ふたごのでんしゃ(1969)、渡辺茂男文、堀内誠一絵、あかね書房、2004

彼の手は語りつぐ(Pink and Say)、Patricia Polacco、千葉茂樹訳、
あすなろ書房、2001


暮れに贈り物をしようと書店で児童書棚を眺めていて、見覚えのある背表紙に目がとまった。『ふたごのでんしゃ』という書名はすっかり忘れていたけれど、話はよく覚えている。『きかんしゃやえもん』(阿川弘之文、岡部冬彦絵、岩波書店、1959)にも似た顔のある電車の絵、路線廃止とともに子ども図書館になる結末

この本はどこで読んだのだろうか。小学校低学年の頃、近所の女性が一軒家の一室を開放して子ども図書館をしていた。週一度開いていたので「金曜文庫」と言われていた。そこで借りていたのは、探偵クイズや野球のルールや記録の本が多かった。

でも、この本は何となくそこで読んだような気がする。家に残っていないし、学校の図書室の記憶は何もない。この本を何十年ぶりかで読んだら、なぜか、「金曜文庫」の貸出カードの箱がおかれた小さな卓袱台まで思い出されてきた。

この本はちょうど昨年復刊されたばかり。読み返してみると、文は渡辺茂男、絵は堀内誠一。当時は、もちろん何も意識してない。渡辺の『しょうぼうじどうしゃじぷた』はずっと好きな絵本。自覚して絵本を読むようになってからは『あなはほるものおっこちるもの』を読んだ。堀内誠一の名前も『たいようの木のえだ』をきっかけに意識して書棚を見るようになった。

新たに知った作品が、かつて名前も知らずに喜んで読んでいた作品と同じ作者の手によることを知ると不思議な縁を感じる。むろん、すべてに因果関係があるわけではない。そんな思い込みは、過去を薄っぺらいものにする。

ずっと昔に『ふたごのでんしゃ』を読んでいたから、大人になって渡辺や堀内の絵本をまた読むようになったのでは、必ずしもない。本書での堀内の画法は、これまで読んだどの作品とも違う。同じ作者とは気づかないままでいたかもしれない。

それでも、ずっと前に出会っていたことを知るのはやはりうれしい。名前があるから、ずっと昔の出会いを確かめられる。


『彼の手は語りつぐ』は、その名前を鍵にした絵本。訳は『雪の写真家 ベントレー』と同じ千葉茂樹。出版社は違うけど、北米の人間と歴史を伝える絵本という意味で二冊は共通している。

表紙には黒人と白人の少年兵が描かれている。そこから戦場に咲いた友情物語を勝手に想像しながら読み出したのだけれど、物語も作者の込めた思いもまったく異なるものだった。

人は、生きて何も残さないかもしれない。業績も作品も子孫さえ残さないかもしれない。それでもその人とともに生きた人のなかに、その名前が残る名前を呼ぶことは、何も残さない人の生命を思いはかること

この物語では、名前は手のぬくもりを通じて、世代を越えて伝えられた。声や文字や絵や音や、そのほかいろいろな方法で伝えられる名前があるに違いない。