祖国のために死ぬ自由 徴兵拒否の日系アメリカ人たち、(Free to Die for Their Country: The Story of the Japanese American Draft Resisters in World War II, 2001)、Eric L. Muller、飯野正子監訳、飯野朋美、小澤智子、北脇実千代、長谷川寿美訳、刀水書房、2004


移民帰化という言葉に以前から関心がある。とくに日系アメリカ人の歴史は、アレン・セイの作品を通じて、絵本という私のほかの関心事とも重なっている。昨年は出張のあいまにサンノゼの日本町を訪ねた。

図書館の新刊棚で見つけた本書。扱われている問題は複雑で、そのうえ多様な分析がされているためいっそう主題は難しいものに感じられる。にもかかわらず巧みな筆致のおかげで読みはじめると止まらない歴史読物になっている。

あるときは法廷ドラマ、あるときは刑務所を舞台にした人間ドラマ、そして、第二次大戦を越えて続く日系人の歴史を見渡す歴史ドラマ。借りた翌日、腹痛で寝込んでいたのだけれど、結局、一日かけて終わりまで読みふけることになった。

面白さに引き込まれ本の中身について考えることは読んでいるあいだできなかった。以下、本書の多面性と読後に考えた多様な問題について整理しておく。


1 人権の問題

本書で直接扱われている問題は、日系アメリカ人に対して行われた徴兵とそれに対する拒絶。まず、ある人々を強制収容したことは、何より人権上大きな問題。しかも彼らの大部分は米国で生まれ法律上米国民であるにも関わらず、米国市民以外(当時、一世は市民権を取得できなかった)から生まれたという理由で市民権を奪われた。市民権を奪われているような状態にあるのに、日系二世はその後政府の方針変更により、今度は市民の義務として徴兵の対象になった。

多くの二世は合衆国市民であることを証明するため徴兵に応じて、政府と日系社会の期待にこたえた。人権の問題は、一時的に棚上げされた。しかしここで、はじめの政府の横暴に対して公然と抵抗する人々がいた。市民権が奪われているのに、義務だけを要求されることを彼らは拒絶した。

彼らは日本人の美徳である「ガマン」ではなく、権利のための闘争を選んだ。彼らの闘争も敗北も、戦後の失意もこれまでほとんど語られることはなかった。日系社会は抵抗よりも忍耐を通じた同化を選んできたからと著者は分析している。


2 法律の問題

徴兵拒否者の多くは有罪の判決を受けて終戦後まで刑に服した。彼らは刑罰だけでなく、合衆国市民であることを証明する機会から逃げた裏切り者として日系社会からも厳しい視線を受けた。

どの裁判も強制収容の合憲性を問わずに、徴兵忌避だけを問題にした。、ある一人の判事だけは政府の二重拘束的な政策について「良心に堪えかねる」と徴兵忌避の起訴を棄却した。

著者はこの判事に敬意を表わしながらも、諸手をあげては礼賛しない。著者のような法律の専門家からみると、「良心」だけを基礎とする判決は法的に脆弱であるから。

法は実定法や判例など、きわめて実務的な問題を含んでいる。「良心」や「正義」はそれらを支える精神ではあっても、実務を無視して突き進むことも法の考えには合わない。精神をどのように実務に反映させるかが法律家の腕のみせどころ、ということになるらしい。

一連の法令や裁判に関する叙述は専門的で難しいけれど、人権の根幹に関わるとはいえ、「良心」や「正義」だけで済ますことができない実務的な問題では十分わかる。


3 合衆国の理念の問題

合衆国は移民の国。アフリカから連れてこられた人を別にすれば、ほとんどの先が自発的に合衆国へ移民した点では共通している。にもかかわらず、政府は1920年代以降アジア系移民に対し過酷な措置をとった。本書は強制収容や徴兵忌避裁判に関わった当時の政治家、軍人、判事らが人種考えを根強くもっていたことを明らかにする。

合衆国の理念は、外から多様性を受け入れる一方で、強い求心力をもつ。その来、建国の精神がこめられた合衆国憲法でなければならないはずなのに、は長らく白人主義が占めてきた。いわゆるアメリカニズムの二面性は、戦時に亀裂を深くすることも本書からうかがい知ることができる。


4 政治思想の問題

愛国心とは何か。国民、市民であるとは、どういうことか。強制収容、徴兵、徴兵拒否へと連なる問題は、政治思想の基本的な問題に光をあてる。市民であることは戦争に参加することで証明されるのか、それとも不当に従軍させる政府に抵抗することで証明されるのか。

成長し拡大する国家は、前者に重点をおく。そうでなければ他国に攻められる前に膨張する自国の体制を維持できない。古代ローマでは重装歩兵の戦果と市民権の拡大が連動していた。

合衆国の場合でも、大戦中、人種別につくられた特別部隊の活躍が戦後に日系、アフリカ系の地位向上に寄与したことは否定できない。本書でも、大戦中の英雄から上院議員になったダニエル・イノウエが跋文を寄せている。

