土を掘る 烏兎の庭 第三部
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6.30.06

八甲田山(1977)完全版、橋本忍・野村芳太郎・田中友幸企画、森谷司郎監督、橋本忍脚本、スバック、2000

芥川也寸志forever、新交響楽団、フォンテック、2000

決定版 軍歌、キング吹奏楽団・キング合唱団、キング、1993

八甲田山 死の彷徨(1971)、新田次郎、新潮文庫、1978

映画「八甲田山」の世界、橋本忍、映人社、1977


5月の連休に、横須賀にある記念艦みかさを見に行った。百年前の戦争がどんなものだったか、実物の船を見ても想像はむずかしい。

図書館の視聴覚コーナーで、映画『八甲田山』を見つけた。百年前の日露戦争直前の出来事に取材した作品。これは見た覚えがある。公開年をみると、小学三年生のとき。夏休みの映画館なのに、演出のためか、それともただ空いていたためなのか、場内は強い冷房で冷え切っていた。

なぜ、この映画を見に行ったのか。当時、この作品は原作の小説とあわせて企業の研修によく使われたという。自分で選んだわけではないだろうから、そういうことも理由の一つだったかもしれない。

この映画は、テレビやビデオで見た記憶はない。たった一度しか見なかったにしては、鮮明に覚えている場面が多い。

覚えているのは、行軍のはじめ、手袋に唐辛子を入れる場面、寒さに気がふれて裸になってしまう男。それから軍歌「雪の進軍」と繰り返し流れる主題曲。物語後半は記憶になかった。退屈して見ていなかったのかもしれない。

見たことのある作品だからと気軽に見はじめたところが、あまりの重さに一晩で見切ることができなかった。結局、見終わるまでに三夜かかった。

大人になって見てみると、印象に残る場面が違う。雪のなかで肩を寄せ合い、次々と斃れていく場面や、北大路欣也演じる神田大尉が最後に見た青森の四季の幻。音楽は今回も耳に残った。軍歌のアルバムと一緒に図書館で探して、もう一度聞きなおした。

この主題曲は、どこか懐かしい。同じころに聴いたほかの音楽を思い出させる。『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』(宮川泰)や、小椋佳のライブ・アルバム『遠ざかる風景』のイントロダクション(星勝)。管弦楽の音は、たぶんその頃のほうが、いまよりよく耳にしていた。

図書館で検索して、シナリオ、スチール写真、スタッフの座談会をまとめた本も借りてきた。八甲田の撮影現場の凄まじさは、雪中行軍さながらだったらしい。逃亡したエキストラもいたという。白黒のスチール写真が、映画の記憶を補強する。映画も、白い雪と黒い闇の場面ばかりだった。


神田大尉が最後に見た幻というのは正しくない。正確には、神田大尉が最後に見たであろうと高倉健演じる徳島大尉が想像した幻。神田との交流がなければ、もっと言えば、神田を思う気持ちがなければ、沈着冷静な徳島が幻を見ることはなかっただろう。極限状態だけでは説明できない。

ところで、1970年代中ごろに、なぜ日露戦争前の、しかも戦場が舞台ではない物語が脚光を浴びたのだろう。

『八甲田山』は、企業の組織研究の教材に使われたと言われている。それは、つまり軍隊が、反面教師という意味も含めて組織の範例となっていたことを意味する。

終戦時二十代だった人は、70年代には五十代になっている。社会のあちこちで組織をまとめる責任を負うようになっていただろう。彼らがこれからの新しい組織を考えるとき、良くも悪くも手本にできたのは、若い頃に体験した軍隊しかなかったのかもしれない。

『八甲田山』は、同じ軍隊の中で起きた成功と失敗を鮮やかに対比させることで、精神主義や派閥抗争など、あらゆる組織が内包する欠陥を暴露する一方、あるべき軍隊の姿を提示している点が際立っている。実際はなかった民間案内者に示した敬意などに、映画製作者のそうした意図を見ることができる。

原作の小説では、成功失敗の鮮やかな対比とは別に、徳島隊の方にも軍隊の非情な目的主義や民間人に対する蔑視など軍が本質的にもっている性質が織り込まれている。現実を踏まえた上で小説化がなされているために、軍は、組織はこうあってほしいという新田の考えが虚構を通じて、かえってくっきりと見えてくる。

ところが、このような視点は、軍隊をもっとも過酷で、愚劣な状態で体験した人には、手ぬるい、もしくは軍隊の本質を見過ごしているように映ったかもしれない。例えば『戦艦大和ノ最期』で戦争末期の異常な軍体験を書いた吉田満は、この大ヒット映画に不満をかくさない。

