最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

外濠

10/22/2017/SUN

絶対矛盾的自己同一(1939)、自覚について(1943)、西田幾多郎、西田幾多郎哲学論集Ⅲ、岩波文庫、1989


予防線。

これから書くのは研究ではない。研究のためのメモですらない。パラパラとページを繰りながら思った感想。それ以上の何ものでもない。

西田幾多郎に関心はあっても、これまではもっぱら随筆や書簡を読んできた。

本格的な思索を読んだものは、『善の研究』と講演集『語る西田哲学』。昭和初めに書かれた後期の哲学論文は初めて読んだ。


まず形式的なこと。ほとんど引用がない。ほかの哲学者の名前もわずかしかない。要するに、他人の言葉に頼らない。自分の言葉だけで思索を深めていく。一文ずつが重い。読み手を引き込むようなリズムもない。読んでいると、ぬかるんだ山道を登っているような気になる。

それでも読み続けると、いつしか鬱蒼とした森のなかで一筋の光を目指して歩いているような気になる。これが西田哲学というものか。

自分の考えを客観的に表現するためには、ここまで愚直に延々と書き綴らなければならないのか。それでも解釈の違いが生まれるのだから哲学はやはり難しい。

『善の研究』でもくどいほど使われていた「でなければならない」、は本書でも多用されている。ただし、この言葉は「のはず」「ということ」程度に受け取ればいいと思う

延々と続く同じような表現には正直なところ閉口した。とはいえ、論述の展開そのものはわかりづらいものではない。むしろ同じ時期に書かれた小林秀雄「無常について」の方がよほどわかりにくい。

本当に書きたいことでも、わかりにくく書かなければならない時代。そういう時代に書かれたという背景は重要に思われる。岸見一郎に教えられた


「絶対矛盾的自己同一」という言葉には面食らう。初めは何を言いたいのか、分からなかった。人間は多であり同時に一である、という表現にも戸惑った。確かに多と一が同時に存在するなら矛盾する。

何度も繰り返される「多と一」につまずきながら、ふと中井久夫の言葉を思い出した。

われわれが自分をどうみるか、それには二つの面があります。ひとつは“one of them”(大勢の中のひとり)としての自分であり(中略)、もうひとつは、世界の中心としての自分です。(中略)一般の精神医学者はどちらかというと「one of themとしての自分」を重視しているようですが、私は、同時に「世界の中心としての自分」とのつり合いがとれていることが精神的に健康である一つの基礎条件と考えています。この「つり合いをとる」ということには微妙な困難さがあります。(「思春期における精神病および類似状態」(1979)『「思春期を考える」ことについて』、ちくま学芸文庫、2011

「大勢の中のひとり」と「かけがえのないひとり」とは確かに矛盾する。二つの「つり合い」を取ることで人は心の健康を保ちながら生きることができる。中井はそう考えている。


西田は「多と一」という矛盾を積極的に「自覚」することから表現や創造が生まれると考える、ように読める。あるいは直感的な行為が道徳的になる、とも言っている、ように見える。

表現、創造、制作、直感的行為というとかなり大げさに聞こえる。ただし、西田が「自覚」を促す場所は「日常」であることを忘れてはいけない。哲学は特別な場所や地位にはない。

我々の最も平凡な日常の生活が何であるかを最も深く掴むことに依って最も深い哲学が生れるのである。(「歴史的身体」『語る西田哲学』

医師である中井が目指すことも病人が日常生活を取り戻すこと

「つり合い」と「自覚」。そこには何か通じるものがあるように思えてならない。


全体として好意と肯定感をもちながら、そうであるからこそ、難渋な文章を読みするめることができた。それでも、気になるところがないわけではない。

我々が我々の社会の根底に、一者の自己表現を見る時、それが国家であるのである。(「自覚について」、三)

この一文はどう受け止めればよいのだろう。直感的行為を行うのは国家という場において、というのだろうか。私が読んだかぎり、国家という言葉が登場するのはここだけで、法や政治という言葉も使われていない。つまり、あれほど厳密に語彙を概念化して論じる西田が、定義もしないまま論述に使うのは考えられない。少なくとも論述の主軸を支える言葉ではない。

この一文だけをもって、西田の思想は国家主義思想とか、西田哲学の限界などと難じることはできないと思う。

大戦中の時勢に配慮したのか。それもあるかもしれない。また、当時は個人が活躍する場は現代のように直接世界につながっている機会は少なかったという時代背景もある。

確かに直感的行為を通じて歴史を創る舞台として国家を例として挙げている。ただし、国家によって人が作られるという言い方はしていない。むしろ、「多と一」というとき、西田は常に一者を優先する。

一人一人の自覚が多として生きる場所を創るのであり、その逆ではない。


直感的行為をする場所が国家に限定されていないことに加えて、その内容についても西田は余計なことは言わない。この点も重要に思われる。

道徳という言葉は頻繁に使われている。直感的行為は道徳的でなければならない(そうであるはず)とも言う。その先、道徳の内容は語られない。何かに従わなければならないとか、歴史的必然とみなされる階級闘争に参加しなければならないとか、道徳という言葉はそういう意味では使われない。

あえて西田が用いていない言葉で言い換えるとすれば「良心」(conscience)という語が近いのではないか。どこまでも自覚により、自己の内面を深く繰り返し反省することからしか道徳的な直感的行為は生まれない。外から与えられる者では決してない。

戦中期の西田の文章を採り上げて、全体主義を全面的に肯定したとは言えないまでも消極的には支持していたと考える人もいるだろう。小林俊明『西田幾多郎の憂鬱』もそうだった。もっとも、近著『夏目漱石と西田幾多郎』では批判的な論調はかなり和らいでいる。

そもそも明にも暗にも「政治哲学」を標榜していない「純粋哲学」の論文から政治的意図を引き出す読み方は自分勝手なものになりやすい。


哲学を体系的に学んだことがない私がどこまで西田の論文を理解できたのか、わからない。研究ではなく、いつもどおりの読書として読み終えた感想を一言で言えば、西田の後期論文は「希望に溢れている」。

世界から自己が生まれる。世界が自己を作る。作られた自己が世界を創る。世界のなかに、歴史のなかに自己がいる。自己がなければ世界はない。世界と歴史とを創り出す役割は自覚に任せられている。そして、その行い、生きた事実は「歴史的事実として、永遠の意味を有つ」。

使われている語彙にも希望が感じられる。

生への意志、自己が世界の一要素となる、表現する、制作する、ポイエシス、歴史は自由の舞台を辿る⋯⋯⋯。

哲学の書がこれほど感情へ訴える言葉を用いるとは非常な驚きだった。

1943年に書かれたことを考えると、「希望について」思いきり書いた三木清『人生論ノート』と共鳴するものを感じる。

言うまでもなく、西田と三木は師弟関係にあり、三木は終戦前、逮捕され、釈放されることなく獄死した。

あの時代に多に対する個の優位性を唱え、個々の自覚が世界と歴史を創ると明言した勇気に感嘆せずにはいられない。


一度、崩壊した「日常」を、ようやく私は取り戻しつつある。「自分がいなければ世界に意味はない」と思える時間はまだ長くは続かない。

「つり合い」も「自覚」もない。以前、「絶対矛盾的自己疎外」と書いたことがある。世界の一部である気もしないし、世界を創っているという感覚もない。

私がいなくても世界は続くだろう

そんな風に思うとき、波に流されないようにしがみつく藁をまた一本見つけた。見つけた藁や葦を束にして『庭』のそばを流れる川の岸辺に植えておく。


さくいん:西田幾多郎中井久夫