土を掘る 烏兎の庭 第三部
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8.19.06

西田幾多郎—没後六十年 永遠に読み返される哲学(KAWADE 道の手帖)、河出書房新社、2005

西田幾多郎の生命哲学—ベルクソン、ドゥルーズと響き合う思考、檜垣立哉、講談社現代新書、2005

三木清全集 第17巻 歴史的研究・小編、三木清、舛田啓三郎後記、岩波書店、1968


『三木清エッセンス』で師弟関係にあった三木清の随筆を読み、西田幾多郎に興味を持つようになった。これまで西田幾多郎にはまったく関心がなかった。「きたろう」なのか「いくたろう」なのかさえ、知らなかった。

思想には興味があっても、哲学にはほとんど興味がない。その違いを説明するのは難しい。考えごとは、哲学書よりは、絵本音楽からはじまることが多い。

思い返してみると、思想史という科目は受講したことはあっても、哲学という学問をきちんと学んだことがない。学んだとさえ言えないが、学生時代に、小阪修平『イラスト西洋哲学史』(ひさうちみきお絵、JICC出版局、1984)を手に取った記憶はある。中身は覚えていない

哲学書も読んだことがない。思想史の演習で課題として読んだ『ソクラテスの弁明』『君主論』『人間不平等起源論』『監獄の誕生』などは、いずれも哲学書というよりは、思想書。内容はそれほど体系的ではないし、認識や存在といった基本的な概念を問題にしているわけでもない。

文庫にもなっている『善の研究』を手に取ってはみたものの、やはり難しい。小説ならば、すこし古くても物語の魅力次第で読み進められるけれど、哲学書はそうもいかない。概説書や伝記から入ったほうがいいかもしれない。

図書館で、西田幾多郎のムックのような入門書を見つけた。このシリーズは、『丸山眞男』を手に取ったことがある。若い研究者のインタビューや対談、著作解題、年譜まであり、入門者にはありがたい。蛍光ペンを片手にゆっくりと読むために、この本は買うことにした。


以下、この本のなかから気づいたことを、これから原著を読むための覚書として書き残しておく。

こうして書き出してみると、西田幾多郎との接点は意外なことに少なくない。もちろん、共通点というほどではない。気になっている言葉や思索に用いる概念やモチーフなどが重なっている、わずかな接点にすぎない。


本書の寄稿者には、これまで名前も聞いたことのない人が多い。例外は、小泉義之檜垣立哉との対談では、西田を現代思想の文脈でとらえなおす意味を語っている。

檜垣の入門的な新書は、対談より詳しい分、哲学的な議論は少し難しい。理解できたのは、西田の哲学は日本だけのものではなく、世界的な思想史のなかで位置づけられ、しかも、現代の文脈でも有意義であること、それと、西田は、次々と考えを変えていったのではなく、一つのことをさまざまな角度から考え、表現したということ。檜垣は、西田の一貫性や全体の統一性を重視している。

入門書を読むと、全体像は何となくつかめるものの、いい意味で物足りない。もっと詳しく知りたくなる。檜垣は、意図して西田の伝記は最小限にとどめて、思索の果実に内在的に迫ろうとする。

私の興味は哲学にはない。とはいえ、偉人の伝記だけに興味があるというのでもない。私の興味は哲学と人間のあいだ、思想と呼ばれるところにある。一人の人間が、どのような姿勢で、どのように考え、どのように表現したか。

『永遠に読み返される哲学』のなかでも、目を引いたのは、西田の哲学そのものより、哲学する姿勢に着目した文章。なかでも田中小実昌「なやまない」は、小説と銘打たれているけれども、中身は西田幾多郎の人と思想をめぐるエッセイ。田中は、西田の思想を不幸な境遇に耐えきった結果とは見ない。「どうしようもなく、耐えられないまま」、次々と起こる出来事のただなかで生き続けた思索の過程と彼は見ている。


哲学と思想の違い。この問題は、西田幾多郎の場合、とくに見過ごせない。なぜなら、西田の哲学は文章こそ難解に見えても、体系的な統一性があるために、読んでしまえば哲学としては「わかった」気になれてしまうから。異様な文体が陶酔を呼び、読者に思考停止をもたらしているところもある。

高弟である田辺元は、「西田先生の教を仰ぐ」の冒頭で、この点、入門者に厳しく釘を刺している。

   西田先生の大著『一般者の自覚的体系』が、日本人の哲学的思索の高さと深さとを示す一の巨大なるモニュメントたることは今改めて言うを須たぬであろう。ほとんど超人的ともいうべき精力を以てねばりづよく自覚的体系の組織を考え、深きが上にも深きを求めて、愈々基礎を深化し、高きが上にも高きを追って幾度か加工に加工を重ね、遂に一のゴチック伽藍にも比すべき高遠の体系を建設せられた努力に対しては、私達はただ敬仰賛嘆するばかりである。その随所に鏤められた深き体験より迸出たる思想の珠玉は、消えざる数の光に輝いて居る。私達は唯感謝を以て此教に自己を養わなければならぬのである。
   併しながら先生の深き思想は、先生の如く深き思索生活の、長き努力に由ってのみ、完全に理解せられるものであろう。

