土を掘る 烏兎の庭 第三部
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2007年9月


9/1/2007/SAT

総員 玉砕せよ!(1973, 1991)、水木しげる、講談社文庫、1995

水木しげる記念館、鳥取県境港

今年の夏は、一言で言えば、鬼太郎の夏だった。新しく何世代めかのテレビアニメが始まり、そちらを見るために同じ曜日に朝早く見ていた戦隊ヒーローをついに卒業した。休みには、すごろく『怪奇妖怪横丁冒険ゲーム』で繰り返し遊んだ。

さらにタイムリーだったのは、テレビドラマで『鬼太郎が見た玉砕』を見たこと。八月は戦争についてのドラマがよく放映されるけれど、下級兵士を描いたドラマはめずらしい。

水木しげるは、日経新聞の「私の履歴書」で読んで以来、気になる人物の一人となり、見かけるたびに記事や本を読むようになっている。鳥取まで行ったついでに思い切って境港まで行くことにした。同じ県とはいえ境港と砂丘とでは、獅子の頭と尻尾ほど遠い。ここでも汽車の旅となった。

記念館の二階で、ドラマの下敷きになったコミック版自叙伝を読み、みやげに原作の漫画を買った。水木しげるには自伝的な作品が多い。

「戦後しばらく、人に同情することがなかった」と水木は言う。自分こそ憐れみを受ける被害者という意識が強かったから。ところが、生活が安定しはじめてから、過去を忘れるどころか、彼は過去に直面せざるをえなくなった

水木は告発する、玉砕の虚妄を、軍隊の不条理を。しかし、その告発はつねに虚妄と不条理を生き残った自分にもつきつけられる。物語の最後で主人公は命を失う。水木はあとがきで短くするためと書いているけれども、ドラマに描かれていた彼の「生き残った傲慢さに耐えかねる苛立ち」を思うと、生きている自分に対して一度は死刑宣告をしたくなるような気持ちだったのではないだろうか。つまり、裏を返せば、生きていることが罰としか感じられないような、そういう気分だったのかもしれない。

録画の間違いで、ドラマの結末は見られなかった。記念館に再現された書斎には、「甘いものを食べないこと」などのメモが貼ってあった。いつしか水木は生き続けることを選んだ。その選んだ道は、幼い頃に親しんだ異界に続いていた。展示を見ているとその道程がよくわかる。

鳥取県といえば、『名探偵コナン』の原作者、青山剛昌も鳥取県出身。そのコナンの声優、高山みなみが21世紀版鬼太郎の声。20世紀の鬼太郎は、星野鉄郎、孫悟空、風大左衛門と同じ声だった。その『いなかっぺ大将』をちょうど民宿のテレビで見た。情報番組やニュース・ショーが夕方にひしめく首都圏の地上波では、アニメの再放送をあまり目にしなくなった。

テレビドラマでは、おそらくはかつての声に親しんだ人のために、鬼太郎の声は野沢雅子だった。

鬼太郎の夏。そういう意味では昨年同様、今年もき印の夏休みだった。


写真は、ヘッドライトに目玉親父をあしらった妖怪列車。

さくいん:水木しげる


9/8/2007/SAT

ベネディクト・アンダーソン グローバリズムを語る、梅森直之、光文社新書、2007

文中あるように6月に機内で読んだ本。それほど難しい本ではないのに、感想を書きはじめるまでに2ヶ月も過ぎてしまった。

写真は、鳥取県、浦富海岸の朝焼け。


9/15/2007/SAT

続 百代の過客 上――日記にみる日本人、Donald Keene、金関寿夫訳、朝日選書、1988

新世界に学ぶ――新島襄の青春、福本武久、ちくま少年図書館、1985

9月13日、日経新聞の木曜夕刊。「シニア記者がつくるこころのページ」にドナルド・キーンのインタビュー記事があった。読みながら、まだ読んだまま感想をまとめていない本があることを思い出した。

『日記にみる日本人』はシリーズもので何冊もあるらしい。この一冊だけ読んだのは、図書館の廃棄資料からもらってき本だったから。読んだのは、もう半年以上も前のこと。

そのとき、「ちくま少年図書館」の新島襄の伝記も、廃棄資料の棚で見つけてもらってきた。もう一冊、同じシリーズの『恋愛なんかやめておけ』(松田道雄、1970)も、もらってきた。この本は同シリーズの第一巻だったことを今になって知った。

『新島襄の青春』は、いわゆる偉人伝の体裁。幕末期の青年が次々と出会う出来事を通じて成長していく過程をすがすがしく描く。

偶然、同じときにもらってきたドナルド・キーンの本にも新島襄のことが書かれていた。こちらはやや斜に構えて、後の偉人が日記に残したり、あとから書き直したりした意外な素顔を拾う。

二つの伝記を読んでみて、一人の人間が活き活きと、立体的に見えてきた気がした。どちらか一方だけではだいぶ違った印象を新島にもっていただろう。前者が嘘や誇張というわけではないし、後者が批判的だったり意地が悪いわけではない。見方や書き方によって、見える姿の陰影が変わるだけ。その襞は多いほど、真の姿に近いように思う。

伝記はこんな風に、自分で書いたもの、徹底して尊敬する立場から書いたもの、それからやや客観的な立場から書いたもの、そんな三冊を読むといいかもしれない。


『続 百代の過客』の中で面白かったのは、植木枝盛の章。よく知られた急進的な政治思想ではなく、むしろ一面では進歩的に見える明治人のなかに残っていた旧時代の痕跡を拾い上げる。それは、植木は実は反動的だったと暴露したり非難したりするためではない。

キーンは、日記に見られるそうしたものについての記述がどのように変化していったかをたどりながら、明治という混沌とした時代において、一つの思想が生まれ育つ過程を浮き彫りにする。

