烏兎の庭 第一部
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5.11.03

森有正エッセー集成2「城門のかたわらにて」他(原著1962-1969)、二宮正之編、イレーヌ・丹波・メックス(解説)、ちくま学芸文庫、1999


森有正のエッセー集は長い。堅苦しい文体で延々と独白が続く。それでいてけっして一本調子ではない。「城門のかたわらにて」は前二作で提示された森思想の根幹をなす感覚、経験、定義という公式が敷衍されている。どこを読んでも同じ雰囲気でありながらどこもすこしずつ違っていて、論述の進行とともに思想が深化する。同じ概念が言葉や表現をかえて何度も登場する。思想の深まりとともに、表現も芳醇になる。こうした点は森が好むバッハ作品の魅力に共通するかもしれない。

ところが、続いて収録された「砂漠にむかって」は、どうにもわかりにくい。毅然とした態度で思索を続ける、それまでの三作品から文体こそ踏襲してはいるものの、話題や主張、さらに底流となる思考において、だいぶ違っている。一言で言って、不安定でとりとめのない作品。おそらくは著者もそれを知っていて、むしろそのことを意識しながら、過去に書いた文章を集めているようにもみえる。題名が、歩き疲れて、呆然としている思索者の心境を物語る。

「砂漠」がとりとめない作品に感じられる理由は、構成全体の不安定さにある。まず、収録された手記が書かれた期間が長期にわたっている。そして、個人的な些事が中途半端に、また文脈に直接必要がないように思われる場面で断片的に挿入されている。こうした構成は、読者を混乱させると同時に、作品に砂漠のような茫漠とした雰囲気を帯びさせる効果をあげてもいる。


こうした作品の構成がもつ不安定さだけではなく、この作品には本質的な不安定さ、すなわち、思想に関わる問題も、「砂漠」には垣間見られる。

まず、政治的事象を宗教の問題や文明の問題に還元してしまう傾向が見られる。60年代は、ベトナム戦争、第三次中東戦争、文化大革命などまさに政治の時代であった。東西冷戦が強固な舞台装置となっていたことは言うまでもない。これらの事象のなかで中東紛争は頻繁に「砂漠」に登場するが、森の中東問題に対する理解は、宗教対立という見方に終始しているし、しかもイスラム教に対しては、不寛容ともいえそうなくらい、理解を示そうとしない。いずれ西欧キリスト教文明に屈服するだろうと見方は、あまりに一方的。

一言で言えば、西欧中心主義。とりわけフランスについては、文化だけでなく、当時のド・ゴール政権の政策についても、ほとんど無批判に賞賛している。いわゆる植民地主義への視点も、残念ながらほとんど見られない。遅れた日本と進んだヨーロッパという構図からも逃れられていない。西欧文明の批判なき礼賛、西欧文明以外の文明、宗教世界への無理解、植民地主義への無知、遅れた日本という自覚。この思考枠組みは、左右を問わず、いわゆる戦後知識人の多くと共通している。

こうしてみると、森有正もいわゆる戦後知識人の思考方法にとらわれていた部分が少なくなかったと言わざるをえない。あるいは、森有正ほどに自分自身の内側に巣食う偏見や思い込みと対峙し続けた人であっても、時代の空気から離れて生きることはできなかったと言うべきかもしれない。私の文章も、何年かして読んでみれば今は本人だけでなく、同時代の誰も気づかない偏見に満ちたものとわかるだろう。


ところで、森の経験についての考えを、私は次のように理解している。ある出来事が起こると、身体、精神が感覚として受け止める。この時点で起こるのは条件反射的な、情緒的反応。その感覚の反応を自分の言葉、身体で見つめなおすのが経験。

その出来事は何だったのか、そのときの自分にとって、どんな意味があったか、そのとき自分はどう反応したか、なぜそのような反応をしたか。そして現在の自分にとってはどんな意味があるか。そのような反省を通じて、自分の外で起きたこと、自分のなかで無意識に起きたことを、意識化することが定義。

経験は、その出来事を追体験するように、何度も反芻される。この感覚、経験、定義を繰り返して生きること、すなわち日々自己を反省しながら生きることが、思想を生きるということ。