「二百人をこえる集団の死の彷徨」という異常な事実の意味を、ぜんぶ否定するのか、少しは肯定するのか、肯定するとすれば、どの部分をどのように肯定するか、がはっきりしないのである。(「映画『八甲田山』」、『戦中派の死生観』

軍隊の「徹底した愚行」を自らの体験を身を裂くようにして明らかにすることは、吉田満の志ではあったとしても、新田次郎や橋本忍がこの作品に込めた意図はおそらく違うものだった。この作品は、図らずも吉田が見抜いたように、組織に対する評価をはっきりさせないところに教材としての意味があったのだから。


『八甲田山』以外でも、当時はまだ軍隊があるリアリティをもって語られていた。子ども向けだった『ウルトラマン』シリーズにしても、軍や隊と名のついた組織が重要な役割を演じていた。しかもそこでは、軍や隊は、全肯定でもなければ全否定でもない、あるべき姿が検討される対象になっていた。

『ウルトラマン』の「第36話 撃つな、アラシ」や、『セブン』の「第13話 V3から来た男」。あるべき軍・隊の模索。いずれの話も、命令と統制という軍隊の原則を前面に押し出しながら、個人の心情をそこでどう活かすかが模索されている。

それはただ理想的な軍・隊が描かれたということではない。現実の軍・隊がどのような性質をもっているかが冷徹なほどに描かれ、そのうえで、こうあってほしいという期待が込められている。

80年代以降のフィクションにも、軍や隊は登場するけれど、リアリティが次第に欠けていったように感じる。ありえない理想像だったり、反対に現実の軍隊もそこまで非道ではなかっただろうと思うような無理なドラマだったり。これは、軍や隊について考えることが、日本では次第にタブーとなっていったことと関係があるように思う。

余談。軍のリアリティが欠如する、いわゆる「終わりのはじまり」の作品にアニメ『機動戦士ガンダム』が挙げられるのではないか。この作品では戦場の残酷や軍隊の非情が克明に描かれる一方、主人公たちは正規軍からは独立した部隊で、ありていに言えば仲良しグループでもあり、不思議な位置づけ。最近、再放送を見てそんなことを考えた。

『八甲田山』以後、軍隊は次第に全否定され、議論の対象ではなくなった。少なくとも、私が体験した学校の教育現場ではそういう空気があった。そこでは、理念的には軍隊というものが全否定されていながら、それが議論検討の対象とならないために、現実には悪い意味での軍隊式のやり方がまかりとおっていた。

現実に存在するものを全否定することは思考の停止を意味する。現状の改善もあるべき姿の模索もなくなる。そうなると、否定したはずの実在するものがなし崩し的に追認されることになる。そうして、声の大きい者が次の現実をつくるようになる。

戦争反対、人権尊重という教育の理念と、暴力容認、規則絶対という現場の論理は、こうして交差することなく、学校現場で二重構造をなしていた。

この考え方は、「現実主義の陥穽」(1952)(『現代政治の思想と行動 増補版』、未来社、1964)など、丸山眞男の文章で学んだ気がする。身近な出来事にもあてはまるとは、思ってもみなかった。

現実の混乱が、フィクションでの試行錯誤や思索や検討に反映していたのだろうか。それとも、フィクションでの示唆・警告にも関わらず、現実は混乱したのか。どちらがどうだったのか、よくわからない。


教育現場の二重構造は、いまも続いている。たとえば国旗と国歌の問題。教員たちは式典で国旗を掲揚すること、そのあいだ起立していることを、良心の自由を侵害という。生徒には指定制服を拒否する自由も、運動会や遠足に参加しない自由もない。それは集団生活のルール、授業の一環と言われ、検討の余地さえ与えられていない。

彼らは国家権力の横暴を非難するけれども、教室では彼らこそが権力者であることを忘れている。「良心の自由に従って私は国歌を歌わない。あなたがたはどうしますか?」と問われる生徒たちに、良心の自由は保障されているだろうか。

皮肉なことに、個人の良心と法のあいだにあった問題は、いまや組合と行政のあいだの問題になっている。部外者から見ると、騒ぎが大きくなるだけ、反対の声は、良心の声というより、組合の運動方針と名前も顔も知らない、想像の「アジア人」に対するアリバイ作りにしか感じられなくなってくる。

これは不幸なことに違いない。問題を思想や法の問題からずらして政治化させるのは相手の卑怯な策略かもしれない。にしても、ほんとうに不幸なのは、二重の支配を受けている生徒たちに違いない。

『八甲田山』では、指揮系統の混乱が組織を路頭に迷わせ、連れて来られた兵たちを地獄へ追い込んだ。このことは、映画でも小説でもはっきりと描かれている。



uto_midoriXyahoo.co.jp