哲学は、極端に言えば、文字さえ読むことができれば、「わかった」と言えるかもしれない。しかし思想はそうはいかない。三木清も、田辺とほぼ同じことを書いている。

私は西田哲学に東洋的なところ、日本的なところがあることを否定しない。けれどもそれは寧ろ先生がどこまでも自分自身で考え抜いて行かれた結果現れて来たものと見るべきであって、その結果を何等か従来の東洋思想で説明することは、日本の哲学を後へ戻すことになる恐れがある。(「西田哲学の性格について—問答に答える—」『三木清エッセンス』、内田弘編・解説、こぶし書房、2000)

三木清が西田について書いた文章は、学問的に批判をした田辺の文章とは異なり、弟子が垣間見た人間的な一面や、ユマニスト、あるいはモラリスト的とも呼ぶべき洞察に基づいた観察が多い。三木が西田について書くとき、彼は必ず、西田の思索の過程だけではなく、思索の湧き起こってくる深い闇について触れる。ここに注目した人は、新しい入門書にはいなかった。

先生はよく「デモーニッシュなもの」といふことを云はれる。これは先生において哲學上の單なる概念ではなくて深い體驗である。先生の魂の底にはデモーニッシュなものがあり、それが先生を絶えず思索に驅り立ててゐる力である。思索することが原罪であるといふことを先生は深く深く理解されてゐるのではないかと思ふ。先生の哲學はその闇を照し出さうとする努力であり、その闇の中から出てくる光である。その闇が深ければ深いほど、合理的なものに對する要求も烈しいであらう。先生の哲學は單なる非合理主義でないと同樣、單なる直觀主義でもない。それは飽くまでも合理的なもの、論理的なものに對する烈しい追求である。闇の中へ差し入る光は最も美しい。先生の哲學の魅力も、先生の人間的魅力も、この底知れぬ闇の中から來るのである。 (「西田先生のことども」(1941年8月、婦人公論)『三木清全集 第17巻 歴史的研究・小編』(舛田啓三郎後記、岩波書店、1968)

西田幾多郎にかぎらず、思想について考えるとき、一番気になるのは、この深い闇。そもそも、西田に関心をもったのも、三木清のこうした観察によるところが大きい。三木自身にも彼の文章を読んで深い闇を感じていたせいもある


ところで、『永遠に読み返される哲学』には、表紙をはじめ、何枚かの肖像写真と画が掲載されている。眺めていたら、つい最近『写真と書簡による島崎藤村伝 島崎藤村コレクション1』(伊東一夫・青木正美編、国書刊行会、1998)で見た、文豪の姿と重なった。

正座した和服姿の前に、小さな文机。髪は短く刈られ、眼光は鋭い。端正な和服姿を見るだけで、「日本」的なものが、彼らの日常生活から身体感覚にまで及んでいたことが伺われる。三木清も、和服で教壇に立った西田の姿を書きとめている。

そういう人たちが、ヨーロッパから取り寄せた書物をどのような気持ちで読んだのか、実感することはできないけれども、少なくとも、洋服と椅子の生活を当前に思う現代の「日本人」とはずいぶん違ったものだったことは想像できる。同じ種類の人間と思うより、違う種類の人間と思い、違和感を出発点にして近づいていったほうが、理解はかえって近いかもしれない。

西田幾多郎は、明治の初めに生まれ、第二次大戦終結直前に亡くなった。生年からみると夏目漱石に近い。本格的な活動開始の時期や没年から見ると島崎藤村に近い。漱石が博士号を拒絶し、明治の終わりに失望と苦悩を深めていった頃、西田は著作を公刊し、大学教授となり、博士になった。西田には留学経験がないし、学士号さえ持っていなかった。西田には、漱石と対照的なことが多い

古い時代との対決、体制からの逸脱、新しい表現方法の追求、父親との葛藤、相次ぐ家族の死。そういうところでは、藤村とのあいだに共通点がある。深い闇から生の秘密をのぞき返したという点でも、つまり、一人は哲学者で、もう一人は文学者でも、西田と藤村には共通するものがある。

ここまで書いたことは準備にもなるし、先入観にもなる。地図ばかり見ていても、旅したことにはならない。ともかく、西田自身の文章を読みはじめることにする


さくいん:西田幾多郎



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