烏兎の箱庭――烏兎の庭 第二部 日誌
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2006年4月


4/2/2006/SUN

第二部のエピグラフ「草の葉/言の葉」に追記。

「いつも何度でも」(木村弓、覚和歌子作詞、久石譲作曲、徳間ジャパン、2001)は、映画『千と千尋の神隠し』の主題歌。第二部の最初に書いた書評「裏庭」でこの映画について書いたのに、この歌については書かずにいて、エピグラフに添えることも忘れていた。

映画のほうは繰り返しては見ていないけれども、歌のほうは、最近になってよく聴いている。引用した一節のほか、輝くものはずっと遠くにではなく、自分自身のなかにあるという結びも快く響く。

ただし、この歌は、主題歌になった映画と同じように物語を完結させるためなのか、少し結論を急いでいるように感じるところもある。確かに輝くものは自分のなかにあるとしても、人のなかには先の見通せない暗闇もあることを、いまの私は知っている。きっと輝くものは、その暗闇の奥にしかない


「新しい景色」が映されるのは、砕かれた鏡のうえであり、新しく用意した鏡のうえではない。人は、ただ青い空の青さを知ることしかできないとしたら、どのようにして砕かれた鏡のうえに、自分の内に輝いていると言われるものを照射することができるのか。その過程について、映画も歌も、あまり多くを語ってくれない。

また、映画の主題に沿うように、街や川にも命があるように歌っていることが、私にはなじめない。似たような響きで「海は死にますか」という言葉を、さだまさし「防人の詩」(ワーナー、1982)で聴いたことがある。

山は死なない、と私は思う。山が死ぬとすれば、山を山と思う人がいなくなったとき。

ポーランドという国が列強に分割されてなくなっても、ポーランドという国があると思う人がいなくならないでいるあいだ、ポーランドという国はなくならなかった。

18世紀の後半に『ポーランド統治論』で新しい国制を提案したルソーも、19世紀末に『クオ・ヴァディス』で、ローマ帝国のキリスト教徒の受難を通じて、祖国の危機を訴えたシェンキェヴィチも、そのことをよく知っていた。

ソウルの下町、サジクドンはいまもある。でも、そこに暮らしていた人々のつながりはもうない。街は死んだのではない。街は殺された。


さだまさしは「距離」(『印象派』、ワーナー、1980)という歌では、「都会はけっして人を変えてはいかない/人が街を変えていくんだ」と歌っている。

街を殺したと気づいた人が仰ぎ見るときも、空はただ青いだけ。許すとも許さないとも空は言わない。街が死んだという言い方は、街を殺した人間の傲慢さを誤魔化しているように感じる。殺したのはオレじゃない、そう叫んで、何かが返ってくるのなら、そういう泣き言や言い訳を繰り返すのもいいだろう。

中世の面影を色濃く残すヨーロッパの小さな街で一週間ほど過ごしてきた。この旅について書くのは少し先になる。でも、この短いメモも、旅にあいだに考えたことを十分に示している。


ほかの推敲。

随想「北陸行」第三節加古里子いわさきちひろ、桑原武夫、福井にゆかりのある名前を三つ記した。桑原武夫の名前はこれまで言及していないけれども、ルソーを読みはじめたとき、最初に手に取ったのは、彼の手による啓蒙的な入門書、『ルソー』(岩波新書, 1962)と『ルソー研究 第二版』(岩波書店、1968)だった。

ずっと前に感じていたのに気には止めていなかったことに名前を知って気づき、その名前が忘れられない記憶になる。文章を書くようになって、そういうつながりを意識するようになった。同じことは、「クールベ展」の感想書評「ルバイヤート」のほか、佐野元春『Someday』(SONY, 1982)の感想にも、書いている。

一つの主題を、別の題材を通じて描く。同じ題材を、ほかの角度から、ほかの手法を用いて描く。私は絵を描くことはないけれども、こうした文章の書き方を、絵を見ることを通じて学んできたように思う。

