雪原の勇者 ノルゥエーの兵士 ビルケバイネルの物語(THE RACE OF THE BIRKEBEINERS)、Lise Lunge-Larsen文、Mary Azarian絵、千葉茂樹訳、BL出版、2004

ジェニー・エンジェル(Jenny Angel)、Margaret Wild文、Anne Spudvilas絵、もりうちすみこ訳、岩崎書店、2001


対照的な絵本を二冊、偶然借りてきた。

『雪原の勇者』は昨年読んだ憶えがあるけれど、感想は残していない。『雪の写真家ベントレー』『彼の手は語りつぐ』と同じ千葉茂樹による訳。彼の訳した作品は、どれも冷たく厳しいなかに温かさがある。

ノルウェーというと数年前のリレハンメル・オリンピックを思い出す。小規模で予算も少ない大会だった。本書にもその地名が登場する。雪山を王子を抱えスキーを続ける物語を読んでいたら、競技は違うけれども、スピードスケート長距離に世界記録で優勝したコスという地元選手を思い出した。大柄な青年で医学生と報道されていた。

神の加護を信じ雪中行軍を続けた農民戦士たちの姿は、表情一つ変えず、着実に記録を上回るラップを重ねて滑りつづけたスケーターのようだったのではないかと想像してみる。


『ジェニー・エンジェル』は、ぬくもりのなかに冷たいかなしみが流れている。エンジェルという名前の少女は、きっと自分の祖先は天使だったと思っている。天使の子孫だから病気の弟を守ってみせる、けっして死なせはしない、そう信じている。

天使であっても人の生き死にを自由にできるわけではない。そのことはトルストイの「人は何で生きるか」で知った。では、人の生き死にを決めるのは、何だろう。

人はそれを運命といったり神の呼び声といったりする。呼び方はどうでも、たいていの場合、ただ死の訪れを合理化しているに過ぎない。死を受け入れるために必要なのは言葉ではない。


ジェニーは、これから何度も屋根の上に座って考えるだろう。言葉による説明を受け入れるだけでなく、あきらめずに考えつづけなければ、答は得られない。それでも答が得られるものか、私にはわからない。

トルストイの民話集に収められたもう一編「愛あるところに神あり」では、靴屋のマルツィンのもとへある日突然、答が訪れた。その答が誰にでも訪れるものなのか、それも私にはわからない

ぬくもりのなかのつめたさ。この絵本も『悲しい本』の一冊。でも、そればかりでもないような気もする。何とはなく繰り返し読んでしまったのは、最後のページに夜の冷たさのほかにぬくもりがなお残っているからに違いない。母親、友だち。ジェニーは一人きりで悲しみのなかにいるのではない。

そういえば、靴屋のマルツィンも一人きりでいるときは悲しみから逃れられなかった。小さな窓から外を見はじめたとき、彼をとりまく空気も変わりはじめた。答を解くかぎは、このあたりにあるのかもしれない。

ところで、この絵本を読んで数日あと、Cyndi Lauper, “My First Night Without You,”(“A Night To Remember,” SONY, 1989)を運転しながら聴いていたら、ふとこの絵本の最後の場面を思い出した。