硝子の林檎の樹の下で 烏兎の庭 第四部
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2011年7月


7/2/2011/SAT

Home in the Sky――青い空の彼方

音楽のアンソロジー、いわゆるプレイリストを久しぶりに一つ、つくった。プレイリストの題名は“Home in the Sky”とし、副題には「青い空の彼方」という言葉をそえた。

曲目は合計21曲。加えたい曲もあるけれど、ただただ増やすにわけにもいかないし、あとで入れ替えをするかもしれない。

それぞれの曲にまつわる思い出は、これからすこしずつ書き足していくことにする。


「恐竜」と「怪獣」という言葉について、6年前に書いた文章に一言追記。


7/9/2011/SAT

「3.11以後」という言葉をよく耳にする。どうしても好きになれない。以前、「9.11以後」という言葉が好きになれないと書いた。「3.11以後」という言葉が嫌いな理由は、そのとき書いたことと同じ。あれから5年以上が過ぎているので、もう一度、考えなおし整理して、「3.11以後」という言葉になぜ嫌悪感がつきまとうのか、記しておく。

気になることは、二つ。

一点め。「3.11以後」という言葉を使う人の目には、震災しか見えていない。時間的にも空間的にも、もっと悲惨で、もっと規模の大きな事態が起きている“かもしれない”という想像さえすることがない。

現実には、3月11日の前にも大きな災害は起きていたし、何年も内戦が続き、疫病が流行し、多数の難民がいる地域も世界には少なくない。にもかかわらず、「3.11以後」を口にする人は、まるでそういう悲惨な出来事を今回の震災ではじめて知ったかのような口ぶりをする。

だから、彼らには世界の人々は三種類しかいない、被災者と二次的な被害を受けている自分、そしてそれを見て応援してくれたり、「礼節がある」と褒めてくれる世界の人々。それ以外の人々は、彼らの目には見えていない、すなわち、存在していない。

二点め。彼らは、主観的な気持ちを客観的なものにすりかえている。つまり、自分が感じたことをほかのすべての人、「すべての日本人」や、さらには「世界のすべての人」がそう思っていると決めつけている。


一つの出来事によって世界の見方や、人生観や生活そのものも一変してしまうようなことは、確かにある。でも、どの出来事をどう感じるかは、人によって違う。3月11日以前から苦境に追い詰められていて、どんな映像を見ても、どんな報道を聞いても、自分の置かれた状況は何も変わっていないと思っている人だっているかもしれない。

被害の人数や金額でものを語るというのであれば、それは政治家や役人の言葉、といって語弊があれば、政治と政策の言葉であり、思想の言葉ではない。それなのに、「3.11以後」という自分の体験から普遍的な「思想」を安易に引き出そうとする人が後を絶たない。しかも、その体験の多くは、見聞きした二次的な体験に過ぎない。

政治や政策は、もちろん必要なもの。たとえば、この10年以上毎年3万件起きている自死を1割減らして2万7千人にできたとしら、それを実現させた政治家や役人は大きな功績を成した人物として認められるだろう

しかし、たとえ自死の数が年間たった1件になっても、その一人が自分の身近な人であったとしたら、3万件が1件に減少した意味はほとんど感じられないだろう。

ところが、今回の震災についてみると、自分の体験を疑いもなく誰にでもあてはまると考えているように見える人が多い。

「3.11以後」が蔓延する状況を見て、私は密かに恐れていることがある。それは、社会福祉をはじめとしてさまざまな目的のためにされる寄付金が今年に限り東北地方に集中するあまり、例年通りの寄付を集められない団体や組織が出るのではないかということ。


長くなってきたので、続きは来週。

「3.11以後」という言葉と「知識人」と呼ばれる人々について考えてみたい。予め書いておくと、それこそ「3.11以後」、いや、それよりもっと前から「知識人」という種族の人間は存在していない、現代の日本社会では存在できないと考えている

「3.11」という言葉をあえて使うなら、1995年でも2001年でもなく、2011年のあの日、その事態は決定的になったように思う。

ちょうど昨日の日経新聞夕刊で、社会学者の竹内洋が震災後の政府の行き当たりばったりの対応や原発事故をめぐり、丸山眞男が戦争中の政府と軍をめぐって「無責任体系」と批判したことを起点にして、「公共知識人」という言葉で丸山を形容していた。

竹内も、私の考えと同じように、丸山のような「知識人」はもう存在しないと考えている。結語は、「3.11以後」を思いつくままに語る、いまどきのタレント文化人に対する厳しい言葉で締めくくられている。

