3/3/2006/FRI
文学の思考 サント=ブーヴからブルデューまで、石井洋二郎、東京大学出版会、2000
私にとって、読書は一つの経験。あるいは、すぐれた本は一つの人格といっていい。そういう思いは読み方の歴史について講義を受けたあとでも変わらない。本のなかに抽象的なテクストというイデアを探し出す必要がある文学の研究者と違い、私はつねに具体的な本の形で作品に出会う。
華やかな装いで魅了する本もあれば、質素な身なりの中に小さな輝きをもっている本もある。学校や会社での評価はどうであっても、自分には大切な人がいるように、業界や文学史上の評価とは関係なく、かけがえのない存在に思える本もある。
同じ文章でも、教科書、全集、文庫、どこで出会うかによって、印象も感想も違う。
広く浅くつきあえないということも、私にとって人と本との共通点。もっとも狭くとも深くつきあっているかというと疑問が残ることも同じ。
本にも人と同じように、出会いがあり、相手との一対一の間柄があり、別れがあり、再会があり、そして、思い出がある。そうした一連の出来事を、どうにかして書き残しておきたいと思うとき、私は 文章を書き残す。
そうして、本を読み、感想を書くことを通して、人との間にも、確かに邂逅、交際、別離、再会、回想があることを、私は気づかされてきたように思う。
だから、私の書評は、本を紹介したり評価したりする書評ではない。きわめて個人的な感想、もしくは読んだ本を手がかりにしたエッセイといったほうがいいかもしれない。より正確に言えば、エッセイとして書いているつもりであって、客観的にどのジャンルにあてはまるのかはわからない。
読書について考えて、過去の日誌にひとつ追記をした。2004年2月17日、森高千里「臭いものにはフタをしろ!!」を引用したあとに次の文章を挿入。
こういう奴は確かにいる。教養や知性という言葉がからむ読書の世界ではなおさら。原書で読んだ、全集を読んだ、謦咳に触れた、などなど。読みたいように読む人は言い返す。
このあと、前からある引用が続く。
私の読み方や書き方は、個人的な体験に依拠しすぎているかもしれない。その癖をよく理解しようとは思っても、変えようとは思わない。
3/10/2006/FRI
シュヴァル 夢の宮殿をたてた郵便配達夫 たくさんのふしぎ 2003年2月号、岡谷公二文、山根秀信絵、福音館書店、2003
CD絵本 バッハ(JOHANN SEBASTIAN BACH)、Ernst Ecker文、Doris Eisenburger絵、宮原峠子訳、カワイ出版、2005
二冊の伝記絵本の感想。
内容は、先週書いた書評「文学の思考」(石井洋二郎、東京大学出版会、2000)から続いている。読み返して、こちらにも二つ追記した。
一つめは、現代の不毛な文章表現の底にあるものとして、すでに書いてあった商業主義のほか、これまでに何度か使っているキャラや「群れ」という言葉。
石井は、創造者の「この唯一性をより明確な形で、ふたたび見出す」という言葉を引いて、ブルデューの社会学的な読解を紹介するけれども、もし冷徹な分析に濾過されたあとで唯一性が残らず、あとに残るのは部数倍増という会議の議事録や、いくらでも取り替えることができるキャラや「群れ」しかないとしたら、文学作品を読む意味はなくなる。
文章の底に人間が残ることについて、もう少し先で再び、展開。
もちろん、名作・傑作・必読のように、どこにでも切り貼りできる言葉で紹介するだけでは、読んでみようと思わせることはできない。批評は、ほかの誰かがその作品に興味を持つような文章でなければならない。その意味では、批評とはきわめて個人的な芸であるという、ロラン・バルトの章にある見方は、研究者にとっては懸念かもしれないが、私にとっては的確な目標になる。
なにを分析されても残るもの。ブルデューが「創造者の唯一性」と呼ぶもの。森有正なら経験、遠藤周作ならXと呼び、小林秀雄なら、遠巻きに言葉を重ねて直接には言い表さないでいるものと、おそらく同じ。
それを感じさせる文章はあるとしても、それを表現するためにどうすればいいのか。文章技法を磨くのか、それとも経験を深めれば文章は自ずと深みを帯びるのか。
そういう疑問を以前はもっていた。もっともその疑問じたい私は言葉と文章で表わすことができないでいた。遡って書評「言葉のラジオ」(荒川洋治、竹村出版、1996)にそのときのわだかまりを記しておいた。
問題は、ジャンルではない。確かに、何かを成し遂げたり、究めたりした人の書いた文章は、面白くて、ためになる。では、すぐれた文章は文章以外の分野で人間を深めた人に書けるものなのか。文章を書くことで人間を深めて、すぐれた文章が書けるようになる道はないのか。この問いに「文学が好き」という言葉はどういう関係にあるか。すぐには答えられそうにない疑問が残る。
