丸山真男――ある時代の肖像、水谷三公、ちくま新書、2004


丸山真男――ある時代の肖像

丸山眞男は、岩波書店を中心に発表した日本思想史を「本店」みすず書房から発表した時事的な活動を「夜店」を呼んでいた。本書は、主に「夜店」での発言について「本店」との整合性や時代からの影響を批判的に探る。筆者は行政学を拠点に江戸時代の行政制度を研究する学者。水谷の名前ははじめて聞いた。

読めば、水谷が丸山と政治的な立場を異にすることはすぐにわかる。水谷は丸山の時事的な発言が不用意に社会主義に偏っていること、それどころか現実の政府であるソ連や北朝鮮に対して過剰に親和性があったことを次々明らかにする。

後知恵的かもしれないと筆者も断っているが、この作業の意味は小さくない。一般的な文脈でいっても、ある人間が政治的な発言をするとき、どれほど時代の流れにまきこまれているか、本人も彼に反対する者も同じ時代にいる間にはなかなかわからない。


丸山眞男は自身を時代の風見鶏ではなく「天邪鬼」と考えていた。時代が流れそうな方向とはあえて異なる発言をすることに意味を見出していた。丸山自身の言葉を借りれば、政治的発言はつねにプラグマティックであることが意識されていたはずだった。だが水谷の詳細な分析では、時代の主流に逆らおうとする意図がかえって別な流れに呑まれていたり、乗せられた形になっていたりしている。

その点を、丸山ほどの人間でも、と見るか、所詮、丸山はその程度の人間だった、と見るかによって、本書の受け止め方はだいぶ変わってくる。意外なことに水谷の意図は前者にある。

丸山に限らず、批判となると思想を批判するつもりがいつの間にか人格攻撃になっているものも少なくない。なかには、最初からそのつもりで、それが思想の批判と勘違いしている人もいる

水谷はすこし違う。思想史や社会批評に丸山が用いた新しい概念や分析方法の多くを高く評価している。そして何より丸山眞男という真摯な学者を人間として尊敬している。序章と終章にみられる丸山への敬慕は、あいだに挟まれた激しい批判と著しい対照をなしている。

これは矛盾ではなく、それこそを政治的立場を超えた知の交流、あるいは知の継承と水谷は考えているのだろう。「ある時代の肖像」という副題も、丸山眞男個人の批判ではなく、それを通じて同時代に生きる難しさを示している。


もう少し一般的な見地から。戦後思想史の一面を描く本書を読むと、社会主義やマルクス主義という言葉がどれほど強い影響を敗戦直後にもっていたか、同時代を体験していない者にあらためて生々しく感じられる。誰もがそれに賛成するか反対するか、二者択一でものを考えている。そうならないつもりでも、周囲がそれを迫るし、受け止めるほうも白黒で判断する。そのうち本人も気づかぬうちに形式的な賛成派、反対派になってしまう。それほど大きな存在だった。

私が物心ついた時代には、すでにソ連とは夢も希望もない人権抑圧国家と受け止められていたように思う。要人が亡くなったことは、ラジオ放送が暗い音楽に変わったことや、ひな壇での序列でしかわからないような国だった。

それでも、革命や労働者の団結などという言葉は、社会の不正義を憂う若者にとっては情緒的な魅力がまだ残っていたかもしれない。少なくとも私にとってはそうだった。もっとも、興味はあくまでも情緒的なまま。現実の社会主義国家の動きを批判的にみることも、それと区別された思想の内実を見定めることもできなかった。だから思想というものに興味をもったとき、はしかのようにマルクス主義に興味をもったものの、それ以上学ぼうともしなかった。


現在では、親米・反米がかつての社会主義にあたる。誰もがその問題に対して白黒の立場表明を迫る。違った角度から考えようとしても、好きか嫌いかのどちらかにとられてしまう。数年もたてば、人々が気づかぬうちにどちらかに偏っていたことがわかるかもしれない。

その時まで残る発言している人はどれだけいるだろう。過去の発言を踏まえて新しい発言をする人は少ない。重みも重なりもない。今、思っていることを放言するばかり。


丸山の場合、文章も発言も時系列的に編集され、一部は事項索引もついて公刊されている。さらには書簡集から本人が発表する意図をもっていなかったかもしれない個人的な手記まで発表されている。死後、遺体を医学の発展のために提供することを献体という。丸山眞男は思想史に対して献体したといえる。

それを可能にしたのは、与えられた立場だけではない。個人の意識としても、ここまで思考の遍歴を公開できる人はそう多くはないに違いない。水谷も本書の執筆は豊富な知的遺産によって可能になったと認めている。彼の丸山への尊敬も真摯な思索の記録を残した点にある。


これから思想史家、丸山眞男は忘れられていくだろうか。「尊敬するのと担ぎまわるのとは、たしかに違う」と水谷はいう(「あとがき」)。思い込みばかりの偶像や、虎の衣を借りるための賞賛は、いずれ消えるだろう。担ぎまわる人がいなくなれば、巨人を相手に戦っているふりをして自分を大きく見せようとする小者たちもやがていなくなるだろう。

丸山の影は失われても、水谷の尊敬をこめた厳しい批判がかえって丸山の美学を浮き彫りにしたように、丸山を静かに読むことは、ほこりや手垢を拭い去り、一人の誠実な思索者の姿を読者の心に残すだろう。そのためには、丸山が読者に望んでいた「一般社会の職業についている、名声への野心なしに書を読む人間」(水谷の引用による)にならなければならない。

ちょうど書店で本書のとなりにおいてあった同じ新書から出ている香山リカ『<私>の愛国心』(ちくま新書、2004)は、吉野源三郎『きみたちはどう生きるか』に丸山が添えた文章をとりあげていた。そこでも、悩みながら誤りながらも、考え行動する先人の一人として丸山は参照されている。


さくいん:竹内洋丸山眞男