それにしても、2月には名前さえ書くことができなかった歌手について、こうして、思い浮かんだことがつれづれと書けてしまうのはなぜだろう。


写真は、咲きはじめた桜。


4/9/2006/SUN

丸山眞男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム、竹内洋、中公新書、2005

記録をみると、読み終えたのは2月はじめ。竹内洋の著作や丸山眞男論は読むたびほとんどすぐに文章を書いていたのに、今回はしばらく放ったままになっていた。

4月8日付日経新聞の文化欄に、竹内自身が、『日本主義的教養の時代』(竹内洋・佐藤卓己編、柏書房、2006)のことを書いていた。この新著のことは知っていたけれど、図書館では貸出中。予約してもまた時間がかかるし、読めばこの本の感想まで変わるかもしれないので、ひとまず書き残しておくことにした。

竹内が使う「場」という言葉は、『文学の思考 サント=ブーヴからブルデューまで』(石井洋二郎、東京大学出版会、2000)にも出てきたブルデュー社会学の術語。石井の著書は、本書の戦術を理解するうえでも役立った。

結語に締まりがないので、たぶんあとで書きなおすことになる。今日の時点での感想として、ひとまず残しておく。


写真は、満開の桜。


4/22/2006/SAT

書評「丸山眞男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム」(竹内洋、中公新書、2005)を改稿。

二週間前に書いた書評。以下の結語部分を削除し、大幅に加筆した。

   丸山眞男は、「じゃまをする教養」を身につけていたか。竹内洋は、そういう人物として丸山をとらえているか。竹内は巧みに明快な回答を避けている。
  テクストは、語ることによって騙り、(語ってよさそうなことを)「語らないことによって語る」(原文傍点)のである。(終章 大学・知識人・ジャーナリズム)
  このような文章の逆説を知る竹内は意図的に何かを語り、何かを語っていない。竹内が語らないでいることは何か。語らないことによって何が語られているか。読み取っていることは、著者の意図していることなのか、意図せず醸し出されているものなのか。
  この本は、なかなか複雑なつくりに仕上がっていて、余韻が長い。

最初に書きあげた感想を書いたときは、竹内が何を語り、何を語らずにいるのかを考えることができていなかったし、自分の抱いている丸山眞男に対する憧憬や批判と、本書の描く丸山像との関係を書き込むこともできていなかった。

本を読み感想を書き、書きあげたものを読むと、きちんと書ききれていないところがわかる。きちんと書けていないのは、感じたことがきちんと言葉になっていないから。

書評を書くことで、その本を読んで感じていながら、言葉にならずにいたことを忘れる前に拾い上げることができる。こういうことが、言葉にしないままでおくと、後々、心の奥深くに沈むことがある。

先月、『中世の知識人―アベラールからエラスムスへ―』(Les intellectuels au moyen âge, 1957, Jacques Le Goff、柏木英彦・三上朝造訳、岩波新書、1977)を読んだ。渡辺一夫とエラスムスからのつながり

この本では、中世前期と後期、いわゆるルネサンス期の知識人が対比されていた。中世前期の知識人は、大学人。いまの大学よりはるかに小さな規模の場所で、ほんの数人の学生を相手に直接的な影響を与えた。その後、印刷技術が普及しはじめたルネサンス期の知識人は、大学からは離れて隠遁し、著書を通じて、多数に影響を与えた。活字を通して、多くの人々に影響を与えたという点では、ルターも同じ。

著者は、明らかに後者を否定的にとらえている。渡辺に従ってエラスムスを肯定的に受け止めはじめていたところだったので、一方的な見方に釘を刺す説は新鮮に感じた。

現代のメディアは、印刷だけにとどまらない。ラジオ、テレビ、それからブログ。竹内の提起する「邪魔をする教養」は「対面的人格関係」と彼が呼ぶ直接的な対人関係に依拠している。その重要性は、わからないではない。

ところが、「対面的人格関係」の能力が高い人ほど、メディアで賞賛される逆説も現代にはある。彼らの多くは、依頼を断らない「いい人」なので、いつの間にか対面関係よりメディアを通じた間接的な影響力の行使が増えてしまう。おそらくメディアからの誘惑は巧妙で、けっして甘い汁におびきだされるのではなく、責任感や使命感をくすぐるようなやり方で、彼らをたらしこんでいるに違いない。

