ウルトラセブン(1966) vol.12、パナソニックデジタルコンテンツ、1999


  • 第46話 ダン対セブンの決闘、脚本:上原正三・市川森一、監督:鈴木俊継、特殊技術:的場徹
  • 第47話 あなたはだぁれ? 、脚本:上原正三、監督:安藤達己、特殊技術:大木淳
  • 第48話 史上最大の侵略 前編、脚本:金城哲夫、監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一
  • 第49話 史上最大の侵略 後編、脚本:金城哲夫、監督:満田かずほ、特殊技術:高野宏一

書評「金城哲夫 ウルトラマン島唄」を書きあげてから、『ウルトラセブン』の最終話を収めたDVDを借りてきて見た。

第46話「ダン対セブンの決闘」には、カプセル怪獣アギラが登場。敵を探して考える怪獣。背後から襲われる姿は哀れ。

第47話「あなたはだあれ?」は、『ウルトラマン島唄』の著者、上原正三による脚本。『ウルトラセブン』によくある、日常に潜む恐怖と怪獣を組み合わせた作品。集団で襲いかかるフック星人に対し、戦法を考えるセブンの姿が印象的。悩んだ末に繰り出す技は全身を輝かせるボディスパーク。


第48話と第49話「史上最大の侵略<前後編>」は、金城哲夫の脚本。渾身の作品。当時は、このままウルトラ・シリーズは完結するとも思われていたらしい。そう考えると、金城をはじめ、スタッフのただならぬ意気込みが画面に感じられる。火薬の量も半端でない。

「史上最大の侵略」は、題名に劣らず30分二回でも収まりきれないほど大きな展開。


見なおして驚いたこと。セブンは、人類を救うために戦ったのではない。ダンは、僚友アマギ一人を救うために、最後の変身をした。実際、そのときニューヨークもロンドンも破壊されている。これは感慨深い。そういえば、セブンは一人の人間の行動に感動し、その姿をかたどってモロボシ・ダンという地球人を生み出したのだった。

蛇足ながら追記。初代ウルトラマンについても同じことが言える。ウルトラマンが地球に留まったのは地球を守るためではない。彼が地球に残った理由は衝突してしまったハヤタ隊員への贖罪だった。

ダンが秘密を告白する場面。秘密を知ったアンヌの言葉は、「宇宙人だろうと地球人だろうと、ダンはダンで変わらないじゃない」。この言葉は、丑松の秘密を知ったときのお志保の言葉と同じ

告白の場面できらめく背景に影になる二人や、朝焼けに飛び立つセブンなど、映像も強く残る。ゴース星人の奇妙な言語も耳に残る。もちろん、シューマンのピアノ協奏曲、イ短調 54番も。

登場人物が皆カタカナの名前というのも今から見ると、独特の雰囲気を出している。姓と名の両方があるのはモロボシ・ダンだけで、あとはキリヤマ、アマギ、クラタなど皆苗字だけ。アンヌは名前だけ。SFらしい非日常性や未来性を出すための工夫だったのかもしれない。


ところで、ウルトラマンといえば、怪獣。「かいじゅう」といえば、センダック『かいじゅうたちのいるところ』。絵本の原題は“Where the wild things are”。最初の日本語訳では、『いるいる おばけがすんでいる』だった(ウエザヒル翻訳委員会訳、ウエザヒル出版、1966)。1966年といえば、『ウルトラマン』の放映がはじまった年。神宮輝夫訳、冨山房版の出版は、1975年。『レオ』も終わり、それまでの番組が繰り返し再放送されていた。私がセンダックを知らずに、ウルトラマンを見ていたのも、この頃。

“Wild things”は、おばけか、かいじゅうか。ウルトラマンの世界が生み出した怪獣は、ただの乱暴者ではない。宇宙からの平和的な来訪者であったり、地底に隠れていた超古代文明人だったり、あるいは、公害や宇宙線によって突然変異してしまった地球人や他の星の生物、人間の妄想が肥大化し現実化したものもある。

センダックの描いた“wild things”は、幼児マックスの心に住む動物。言うことをきいてくれない大人や、不安や怒りに我を忘れた自分自身の投影でもある。

とすれば、70年代の子どもたちにとっては、“wild things”の訳語に「かいじゅう」という言葉はぴったりだったのではないだろうか。そのまえの世代の子どもたちには、内面と理解不能なものをつなぐ言葉は「おばけ」や、あるいは妖怪だったのかもしれない。

いまの子どもにとってはどうだろう。「おばけ」という言葉に、背筋を凍らせる子どもは少ないのではないか。「かいじゅう」も、然り。不気味だけれども身近、というもの、それ自体は子どもの世界からなくなってはいないだろう。それでは、それをうまく言い表わす言葉は何だろう。ムシか、ポケモンか。


巨大なウルトラマンが戦う相手は、「怪獣」。人間と同じ大きさの仮面ライダーが戦う相手は、「怪人」。最初は、簡潔明瞭だった。

「怪獣」という普通名詞は使われなくなり、今のヒーロー番組はオルフェノクだの、アリエナイザーだの、それぞれ敵役に辞書にはない独自の用語をあてがう。それはそれで面白いけれども、一年足らずで使い捨てられる言葉で、子どもの心の奥底にあるものをその子どもが大人になるまで映し出すことができるとは思えない。

怪獣という言葉は、新しい言葉ではない。漢和辞典にも載っているから、古くからあるらしい。怪しい獣、という意味に過ぎなかった言葉を、凶暴なものと不可解なものと畏怖すべきものをあわせもった存在に定義しなおしたのは、ウルトラマンの生みの親、金城哲夫ではない。

怪獣という言葉を、いま使われている意味に育てたのは、円谷英二。彼が怪獣という言葉に何を込めようとしていたかは、ゴジラの英語表記、“Godzilla”を見ればわかる。


ウルトラマンが「怪獣」という言葉を捨てたのは、「A」から。怪獣は、「超獣」になった。断片的にビデオでしかウルトラマンを見ない子どもは、すべて「かいじゅう」と呼ぶ。この言葉が、きっと一番呼びやすいのだろう。

5月の連休に買ったのは、サーベル宇宙人、マグマ星人のソフビ人形。マグマ星人は知らなかった。図鑑で調べて、まず、この宇宙人が登場する『ウルトラマンレオ』の初回二話、「セブンが死ぬとき! 東京は沈没する!」と「大沈没! 日本列島最後の日」のビデオを借りてきて見た。

ウルトラマンレオ』は、ウルトラセブンが戦う場面からはじまる。これも知らなかった。


2011年7月2日付記。

「恐竜」という言葉はおそらく「怪獣」ほど古くない。1964年に石井桃子が訳した『せいめいのれきし』(岩波書店、原著“LIFE STORY,”Virginia Lee Burton, 1962)では“dinasour”は「ディナソウル」と訳されていた。