土を掘る 烏兎の庭 第三部
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6.30.06

徴候・記憶・外傷(sign, memory, trauma)、中井久夫、みすず書房、2004


徴候・記憶・外傷

痛みはその生に固有なものである。
——石原吉郎「痛み」(1975、『石原吉郎詩文集』、講談社文芸文庫、2005)

トラウマという言葉は知っていたものの、自分の思索のなかで使うことはなかった。むしろそれを避けてきたと言っていい。精神医学と、それを担う医療関係者にたいする根強い不信感が私にはある。そのせいで、私には基本的な知識さえ欠けていた。精神医学と精神分析と心理学の違いすらわかっていなかった。

日常会話に流布していることに気づいてはいても、似た状態を示すためにこの言葉は使うことはなかった。2003年にも、2004年にも使っていない。ところが、2005年の冬には使っている

その頃からだろうか、トラウマという言葉をきちんと知りたいと思いはじめて、ネットでも調べるようになった。そんなときに図書館の新刊棚で、『トラウマを乗りこえるためのセルフヘルプ・ガイド』(Revivre aprés un choc, 2001, Aurore Sabouraud-Séguin、白川美也子監修、山本知子訳、河出書房新社、2006)を見つけた。

この本はトラウマやPTSDと呼ばれる概念の歴史、定義、症状、さらに、回復の過程まで、わかりやすく説明してくれる。ただ、想定している読者はトラウマから回復する人なので、内容は概説的で実践的。それはそれでありがたい。でも、もうすこし詳しい知識が欲しい。

そんな時図書館で、これまで歩いたことのない精神医学の棚に中井久夫の名前を見つけた。彼の名前は鷲田清一『「聴く」ことの力』で読んでいた。感想に名前を引いておきながら、それ以上関心をもつことはなかった。

なぜその時、名前を知った中井久夫の著書を手に取ろうとしなかったか、不思議に思う一方で、いま彼の本を読むことは、これまでの読書の流れから導かれる必然の結果であるようにも思う

本書は書名が示すとおり、トラウマに関する考察の集成。医学にとどまらない豊富な知識に圧倒されながら、鋭く、それでいて温かみのある人間観に裏づけられた味わい深い文章に門外漢も次第に引き込まれていった。


わけのわからない痛みに頭を悩ませるよりは痛みは多少増すかもしれないにしても痛む場所を知ったほうがいい。本書を読んだ率直な感想。

トラウマという言葉を避けていた理由は、それはすでに使い古され、擦り切れているように感じていたから。中井によれば、トラウマという言葉がいまの用法で使われるようになったのは、第一次大戦の後。アメリカではベトナム戦争後、日本では1995年の阪神大震災を契機に、人口に膾炙するようになったという

普及してようやく十年程度しか経たないトラウマという言葉を、私は通俗心理学の用語くらいにしか思っていなかった。PTSDという言葉も同様に、どこか胡散臭く感じていた。専門家の外側では言葉は花のようにはかない。咲いたかと思うと瞬く間に枯れている。


本書を読んでみると、トラウマという言葉には、人間存在の基底までかかわる深さがあることがわかる。ここから先、気になったことをまとめながらトラウマについて考えなおしてみる。

辛い出来事があったから、時間が経ってもそれを思い出す。通俗俗流心理学の用語にはそんな平板で単純な意味しかない。中井によれば、トラウマはもっと複雑なもの。

   外傷性障害の成立のためには、外傷は必要条件であろうが、むろん充分条件ではなく、当人の生理的・心理的育成史的、社会環境的な無数の要因が働き、そしてそれらすべてが時とともに変化するという複雑な連立方程式をなしているはずである。(「あとがき」)

それではトラウマとはいったいどういうものか。本書から得た知見を手がかりに、私自身の観察と考察を加えて、私なりの連立方程式を立ててみる。思い切って単純化してみても、トラウマには、すくなくとも四つの出来事が関わっている。

1.下地。エッチングの技法で、あらかじめ版下を引っかいていおくように、心の素地をざらざらにする出来事。環境的な要因や継続的な状況。これ自体は傷ではない。むしろ記憶の襞といったほうがいい。中井は索引という言葉をあてる。下地に新しい出来事が降り注いでいく。索引に、参照先が増える。襞の形によって、何が記憶されるか変わる。それが積み重なり記憶の地層となる。積み重なった文様を、個性と呼ぶ人もいる。

