最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

体育館の窓

4/29/2017/SUN

100分de名著、三木清『人生論ノート』、岸見一郎、島津有理子、伊集院光、市川猿之助(朗読)、NHK Eテレ


100分de名著、三木清『人生論ノート』

古今東西の名著を25分ずつ4回でエッセンスを紹介する番組。

以前、道元『正法眼蔵』をひろさちやが案内する回を見たことがある。もともと大部な本のさわりをやさしく紹介してくれた。読みたいとは思いつつ、この本にはまだ手をつけられずにいる


『人生論ノート』は読んだことがある。どんなところに注目するのか、自分の読み方と違うのか、楽しみながら4回見た。執筆のきっかけがやむをえず大学を離れた三木に小林秀雄が依頼したとは知らなかった。思い出せば、『人生論ノート』以外の三木清の文章を読むきっかけを私にくれたのも小林秀雄だった。


番組で取り上げた章は「死」「怒」「虚栄」「嫉妬」「幸福」「人間の条件」「孤独」「成功」、そして「希望」。

番組は、自由な言論ができなかった大政翼賛時代を同調圧力が過剰な現代の日本社会に重ねているようだった。いま『人生論ノート』を読む意義を強調する構成は成功していたと思う。

「希望」が最後に取り上げられていたことは意外だった。雑誌連載よりも前に書かれ、出版の際に追加された「旅」と「個性」の印象が強く、感想文でも主に「個性」について書いた。番組は後で追加された2章は取り上げなかった。

手元にある文庫本を開くと「希望」の項では一行も蛍光ペンが引かれていない。感想を書いたとき、「希望」という言葉に私は懐疑的だったのかもしれない。

自分が書いた文章を読み返すと、2004年の時点ですでに「うつ」について書いていることに我ながら驚いた。発症した直接の原因は2006年の末、働いていた会社が倒産したことと、次に働いた会社で受けた諸々の精神的な苦痛と自分では思っていた。それよりも3年も前にすでに定期的にうつ状態になっていたとは自分でも忘れていた。

調べてみた限りでは、うつについて初めて書いたのは2007年の夏。この頃からうつに関する本読みはじめている

2006年には「希望」という言葉に関心を示すことはなく、むしろ「絶望」に近づいていた。


記憶に痕跡もない章を読んでみると、三木は「希望」の対極にある「絶望」についても書いていることに気づく。

   絶望において自己を捨てることができず、希望において自己を持つことができぬということ、それは近代の主観的人間にとって特徴的な状態である。

「絶望において自己を捨てることができず」という言葉を読んで、ふと、自死に向かう視野狭窄について春日武彦が書いた文を思い出した。

「自殺を決意したわたし」という精神モードは俗世間に対する超越性ゆえにどこか甘美なものがあるけれども、危険なのは、いつしか死ぬ度胸の有無といった問題にすり替わってしまいかねない性質を秘めていることだろう。それは精神が視野狭窄状態に入っていることであるし、人間は最後までおかしな自尊心に縛られ続ける存在であるという証左なのだろう。
春日武彦『「もう、うんざりだ!」 自暴自棄の精神病理』

「三木清は憂鬱を知らなかっただろうか」と、彼の生涯について何も知らなかった私は書いた。番組で、三木清が身近な人の死をいくつも経験していたことを知った。三木清の思索は、師である西田幾多郎と同じように「悲哀」の上に重ねられた。

「悲哀」とともに生きている人が、なぜ「希望」について語れるのか。三木は、死者と再会することが「最大の希望」とも書いている。岸見は、多くの死別体験のなかでも妻を失ったことが死について考える動機になっただろうと解説していた。『人生論ノート』は「死」の章で始まる。


余談。三木は死者が誰かを具体的に書いていない。そういう姿勢を謙虚と呼びたい。

研究者や評論家など、ふだん感情を排した冷静な文章を書いている人が個人的なことを書くと、だらしなく感情が緩んだ文章になってしまうことがある。

私小説は次元がまったく異なる。体験を突き詰めて表現する私小説は、身を切るような危険な芸術。その危険に挑む私小説家の強い勇気に気づかない人が「語る」とただのメロドラマにしかならない。


閑話休題。

「悲哀」の只中にいるはずの三木が「希望」について書いている。

   希望というものは生命の形成力以外の何物であるか。我々は生きている限り希望を持っているというのは、生きることが形成することであるためである。

「形成」は「創造」や「自分で物を作ること」などとも言い換えられている。彼の思想哲学、ではない)の根幹をなす概念と言ってもいいだろう。

これは私には書けない。

「悲哀」とともに生きていながら、なお希望の可能性を書けるところに三木清の強さを感じる。「大変明るいヒュウマニズムの思想」と小林秀雄が賞賛したこともうなづける。

私には、そのような強さはない。「希望」の章を通り過ぎてしまったのは、理由のないことではなかった。私の弱さのせいで三木清の強さに気づけなかった。

最終回で、岸見は始まりの「死」と締めくくりの「希望」をつないでみせた。彼の言葉には死線に近い病を乗り越え、喜んで孤独になる強さがあった。

三木や岸見のような強さを私は持てずにいる。この先もずっと、持てるようになるとは思えない。それでも彼らの言葉は、死の淵の一線を超えることなく踏みとどまるための「お守り」になるような気がする。