   なるほどたしかに、いまやテレビクラシー(テレビ支配)社会の中で、タレント文化人が公共知識人化し、公共知識人がタレント文化人化している。コメンテーター文化人がかつての公共知識人の役どころを担っている。公共知識人の大衆化として慶賀すべきことだろうか。丸山はそう思わなかったのではなかろうか。

1999年の著作であれほど激しく批判していた丸山を、竹内がこれほど高く評価するようになるとは、なにか感慨深いものがある。


7/16/2011/SAT

先週の続き。

「知識人」という種類の人間は現代の日本社会にはもう存在していない、ということについて詳しく書くつもりでいた。が、そのようなことを書くこと自体、時代遅れのような気がしてきた。あるいは、「知識人など存在しない」という事態は今にはじまったことではなく、すでに丸山眞男が活躍していた時代から言われている。

問題は、「知識人」が存在するかどうか、ということではない。誰も彼もが、いま、目の前で起きていることに反射的に応答するばかりで、そこには深い考えも、鋭い洞察もないということ。

ここから先、自分の言葉で書くことをあきらめる。そのかわりに、1966年に森有正が書いた文章を書き写しておく。「9.11以後」という言葉が気に入らない、と書いたそのときにも、この文章のことをずっと考えていた。以下の文章は、「戦争」を「大震災」や「原発事故」に置き換えれば、現時点に対しても鋭い批判になっていることがよくわかる。


体験主義は一種の安易な主観主義に堕しやすいものであり、またそれに止まる場合が殆どつねである。
一般の評論の中に本当の抵抗とそれの克服の過程、すなわち経験の重みを荷った発言が殆んどないことは、心細い限りである。
ところが多くの戦争文学では、「戦争という異常なことがあったので、おれは異常な体験をえて、こういう本を書くことが出来た。戦争よ、あってくれてありがとう」と“無意識的”に(原文傍点)絶叫している著者の姿が見えすいているのが殆んどすべてである。
中には戦争のおかげで平和主義者になれたような人まである。僕はそういう体験主義は“一切”(原文傍点)信用しないのである。パスカルが、「人間は考える葦である」と言った時、そういう体験主義を根本的に否定しているのである
旅先で外国人から戦争抛棄を褒められて悦に入っているなど問題外の醜態である。憲法が戦争を抛棄したから急に平和が大切になるのは全く逆で、法律などあってもなくても、平和が大切なのであり、敗戦があったろうがなかったろうが、平和は大切なのである
   (「霧の朝」『森有正エッセー集成3』

先週、書いたことは、この文章の焼き直しにすぎないし、この文章ほどの迫力もない。このページはよく読み返す。読み返すたびに、いったい森有正は誰に対してこれほど怒っているのだろうと問いかけたくなる。森の文章は、書簡の体裁をとっているものでも、勢いよく相手に話しかけているというよりは、重々しいリズムで壁に向い呟いているような文章が多い。

ところが、引用した部分では、怒り心頭、脳天から湯気を出して机を叩いているような激しさを感じる。具体的にどうしても許せない発言や文章があったのだろうか。


私はといえば、先週の文章を書きだしたきっかけは日経新聞夕刊、ある日の文化欄。一部の作家が震災の経験をモチーフにした作品を発表したり、旧作を書き換えているという記事。

この記事を読んだとき、咄嗟に「戦争よ、あってくれてありがとう」という、凄まじい皮肉と義憤を込めた森の言葉を思い出した。記事のなかの何某というわけではない。あえて言えば、記事そのものに腹を立てていたのかもしれない。「震災を糧に」などということを軽々しく言える時期には、まだほど遠いないのではないか。

いや、「糧に」などなりはしない、そこから「学ぶ」という態度こそ、被害者や逆境に立ち向かっている人たちに対する冒涜ではないか、森有正はそう訴えている。


2012年2月11日追記。

上にある森有正の言葉は、小林秀雄が戦後に発した以下の言葉に通ずるものがある。

   僕は、終戦間もなく、或る座談会で、僕は馬鹿だから反省なんぞしない、利口な奴は勝手にたんと反省すればいヽだらう、と放言した。今でも同じ放言をする用意はある。事態は一向変わらぬからである。
   反省とか清算とかいふ名の下に、自分の過去を他人事のように語る風潮はいよいよ盛んだからである。そんなおしやべりは、本当の反省とは関係がない。過去の玩弄である。これは敗戦そのものより悪い。個人の生命が持続してゐる様に、文化といふ有機体の発展にも不連続といふものはない。
   自分の過去を正直に語る為には、昨日も今日も掛けがへなく自分といふ一つの命が生きてゐることに就いての深い内的感覚を要する。従つて、正直な経験談の出来ぬ人には、文化の批評も不可能である。
(「正直な戦争経験談」(『戦艦大和ノ最期』初版跋文)『著作集上巻』「付録」、『小林秀雄全集 第九巻』、新潮社、2001))