その意味では、思想はどこかに目標があってたどり着くものではない。たどりつこうとする過程そのものが思想。ところが「砂漠」では、フランス語が完璧にならなければフランス文学がわからない、というような考え方が、ところどころに見られる。この考え方が西欧中心主義と合わさると、病的な劣等感に陥ってしまいかねない。「あせらない、発酵するのを待つ」というのが、本来、森が思索するときの姿勢のはず。この点を見ても、歴史的な呪縛だけでなく、人間的な弱さも「砂漠」には散見され、茫漠とした雰囲気を醸し出している。


西欧対日本という構図は、森有正のなかで抜き差しならない問題。従って日本からパリへ移り住んだということは、森にとっては一大事だった。ただし、傍から見れば、森の生活には大きく変わっていない点もある。

移住の前も後も教員であるし、空襲後の焼け野原とはいえ、住んでいたのも首都なら、移り住んだのも首都。実際、森は徹底的に都会人。彼が日本の自然として懐かしがっているのは、東京の一部分の風景でしかない。その他の自然については、友人宅で高地ネパールの写真を見て、「日本の自然に似ている」と単純に感心してしまうくらい、非常に平板な図象しか思い描いていない。

確かに敗戦直後に渡仏するという体験は、天地が覆るような出来事であったかもしれない。それでも、連続している点への注意がほとんどないために、非連続の点への注目度がかえって高められてしまったようにも思える。ここでもやはり、そうした連続面への無感覚が西欧中心主義を助長していたことは否めない。

要するに「砂漠」は、不安定な作品であり、ある意味でわきの甘い作品と言える。今の知識や第三者の冷静な視点から読むといくらでも批判が可能になる。巻末の解説でも現代言語学の視点から、森の単純な言語観への批判がなされている。


それでも、森のエッセーにはじっくり読み込みたいと思わせる魅力があると言いたい。その魅力の源泉は、解説でも述べられているように、考えることに対する誠実さにある。「城門」は、森自らが認めているように、彼の思索がたどりついた一つの到達点。茫漠とした「砂漠」を読むと、そこへ到るまでにどれほど無為な思索が重ねられ、多くの言葉が浪費されたのかをうかがい知ることができる。

彼は、「思想とは茶碗の洗い方一つにもあらわれる」と述べている。絶えざる反省を言葉で表現するだけでなく、生きるすべての場面で自らの行動に活かしていかなければ思想とは言えない。森有正がそれに成功したかどうか、彼を個人的に知らない私には知る由もない。

森有正が己に向けて問いかけていることは、著作を通じ読者である私に向けられる。そして、私が森に向かって書いているつもりでいても、実はすべて本書に対する批判ですらなく、本書を読んだ私自身に向けられる。

茶碗の洗い方にさえ表われる思想とは、どのようなものか。思想を生活全般、いってみれば生き様にまで広げるとすれば、茶碗の洗い方を問う前に考えるべきことも多岐にわたる。

今の職業でいいのか、今の住まいでいいのか、今の食生活でもいいのか、今の金銭感覚でいいのか、今の服装でいいのか、姿勢は、言葉遣いは、振る舞いは。今の私のあり方は、私の思想を反映しているだろうか。あるいは反対に、私の思想は私の生活によって裏付けられているだろうか。

森有正をとりまいていた存在拘束をあげつらうとするのはさして難しいことではない。ほんとうに難しいのは、彼のように思索を続けること、言ってみれば、茶碗の洗い方に自らの思想を反映させようと努めること。


森有正を読んでいて感じるのは、考えさせるという要請ではない。考えながら生きようという激励。これだけ内省的な手記で、文体には悲壮感さえ溢れているにもかかわらず森の思想はけっして厭世的ではない。森は、いつも生きることをあきらめない

汐見茂思、奥浩平、高野悦子、岡真史。これらの人物は、森がエッセーを書きはじめた年齢よりずっと若い。こうした思春期から青春期に書かれた日本語の手記は内省を深めていった結果、皆自らを破滅させてしまった。

森の思索は徹底的に自己を批判し、ときには責めながらも、自己の生そのものを追い詰めることはない。あくまでも生きるための思想を追い求める。森がそうした姿勢を維持できた理由は、デカルトに代表されるフランス思想の唯我論の影響や、キリスト教信仰のおかげだろう。いずれにしても、その精神力の強靭さが、読者を畏怖させ、また激励してやまない。


さくいん:森有正



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