書くことそれじたいが、“art”になるのか。いまは先週の書評にはっきり書いたようにもう疑問に思っていない。“art”は、芸術といってはすこし堅い、アートといっては軽すぎる思想が込められた日々の営みとしての“art”。
私のなかでは、これまでどおり、スタイルという言葉に言い換えておく。
今週は第一部の目次を改装した。降順になっていた時系列を全て昇順に変更。現在進行形の第二部は降順のまま。履歴にすべての文章を公開順に並べてある。
3/17/2006/FRI
あたまにつまった石ころが(ROCKS IN HIS HEAD, 2001)、Carol Otis Hurst文、James Stevenson絵、千葉茂樹訳、光村教育図書、2002
海時計職人ジョン・ハリソン 旅を変えたひとりの男の物語(SEA CLOCKS: THE STORY OF LONGITUDE, 2004)、Louise Borden文、Erik Blegvad絵、片岡しのぶ訳、あすなろ書房、2005
世界をかえた魚 タラの物語(THE COD'S TALE)、Mark Kurlansky文、S.D. Schnidler絵、遠藤育枝訳、BL出版、2004
三冊の絵本評を植栽。
職業と仕事の違いをくどくど書いてあった下書きをうっかり消してしまった。もう一度、思い出しながら書いてみると、元の文章からは少し短くなった。
春の行事にあわせてカメラを新調した。新しいカメラで撮影した最初の写真。春の風が寒波を吹き飛ばして、明るい青空が見えた。
3/21/2006/TUE
三年前に書いた文章に以下の一文を追記。文体や段落処理の不備はそのまま。
国旗、国家の強制に対抗するいわゆる左翼の側でも、否定するばかりで、血に染まった日の丸を背負ってでもこの国に生きようという意志は感じられない。
偶然つけたテレビで、World Baseball Classicsで日本が優勝する場面を見た。選手たちは、日章旗を掲げグランドをまわる。
高校生のとき、甲子園の優勝投手であるにもかかわらず、国民体育大会に出場できなかった王貞治が、日本の代表監督としてトロフィーを授与されていた。
王ジャパンはマスメディアでは長嶋ジャパンの継承者とみなされている。彼はすでに国民栄誉賞も受賞している。勝つために招聘されたジーコ監督とは、意味合いが違う。
この勝利は、日本の移民史や国籍の歴史に新しい1ページに加えるだろうか。それとも王は日本で生れたのだからもともと日本人だったという説明のなかに、まぼろしにように消えていくだろうか。
そんなことを考えていて、以前書いた文章を思い出した。
同じ文章の中で、これまで明示してなかった「『たんにドイツ的であることは、真にドイツ的であるとはいえない』という箴言」の引用元、フリードリッヒ・マイネッケ『世界市民主義と国民国家 1―ドイツ国民国家発生の研究1, 2』(矢田俊隆訳、岩波書店、1968、1972)の書名を追記した。ルソーと国民国家の思想を調べたときに読んだ本。
写真は、新しいカメラで写した公園の朝日。
3/22/2006/WED
横浜 そしてパリ 銅版画家 長谷川潔展 作品のひみつ、横浜美術館、2006
銅版画家 長谷川潔 作品のひみつ、横浜美術館企画・監修、横浜美術館、2006
最近行った展覧会の感想。土産に買ったカタログの書名も添えた。
「白昼に神を視る」という言葉は、長谷川の著作の副題にある。展覧会でも、入口に掲げられていた。著書は、美術館に併設された図書室で読んだ。長谷川潔には、絵画だけでなく、言葉の表現者としても思想家と呼べるような深い言葉が多い。とはいえ、そこから引用してしまえば、絵の感想にならない。あとでゆっくり読むつもりで、引用文のメモはとらずに帰った。
ところが『白昼に神を視る』(白水社、1991)は地元の図書館になかった。二度目の横浜美術館では、売り切れていた。版元では品切れになっているものの、幸い、ネット書店で在庫を見つけることができた。
本はまだ届いていない。彼の言葉を読み返せば、感想はまた違ったものになるかもしれない。その前に美術館にいた時の気持ちを書き残しておくことにした。
横浜のコンサート・ホールでフィルム・コンサートを見た歌手についても、何か書こうとしたけれども、書けなかった。去年の2月の終わり、偶然、再販されたばかりの昔のアルバムを手に取った。
このアルバムについても何か書くつもりで書きはじめたけど、何も書けない。どういうわけか、この歌手の名前さえ書けなかった。ほかの文脈では、何も気にすることなく書くことができるのに。
2月に掲載した写真は、最初の一枚を除いて皆この日に撮影したもの。今日の写真は、公園の木の影。