もう一つ、これも日経新聞の夕刊、一面下のコラム「あすへの話題」。文化庁長官、近藤誠一も「三・一一」以後の論壇の論調を三点にまとめ、第一点めについて次のように書いていた

戦後の日本は経済成長一辺倒であった結果、人心を荒ませ、社会の歪みを生んだ、いまこそ軌道修正し、生活の質を追求する文明に移行すべきという議論である。

経済成長がもたらした利便性の最低限のライフラインでさえ、いまだに復旧していないところで暮らしている人たちもいるというのに、政府官庁の長の職にある人がこんな悠長なことを言っている。この文章は、書き方こそ遠回しではあっても書いている中身は都知事の「天罰」発言と違いがない。

世界が一変したように思うことは確かにある、何度もそう書いている。しかし、世界は変わりはしない。自分も変わりはしない。変わったのは、世界に対する自分の見方に過ぎない。浅薄な自分は世界がまったく幸福でないことにようやく気づいた、その驚きが起点でならなければならない。「震災後、何かが変わった」という書き出しは、震災前には何も知らなかったことを晒しているにすぎない。


7/23/2011/SAT

FacebookとLinkedinのアカウントを停止した。

簡単に人との縁を切ってしまうのは、数えきれない私の悪い癖の一つ。今回も、深く気持ちが沈み込んだときに思い余って切ってしまった。

いまはまだ後悔もしていない。積極的に利用していたわけでないし、つながっている人とはSNSがなくてもちゃんと一人一人とつながっている。

ここまで書いてみて気づいた、私は「全体」と付き合うのが苦手あるということを。入り込んだ組織のなかで見つけた気の合う「一人」とはうまくやれるけど、「全体」とは距離を置いてしまう。気の合う人とは深く付き合える、でも、組織、グループ、サークルの全体に馴染むことができない。

Facebookがもっている、全体とつきあう、という雰囲気が私には何となくなじめない


7/30/2011/SAT

告知めいたこと。

このウェブサイトは、Googleアナリティクスでアクセス解析をしている。このサービスに登録したのは、先月末のこと。

以前は、アクセス解析することは人の行動を盗み見ているようで導入する気にはなれなかった。つけてしまえば毎日気にしてしまいそうでカウンターもつけていない。

最近、すこし考えがかわった。私は他の人のサイトをあいさつもせずに見に行くことができる。図書館で借りても、書店で買っても、私が読んでいることを著者は知らない。

ウェブの世界は一方通行ではない。意識的に意見を交換するコメント欄やトラックバックという機能がある。私が見に行っていることは、サイトの持ち主は知っている。立ち読みをしたことが著者に知らされるようなもの。

それがウェブの世界のありかた。そう思えば、ウェブ解析をすることに気兼ねすることもない気がしてきた。


解析サービスでわかることは多い。とはいえ、個人の特定まではもちろんできない。いまの無料サービスではどのIPアドレス、どのサーバからアクセスしたのかもわからない。その意味では、少なくとも私は読者の顔まで見ることはできない。それを望んでいるわけでもない。

わかることは、アクセス数はもちろん、どの地域からアクセスしているのか、言語、OS、ブラウザ、プロバイダ、それに携帯機器では機種名までわかる。閲覧については、最初に閲覧されたページ、滞在時間の平均、新規かリピータかということもわかる。このサイトでは70%以上が新たに来た人、何度も訪れてくれている人も20人程度いる。


一日のアクセス数は50を超えることはまずない。ほとんどの人は検索サイトから来る。

検索され、読まれている文章は『未来少年コナン』の感想文にほとんど集中している。次はずっと減って、「隠れキリシタン」という言葉や、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」に関連する言葉からたどり着く人が少々。書評で検索されているのは、鷲田清一『「待つ」ということ』。それ以外の文章は、この2か月を見るかぎり、まったく読まれていない。

トラックバックやコメントの機能を設けてないので、読者が私の文章をどう受け止めているのか、私はほとんど知らない。私自身、他のサイトに書き込んだり、知らない人にメールを出すことはめったにない。

それだけに、アクセス解析によって、あまり多くの人には読まれていないこと、それでもいくつかの文章はそれなりの数の人の目に止まっていることを知ることができた意味は小さくない。無用な不安も期待もなくなり、さっぱりした気持ちがしている。


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uto_midoriXyahoo.co.jp