2.衝撃、あるいは断層。ざらついた素地に積もった記憶をかきむしる出来事。素地がむき出しになる。衝撃を抑えるため精神は緊張し、身体は硬直する。他のことを考える余裕がなくなる分、目の前の課題には集中的に取り組む。だから表面的にはこの時期、生真面目だったり努力家だったりして、世間の目からは優秀で有益な人間と映ることもある。こうして感情は押さえ込まれ発露は遅延される。この期間に再び衝撃が加えられると、表面的には何も感じていないように見えても、衝撃はさらに奥深くまで伝わる。

3.弛緩。外傷をもたらす状況が終了し、ある時間が経過すると、緊張が解けてくる。あるいは、真面目に集中して何かに取り組んだ結果、世俗的な成功を果たして、経済的・精神的・時間的な余裕を確保する。成功した経営者や政治家、芸術家などが晩年になって小さいころの悲惨な体験を語りだすことはよくある。事態に距離を置くと、はっきり見えてくる。衝撃に反応した硬直はそう長く続かない。長く続き過ぎるようなことがあれば、外傷ではすまなくなり人格全体が破綻する。中井が引くフロイトの言葉を借りれば、外傷神経症ではなく、人格神経症に陥る。

4.一撃、またはトリガー。弛緩した、やわらかい状態に突き刺す一撃。必ずしも強い衝撃と限らない。日常生活のありふれた出来事が、梃子のように衝撃に働きかけて記憶の地層全体を転覆する。記憶は混乱する。ある程度層をなしていた記憶は、衝撃を亀裂にして入り混じる。直接知覚されるのは、意外にも下地のほうであったりする。衝撃の記憶だけではなく、衝撃以前の出来事が断片的に甦る。この記憶の地層に走る亀裂が心的外傷、トラウマと呼ばれる。

そして、その亀裂が、日々の生活のなかで受ける小さな衝撃を受けて活断層となり、精神と身体の全体を震動させることから痛みが生じる。

災害にあったたくさんの人の中でもそれぞれ症状が違うことからも、トラウマが複雑な連立方程式であることがわかる。トラウマ症状の有無は、人間の強さ弱さを示すのではなく、個人個人の環境や性質が異なることを示している。

そこに治療の難しさもあるのだろう。どこを対象に治療するのかという点からして簡単ではない。下地のざらつきを箒で掃いてしまうようなことはできない。それは個性の土壌だから。そうかといって、日常のさまざまな起伏から逃げまわってもいられない。忘れるだけでは、断層はそのまま。地震がいつ起きて崩れるか、わからないから。


たぶん、精神医学に対する私の不信感の一つは説明という点にある。ある人がある症状に苦しんでいる。精神医学は、同じような症状をもつ人にある共通性に目をつけて症状を説明し、病名を告げる。この説明と病名が、実はトラウマ患者にとっては受け容れ難い。

説明と病名はこういうことは他の人にも起きていることと患者に教える。「苦しんでいるのはお前だけではない」。ところが、トラウマをもっている人にとっては、トラウマこそその人固有の体験であり、本来、説明できないもの。それを他人に鮮やかに説明されてしまうことは、自分に固有性がないものとして扱われているように同じに感じられてしまう。

多くの人に共通するように見える症状も、本人にしてみれば、自分なりに精一杯試行錯誤の末に下した苦渋の選択かもしれない。それを当然の反応と結論されると、個人としての思考や判断に意味がないように思う。

トラウマをもつ人は、自分は人間として異常かもしれないという不安を持ちながら、そういう不安をもたらした経験が自分を自分たらしめているとも思い込んでいる。そこでは、普遍性の危機と固有性の根拠が同じところに根を下ろしている。

健康な人のなかでは、普遍性と固有性が安定している。人類の一人でありながら、他人とは違う何者か、”自分”であることが同時に肯定されている。超健康な人の中では固有性の肯定が普遍性を凌駕してしまうのだろう。そこから、たとえば、選民思想などが生れる。