大日本帝国でも、朝鮮半島や台湾から従軍した植民地住民は少なくなかった。彼らが志願した理由は、強制された一面だけでなく、戦果によって日本国民であることを証明できると信じ、また期待する一面もあったに違いない。

ところが合衆国は、英国政府から独立するという建国の精神からして、政府に対する抵抗権を内在させている。国の要望に応えるのも市民なら、国の間違いを指摘するのも市民。それらが拮抗するとき、裁定するのは誰か。裁定が行われたとして、敗者はどう扱われるのか。問題は残る。


5 戦時体制の問題

政府への抵抗権がもっとも顕在化するのは戦争のとき。本書でも扱われている第二次大戦当時の日系社会は戦時において間違った政府に抵抗するのではなく、一時的に耐え忍ぶことを選んだ。戦争は、国家の存立が危機にあるときであり、個々の市民の権利や憲法の条文より、国家の安全が優先されなければならないと考えたからだろう。徴兵拒否者に同情的な著者でさえも、戦時には国家の安全をまず優先すべきであるという原則には大筋で同意しているようにみえる。

それでは、何をもって戦時とみなすか、その判断は誰が、どのような手続きを通じてするか、戦時の人権制約はどこまで許されるのか。ここでも問題は多い。

合衆国では同時多発テロ以降、「これは戦争だ」という大統領の宣言のもと、アラブ系への有形無形の差別や偏見が広がっていると聞く。

また、ひとたび戦時が宣言されると戦争に反対する意見は表明しづらかったり、あるいは反動としてメディアを通じて増幅されて、突発的に噴出したりもする。グローバル化と多様化の進んだ今日、戦時下に統一した体制をもつことは難しく、それだけになおさら強制的にならざるをえない。

この問題は歴史上の問題ではなく、現在進行中の問題でもある。


6 日本国の場合

日本国の場合、抵抗権や戦時についての考え方は合衆国とは異なる。現行憲法では戦争という行為そのものを否定しているから、戦時体制を人権に優先させる発想もない。そのせいで国家の危機に市民が自発的に国家を守るという考え方も一緒に封じ込められている。

だから米国とは反対に、戦ってでも国を守ろうという声は出にくく、政治家や一部の言論人が発作的に叫ぶだけになる。もっとも彼らの場合、自分以外の誰かを戦いに駆り出そうというのであって、自分から率先して戦いに飛び込もうというのではないのではないから、「祖国のために死ぬ自由」とは違う。

日系人の徴兵拒否者のなかには、病気のために徴兵検査には合格しないような人々も含まれていた。つまり、彼らはただ兵役を逃れたいのではなく、合衆国の市民権を守るためにあえて法廷闘争にうってでた。著者は、このような抵抗権の行使に尊敬を表わしている。とはいえ、なかにはただ戦争に行きたくないという理由で裁判に加わった人もいたらしい。

著者は戦時体制の人権制約に同意するだけでなく、こうした兵役逃れの人たちにはやや厳しい。著者もまた政治的な市民像を強く信じるアメリカ市民の一人。


政治的な信念や宗教的な良心もなく、単に戦うのが嫌だ、ずっと家族のそばにいたいなどという理由で兵役を拒否するのは、ただの弱虫だろうか。身の安全を守ってくれる国家体制への「ただ乗り」だろうか。

そもそも国家は、さまざまな利益や信念をもつ人々が共通の財産だけでなく、ひとりひとりが持つ私的な財産、利益、信念を守るためにつくられているのではないか。歴史的にはどうであれ、服従するにしろ抵抗するにしろ、国家に生きることを人間の生き方の標準と考えることはもうできないのではないか。要するに、「祖国のために死なない自由」はありえないのだろうか。

国家不要というのではない。生きていくためには国家も必要だろうし、法律も必要に違いない。とはいえ、これだけ人々の生きる舞台が国境を越えて広がっている時代に、戦時という宣言だけで人々の活動を制限することは、時代の流れにそぐわないように思う。

「祖国のために死なない自由」を認めるとすれば、他国が攻めこんできた時はどうするのか。戦わずして降伏するのか。こうなると話はさらに難しくなる。


日本国憲法については、別な機会によく考えてみたい。最後に本書に戻る。

隠された史実から法律論議まで盛りだくさんの本書で、一番印象に残ったものは何だろうか。痴情もつれの殺人から戦前、戦中、戦後を通じずっと刑務所にいたという日系一世、服役中周囲から尊敬されていた技師の出所前のあっけない最期、刑務所で出会った反戦牧師に戦後、結婚式を司ってもらった徴兵忌避者、そして戦場ではなく刑務所から戻ってくる息子を待ちわびた母親。

歴史の波にもまれながら、思想や政治、法律という言葉では言い表しきれない人々の生きる姿に、やはり心ひかれる。思想や、政治や法律が、彼らの割り切れない心情を包み込むことができないとしたら、どんなに立派な作品でも条文でも何の意味もない

本書が優れた歴史書、研究書である以前に、一編の読ませる作品であるのは、法律は人の割り切れない心を救うためにあるという法学者としての著者の真情が映し出されているからに違いない。