要望に誠実に応えているつもりが、旺盛なサービス精神が災いしてか、少しずつ期待されている以上のことをしてしまう。そして、いつのまにか、自分のすべてが世の中から熱望されていると勘違いしてしまい、依頼されてないことから要望もされてないことまで語りだすようになってしまう

もう一つある、やっかいな逆説。対面的人格能力に優れた人など身近にはなかなか見つからないので、結局はメディアを通じて、そうした人を間接的に知ることが多くなる。

二つの逆説はどちらも、「邪魔をする教養」を育む「対面的人格関係」にとって有益な徴候ではない。それどころか、直接的な対人関係ではないのに、つまりその人の全体が見えないまま、交流ではなく、一方的に影響を受けてしまうメディアを通じた影響力は、「対面的人格関係」にとっては有害でさえある。

残る希望があるとすれば、メディアが拡散しすぎて、一つ一つの媒体がもつ影響力が相対的に下がることだろう。それによって、間接的ではあれ、中世の大学がもっていたような深い交流ができるかもしれない。

かまびすしい新しいウェブの世界には、あまり楽観的にはなれないけれど、期待するものがあるとすれば、こういうことしかない。

写真は、水際の鴨。


4/23/2006/SUN

聖書の日本語 翻訳の歴史、鈴木範久、岩波書店、2006

アウグスティヌス神学における歴史と社会(Saeculum: History and Society in the Theology of St. Augustine、Cambridge University Press, 1970)、R. A. Markus、宮谷宣史・土井健司訳、教文館、1998

高山右近(1999)、加賀乙彦、講談社文庫、2003

キリスト教関連の本を三冊。

17世紀の旅の過酷さは想像しても想像しきれない。とくにマニラへ移送される船旅の場面は、乗り物に弱い身には、読んでいるだけで苦しくなってくる。

3週間のあいだにヨーロッパとアメリカ西海岸を往復できてしまう現代の旅にも、現代なりの辛さがある。技術は、人間が身体的心理的に受容できる速度と距離をはるかに越えてしまっているのではないか。おかげで体調を崩したらしく、発熱、頭痛、悪寒で、今週は寝込むことになった。

もっとも、あいだに旧交を温めて黒糖焼酎を飲みすぎたりしていたから、体調崩壊は半ば自業自得。話が弾んだので、その夜の気分は悪くなかった。ずっと昔、気まぐれに出かけた矢野顕子のコンサートで、吉川忠英がギターを弾いていたことを教えられた。彼の音楽には、実は前々から縁があるらしい。

夕方、壁越しに『忍たま乱太郎』が聴こえる。熱っぽいまどろみのなかでよぎることはいつも同じ。書きかけの文章の編集画面、伊達邦彦よろしく奴らをなぶり殺しにしている場面、自分が有名になった日の紙面、それから、風邪を引いて学校を休んだ遠い日。


小学生の頃、学校を休むと、ひねもすニッポン放送を聴いていた。午前中は玉置宏。リスナーの投稿を玉置が朗読する「私は女、あの日、あの時」や『ラジオ人生相談』で、いわゆる大人の世界を垣間見た。午後は『いまに哲也の歌謡パレードニッポン』。この番組も、下世話な話題が多かった。研ナオコとの「哲ちゃん、ナオコの鉢合わせドン」とその前後に流れていた「やっぱりオレは菊正宗」の歌が忘れられない。

少し元気になると、『モーターマガジン』など自動車雑誌を買ってもらって読んでいた。ラジオの広告を聴いて買ってきてもらった『ベストカーガイド』で、たぶんははじめて官能小説を読んだ。

夕方には、円鏡時代の『ハッピーカムカム』から『夕空晴れて日が昇る』。そのあとは『ショーアップナイター』。なぜ牛丼弁当の宣伝ばかりなのか、当時は不思議に思った。あれは球場でラジオを聴いている人に向かって来店を促していたのだろう。

ナイターの後は、高嶋ヒゲ武『「大入りダイヤルまだ宵の口』。9時半過ぎに『欽ドン』、10時から『日立ミュージック・イン・ハイフォニック』。少し眠くなってきた頃に『夜のドラマハウス』。昼間寝ているから、学校を休んだ日の方が、夜のラジオが聴けた。

