烏兎の庭 第一部
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9.27.02

法の政治学-法と正義とフェミニズム、岡野八代、青土社、2002


あとがきで著者は、政治学と政治思想は、フェミニズムからの批判的再構築が遅れている分野と指摘しているが、再構築などそもそも可能なのだろうか。

政治学と、著者が標的としている法学は、個人的契機を極力排除し、「アルキメデス的客観性」を常に標榜してきたようにみえる。諸個人の複合的なアイデンティティを無視して国民や市民という固定した範疇にくくり、そのうえ鳥瞰的に世界を見下ろして、その全体を構想しようという政治学は、根本的に男性性的な野心に基づくものなのではないだろうか。

その一方で、政治学はその発祥において、哲学と不可分であったことも確か。そこでは、一人の人間が生きるということは、社会の中で生きて、ほかの人々も住む社会に働きかけることが思索の出発点になっていた。

哲学ではなく政治思想を専攻分野としているのも、著者にそうした「思想」に対する思い入れがあるからではないか。個人的契機に基づく政治思想を構想するために、自らの体験を分析する著者の手法は、表現の仕方においても挑戦的で、政治学の専門書としては本書をかなり異色にしている。

理論的視座を据える第一章は難解ではあるものの、その先の本論は学術書とは思えない強い力で引き込んでいく。


地球上にさまざまな気候の場所があるように、人の一生にもさまざまな気候がある。一生をからっと晴れた空の下で生きる人もあれば、冬には陽射しの少ないところで生きる人もいれば、曇り空をいつも見上げて暮らしている人もいるかもしれない。

とはいえ、人生における気候は、幸不幸を決めるわけではない。厳しい気候の土地で生まれただけで不幸なわけではないように。しかし、政治学をはじめ社会科学は主体的な市民にしても客体的な国民にしても、一人一人の人間それぞれがもつ多種多様な人生のあり方を受け止めきれないような気がこれまでしていた。

著者はあえて個人の内面的な経験をきっかけにした政治学を構想しようとしている。その試みが現在の政治学に対する、フェミニズムからの批判的再構築にもなっている。本書は政治学の原点に立ち返り、政治学をも再構築しようとも試みようという壮大な構想の第一歩となるだろう。

世界を鳥瞰するという意味では、「一人一人の生き方」から最もかけはなれたアルキメデス的視点に君臨する国際政治学や国際関係論に対する批判と再構築の試みもやがて登場するだろう


本書は従軍慰安婦問題を主題としつつ、居留外国人にまで視野を広げている。リーガリズムの埒外に置かれ、矯正的正義の保護を受けられない人はまだいる。過労死した人の家族、交通事故や犯罪の被害者、外国政府に拉致された人たちの家族、そしてハンセン病患者の人々……。

ちょっと新聞を見るだけでも応答を待つ声なき声はあふれている。聞こえない人にはまったく聞こえていないし、聞こうとしない人は、Phil Collinsが“Another Day in Paraise”で歌っているように、聞こえない振りをしつづける。

そうして、いつも同じ人ばかりが心を痛めているような気がする。



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