ぶべき事態ではないか。

学校でのいじめ暴力管理教育、そうした問題に以前から関心がある。とくにこの季節は毎年、「いじめ」と「自死」、という言葉が頭の中でぐるぐる渦を巻き、気が滅入ることが多い。それなのに、つい、そうした言葉を検索語にして関連するウェブサイトを探してしまう。

武田さち子さんが主宰する「日本の子どもたち」というサイトを見つけた。学校での事件や事故についての膨大なデータベース。事件や裁判の経緯に加えて、武田さんの建設的な考察が加えられている。


多くの事例を読んでいるうちに、それらにある共通する傾向が存在するように思われてきた。言い換えれば、日本の学校や教育行政に関わっている人々には、大きく二つの問題があるように思われてきた。

一つは、優勝劣敗の意識、または悪質な社会ダーウィニズム。いじめにしろ、体罰や“しごき”にしろ、「この程度なら耐えて当然」「これくらい乗り切らなければ、大人になってから社会の荒波を生き延びていくことはできない」。そんな風に考えている人が多いように見える。

ここからいじめの被害軽視と加害者への軽い処罰が生まれる。そして、この考え方が極端になると「そのくらいで死のうと思うほうが悪い」「その程度を乗り切れない者は、いずれ脱落する、消えて当然」という考え方になる。

弱い者、未熟な者を育てる、もう少しきつい言葉で鍛えるということは確かに教育の目的の一つではある。しかし、その目的のために高く困難な障壁を設け、これを乗り越えられない者は敗者と決めつけ、まして放置しておくことはとても理想的な教育とは言えないだろう。

優勝劣敗の意識は、学校だけでなく日本の社会全体を覆っている。暴力事件を起こした教員への処罰軽減の嘆願書や、真実の解明を求める被害者家族への誹謗中傷がそうした社会全体にはびこる空気を象徴している。


もう一つ、多くの事例に見られることは、異常なほどの組織防衛。いくつかの事件では、事件の直後、葬儀の場などで加害者や担当教員は謝罪している。ところが、事件が表面化すると、突然態度を翻し、「いじめは知らなかった」「両親からの相談は受けていない」「いじめているつもりはなかった」「対等のけんかだった」などという見苦しい言い訳をはじめる。こうした態度の豹変は、刑事事件になった場合、自分が逮捕・起訴され、刑事罰を受けるかもしれないことに気づいたから、というだけでは説明しきれない。

関わった者の一人でも加害の罪を認めてしまうと、その責任は学校関係者から教育委員会まで広がっていく。こうした事態をおそれ、あからさまに学校や教育委員会が箝口令を敷く場合もある。ここから類推すると、露骨ではない箝口令も多くあるのではないか

お前一人が認めるとさくさんの人が困ったことになる、だから余計なことを言うな

暗黙のうちにそう迫る場合もあるだろうし、関係者が互いにそうした空気を読み取り、事件が表面化するほど、余計に押し黙り、事実を否定するようになっていく傾向がある。


「子どもの時に尻や体を叩かれるといった体罰を受けたことがある人は、そうでない人よりも成人後に気分障害や不安障害、依存症などの精神疾患で悩まされる可能性が高くなるとしたカナダの研究が発表された」という報道記事を今週、読んだ。

この記事では、体罰そのものの程度ではなくて、体罰を受けた側の「記憶」が大人になってからの心のありかたに影響を与えていると指摘していることが興味深い。

体罰を礼賛したり容認したりする人たちは、「それを愛のムチと受け止めた人もいる」と自分を含めて、体罰を肯定的に受け止められた人の事例しか見ない。受けた側にひどく心まで傷つけられた人もいることは考えない。そういう人は、上にも書いたように「弱い」人間と考える傾向がある。

考えてみれば、これは日常生活でも感じられること。たとえ暴力でなくても、激しい罵倒ではなくても、ほんの一言「ちぇっ」と舌打ちされたことがぐさりと心に突き刺さることはある。問題は体罰や暴力の程度ではない。受けた側にどう「記憶」され、そして、大人になってから、それがどう「思い出される」か、という点にある。

私の中学時代を思い出してみると、教員は一人一人がどう受け止めるかを考えながら体罰を行っていたわけではなかった。むしろ、奇妙な公平感覚からなのか、反抗的なツッパリから大人しい学級委員まで、些細なことをきっかけに、どんな生徒に対してでも暴力をふるっていた。