芸術家は自分の存在が世界で唯一無二であるという思いが“適度に”強く、その唯一無二の感性を表現に変えられる人、と言えるかもしれない。


余談めいた追記2015年2月28日

別の文章で、上に書いたことと似たことを中井が書いているところを見つけた。

われわれが自分をどうみるか、それには二つの面があります。ひとつは“one of them”(大勢の中のひとり)としての自分であり(中略)、もうひとつは、世界の中心としての自分です。(中略)一般の精神医学者はどちらかというと「one of themとしての自分」を重視しているようですが、私は、同時に「世界の中心としての自分」とのつり合いがとれていることが精神的に健康である一つの基礎条件と考えています。この「つり合いをとる」ということには微妙な困難さがあります。
(「思春期における精神病および類似状態」(1979)『「思春期を考える」ことについて』、ちくま学芸文庫、2011

自分の読み方が間違ってはいなかったようで安心した。


トラウマは意識されない。意識して盛んに語るのは、トラウマではない。自分は外傷患者ではないと思いたがることが外傷患者の大きな特徴。一言で言えば、トラウマは「語りえないもの」。

   外傷的事態は、しばしば「語りえないものをあえて語る」ために、ストーリーは、一般に、現像中の写真のように、もやもやとしたものが少しずつ形をとってくることが多い。(「トラウマとその治療経験——外傷性障害私見」)

もやもやとしたものを言葉で物語に仕立て納得することが外傷の治療。従来の精神医学はそう考えていた。ところが中井は、そうは考えていない。このあたりに臨床科医でありながら、「健常」と「回復」を絶対視しない、懐の広さを感じる。言葉を換えれば、中井が目指すのは「何とか暮らしていけること」、医学で言うところの「寛解」であり「完治」ではない

   敢えて言えば、言語的な語りとして自己史を統一することは絶対的に必要ではなく、また必ずしも有益でもない。むしろメタ記憶の総体の連続感をほぼ満足できる程度に維持する、あるいは修復することが現実的な目標であり、ある意味ではより高次な目標ではないだろうか。(「発達的記憶論」)

語りえないものは語りえないままであっても構わない。ただ、日常生活や精神状態を脅かすことがないように手なづけておけばいい

こういう考え方は、トラウマを自分自身の拠りどころと考えている人には受け容れやすいだろう。同時に、こうした考え方は、そもそも外傷は治さなければいけない「傷」という考え方からははみ出していく。


中井によれば、心的外傷は病理的な症状を示すものであっても本質的には生理的現象。つまり、問題は症状の有無ではなく程度にある。だからそれを解消してしまうことは、かえって人間性に反する。

   外傷性関連障害の症状は薬があまり効きません。統合失調症の症状が消えても残ります。二つの出所は別個なのでしょう。もっとも、記憶がそうそう薬で消えないところに人間の尊厳があると私は思います。(「外傷神経症の発生とその治療の試み」)

確かに悲惨な出来事はトラウマを作るけれど、記憶の地層が作られるメカニズムは日々また年々、同じように繰り返されている。朝刊で読んだ記事が昼食の話題になり夕食の材料になることもあるし、幼い頃にしていた楽器やスポーツを、大人になってふとしたきっかけで思い出して、新たな気持ちで再開することもある。

傷ではないにしても、心にひっかかっていた何かが呼び起こされ、新しい経験を生み出すことは、けっして珍しいことではない。


トラウマをもつと、その出来事に関連する物や場所を避けるようになる。ところが、場所の回避行動は、一番最後まで残るのに一番自覚が少ないとも書かれている。これはなぜか。場所を回避せず、それどころか意識せずともそこへ足を向けてしまうことさえあるのは、ある種の精神的な自傷行為ではないだろうか。

記憶のよみがえり、いわゆる「フラッシュバック」は五感のどれか一つに触れる些細なことでも引き起こされる。場所は五感全てに関わる。つまり、場所はトラウマの記憶ではなく、トラウマの体験そのもの、そのときの自分そのものを蘇らせる。

自傷とは傷つけることで自分の存在を確かめる行為と聞いたことがある。トラウマをもつ人は、その出来事は、自分を傷つけたと同時に自分を形作る土台になったと思っている。だから、前回よりも大きな危機を感じたとき、自分の存在を確かめるために敢えてトラウマを経験した場所を訪ねてしまうのかもしれない。