植木は、実際には外国へ行ったことはなかった。しかし彼が驚くべき率直さで日記に書き綴っている、彼の人間性発展の軌跡を見ると、もうこの時代においては、日本人が近代人となるためには、外国へ行くことが、必須の条件ではなくなっていたことが分かるのである。

境界線の内と外や、ある体験をもっているかどうかで人を分類するような姿勢が、ここにはまったくない。人はどこでも、いる場所で、自らの思想を掘り下げていくことができるし、そうするほかはない。そういう単純明快な結論で本書は結ばれている。

哲学にはあまり関心がないとインタビューでは答えているけれども、おそらく彼は思想という言葉には惹かれる一人だろう。

キーンは日本文学の基底に「かなしみ」があると言う。悲しみや苦しみ、言葉にならないはずのものを言葉による表現のなかに封じこめたところに、とりわけ古代においては文学の意味があったのかもしれない

そうした意味づけは、近代文学のなかでキーンも共感している石川啄木にみることができる。もちろん、文学の意味はそこだけにあるわけではない。それでも、少なくとも私がドナルド・キーンの文章に共感したのはこの接点があったからということを、新聞記事を読んで思い返した。

写真は、鳥取、東浜から見た日本海の夕闇。


9/22/2007/SAT

滝山コミューン一九七四、原武史、講談社、2007

6月に買って読んだ本の感想をようやく書き終えた。共感しながら読んだはずなのに、いざ感想を書きはじめると自分の体験と比べるだけになってしまい、何度も挫けた。

戦後社会の豊かさや民主的にみえる制度や文化のなかに、戦時体制の遺産が浸透しているという指摘は、偶々読みはじめた『社会の喪失 現代日本をめぐる対話』(市村弘正・杉田敦、中公新書、2005)にもあった。そのような視点じたいは確かに新しいものではないかもしれない。しかし、それを思想史研究者が自らの体験を題材にして書いたという点は、確かに本書の大きな意義だろうと思う。

以下、蛇足を承知のメモ。

本書は、昨年6月に書きはじめた「庭」第三部の主題と深く共鳴している。書評を書きあげるのに時間がかかったのもそのせい。読みながら、また読み終えてこの本について考えるとき、これまでに読んできた本や書いてきた文章を思い出した。

「取って、読め」。そういう気持ちにかられて読みはじめた本は、これまでにもあった。本書も確かにその一冊だったけれども、そうした気持ちから読んだ本、たとえば森山啓吉田満山形孝夫らとは明らかに読後感は違っていた。

違いはどこから来るのか。いまあげた三人にきわめて似たスタイルを感じる石原吉郎「ペシミストの勇気」(『石原吉郎詩文集』)から、一つ引用しておく。

<人間>はつねに加害者のなかから生れる。被害者のなかからは生れない。人間が自己を最終的に加害者として承認する場所は、人間が自己を人間として、ひとつの危機として認識しはじめる場所である
   私が無限に関心をもつのは、加害と被害の流動のなかで、確固たる加害者を自己に発見して衝撃を受け、ただ一人集団を立去って行くその<うしろ姿>である。問題はつねに、一人の人間の単独な姿にかかっている。

本文にこの引用を入れれば、私の走り書きなどかすんでしまうに違いない。そう思い本文には挿入しないでおいた。

さらにもう一冊、本書を読みながら思い出した本がある。それは、「庭」を書きはじめるきっかけにもなった『1.5流が日本を救う』(勝谷誠彦・ラサール石井、K.K.ベストセラーズ、2001)

超進学校に中学から入った石井は、しかし次第にエリートに進む道に疑問を感じて、ついに文学と演劇を選んだ。民主を掲げた公立校の集団主義に嫌気がさしてエリート校に進んだ原がどのようなきっかけから思想史に興味をおぼえ、研究者になる道を選んでいったのか、どんな人や本との出会いが彼の選択を促していったのか、いずれにしてもコミューン以後が気になる。

写真は、鳥取砂丘の海岸線。


9/29/2007/SAT

先週の箱庭に「蛇足を承知のメモ」を追記。

「生き残った傲慢さに耐えかねる苛立ち」と私が名づけたい概念を、一言で「自責の念」とまとめてしまうと、それはまた違うものになってしまう。「自責の念」や、政治家がよく使う「内心忸怩たる思い」という言葉は、容易に浄化を促す。要するに、自責の念にかられる自分に酔い、そのあと、宿酔もなくすっきりしてしまうことがよくある。

書店で、文庫化された『趣味は読書。』(2003、斎藤美奈子、ちくま文芸文庫、2007)を見つけた。単行本で読んでいるので、各章に加筆された部分と文庫へのあとがきだけを拾い読み。

斎藤は、とくに男性の回想的な文章にみられる自責の念が自己陶酔にすりかわった文章を厳しく指弾する。つねに被害者は、多くの場合は女性で何の救済もなく放置され、男性作家は自己陶酔と作家としての成功をやすやすと手に入れる。

先週の箱庭にあげた作品を、斎藤ならばどう読むだろう。そこにもまた男性的な自己陶酔が見出されるのだろうか。少なくとも私は、ベストセラーの泣かせる話と先週あげた作品には何か違いがあるように思う。それが何か、うまくは書けない。

謙虚さ、ということは一つのヒントかもしれない。いずれの作品もベストセラーになったわけではないし、作者も、成功者として語っているわけではない。

原武史の本について言えば、自己陶酔と謙虚さのバランスがどのあたりにあるのか、私には見極められないでいる。過去に引き込まれた作品とは異なるけれども、巷にあふれる成功者たちの「語り」とも違う。何とも煮え切らない読後感が残った。

写真は、浦富海岸に輝く太陽の道。


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