受け止め方が問題というと、言葉で叱っただけでも訴えられかねないから教育現場で叱責の手段がなくなる、という批判もあるかもしれない。確かに誰もが「私、傷つきました」と言いはじめたら、指導は困難になる。その意味でも、客観的な基準が必要だろう。


ここで考えておきたいのは、学校以外の場で起きるいじめや、いわゆる「ハラスメント」の問題がどうとらえられてきたか、ということ。

セクシャル・ハラスメントやパワー・ハラスメント、さらにアカデミック・ハラスメントやアルコール・ハラスメント。こうした義務教育の学校以外、主に職場や上級学校で起きるいやがらせやいじめについては、厳密とはいえないまでも諸団体や判例が基準を設けている。そうした客観的な基準と個々の事例で受け止めた側の気持ちを考慮して、対処や判決が決まっている。

セクハラやパワハラがすべて円満に解決しているとは言わない。基準が広く受け入れられているか、受けた個人の尊厳は理解されているか、と問われれば、まだまだ改善の余地はあるだろう。とはいえ、産業界や大学では、ハラスメントやいじめの撲滅に行動している。行動せざるをえない。とくに企業の場合、問題が大きくなれば社会的な信用が失墜するし、社内の人間関係が円滑でないと、なにより職場と企業の生産効率が落ちてしまう。

学校、とくに小中学校は閉鎖的な場所。多くの子どもにとっては生活の大半を過ごす場所。学校以外に、学校とは違う人間関係を持てる場所があれば、息抜きや気分転換もできるだろうし、そこから、学校でのストレスへの対処も見つけていくことができるかもしれない。もちろん、その反対もある。だからこそ、客観的な基準を導入する努力をすべきではないか。これをやったら、子どものけんかでは済まない、こういう行為は明らかに犯罪である、と。

セクハラやパワハラと同様、客観的な基準をつくったところですぐにいじめがなくなるわけではない。しかも、重要な点は、受けた側の心理であり、しかけた側の感覚ではない。受けた側の言葉にしがたい心理を支えるためにも、つまり、しかけた側の逃げ口をふさぐためにも、まずは、おおまかであっても、また決定までは段階的であるとしても、客観的な基準を導入することが求められていると思う。


多元的な学校観学校を開放することは、前にも書いた。学校で教員以外、保護者以外の大人が出入りすることで、いじめが露見したり、学校内の非常識な常識が明るみに出ることも期待できるのではないか。

学校への不審者への侵入を防ぐ、という理由を口実にして学校は閉鎖性を高めている。不審者侵入の防止策が不要とは言わない。しかし、学校の塀を高くすることは、学校を密室化することを助長する。そして、その結果、学校のなかで起きていることを隠蔽する副作用がある。この点を軽く見てはならないと思う。


7/14/2012/SAT

生誕100年 松本竣介展、神奈川県立近代美術館 葉山

生誕100年 松本竣介展 図録、岩手県立美術館、神奈川近代美術館、宮城県美術館、島根県立美術館、世田谷美術館、NHKプラネット東北、NHKプロモーション編、NHKプラネット東北、NHKプロモーション、2012

人間風景、松本竣介、中央公論、1990

収蔵品展 041 難波田龍起・舟越保武 精神の軌跡、東京オペラシティー・アートギャラリー

白昼に神を視る、長谷川潔、長谷川仁・竹本忠雄・魚津章夫編、白水社、1982

毎年、梅雨のあいだは気分がすぐれない。 そこで、どんよりした気分を変えるために映画や美術館にむしろ普段より積極的に出かける。今年の6月もちょっとした美術月間だった。梅雨時に限らず、ここしばらく平日の仕事はこなせても、週末はずっと休んでいるか、出かけても自転車かバスで行かれる範囲がせいぜいだった。

6月の初旬、用事ができて日曜の朝、お茶の水へ出かけた。週末に電車に乗ることじたい珍しい。用事を済ませると、ここまで来て帰るのはもったいない気になり、古書店街を歩いた。日曜なので多くの店は閉じている。目標を絞り、美術関係の多い古書店に入ってみた。探していたのは長谷川潔『白昼に神を視る』。