小学校時代の私は弱かった。頻繁に欠席するわけではなかったけれど、一度具合を悪くすると、発熱、下痢、嘔吐が激しく、洗面器が枕元に欠かせなかった。

中学一年の春先、ひょっとしたら連休明けだったか、やはり腹痛から学校を休んだ。何も食べられないのに、吐き気が続き、胃液まで戻した。

今から考えると、規則と暴力に充ちた異常な空間に対する自然な拒絶反応だったのかもしれない。何日かして腹痛は治まり、それから後、こんな腹痛はなくなった。つまり、このあと私は順応していった。私には、悪い意味での適応能力があったらしい。


さくいん「烏兎の地図」に、加賀乙彦高山右近大藪春彦を追加。

大藪春彦の小説は、もうずいぶん長い間読んでいない。思いがけず伊達邦彦という名前を書いたので、『野獣死すべし』(1958)の作者を索引語にすることにした。

写真は、ブリュッセル郊外、Tramと呼ばれる路面電車の車窓から見た森。

表紙写真をすべて、ブリュッセルで撮影した写真に変更。


4/29/2006/SAT

教養の歴史社会学 ドイツ市民社会と音楽、宮本直美、岩波書店、2006

図書館の新刊棚で見つけた社会学の新刊の書評を植栽。

今週は珍しく連日、夜テレビをつけた。見たのはドイツ、ブレーメンで開催中の「世界卓球」。卓球のテレビ中継自体がとても珍しい。初日に見たら、福原愛が2セット連取のあと逆転されていた。そのままずるずる負けこむのかと思ったら、二度目の登場では、逆転勝ち。以降、世界ランクで自分よりも上位の選手を次々と破り、日本チームは決勝トーナメントに駒を進めた。

メディアの毀誉褒貶も気にせず、地道に精進を続けているスポーツ選手を見ていると気の毒に思うことがある。最近のメディアは、扱い方が天国と地獄のように差が激しい。勝てば、まるでその人のこれまでの人生の行いすべてが正しかったかのように絶賛する一方で、頂点から落ちた途端、私生活のほんの小さな出来事が、選手としての能力に致命的な悪影響を与えたかのように断罪する。

マス・メディアは世界選手権のような大きな大会しかとりあげないけれど、選手たちは何も4年に一度だけ試合をしているわけではない。テレビ中継の前も後も、その種目はずっと続いている。

相手も同じ。メディアは、親の敵のようにライバル関係を強調するけれど、何度も対戦した顔なじみだったり、ふだんはチームメイトということもある。

福原愛は、17歳でありながら、卓球歴は13年という。そのあいだ、持ち上げられたり、陰口を叩かれたり、妬まれたり、笑いものになったり、さらには忘れられていたり。

当人はずっと練習し、大会に参加し、勝ったり負けたりしながら、卓球を続けている。

「天才は忘れた頃でも木にぶらさがっている」

こんな箴言がよく似合う。どこかで聞いた覚えがあるけれど、さて誰の言葉だったか、覚えていない。

世界卓球は、残念ながら男子の試合はほとんど放映されていない。先週の日経新聞夕刊に、日本で最初にプロ選手になった松下浩二のインタビューがあった。中学二年のとき、代々木体育館で彼の試合を見たことがある。いまから20年以上前のこと。

一年生から全国制覇をしている渋谷浩に対して、松下ははじめての決勝進出。余裕の違いが観客席からも見てとれた。その松下浩二は今年38歳。二大会ぶりで代表に返り咲いた。

あれからずっと地道に続けていることが、私にはない。10年以上続けていることが、私に何かあるだろうか。

本を読むことと文章を書くことは、細々とでも続けたい。そう思う一方、この数ヶ月で書くことにとても疲れてしまったので、少し休みたいとも思っている。

未読だった山口瞳『血族』(1979、文春文庫、1982)を読んだ。小説を書くほど健康に悪いことはない。小説を辞めたあと、そう書いた文章を読んだことがある。その気持ちがよくわかった。

もう一つ、二つ、書いたら、また少し休むことにする



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