それは、危険なことかもしれない。でもその人が存在を確かなものにするためには、必要な、少なくとも時を選べば有効なものかもしれない。

その時と、誰と行くかによって、治癒の助けとなるか、かさぶたをむしることになるかが変わってくる。


トラウマは個性や自尊心の根拠、いわゆるアイデンティティを構成する。中井はそれを肯定するだけでなく、さらにトラウマは人間性の根幹に関わるとまで言う。

   ある種の心的外傷は「良心」あるいは「超自我」に通じる地下通路を持つのであるまいか。阪神・淡路大震災の被害者への共感は、過去の震災、戦災の経験者に著しく、トラウマは「共感」「同情」の成長の原点となる面をも持つということができまいか。(「トラウマとその治療経験——外傷性障害私見」)

確かに、そういう一面はあるかもしれない。倫理的な判断力をもっているから、見聞きしたある出来事が許せないものと感じるのだろう。とすれば、トラウマにとって回復という言葉は忘却と同じではないし、まして、どんな出来事にも何も感じない石のような心になることではない。


痛みと良心というと、手塚治虫『ブラック・ジャック』に思い出す一話がある。「第204話 消え去った音」(新書17、文庫14、1978)。航空騒音に苦しむ男は自傷行為を繰り返す。それを止めるために、B・Jは大きな音には反応しない鼓膜をつけてやる。ところが男は、自分だけが騒音に反応しないでいることに困惑する。一方、空港側はすべての住民に「感じない鼓膜」をつけることを画策する。結局、男は、公害と苦痛をほかの住民と共有するため、痛む鼓膜をつけなおしてもらう。

痛みを通じて自分の存在を確かめ、良心のありかを確かめようとするこの男が選んだ道も、精神的な自傷行為、痛みを喜んで引き受けるという意味では、一種のマゾヒズムと言える。

「聞こえない鼓膜」「感じない心」をつけさせようとする人は少なくない。しかし、感じないようになることは問題の解決にならない。痛みは、ほんとうの解決を模索する動機付けになることも、この話からわかる。

トラウマにとって、弛緩という時を経ていることも重要。ともかく苦しい状況は過ぎ去り、生きのびている。冷静に考えれば、それだけで十分に幸せなこと。それを肯定することから始めなければ、内巻きの螺旋階段を転がり落ちつづけることになる。


トラウマと良心は地下水路でつながっていると指摘する一方、中井は、トラウマからの回復は、その出来事についての記憶が「一つの挿話」になり、「しばしば無意味で退屈なもの」になることとも言う(「トラウマとその治療経験——外傷性障害私見」)。これは矛盾していないか

記憶が退屈なものになってしまったら、痛みにより刺激されていた良心の働きもなくなる。もちろん、その刺激が強すぎれば日常生活も脅かされる。騒音のなかに戻った男は、同じことを繰り返さないためには、痛みに耐え、怒りを燃やし、なおかつ、自分を守る必要がある。

どのようにして、忘れることなく、そうかといって自分を見失うようなことを避けながら、ふだんの暮らしぶりを守り、良心にまでつながっているかもしれない自分らしさを大切にできるか。

「傷を恐れてはいけない」
「傷に支配されてはいけない」
「傷を育てていくこと」

裏庭の奥に住む魔女の言葉を思い出すはじまりは、もう一度ここから。

それにしても、傷を育てるとは少し奇妙な言い方。確かに背丈を測った「柱のキズ」という言葉はあるけれど、この場合、育つのは傷ではない。

索引の重要項目で、心の地層を支えている部分でもあり、良心ともつながっていて、忘れ去るのではなく、育てていかなければならないもの。その道筋は、痛みを伴わない記憶と重なる部分も少なくない。

そういうものは、傷という、治したり消えていくことを期待する言葉では表わしきれないのではないか。とりわけ成人前の出来事は、あとで刻まれた傷という呼び名よりも、最初からあるものなのだから、原型、もしくは思想史の術語を借りて古層という名前のほうが実感に近い気がする。

人を苦しめる病的な状態を対象にする医学の世界ではともかく、日常ではもう少し穏やかな言葉がほしい。

例えば、種という言葉はどうだろう。心の底に知らない間に埋め込まれた種子。この比喩ならば、芽を出すときの苦しみや花を咲かせるまでに育てる苦労も込められる。芽を出す種もあれば、土深く眠ったままの種もある。

種によっては、甘い実にもなれば、毒の花にもなる。どう育つかは、水の遣り方と土の手入れ次第。

ある一つの光景が、頭のなかに種を残していった。そして、ときおり私を暗黒と静寂に招き入れる。

そう歌っていたのは、Simon & Garfunkel, “Sound of Silence”