2006年3月、横浜美術館での回顧展で買い忘れたあと、ネットでも見つけられずにいた。果たして、美術関係のフロアに、前回、展覧会で見たものとは異なる初版本を見つけた。1982年の定価は4,500円。古書店での価格は3,500円。即決し購入、財布も体力もからっぽになったのでほかの書店は見ずに帰った。

週末はほとんど自転車で出かけられる範囲にしか出ない。松本竣介の生誕100年を祝う回顧展は、同行してくれる人がいたので思い切って出かけてみた。葉山御用邸近くにある神奈川県立近代美術館・葉山館は初めて。駅から乗ったバスは海岸沿いの細い道を走っていく。このあたりには懐かしく、快い風景が多い


日本の近代画を見るようになったのは、ごく最近、『庭』で文章を書くようになってから。もともと絵を見るようになったのは、大学受験のとき、世界史の暗記の補強のために図書館で画集を眺めたことがきっかけ。だから、その後も外国へ行っては有名な美術館を訪ねてはみたものの、日本の絵画には関心も知識ももつことがなかった。

日本の近代画に興味をもったのは、実家で『「昭和の洋画100選」展』(朝日新聞社、1989)を眺めてからだろう。父は展覧会へ行くと必ず図録を買うので、実家には美術館の売店ほど画集がある。

この画集を読んだ2002年8月、松本竣介「Y市の橋」を気に入った作品としてメモしている。いつか本物を見たいと思っていた。今回、はじめて実物を見た。ほかにも桐生の大川美術館で見た代表作の一つ、「街」にも再会した。


長谷川潔も松本竣介も画才だけでなく、文才にも恵まれていた。二人の遺した文章はいずれも社会、人間、芸術を観察した含蓄あるエッセイ。とりわけ竣介が戦中に書いた「生きてゐる画家」には、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』と同様、あの時代に試みたぎりぎりの抵抗が強く感じられる。


松本竣介は36歳で夭折してしまったので、画家として活動した時間はそれほど長くない。にもかかわらず、作品の多さもさることながら、短い間に次々と大胆に作風を変えている。今回の回顧展では、時系列的に「前期・後期:人物・後期:風景・展開期」と四期に分けて表現者のスタイルの変化をたどっている。「街」は前期、これもまたよく知られた「立てる像」は後期:人物、「Y市の橋」は後期:風景、そして展開期には絶筆となった「建物(青)」が入る。

「街」と「建物(青)」は、サラリーマンだった大川英二が時間をかけて収集したコレクションにある。素人愛好家が気に入った作品を集めたなかに美術史に残る作品があった。

コレクションで自ら美術館までを建てた大川栄二は、素人愛好家というよりもプロとアマの間にいる「モグリ」の美術批評家と呼ぶべきかもしれない。


どの時期が特別に好きということはない。あえて言えば、松本竣介の作品では彼の使う青を好む。「街」も「建物」も青を基調としている。緑と青のあいだ、エメラルド・グリーンに近い。奥深く、底暗い青。

同じ青でも、難波田龍起の青には透明感があり、それでいて深い。湖の水面が光に揺れているような青。難波田龍起を知ったのも大川美術館だった。難波田の作品は抽象画に分類されるのだろう。抽象的ではあっても偶然性に依存しているわけではない。ロスコのように徹底した単純化の奥に神秘性を持たせた作品でもない。緻密に計算され、丁寧に細やかにいろいろな青が塗り込まれている。見ていると青い森のなかへ吸い込まれそうな気がする。

舟越保武はクリスマスの絵本で知った。今回の展示では、右手が使えなくなってから左手で制作した「ゴルゴダ」を見た。右手で作られた多くの聖女像とは異なり、十字架で苦しむ表情に迫力がある。


松本、難波田、舟越の三人は同時代に生き、交流もあった。作風こそまったく違うものの、三人には共通する何かがあるように私は思う。それは「私の好み」という共通点に過ぎないかもしれない。評論家や研究者であれば、その共通点を概念化し、理論化しなければならない。私にはそういう義務はない。素人には、好きな絵を好きなように眺めるという特権がある。原稿の締切りがあるわけでもない。それでも、いつか、その何かに名前をつけることもできるかもしれない

