帰れ! 帰るな! いったいどこに?


北朝鮮に拉致されていた人たちの帰国問題が、いよいよ混迷をきわめてきている。執筆者の名前は忘れたが、かなり早い時期に朝日新聞のEメール時評で警告がされていた。助けが来ないかもしれない外国での拉致生活の中で、生きていくためにかの国の思想に共鳴してしまっていたとしても、その人たちを「日本人」として受け入れ直すことができるのだろうか、と。

「生まれた国に帰りたい」
「昨日まで住んでいた国に帰りたい」。

どちらの気持ちが洗脳の結果で、どちらの気持ちが本心の吐露なのか、その判断は誰にもつかない。本人でさえわからないだろう。

永住帰国を強く求める家族の気持ちは理解できるが、政府の本音はどうなのだろう。結局、世論に押される形で政府は帰国を求める方針らしいが、本音は「本人の希望」で外国にとどまっていてほしいのではないだろうか。外国で強烈な思想教育を受けた人が日本国民として戻ってくる。かの地で生まれた「日本人」を連れて。すでに本人たちには日本国のパスポートが再交付されている。

そして、国交がなく全体主義的といわれる国で生まれ育った人に、日本国で生まれた人から生まれたという理由で、旅券が渡されようとしている。この国で生まれ、育ち、税金を払っていても、外国人から生まれたという理由で、選挙権もなければ、旅券も持てない人がいるのに。この矛盾を政府はどう説明するのか。


民主主義を標榜する日本国政府は、帰国後、彼らが信念にもとづいて、かの国はすばらしいところですと宣伝しはじめたとしても、合法的な活動である限り、止めることはできない。まして、洗脳(と日本国側が信じている状態)を元にもどすことを強制できない。もっとも、逆洗脳など必要ないかもしれない。携帯電話をもたせて、ワイド・ショーを毎日見せれば、あっという間に「日本人」になれるにちがいない。

ナイーブな愛国者は、「外国人」を招き入れようとし、偏狭なナショナリストは「日本人」を追い返そうする。尊王と攘夷が図らずも合流しなければならなくなったようなねじれに今、日本国は直面している。

その意味では、この矛盾はけっして今にはじまったことではない。これまでさまざまな形で隠蔽され、誤魔化されてきた、この国が固持する国籍血統主義と、にもかかわらず人々が心に抱く曖昧な「日本人」像との統一は、拉致問題によって完全に破綻する


かつて小野田寛郎が「発見」されたとき、赤瀬川原平がブラック・ユーモア鋭いポスターを発表した。

騙されるな!お前の帰ろうとしている国はアカに染まっているぞ!(櫻画報大全、新潮文庫、1985)

今なら、きっと次のようなポスターになるだろう。

あなたたちの帰ろうとしている国は、あなたたちを拉致した国よりも、はるかに徹底した全体主義的社会主義国だぞ!

そういう仕事ができたのは、亡くなったナンシー関だったのでは、とつくづく思う。


碧岡烏兎