聖書の日本語 翻訳の歴史、鈴木範久、岩波書店、2006


聖書の日本語 翻訳の歴史

半年ぶりに、シリコン・バレーに出張した。海外渡航は、続くときには続く。その前の旅行の荷物もまだ片付いていない。

一人の時間に旅行の記憶を書きとめておこうとしたけれど、一人の時間が思ったより少なかったため、できなかった。そもそも前の旅行も一人ではなかったので、美術館を見たり、本屋をぶらついたり、いつもなら旅先ですることがほとんどできなかった。

もちろん、一人でない旅にも旅の楽しさはある。一人で旅をしていると、いつの間にか帰ることを考えているけど、今回はそれもなかった。いつまでもこのまま旅していたい、そんな気にさえなった。

旅先では一人の時間がなくても、機内では、はじめてのシューティング・ゲームに興奮する息遣いを横目に、少し読書をした。2月に読んでいた渡辺一夫とエラスムスのつながりで、中世のキリスト教についての本をいくつか。『エラスムスはブルゴーニュワインがお好き』(宮下志朗、白水社、1996)、『中世の知識人—アベラールからエラスムスへ—』(Les intellectuels au moyen âge, 1957, Jacques Le Goff、柏木英彦・三上朝造訳、岩波新書、1977)、『宗教改革の精神 ルターとエラスムスとの対決』(金子晴勇、中公新書、1977)。

どれも面白い内容ではあったけれど、知らないことや難しいことも多く、集中して読む雰囲気でもなかったので、ぱらぱらと読み飛ばして過ごした。

宗教改革の本を読もうとしたのは、旅の行先がベルギーだったこともある。オランダ語とフランス語、カトリックとプロテスタント。言語と宗教が複雑に絡み合うヨーロッパの小国。首都ブリュッセルで、翳りや重みを感じたのは、どんよりとした天候のせいばかりではなかったような気がする。


そんなわけで、ベルギーから帰ってきたあとでも、キリスト教への関心が続いている。太平洋上空でも、キリスト教関連の本を選んで読み続けた。

『聖書の日本語』は、図書館の新刊棚で見つけた。聖書翻訳の歴史を、教義のうえで重要な言葉がどう訳されてきたかに焦点を当ててたどる。

興味深い指摘が三点。一つめは、キリスト教はスペインとポルトガルからの宣教師によって伝えられたけれど、聖書の言葉は、中国語訳を通じて日本に普及したこと。日本では、漢字を通じてキリスト教を理解した人が多かったらしい。自分の経験に照らしてもいまキリスト教的に響くと感じる言葉は、確かにどれも漢字で表わされている。

哲学や科学の言葉は、幕末から明治初めに西洋語から直接日本語に翻訳された。なかには、そのまま中国語へ輸出された語もあると聞いたことがある。そうした直接に翻訳された言葉と、中国語を経て定着した言葉との間には、意味合いや響きになにか違いがあるだろうか。読み書きするたびに、少し注意してみる必要がありそう。

もう一つ、まさに目から鱗が落ちたように感じたのは、「神」という語が日本ではあまり宗教的な響きをもっていなかったという指摘。「神」とは、すなわち樹木や石にも宿る神々や土着信仰の対象で、キリスト教が想定するような強い信仰の対象を表わしてはいなかった。今では廃れてしまった「天主」や「真神」という語を通じて、江戸や明治の人々は一神教を実感したという。

中国語では「神」という語で唯一存在する何かを感じさせることができて、同じものは日本語では「天」が近い。この考えに従えば、一神教的な心性がなかったというよりは、日本では「神」という語で一神教的な精神を表現できなかったと見たほうが的確かもしれない。

三つめは、明治時代の伝道者、新井奥邃の父母神という考え方。山形孝夫『死者と生者のラスト・サパー』でも、コプト語は聖霊を女性名詞とすることで三位一体に女性の響きをすべりこませていると書かれていた。キリスト教は父系の一神教と言われるけれども、そう単純には決められない。外側の形式が厳格にみえるのは、裏側からしっかり支えられているから。異端と正統という見方からは見えない、信仰の現場にいる人々の苦闘が宗教の歴史を作っていることを思い知った気がする。