6月は梅雨のせいか、気分が晴れないことが多い。今年もそうだった。朝、布団から起きることができず、会社を二日も休んだ。

7月になり振り返ると、病欠したのは憂鬱になったからでなく、休みの日にふだんより張り切って動き過ぎたせいかもしれない。そう考えると、今年は沈み込み過ぎず上手に6月を乗り越えられた、と見ることもできる。


今日はカレーを作るので買い物がてら散歩。いま住んでいる家のまえに7年間住んでいた団地を歩く。辛いことがたくさんあったのにここへ来ると楽しかったことだけを思い出す。記憶は思い出す場所によって変わる。


7/21/2012/SAT

風が吹いている、いきものがかり、エピック、2012

合唱コンクール課題曲、朝の連続ドラマ主題歌、そしてオリンピック番組のテーマソング。いきものがかりはNHKの三冠王。地域を問わず、幅広い年齢層に受け入れられる音楽ということだろう。

J-POPお決まりの「日々」や、やや多用し過ぎに感じる文語調の「新しき」「敬虔なる」などの言葉遣い、などなど、歌詞には気になるところがあるものの、歌詞の内容は、奇を衒ったところのない、多くの人が親しめる歌であることに違いない。

今回の歌では、オリンピックという競技や勝利にこだわらないように作ったとインタビューで聴いた。

確かに誰かが金メダルを勝ち取った場面もよく覚えているけれども、オリンピックというと、夏休みに家族で見ていた記憶がよく残っている


7/22/2012/SUN追記

アルバム『ハジマリノウタ』(2009)の特典DVD、渋谷公会堂でのライブを見た。吉岡聖恵の声はのびのびしていて聴いていて心地よい。彼女はおそらくYUKIの影響を受けているだろう。でも、ウェットでトガッたところのあるYUKIに比べて、さわやかで清涼感があふれている。これは彼女がカバーした「クラシック」を『JUDY AND MARY 15th Anniversary Tribute Album』(ERJ, 2009)で聴いた感想。

いきものがかりの作品のなかで、私のお気に入りは「KIRAKIRA☆TRAIN」。現代風「なごり雪」。男女両方の気持ちを歌っているところが面白い。彼らは神奈川県厚木の出身。首都圏とはいえ、中心からは遠い郊外。だから「東京へ行く」ことはそれなりの事件なのだろう。

ステージでは「僕らのことを覚えてほしい」と言っている。「YELL」が発表された年でもまだそう広くは知られていなかったのか。全国区になったのはドラマ『ゲゲゲの女房』の主題歌「ありがとう」がきっかけだったとみえる。

ところで、いわゆるオリンピック・イヤーに生まれたせいか、オリンピックが開催される年は何かに区切りをつける年、と思う傾向が私にはある。


7/22/2012/SUN

最近、二度、「忘れてしまえばいいのに」と言われた。そういう考え方もあるだろう。「忘れられるものなら忘れたいさ」とは返さなかった。忘れるか、覚えているか、自分で決められるものではない。薬で操作できるものでもないと中井久夫も書いていた

「忘れられるものなら忘れてしまいたい」。そういうこともないわけではない。「忘れたくない」こと、「なぜ」と問い続けたいこともある。忘れたくないことを忘れるようになったら、かなしい。「なぜ」と問うことをやめたら「死なないでいる理由」もなくなるだろう。


7/28/2012/SAT

被害者の救済が求められている。加害者への制裁が叫ばれている。そこに異論はない。ただ、ふと、「思想は加害者の側からしか生まれない」という石原吉郎の言葉を思い出して戦慄している。この状況において、彼の言葉をどうとらえなおせばいいのか。

自分のことを棚にあげて一方的に他人を非難することは言語道断であるにしても、自分自身も加害者の側にいることを認めることは難しい自分が他人を犠牲にして生き残ってきたことを認めることもやさししことではない。それは、「皆、同じように責任がある」と言って責任をあいまいにすることではもちろんない。

その先がわからない。「加害者の側に立つことで、はじめて生まれる思想」とはどういうものなのか。石原吉郎のエッセイを読み返すと重い気持ちになる。


市長は、直接市民から選挙で選ばれるから、世論を気にしながら事態の収拾に腐心するのは当然。一方、役人の側はひとつでも非を認めればすべての責を負わさせることがわかっているから、妥協はできない。見苦しい、明白な嘘をついてでも責任を否定する。

次々と明るみになる隠蔽工作は意図的ではなく、官僚の本質だろう。

ここにもムラがある


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