種という言葉は、心は庭という喩えにも似合う。


中井の文章には独特のリズムがある。短い文で具体的な事例を重ねた後、少し長い文で抽象論をまとめる。また、ときおり本筋から離れて箴言めいた一文を差し込む。

これまでの読書では、松田道雄岡本夏木にどこか共通点を感じる。

三人に共通するのはまず医学。年齢をみると松田と岡本のあいだに20年の差があり、さらに中井は10年若い。30年の差はあるものの、1934年生まれの中井は戦前の教育を受けているので、言葉づかいに何らか共通点があるかもしれない。1934年生れは終戦の年に11歳。戦前、戦争の体験をいわゆる成人型記憶にできたのは、ここまでではないか。周囲を見ていて、そう思うことがある。

ほかにも、先進国、大国以外の外国語の知識という共通点がある。中井はギリシア語、オランダ語、松田はロシア語、そして岡本はインドネシア語。これは彼らに共通する反骨精神や小さい者、弱い者たちへの温かい眼差しに影響を与えているのではないだろうか。

もう一つ、彼らの共通点は関西人であること。いわゆる標準語で書いてはいても、緩急巧みなリズムには関西弁も何か関係しているような気がする。この点は、医者ではない鷲田清一や、東京から移り住んだ鶴見俊輔にも感じられる。

中井のトラウマ理論を読んでいてありがたいのは、トラウマやその症状を「悪」とみなしていないこと。トラウマは本質的には病理でないにしても、病的な症状を現わす。つまり、トラウマをもつ人はさまざまな症状に困っている。

ところが、トラウマを俗流に振り回す人、とりわけ人文科学の世界でこの言葉を流用する人のなかには、トラウマや、その症状を本人の弱さのようにとらえて責め立てる人もいる。重い病気を抱えている人は、その名前を聞くだけで重苦しい気持ちになるもの。

それに気づかず、人を苦しめている言葉を嬉々として振り回して、何かを説明した気になっているようなデリカシーのない文章も見かける。

たとえば、解離。解離は、直視できない痛みからの一時的な退避であり、それをもたらした現実そのものからの逃避ではない。

   解離もおそらく、元来は病理的というよりも生理的機構であろう。(中略)レイプの際に解離を起こすことも、その場の生命を救うためには合目的的であり、「ひとごと」として済ますことは当面の苦痛をいくらか耐えやすくする。ただ、当面のための配慮しかしないのは、生命的なものの限界である。意識と記憶を持つ人間ゆえの苦しみが後に残る。(「あとがき」)

現実から逃れられないという恐怖感と、おそらくはそれに立ち向かわなければならないという正義感があるからこそ、解離は起こる。たとえ、行動としては現実逃避に見えたとしても、解離を起こしている人に向かって、現実逃避をするなと言ったところで何の解決にもならない。必要なのは、当面の配慮のあとに残る苦悩を取り除くことだろう。


精神医学の言葉はとくに慎重に扱わなければいけない。病気で困っている人を傷つけないように、それでいて病気の人を特別な存在にしないように。彼らはただ、生理的な反応が「正常」と呼ばれている人よりも激しく、鋭いだけなのかもしれないのだから

また人文科学では、まだ言語化に過剰なこだわりがある。中井は「長期的には「語るべきか、語らざるべきか」というのは、なお一義的な答えを出せない問題だと思います。」と述べ、トラウマ体験を言語化することを絶対視していない(「外傷神経症の発生とその治療の試み」)。加えて、「秘密を宝物のように大切にしなさい」という土居健郎の言葉も引かれている(「トラウマとその治療経験——外傷性障害私見」)。

社会科学、とくに法律の世界では、言葉で語らない者は、「権利の上に眠る者」と言われて、法の保護の外に放置されることもある

言葉は、人文・社会科学にとって、音楽にとっての音のように無いことの考えられない道具。

中井や土居の提起する「語らないでいること」は、人文・社会科学の標榜してきた言語化の原則とどう折り合いがつけられるのだろうか。

「語りえぬものについては沈黙せねばならない」という断章で、すべてを解決できるわけではない。その先にきっと何かがある


さくいん:中井久夫『ブラック・ジャック』サイモン&ガーファンクル



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